キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

東 直子(ひがし・なおこ)

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第11回

2019.04.26 更新

「女」という文字を示す水口の指先に、青と薫と須藤の視線が集中した。しばらくの沈黙の後、薫が顔を上げて言った。
「会いに行ったんだ、ポートー、お母さんに」
「私たち、それ、知らなかったよ。そんなの、聞いたこと、なかった」
 青もそう言いながら、水口の方に身を乗り出した。須藤はあいまいな表情で薫と青の顔をちらちら見ながら、水口の顔を見て、その表情を窺った。
 水口は、三人の視線に気圧されるように、身体を引いた。
「知ってるんですか? ポートーの、お母さんのこと」
 薫が、ゆっくりと、しかしはっきりとした大きな声で訊いた。
「いや、だから、その、そんなに、オレに期待されても、さ」
 水口は、背中を少し反らせたまま、なんどもまばたきをしながら、とぎれとぎれに答える。
「行くって、言ったんだよ、ぼそっと。母親に会いにいくって。生き別れだったけど、生きてたからって」
「生きてた……。発見したんだ、ポートー、お母さんのこと」
 薫は瞳をかすかにゆらしながら、かすれた声でつぶやいた。薫の声が、見えない穴に吸われるように消えると、しんと皆押し黙った。
「じゃあさあ」
 青が突然静寂をやぶるように、大きな声を出した。
「ポートーのお母さんを見つければいいんだ。そこに、ポートーがいるってことだ!」
「え」須藤が声をもらし、水口の方を見た。
「ポートーのお母さんがどこにいるか、おまえ、知ってんの?」
「いや、オレは、だから、さっきから言ってるじゃん、パフェおごってもらって……」
「パフェの話はいいから」青が口をはさんだ。
「だから、ほんとの母親に会おうと思ってるって」
「それも聞いた」
「だから、それだけだよ」
「他に、ないの? その、母親の名前とか、住んでるとことか」
「そんなのは、知らない」水口は、頭をぶるぶると振った。
「なにも?」
 青がテーブルに両手をついて、頭を落とし、上目遣いで水口の顔をのぞいた。水口は、唇を少しとがらせた。
「そうだよ、知らないよ」
 青から目線をそらした。
「だってさ、別にさ、親に会いにいくっていったら、あ、そう、ってなるだけじゃねえ? で、お母さんの名前、なんていうの? とか、どこに住んでるんですかー、なんて、いちいち訊きますか?」
「うん、そりゃあ、そうだ。訊かない、よなあ、普通」
 須藤が、空気を和ませようとして、わざと明るい声を出した。
 水口は、やっと味方が現れたような気がしてうれしくなり「だよなあ」と、須藤に向かって高い声で言った。
「オレ、なんか、悪かったですか。お宅がそこまで複雑なことになってるって、ぜんぜん知らなかったし……」
「あ、いや、ごめん、そうだよ。水口、べつに責めてるわけじゃないからな」
 須藤が、水口の肩をたたきながら、とりなすように言った言葉に、薫が声をかぶせた。
「水口さんは、なにも悪くないです」
 水口が、目線だけを上げて、薫を見た。目が合う。
「あ、いや、その…………。じゃ、パフェでも、食べない?」

「春枝さん」
 縁側で陽を浴びながらうとうとしかけていた春枝は、自分の名前を呼ばれてはっとした。声のした方を振り向くと、佐和子が立っていた。春枝の心臓がびくっと反応する。佐和子は春枝と目が合うと、かすかに両方の口角を上げた。
「そんなところで眠ると、冷えますよ」
 春枝は、すみません! と言いながら、あわてて立ち上がった。
「そうやって、あわてて動くのも、よくありません。怪我のもとです」
「あ、はい! そうですね、ありがとうございます」
 春枝は、ひょこんと頭を下げた。
「順調そうねえ」佐和子が目線を下げ、春枝の腹部をながめた。
「はい、それはもう、おかげさまで」
 春枝はすっかりふくらんできたお腹を右のてのひらでゆっくりとさすり、満面の笑顔を浮かべる。佐和子もそれにつられるように笑顔を一瞬浮かべたが、すぐに真顔になった。
「先ほど、とんでもないお客様がいらしてたわよね」
「え、とんでもないお客様、というのは?」
 春枝は、来客があったことには気がついていたが、青が対応したので、台所でしていた作業をそのまま続けたのだった。
 家事を一通り終えて縁側に座って陽を浴びているときに、玄関の戸を開けて、数人で外に出かけていったらしいということを、春枝は、足音やドアの開け閉め、交わされた声などから察知していた。
「どなたかがいらっしゃったことは気付いたのですけれど、青さんが対応されて、すぐに二階に上って行かれましたので、私はその方にはお会いしていなくて。あ、お茶などさしあげるべきだったでしょうか……」
「一度は片づけたのに」
 佐和子が自分の言葉に声を重ねてきたので、春枝は黙った。一度は片づけたって、なんだろう、と一瞬考えて、すぐに麻雀のことだ、とぴんときた。今は青が使っているあの部屋で麻雀がまたできるようになってしまったこと知っているのだろう。今は自分もそこで麻雀を教えてもらっていたりするものだから、春枝はいたたまれない気持ちになった。
 麻雀を青や薫たちとやっていることを、真一には伝えていたが、佐和子には伝えていなかったのだ。佐和子は、このごろ部屋に引きこもっていることが多く、会話をするタイミングもなかったのだが。
(今からでも言っておくべきだろうか)
 と春枝は心の中で思いつつ、きっと佐和子のことだから、そんなことはもう、とっくに察知していたんだろう、とも思っていた。「一度は片づけたのに」という発言は、それを引き出すための誘導的なつぶやきだったとも取れる。
「こそこそするなんて、ほんとうによくありません」
 低い声でそう言う佐和子の横顔が、どこを見ているのか、春枝にはわからなかった。
「あの、こそこそ、というのは」
「あなたも知ってるんでしょう? 捜してるんでしょう?」
「え、あの、いいえ、私は何も知りません……」
 春枝は、敬という人のことを言っているのだ、とすぐに理解し、あいまいな返事をしたが、実際そのことについて直接相談されたわけでも、相談しているところを見たわけでもないので、そう答えるしかなかったのだった。
 佐和子は、春枝の反応など最初からまるで眼中になかったかのように一瞥もせず、つかつかと縁側まで歩くと、さっきまで春枝が座っていた場所に、ゆっくりと腰を下ろした。
「ここはいいわねえ、明るくて。中庭だから、外からは誰にも覗かれない。でも、明るい。私はねえ、そういう家にしたかったのよ。自分たち専用の光は、自分で用意するものなのよ」
 なんのことを言っているのか春枝はわからず、佐和子の後ろに呆然と立ちつくした。視線の下に、佐和子の頭頂部があった。つむじを中心に髪が薄くなっていて、地肌がほんのり透けていた。
「どうして最初から、私に訊こうっていう頭がないのかしらね、あの子たちは」
 佐和子が真顔で空を見上げながら言った。先ほどまできらきらと陽をこぼしていた空には、淡いグレーの雲がかかっていた。だから佐和子は顔をしかめずに、空を見ることができたのだった。
「あの、お義母さま、なにか、ご存知なのでしょうか? その、敬さん、のことで……」
「敬」という名前に反応したかのように佐和子が無言で首だけをひねり、春枝を見上げた。目を合わせると、ゆっくり笑顔になっていった。

「ポートーは、いつもこの席に座ってた。そんで、オレはチョコパフェを食べて、ポートーは、フルーツのたくさんのったプリンのパフェを頼んでて」
 水口に案内されて、商店街の端の方の二階にある古びたパーラーに、四人はやってきた。そのパーラーは、老紳士二人で店を回しているようだが、大きな窓から陽がよく入り、清潔で広々としていた。
 地味な服を着た、よく似た雰囲気の年配の女性客数人が奥の手洗い所に近い席で談笑している以外に客はおらず、席は自由に選べた。せっかくなら敬の好きだった席に座ろうということになって、そうした。
 水口がチョコレートパフェを、薫と青がプリンのパフェを、オレはちょっと、と言いながら須藤はコーヒーを注文した。
「足並みそろえればいいのにさ」
 青が細長いスプーンで生クリームを掬いながら言った。
「そういう同調圧力、やめてくれるかな」
 須藤は苦笑いしつつ、「でも、人が食べてるとちょっと食いたくなるな」と言ってコーヒーを啜った。
「でしょう」
 と須藤を軽くからかったあとで、目の前の薫の手が、スプーンを握ったまま止まっていることに、青は気付いた。
「ん?」
 薫の視線は斜め前の水口に向かっていて、水口は眉間に皴を寄せ、唇を嚙みしめていた。その頰に、光るものがあった。
「え、あれ、水口くん、泣いてるの……?」 
 青が目を見開いて言った。水口は、姿勢を正し、ずずっと鼻をすすりあげた。
「なんで?」
「だって、さ……」
 水口が、手で涙をぬぐった。
「思い出しちゃって」
「おっと、すごいな。おまえ、繊細だな」
 須藤が言うと、水口が涙を拭きながら、うっせえな、と言った。
「なんか、かわいそうだったんだなあ、ポートーって、思ったらさ。ここでうまそうにメロンかじったりしてたけどさ、いろいろあったんだなって、今ごろ思えてきてさ」
「かわいそう……」
 生クリームにスプーンをさして静止したまま、薫がつぶやいた。
「かわいそうなの、ポートー」
「まあ、どう考えても、さっきの家族の話を聞くと、ほんと、気の毒な境遇だよな。オレも、同情するよ」
 須藤が言うと、水口が二度頷いた。
「そんなふうに、本人としては言われたくないだろうけどねー」
 青が、真っ赤なサクランボのシロップ漬けを手で取ってぱくりと口に入れた。
 薫が、ひくっと声を出して、スプーンをナプキンの上に置いた。ひくっ、ひくっとさらに続けた。全員が薫に目線を向けた。薫はこらえられなくなったようにうつむいたまま「うう」と声をもらし、ぱらぱらと涙をこぼした。
「わあ、薫ちゃんまで、思い出しちゃったかー」
 須藤が薫の肩に手をやると、薫は泣きながら両手で須藤の手を肩から降ろしつつ、何度も首を横に振った。
「ちが、う、ちがい、ます……」
「違うって、なにが違うの?」
 青が、薫の方に少し身を乗り出して、やさしい口調で声をかけた。
「ちがう……」
 薫は、絞り出すようにそう言って、うつむいたまま涙をごしごし拭き、頭を振って髪を振り乱しながら顔を上げた。
「かわいそうっていうのは、ちがうと思います!」
「え、オレ?」水口が、自分のせいなのか? と問うように鼻の頭に人さし指を当てた。
「わたし、ちっちゃいときに、ばあばにかわいそうって、なんども言われてて、そうなんだって思ってたけど、それ、ちがう気がしてる、今。わたしたちがかわいそうなんじゃなくて、かわいそうって思いたい人に、かわいそうな人にさせられてるだけなんだと思う」
 薫は、自分を納得させるように、なんども頷いた。
「わかったわかった、悪かった。とりあえず、悪かった。とりあえず……これを食わせてくれ」
 水口は、チョコレートパフェを猛然と食べ始めた。
「ごめんなさい、水口さんは、悪くないです」
 薫がぼそっと言うと、青が「この人もわかってるって」とささやいた。
 水口が、口にパフェを入れたままで「はい!」と答えたので、汚いよおまえ、と須藤がたしなめた。
「かわいそうって言われたり、思われたりするのって、私もすごく嫌だったからね。わかるよ。ポートーも、この家のこととか、そういうのぜんぜん知らなかった水口くんだから、誘ったのかもね」
「あのさあ」水口が腕組みをしている。
「そもそもさあ、なんでそんなに、ポートーのこと、見つけようとするわけ?」
「え?」
 青と薫が同時に声を出した。
「そうやってさ、姉妹でさ、息を合わせてさ、いなくなった兄貴をさ、どうしてそんなに捜すのさ」
「だって、そりゃ、心配だし」
「もう三十歳すぎてる、いい大人じゃないですか」
「でも、自立できてないんだよ?」
 青が、少しいらだったような顔をして、続けた。
「仕方ないじゃない」
「それなんだよなあ。俺、思うんだけど、仕方ない、でこれまですませちゃったから、よくないんじゃないか」須藤も割って入った。
「ほんとうは、青さんも、薫さんも、ポートーに会いたいってわけでもないんじゃない? ほんとはなんとかしなくちゃいけないのにずっとそのままにしてたら、急に消えちゃって、だからそのまま捜さないのは、良心の呵責にさいなまれるから、とりあえず捜すっていう……」
「とりあえずじゃないです!」
 須藤の言葉をさえぎって、薫が立ち上がった。何かを言おうとしていた青は、口をぱくぱくさせている。
「どうして捜したくなるのか、うまく説明できません。でも、ほんとうに、もう一度、会いたいんです。ただ、会いたいんです」
 薫が、つっかえつっかえ言った。青も立ち上がって、薫を落ち着かせるように手を添えて、一緒に座った。
 須藤と水口は、きまずそうに顔を見合わせた。
「わかった。わかったよ。そうだな、うん、わかった、なんでなんて、考えたって、しょうがないよな。人の考えることなんて、わかんないからな。家族でも」
 須藤が自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「うん、オレも、わかったよ。できること、少ないかも、だけど……」
 水口はいたたまれない気持ちをごまかすように、パフェをスプーンで掬った。
「ああ、うまい。ここのパフェ、やっぱうまいよなあ。ポートーも子どものときからずっと好きでよく来てるって言ってただけのことはあるよなあ」
 水口がしみじみと言った言葉に、青は敏感に反応した。
「子どものときから、よく来てたって? ポートーが?」
「そうだよ。あれ、おたくらも来てたんじゃないの? 親に連れてきてもらって」
 青と薫が同時に首をぶるぶると横に振った。
「真一がそんなことするわけないし、私の母親も、そんな余裕とてもなかったし。外食したことも、ほとんどなかったくらいなのに、喫茶店で、パフェなんて! ……薫も? 薫も、そうだよね?」
 薫がこっくりと頷いた。
「ということは、ポートー、ほんとのお母さんと来てたんだよ、ここに」青が遠くを見ながら言った。
「え、だって、生まれたあと、一緒に暮らしてはなかったんだろ?」須藤がまばたきをした。
「一緒に暮らしてないからこそ、だよ。ポートー、ひそかに会ってたんだよ、ほんとうのお母さんと連絡がとれて、それで。ときどきこっそりと、ここで」
 薫の目がぱっちりと開いた。その目は、白いシャツにグレーのチョッキを着て、黒いエプロンを捲いたパーラーの店員に向けられていた。薫は手をさっと上げ、「すみません」と、大きな声を出して、その人を呼んだ。
「はい。少々お待ちください」
 背筋のすっと伸びた、老紳士のような店員が、薫たちのテーブルに近づいてきた。薫は、手元のパフェのアイスクリームが、手をつけないままぐだぐだととけ始めているのに気がついた。あわてて食べるふりでもしなきゃ、と思ってスプーンをアイスクリームにつっこんだとたん、器のふちにあったメロンを落としてしまった。
「あ」
「わあ、もったいない!」水口が思わず声を出したのと「お取り換えいたしましょうか」という店員の声が重なった。
「いえ、いいんです。自分がうっかりしてて、落としちゃったので、いいんです。……それより……」
 薫は、深い皴の刻まれたその顔の、淡い光をおびた透き通った瞳をまっすぐに見つめた。

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作品について

著者プロフィール

東 直子(ひがし・なおこ)

1963年、広島県生まれ。歌人、作家。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞受賞。歌集に『青卵』『東直子集』『十階』。
2006年、『長崎くんの指(文庫改題『水銀灯が消えるまで』)』で小説家デビュー。小説、エッセイ集に『とりつくしま』『さようなら窓』『ゆずゆずり』『千年ごはん』『鼓動のうた』『キオスクのキリオ』『いつか来た町』『いとの森の家』、共著に『回転ドアは、順番に』『愛を想う』『短歌があるじゃないか。』など、著書多数。
最近では自著や歌誌「かばん」に描くイラストも好評。この連載ページ上部のイラストも著者自身による。

作品概要

三人の孫を持つ佐和子。
しかしそれは、決して幸せの象徴ではなく、複雑な事情を抱えたものだった。
息子の相手を決して受け入れず、生まれた子どもたちにも愛情を持たず……。
母親が違う三人のきょうだい、敬、青、薫をめぐる物語。

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