キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

東 直子(ひがし・なおこ)

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第1回

2015.01.21 更新

抱き上げて軽くゆすりながら、佐和子は泣き続ける薫の耳元に、かわいそうにねえ、とつぶやいた。その言葉は癖のようにたびたび薫の耳に注がれた。かわいそうにねえ、こんなことになって、かわいそうにねえ、勝手なことされて、かわいそうにねえ、男みたいな名前をつけられて、かわいそうにねえ……。
佐和子に抱き上げられるほど幼い薫には、その意味がまだわからない。身体の奥底に祖母のややハスキーなつぶやきを子守歌のようにしみ込ませながら、いつしか泣き止み、眠った。
しかし佐和子が薫にそうしてかまってくれるのは稀なことで、たいてい薫は広い部屋の中でぽつんと座っていることが多かった。その部屋には、この家の子どもたちが長年遊んできた木馬と手押し車と積み木だけがあり、薫は積み木を一つつかんで、ただじっとしていた。
薫の母親の登紀子は原因不明の病に倒れ、奥の部屋でずっと眠っている。ときどき目を開くことはあるが、会話を交わすこともできない状態が続いていた。
新しいお嫁さん、倒れたんだってねえ、小さい子がいるのに、たいへんですねえ、と一体何人から言われたのか、佐和子は覚えていないほどである。「新しい」という言葉がことさら強調されたような気がして胸の奥にちくりとした痛みを感じつつ、佐和子は育ちの良さを自覚するゆったりとした笑みで、たいしたことないですよ、とひとこと返すだけだった。
かわいそうにねえ、と佐和子が薫に言うのは、母親が寝たきりでかわいそうにねえ、ということになるのだが、その台詞は、登紀子が元気だったころから密かにつぶやかれていた。佐和子は一人息子の真一と登紀子の結婚には反対していた。初めて紹介されたとき、登紀子は妊娠していて、何も言わなくてもそれと気付くぐらいに腹は膨らんでいたのだった。佐和子は、なによりも先に、順番が逆じゃありませんか、と低い声でしずかに言った。
佐和子がそんなことを言ったからといって時間が逆回転するはずもなく、時は順調に進み、薫は登紀子の子宮の中ですくすくと育ち、月充ちて登紀子は薫を産んだ。病院ではなく、今こんこんと寝ている部屋で。この家では、赤ん坊は自宅でお産婆さんに取り上げてもらうことが習性として続いていた。佐和子もこの家で真一を産んだのだ。登紀子もその習性にしたがったのだった。
産後の登紀子がすやすやと眠っているすきにそっと薫を抱き上げた佐和子は、誰もいない廊下を足音もたてずに進み、縁側から中庭に出た。三月半ばのことで、梅の花の匂いがかすかに漂っていた。空には淡い雲がかかっているだけでおおむねよく晴れていて、あたたかな陽が降り注いでいた。薫は白いおくるみの中でちいさなこぶしを握り、目を閉じ、つやつや光る濡れたくちびるだけをかすかに動かした。くちびるの上で光も動く。
かわいそうにねえ……。
佐和子はそのとき初めてその言葉をつぶやいた。薫が生まれてきたこと自体をかわいそうだ、とでも言うように。

ジャラジャラという、なんらかの物が軽やかにぶつかりあう音が、心地よかった。薫は、その音に導かれるように二階へ這いのぼっていった。二階に上がり、音が漏れている部屋の襖を、薫は自分で開いた。
おい、ポートー、来てるぞ、とその中の一人が言ったが、誰も手を止めることはなかった。ポートーと呼ばれた男は、気にしなくていい、とぼそりと言ったあと、薫の目を見ながら、部屋の隅を指さした。そこにでも座ってろ、の意味である。察しのいい薫はその通りにした。薫が膝を抱えて隅に座ったのを見届けたポートーは、サービスするか、と言って、棚からレコードを一枚抜きとり、簡易式のプレーヤーに置いて針を落とした。ざらざらと針が埃をひっかける音とともに、「おお牧場はみどり」の旋律が流れ出した。
なんだよう、それ。なんだって、なんだよ、さわやかだろ。それしかないのかよう。いいじゃん、なごむー。
半ば笑いながらそのような会話をしつつも四人の男たちは一向に手を止める気配がない。小さな白い四角いものを、並べ、重ね、つまみ、持ち上げ、別の場所に重ね、という動作を繰り返している。四角いものには、なにか記号のようなものが描かれている。
薫は、小さなスピーカーから放たれる明るい旋律を浴びながら、男たちのすることをただ黙って見つめていた。見つめているうちに睡魔が降りてきて、膝を抱えたままことりと倒れた。ポートーは薫に一瞬目線を移して、ねてら、と誰にも聞こえないような小さな声でつぶやき、ふたたび目の前の小さな四角い物に集中した。

薫が、ポートーの部屋に? そりゃあよくないだろう、と真一は言った。真一は佐和子の長男で、薫の父親である。毎日早朝に出勤し、深夜に帰宅するので、薫と顔を合わせることは少なかった。佐和子は深夜に帰宅した息子を寝ずに待っていて、夜食を作った。青年期から四十代の今にいたるまで毎日のように続けられている習慣である。
真一の前には、卵とじうどんがあたたかな湯気をたてていた。半熟卵がやわらかくうどんの表面を覆っている。斜めに薄く、鋭く切りそろえられた白葱が、どんぶりの縁に添ってつんと青い香りを放っていた。真一がその上に真赤な一味唐辛子をやや乱暴に振りかけるのを見ながら、ポートーと言うのはおよしよ、と佐和子は言った。大事な長男じゃないの、敬(たかし)でしょ。
真一は、ほんの一瞬はっとした顔をしたが、すぐに破顔し、アハハハハハとはっきりした声で笑い、そうだなあ、ソンケーのケーと書いて、敬くんだったな。そんな名前、誰がつけんだ? アハハハハハ、と笑った。

敬は大学の法学部を卒業したあと、弁護士になるための司法試験を受けたが落ち、そのまま司法試験浪人を続けている。はずなのだが、二階の自室に仲間を招いては、大学生のときに覚えた麻雀に毎日どっぷりつかっている。最初の一年は、佐和子はもちろん、子育てには、ほとんど関与しない真一でさえ苦言を呈していたが、二年を過ぎ、三年を過ぎた今では、すっかりあきらめムードが漂い、放置されている状態だった。
だいたい、それどころではなかったのだ。お腹の大きな登紀子が突如家に入り、薫を産んだのだ。産んだはいいが、一年後に倒れて寝たきりになるという、だんだんに重い事実が重なり、敬が司法試験に受からないということなど、優先順位がぐんぐん下がっていった。
部屋で麻雀を打つことを黙認されていたものの、夜中に音を出すことだけは固く禁止されたため、まだ陽があるうちに、敬は仲間たちを帰宅させた。敬自身も、いつまでも自分の部屋に他人がいることは耐えられなかったところもある。
大学卒業後も昼日中にだけやってくる仲間を敬がどこで見つけてくるか、家族が預かり知ることはできなかった。いつも同じ人、というわけではなく、高校生だったり、サラリーマン風だったり、アーティスト風だったり、老人だったりと、年齢も雰囲気もバラバラだった。ただし女性は一人もいなかった。敬の家族と廊下で擦れ違うとき、彼らは一様に腰を下げ、上目遣いの、ややうしろめたそうな表情を浮かべて会釈をした。

敬は、実の母親を知らない。敬は、佐和子が言うところの「そとの人」に産ませた子どもだった。地方から上京して居酒屋でアルバイトをしていたところで真一と知り合ったその人は、妊娠を機に真一との結婚を望んだ。大学生ながらいつもはぶりのいい真一の実家が金持ちであることを見越しての結婚願望で、真一はそれにあいまいに同意した。しかし、佐和子にとって大切な一人息子の真一と身元の知れない女との結婚を、そう簡単に許せるはずはなかった。
当時まだ生きていた佐和子の夫は、小柄な女の大きく膨れた腹に動揺し、佐和子に譲歩をすすめたが、佐和子の意思は固く、断固として二人の結婚を許さなかった。臨月になっても、そとの人の産んだ子をこの家の子と呼ぶわけにはいきません、とかたくなに言い続けていたが、男の子が生まれたと聞かされ、その顔を見にいくと、急に態度を変えた。女一人で育てるのは無理でしょう、と言って敬を抱き上げ、でも真一は結婚できる状態ではないですから、と、二人の結婚願望を打ち砕いたまま、敬のみを家に連れ帰った。女の非嫡出子として出生届の出された敬を、後に自分たちの養子として籍に入れた。

その後、敬の実母との連絡はとだえ、今どこでどうしているかさえ、この家の者は誰も知らない。故郷の新潟に帰って実家の漁業を手伝っているとか、新宿のスナックで働いているとか、北海道に移り住んで現地の人と結婚して子どもを産んだ、など様々な現在の様子が、様々な人の口からこぼれた。ひそかに自殺した、という噂もあった。どの噂にも、敬は傷ついた。そして、そんなことでやすやすと傷つく自分に嫌気がさした。敬にとって、自分の内部を腐敗させていくような臭気をともなうその気分を、麻雀を打っているときだけは忘れられたのだ。

母親のいない敬のために、住み込みのベビーシッター、佳乃が雇われた。佳乃は敬のためだけに雇われたはずだったが、いつの間にか真一と恋仲になっていた。敬は佳乃を実の母親として疑わず、佳乃もまたいつしか敬に自分のことをママ、と呼ばせるようになっていた。外で遊ばせているときにも無邪気に「ママー」と呼ぶ敬の姿をみとめた近所の人が、あの方、お嫁さんだったのねえ、と佐和子にいぶかしげに聞いてきた。それを聞いたときはおだやかに、まあそんなこと……、などと言ってごまかしたが、激しい怒りの込み上げた佐和子は、佳乃にそんな権利はないのだと声を荒げてなじったが、その背後から真一が叫んだ。
「おれたちは結婚するんだ。今度こそ」
「今度こそ」という言葉に力がこもっていた。その言葉は佐和子の心にぐさりとつきささった。もともと最初の人、つまり敬の実母との結婚を認めていれば、こんなにややこしいことにはならずに済んだのかもしれない。佐和子の内心にも後ろめたさは生じていた。
結婚させてくれ。そう言って初めて自分の前で土下座をする息子の姿を見下ろして、佐和子は呆然と立ちすくむしかなかった。その後ろで痩せた身体を小さくしたまま佳乃が真赤な顔でうつむき、震えていた。幼い敬は、幼いなりに大人たちの緊張感が伝わったのか、神妙な顔で背筋を伸ばして立ったまま動かず、少し開いた口から声ももらさなかった。
「許してやりなさいよ。めでたいことじゃないか」
無言のまま張りつめていた空気をやぶったのは、佐和子の夫だった。

真一と佳乃の結婚式は盛大にとりおこなわれた。敬は出席しなかった。その式場では、敬はいないことになっていた。真一と佳乃は、結婚式後はじめて一緒に暮らす、ということになっていた。佳乃は真一の友人の紹介で知り合った仲、という筋立てが用意された。佐和子は朝になって体調をくずして欠席したと説明され、その空席に料理だけが淡々と運ばれた。だが、実際の佐和子は全く健康で、その日は自宅で敬と二人、一歩も外に出ずに過ごした。一人息子のはじめての結婚の晴れやかさを味わうことより、決して同意できない結婚式に出る苦痛のほうが勝ったのだった。

この家では、自分はいないことになっている存在なのだということを、敬に決定的に認識させたのは、真一と佳乃の間に子どもが生まれたときである。その子には、青、という名前が与えられた。佐和子の夫の命名である。青が生まれる直前に肺癌が見つかり、余命数カ月とされた中でつけた名前だ。
今日は空が青い。とてもいい日だ。だから、青にしなさい。男の子が生まれても、女の子が生まれても、な。青と書いて、「あお」と読ませる。いい名前だ。とてもいい名前だ。
そんなの、名前とも言えないわよ、と佐和子は反射的に反対したが、真一も佳乃も真剣な目で、同時に「そうします」と答えた。佐和子の夫は、二人の結婚を許してくれたたった一人にして最大の理解者であり協力者だった。二人からの信頼は篤かった。佐和子には、三人の結束感が痛かった。たった一人で宇宙に放り出されたような気がした。部屋の隅にぽつんと座っていた敬のことは目に入っていなかった。

敬の実の母親が佳乃でない、ということを敬に知らせたのは、佐和子だった。生まれたばかりの青の顔をいとおしそうに見つめ、その頰にそっと触れようとする敬の小さな手を捉えて言ったのだ。敬、今から知っておいたほうがいいから言っておきます、と。
「その子とおまえの母親は違うのよ。おまえの本当のママは、おそとの人なの」
敬はそのとき七歳になったばかりだった。祖母が言っていることの意味が敬はまるでわからず、目を見開いて、まばたきをした。
「敬が、ママ、と呼んでるあの人は、おまえを産んだほんとうのママじゃないってこと。ほんとうか、ほんとうではない、ということの意味は、わかるわよね?」
ほんとの、ママじゃ、ない、の? とゆっくりと繰り返しながら、敬の大きく開いた目がみるみる潤んできた。しかし佐和子はひるまなかった。むしろますます語気を強めた。
「そう、ほんとのママじゃないの。パパもママもほんとうのことは言ってくれないだろうから、ばあばだけが、ほんとうのことを言ってあげる。パパはほんとうのパパだけど、ママは違うの。おそとにいるの」
「どうして、おそとにいるの?」
敬の目から涙があふれだした。
「どうしても、しかたなく、ね。今にわかるわよ、大人になったらね。でも、今ここにいるママはママじゃないって、知ってたほうがいいでしょ。でも、パパとママには、ばあばがほんとのこと言ったことは、内緒ね」
敬は、ぽろぽろと涙を流しながら、こっくりと首肯(うなず)いた。
佐和子は軽く口止めしたが、七歳の子どもがこれほどの衝撃をポーカーフェイスで押し通すことができるはずもなく、ご飯も食べなければおやつも口にせず、テレビさえ見ようとしない敬の様子をさすがに心配した佳乃が、具合がわるいのかと思って額にてのひらを当てた。佳乃のひんやりとしたてのひらは、少し湿っていて気持ちがよかった。敬は、あ、ママの手、気持ちいい、と反射的に思い、直後に、ほんとのママじゃない人の手、と思って切なくなった。目尻からじわじわとまた涙がにじむ。
「熱はなさそうなのに、熱がありそうなお顔」
佳乃が不思議そうに敬の顔をのぞき込んだ。白くて、つやつやしとたおでこが目の前にせまってくる。
大好きなママの顔。でも、ほんとじゃないママの、大好きな……。
と、赤ん坊の泣く声が響いた。青が目を覚まして泣いているのだ。佳乃の目尻が下がり、甘い声が出る。
「あらアオちゃーん、起きたかなあ」
いたたまれなくなった敬は、「ほんとのパパ」を呼んだ。
「パパー!」
しかしその日は平日、そして昼間。パパは会社に行っていて声は届かなかった。
「ママは、ほんとのママじゃないの?」
敬がこらえきれずに質問したのは、青をねかしつけた佳乃が、やっと自分の布団に入ってきてくれたときだった。敬の脳は半分眠りかけてた。しかし半分は悲しみが勝って覚醒していた。
敬の言葉は深夜に帰宅した真一に伝えられ、夜食をあたためていた佐和子の耳に伝わった。佐和子は、その残酷な事実を自分が伝えたことをあっさりと認めた。
「口の軽い子だこと」
「口が軽いのは、そっちだろう!」真一が声を荒げた。
「こういうことはね、いつかは知れるんだから、小さいうちに知っておくほうが楽なんだよ。はしかなんかと一緒だよ」
「はしか……!?」
「あたしが悪いことしたと思ってるのね、あの人と一緒に」
「あの人……」
「あの人」という言葉でふと冷静になった真一は、目の前にいるこの人になにを言っても無駄だったことを思い返し、押し黙った。佐和子は眉を上げた。
「いやなことを言う係を、あたしがかわってあげたのよ。早めにね」

敬がまわりから「ポートー」と呼ばれるようになったのは、麻雀を覚えて間もないころである。場をいくつ重ねても、敬がまるで上がれない場が続いたので、おまえなんで上がれないんだよ、いったい何ねらってたんだよ、と尋ねると、九連宝燈(チューレンポウトウ)、と敬が小さな声で答えた。場が一気に湧いた。
マジかよ、役満じゃん。しかもそれ、最高に難しいやつじゃん。ずっとそんなの狙ってんの? むりむり、無理にきまってんじゃん。馬っ鹿ー。それじゃ上がれるわけないじゃんよ。だいたいあれ、上がったら死ぬって言われてんの、知ってる?
敬は唇をとがらせた。
「だって、これ、きれいだし」
大笑いが起きた。チューレンポウトウが好きな、ポートーちゃんかー、と誰かが叫び、ポートー、ポートー、おまえ、ポートー、と誰かが続け、以後、敬はポートーと呼ばれるようになったのだった。

麻雀をするためにやってきた者は、玄関の前で二階の敬の部屋の窓に向かって、ポートー、来たぞー、と声をかけた。声が聞こえると敬は、いそいそと階下に降りていった。
「敬、どうやら最近、ポートーって呼ばれているらしいわ」
佐和子が真一に告げると、ポートー? なんだそれ。でも、そうだな、かわいい響きじゃないか、「たかし」って呼ぶより、あいつに似合ってるんじゃないか。
「なんてことを言うの」
「青」は夫の命名によって真一と佳乃が決めた名だが、「敬」という名前は、佐和子の意向が反映された名前だった。
「人を敬う、賢い子に育ちますように、尊敬の敬と書いて『たかし』と読ませるのよ、いい名前でしょ」
あれだけ結婚にも出産にも渋い態度を見せてきた佐和子が、名前のことに口を出してきたことを譲歩の兆しとして受け止め、真一たちは「敬」という佐和子の案を聞き入れざるを得ない心境に陥っていた。しかし、そうした佐和子の思い入れは、真一の思い入れの薄さにつながってしまった。敬と引き離された母親が、すんなりと敬をあきらめてしまったのも、その名前によるところがあったかもしれない。
「ポートー、なんか楽しい響きね」佳乃もくすりと笑いながら言った。
「ポートー!」小学生の青が明るく叫んだ。

薫が生まれるころには、敬のことを敬と呼ぶ人間は佐和子だけになっていた。それでも目の前で敬のことをポートーと呼ぶ者がいると、佐和子は根気強く、敬です、と訂正を促した。それは合いの手のように反射的に佐和子の口から発せられた。
しかしいつしか佐和子も「敬です」の合いの手を言うことはなくなった。敬が家を出ていったまま戻らなかったからである。
敬は、ある日突然、財布一つを手に持って、近所に煙草でも買いにいくように家を出たまま、姿を消したのだ。

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著者プロフィール

東 直子(ひがし・なおこ)

1963年、広島県生まれ。歌人、作家。
1996年、「草かんむりの訪問者」で第7回歌壇賞受賞。歌集に『青卵』『東直子集』『十階』。
2006年、『長崎くんの指(文庫改題『水銀灯が消えるまで』)』で小説家デビュー。小説、エッセイ集に『とりつくしま』『さようなら窓』『ゆずゆずり』『千年ごはん』『鼓動のうた』『キオスクのキリオ』『いつか来た町』『いとの森の家』、共著に『回転ドアは、順番に』『愛を想う』『短歌があるじゃないか。』など、著書多数。
最近では自著や歌誌「かばん」に描くイラストも好評。この連載ページ上部のイラストも著者自身による。

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