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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「酔いすぎた男」(長野良映)

2017.11.15 更新

 朝から降り続いていた雨は、夕方になると静かに止んだ。住宅街と繁華街の境目に島村のバーはある。私がやっとその店に着いたときには日が暮れていた。店のドアの下に設えられた小さな扉から猫が飛び出してきた。そのさび柄の猫はこちらを不思議そうに見上げた。暖かい室内から突然飛び出してきたからか、寒そうに身震いする。ここを根城にしているのだろうか。いい店を持ったな、となんとなく思いながら分厚い木のドアをかすかにきしませて一歩足を踏み入れれば、柑橘系のさわやかな匂いに包まれる。踏み出すごとに、木の乾いた音が心地よく響いた。
 彼はカウンターの中で、慣れた手つきでグラスを拭いていた。四十を越えると体型の維持が難しいのは私と同じで、体が一回り大きくなったようだが、その高くまっすぐな鼻筋で島村だとわかった。
「いらっしゃい」
 気づいた島村が変わらぬ笑顔で声をかけてくれて、彼の前に座った。
「久しぶりだな。まだ開店の時間じゃなかったか」
「開けたばかりだよ。薄暗いからわかりにくいけど、少しはお客さんが入ってるよ」
 体をひねって見回してみると、テーブル席では若い男女が話し込んでいて、カウンターの奥では、頰杖をついて目を瞑った男が一人で座っていた。
 後ろの棚にはカラフルな酒瓶が隙間なく置かれている。樫でできているのだろうか、カウンターもよく磨かれて光っている。カウンター席に加えテーブル席が二つのみの小さな店ではあったが、品良く揃えられた調度品にしても、大学時代からの島村のセンスの良さがうかがえた。
「良い店だ。ネットでもけっこう取り上げられてるみたいだな」
「ありがとう。俺もこの店を気に入ってるよ」
「大学を出てから十年くらい経ったときだっけ、お前がバーを開いたって噂で聞いたのは。その頃は忙しくてなかなか足が向かなかった」
「でもこうして来てくれた」
「そりゃ頼まれたら行くよ。この前いきなり連絡が来たからどうしたんだろうって。どういう頼みなんだ」
「ビルのオーナーがここを取り壊すことに決めたから移転しなきゃならない。次の場所は見つかったんだけど、それに絡んだ話なんだ」
 話すと長くなるから、と前置きした島村の「何飲む?」という問いに「任せるよ」と返すと、彼は細い指を操ってシェーカーに液体を注ぎ、リズムよく振った。それから酒をグラスに流し入れ、私に差し出した。
「ブルー・ムーンだ」
 印象派の絵画を思わせる淡い青色を前にして、口をつけるのがとても惜しくなった。島村に促されて静かにグラスを傾けると、カクテルが爽やかな味覚を残しながらのどを流れていく。深く頷いた私に、島村も満足げな表情になる。
「学生のときはサークルで一緒にわいわいやってたけど、それ以外の時間はバーに一人でよく行ってたんだ」
「それは知らなかった」
「隠してたんだ。大学生でバー通いなんて背伸びをしているようで恥ずかしいような気持ちがあった。とても居心地のいいバーを見つけてね……通ううちにマスターが気に入ってくれて、バイトで雇ってくれた。最初に任されたのは雑用だけだったけど、だんだん簡単な料理やバーテンダーの真似ごともさせてもらって。
 バーの何が一番の魅力かというと、実はカクテルじゃなくて、普通では出会えない人と話せるところだと思う。人生の酸いも甘いも嚙み分けた人から聞く話は、大学の講義より刺激的だった」
 島村は白い布巾でカウンターの水滴を拭き取りながら、過去を振り返っているような顔つきで語り続けた。
「いつの間にかバーという場の虜になって、自分にしかできないバーを持てないかと思うようになったんだ。
 就職した家庭用品メーカーは開店資金を貯めたところで辞めて、いざ開店するにあたって売りを何にしようかと考えたとき、いつだったか話を聞くのが上手いって褒められたことがあって、武器にできないかって。たどり着いた答えが、人生の味を体験できるカクテルだった」
「人生の味?」
 あまりに突拍子もない発言におうむ返しになってしまった。そんな味など見たことも聞いたこともない。
「説明するより、味わってみてほしい」
 そう言っておきながら島村はカクテルを作る代わりに、これまでの人生について私に質問した。彼は確かに話を聞くのも聞き出すのも上手だった。次に話そうとする話題の質問をタイミング良く振ってきたり、こちらが詰まった場合でも、焦ることなくじっと私の言葉を待った。家族にも隠しているような嫌な出来事も、なぜだか自然と口をついて流れた。
 どれくらいの時間語っていただろう。
 口は渇いていたが、頭は不思議とすっきりしていた。
 島村は細長いスプーンを手にカクテルを作った。グラスの中にあてがったスプーンに酒を伝わせて静かに注いでいくと、グラスの底から茶、緑、白、赤……と液体の層が虹のようにきれいに重なっていった。
「比重が違うから混ざらないんだよ。こういうの、プース・カフェっていうんだ」と島村が教えてくれた。
 グラスが、十層ほどの色で満ちた。
「どうぞ。うちのオリジナルで、『ライフ』って名前で出してる」
 こんなカクテルを前にするのは初めてだ。層が崩れるのはもったいないが、未知の味の好奇心に負けて、グラスを傾けた。
 すると、目の前の島村と周りの光景から色が抜け落ちた。代わりに色をもって表れたのは私の記憶だった。やっと返せた借金、息子の誕生、周りに理解されなかった結婚、家業を継いでからの苦労。辛かったこと、楽しかったことが映写機で早回しするように次々と浮かぶ。そして最後おぼろげに残ったのは、小さい頃の私が母の膝枕で安らかに寝ている姿だった。
 視界が元に戻ると、舌に残る甘味で頭がぼんやりした。
「どうだ?」
「……うまい」やっと答えたが、二の句が継げなかった。酔いすぎてしまったようだ。説明する島村の声が、厚い幕を通したようにくぐもって聞こえる。
「常連さんだけに出してるんだ。これまでの人生でどんなことがあったか聞いて、その思い出にぴったり合った酒を注ぎ足していく。幼い頃の思い出が濃密で甘いから、それが底にいくように注いでいくんだ」
 去年亡くなった母が最後に浮かんだのはそういうことだったのか。ただ層にするだけなら誰にでもできそうだが。
「話を断片的に聞き取るのでは足りなくて、全体を網羅する必要がある。カウンセリングも交渉術も勉強してコミュニケーション技術の基礎を固めて、思い出とカクテルが確実に結びつくよう試行錯誤した。もちろん、自分の体を使ってね。さすがに酒はもういいってなるくらいの頃、一年前の出来事を再現させるのに成功した。そこから完成は早かったよ。飲んでくれた人のほとんどは、これまでの人生を肯定できたって言ってくれる」
「そう言うのもわかる」未だ残る余韻を振り切って言った。「性格なのか、いつも思い出すのは嫌なことの方が多いけど、良いこともたくさんあった。しかし、ほとんどって言ったな。全員に受けるわけじゃないのか」
 柔らかい表情を収めた島村は、カウンター奥の男へそっと視線を投げた。あまり気にしていなかったが、中年くらいのその男は、ずっと同じ姿勢だったように思えた。私が店に入ってからしばらく経つのに、最初からずっと。
「半年前、あのカクテルを飲んでからずっとあの状態なんだ」
 信じられず、反応できなかった。近づいて様子をうかがうと、男の目は微笑んでいるようにも見える。
「自分自身、調子に乗っていたんだろう。『ライフ』がお客さんに絶賛されて、この店が目指すバーに近づいたと思って。そのお客さんにも飲んでもらったら毎日せがまれて、しまいには……確かに呼吸はあるけど、寝てる状態とも違う。意識だけが別の世界に飛んで戻ってこない感じなんだ。そういえば、最後に作ったカクテルはとびきり甘いものだった。この世界が嫌で、あっちの世界に居続けているのかもしれない」
「医者には見せなかったのか?」
「もちろん見せた。変なものを飲ませたんじゃないかと疑われるのが嫌だから、口止め料でいくらか持たせたけどね。やはりふつうの眠りじゃないらしい。不思議と汗もかかないし排泄もしないからそのままにしてたんだけど、移転の話がでて何とかしなきゃと思って」
「だから便利屋の俺が呼ばれたのか」
「こんなことで呼んで申し訳ない。でも藁にもすがる思いなんだ」
 親友の頼みだ。もちろん手荒なことなしに起こす方法がないかやってみよう。ただ、眠っている人を起こした経験なら誰にでもあるのだろうが、甘い思い出からこの現実に戻す方法など、あるのだろうか。
 改めて男に目をやれば、その姿は誰かに暖かく抱きかかえられているように見えなくもない。解決する策をいくつか思い描きつつも、私自身がさっき味わった甘い思い出が甦ってきて、男をこのままにしてあげたい気持ちも、たしかに芽生え始めていた。
 私が思い出に酔っている間に、テーブル席の男女は店を後にしたようだ。店内には私と島村とその男の三人がいるのに、この静けさがいつまでも続いていくように思えた。

(了)

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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