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名誉男性とよばないで

碧野圭(あおの・けい)

名誉男性とよばないで ブック・カバー
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第7回

2017.04.26 更新

 達彦が帰宅したのは、二日後の夜遅くだった。
「ただいま」
 家に入って来た達彦を見て、駒子はびっくりした。わずか一週間離れていただけなのに、げっそりと頰がこけている。顔色も悪く、こころなしか、目も落ちくぼんでいる。
「どうしたの?」
「ああ、駒子さん、会いたかった」
 と、泣かんばかりの態度で達彦が抱きついてきた。
「しんどかったよお」
 達彦の身体は汗臭い。風呂にもちゃんと入っていなかったのだろうか?
「まあまあ、とりあえず荷物を下ろして。晩ご飯は食べたの?」
 駒子は、首に回された達彦の腕をさりげなくふりほどきながら、問い掛ける。
「ううん、まだ。東京駅に着いた時、ライターの人にご飯を食べて行こうと誘われたけど、断った。一刻も早く家に帰りたかったから」 
「じゃあ、おかず温めるね。今日はビーフストロガノフがあるよ」
「えっ、駒子さんが作ったの? それともレトルト?」
 達彦の言葉に駒子はむっとくる。だが、結婚以来、そんな凝った料理は一度もしたことがないのも事実なのだ。
「いえ、私じゃなくてね……」
 どう説明しようかと迷っていたら、階下の騒ぎを聞きつけたのか、海が部屋から出て来た。
「おかえり、おやじ」
「え、あれ?」
 海の後ろにいる志保を見て、達彦は目を丸くする。
「この方は?」
「あ、この人は荒木志保さん。いま、うちに泊まっているんだ」
「お世話になっています、荒木です」
 志保は軽く頭を下げた。
「はじめまして。海の父親の達彦です」
 状況がよくわからない、という顔をしながらも、達彦はちゃんと礼儀を尽くす。
「今日の夕食、志保さんが作ってくれたんだよ。すっげー、うまかった」
「え、ああ、そういうことか」
 達彦は納得したというように大きくうなずいた。
「おやじが作るのもうまいけど、志保さんのも負けていないよ」
「そんな、ビーフストロガノフって、材料さえ揃っていれば、そんなに難しいものじゃありません。玉ねぎを炒めるところを丁寧にやればいいだけですし」
 志保が謙遜するのが駒子にはちょっと面白くない。
「じゃあ、せっかくだから、すぐにいただくかな、ちょっと手を洗ってくる」
 志保の料理の腕は確かだった。ビーフストロガノフにはパセリを散らしたバターライスが添えられ、ヨーグルトドレッシングのかかったフルーツサラダと、ニンジンと玉ねぎとセロリの千切りの入ったコンソメスープも用意されていた。
「うまーい。家に帰ってすぐ、こんなうまいメシにありつけるとは思わなかったよ」
 私の作る食事には期待していなかったということか、と駒子は思う。だが、それも仕方ない。もし自分が用意したのであれば、ほうれん草と豚肉を鍋でしゃぶしゃぶする常夜鍋でも作っただろう。あるいは駅前のスーパーで刺身でも買ったかもしれない。
「お酒は何を使ったの?」
「ダークラムの瓶があったから、それを使わせてもらいました」
 そうなのか、と駒子は思う。何で作ったか、などとちっとも気にせず食べてしまった。志保の作った料理は、達彦に負けず劣らず美味だった。肉も柔らかく、濃厚なソースとうまく絡み合っていた。カロリーを気にしながら、駒子はついお代わりをしたくらいだ。
「やっぱりね。風味がすごくいい。それに……これは、ベーコンもちょっと使ってるかな」
「はい、そうです。うちは隠し味に入れるんです。冷凍庫にあったものを使わせてもらいましたけど、これ、すごくいいベーコンですね」
「それ、僕が作ったやつだ」
 達彦は嬉しそうに言う。
「そうなんですか。どうりで風味が違うと思いました。塩分もしっかりあるし」
「うん、いまどきのベーコンは嫌いなんだ。塩味が利いてないベーコンはベーコンじゃない。脂身の多いハムだよ」
「こうして手作りのベーコンを味わうと、その気持ちわかります。ほんものはこういう味なんですね」
「このベーコンでスープを作ると、全然違うよ。白菜でも、キャベツでも、味が引き立つんだ」
「いいですねぇ。豆のスープに入れてもおいしそう」
 達彦と志保はすっかり料理の話で意気投合してしまった。延々と料理の話で盛り上がる。さほど料理好きでない駒子は話についていけず、口を挟む隙もない。ふたりの話が一段落したところで海が、
「ところでおやじ、荒木さんは実家が熊本で被災して、家に帰れないんだ。ちゃんと家を借りれるようになるまで、うちにいてもらったらと思うんだけど、いいかな」
 と、聞く。
「もちろんだよ。困っているんなら、いたいだけいてもいいよ」
「え、ほんと?」
 あまりにあっさり達彦が許可したので、海も駒子も驚きを隠せない。
「被災したって簡単に言うけど、当人たちにとってはほんとうにたいへんなことだよ。今回、宮城県をいろいろ回ったけど、五年経ってもまだ仮設住宅から出られない方がたくさんいる。まして熊本の震災はつい最近のことだから、まだまだたいへんだろう。うちは幸い何ごともないし、海の友だちが困っているなら、手助けくらいはするべきだと思うんだよ」
「ありがとう、おやじ」
「ありがとうございます」
 海と志保の声がハモる。
「ほんと、助かります。なるべく早く自活できるように努力しますが、それまでよろしくお願いします」
「いやいや、困ったときはお互いさまだよ。二階の四畳半が空いてるから、どうぞ、そこを使ってください」
 達彦の提案に、海は「えっ、それは……」と、口ごもる。
「ちょっと手狭だけど、和室だから落ち着けると思いますよ」
「いいんですか?」
 志保が問い返す。二階の和室は仏壇が置いてあり、お客が来た時に泊まってもらう部屋として空けている。一番活用しているのは駒子で、弓道に行く時の着替え部屋として使っている。袴などもここに置いてある。
「もちろん。もともと客間のつもりで作った部屋だし。どうぞ使ってください」
達彦は、二人を同じ部屋に置くなんて考えもしないようだった。ふたりの関係がどうであれ、別室で寝るのが当然という態度に、海は何も言えないでいる。
「ありがとうございます」
 志保は再び礼を言って、頭を下げる。
「あの部屋には小机もあるし、そうだ、簞笥(たんす)の一番下の段を空けるから、そこに洋服とかも入れるといいよ」
 さすが専業主夫をやっているだけあって、達彦は細かいところにまで気が回る。
「何から何までありがとうございます。御恩返しというほどではありませんが、置いていただく間はできる限り家事もお手伝いしますので、よろしくお願いします」
 あっという間に話がまとまって、駒子は口を挟む余地もない。
 こんなに簡単に決めてもいいのだろうか。
 啞然としていると、海の顔が目に入った。海はおいしいところを目の前でかっさらわれたような複雑な顔をしている。
 それを見て、駒子は笑い出したいような気持ちになった。
 親の家に女の子を連れ込んでよろしくやろうなんて、一〇年早い。家には置いてあげるけど、いちゃつくのは他所でやってくれ。
「海、志保さんを和室に案内してあげなさい。僕もご飯終わったら、そっち行くから」
「じゃあ、お願いできるかしら」
 志保さんの言葉に、海はしぶしぶという感じで部屋を出て行った。
「ほんとにいいの? 安請け合いして。彼女、いつまでいるかわからないわよ」
 ふたりが部屋から出て行った後、駒子は夫に尋ねた。
「いいんじゃない? 部屋は減るわけでもないし。それに、海の友だちなんだろう?」
「友だちなのか、彼女なのか……」
「まあ、どっちでもいいさ。いい子みたいだし、料理は上手だし」
 達彦にとっては、志保が海の彼女かどうかよりも、料理がうまいことの方が大事らしい。
「それより聞いてよ。仙台の撮影、すっごくたいへんだったんだ。仙台だけじゃなく、宮城県全般の撮影なんだよ。それも、二冊分のガイドブックの撮影をしたんだから」
「二冊分ってどういうこと?」
「今回の取材をもとに、ガイドブックを二冊作るんだって。ひとつはふつうのガイドブックで、もうひとつは中高年向けのやつ。だから、同じ店でもちょっとずつパターンを変えて撮影してくれって言われたんだ。もう、信じられないだろ?」
 達彦は溜まっていた愚痴を聞いてほしかったらしい。
「それで撮影費は一冊分なの?」
「そうなんだ。ちょっと割高だと思ったら、そういうカラクリだったんだ」
 近頃は本が売れない。ネットにいろんな情報が載っているから、雑誌やガイドブックの売上の落ち込みは激しい。編集部はどこも経費節約でたいへんだが、二冊分の仕事を一度ですまそうとするとは。
 どこもたいへんなんだなあ、と駒子は思う。
「世の中、うまい話はないってことね」
 しばらく仕事を離れていた達彦に、そんないい話が来るわけはない。おそらく予定していたカメラマンに逃げられたので、ブランクのある達彦にも声が掛かったのだろう。
「ほんと、しんどかったよ。一日なんて、移動の車の中で寝たんだから。俺ももう若くないし、スケジュールをあらかじめ知ってたら断っていたよ」
「それで、仕事はうまくいったの?」
「いや、それが編集の子が慣れていなくてたいへんだった。アポとかも、事前に取れていないところもあったから、その場で交渉して撮らせてもらったり。その日はダメと言われて別の日に出直したり。宿の予約を取ってなくて、ひどい時なんか、男同士でラブホテルに泊まるハメになったんだよ。ほんと疲れた。こういう撮影はもう二度とやりたくない」
 根が明るい達彦にしては、ずいぶんと愚痴っぽい。よほど辛い目にあったのだろう。
「それでもまあ、無事終わったんでしょ」
「たぶんね。これからデータの整理してそれを編集部に渡したら、それで終わり。データが膨大だから、たいへんだよ」
「お疲れさま。あと少し、頑張って」
「ところで、駒子さんの方はどう? 仕事順調?」
「うーん、いまのところは」
「職場の場所は決まったの?」
「岡村さんの提案通り第四会議室に決まったわ。部長があっさり許可してくれたんで、総務にもすんなり話が通ったの」
「そりゃ、よかったじゃない」
「まあね」
 改めて、岡村の権藤部長操縦法に駒子は舌を巻いている。自分が提案したとしても、ケチな権藤は首を縦に振らなかっただろう。
「部屋のレイアウトも決めたし、明日には机や本棚も入るから、明後日には移れるはず。岡村さんは早々に移るみたいだけど、私は引き継ぎもあるし、辞令通りに七月一日から移ることにするわ」
「それで、スタッフは決まったの?」
「うちの課はもとから決まっている『俳句の景色』のスタッフ四人と花村さん。私を入れて六人でスタートになる」
「ふうん、それで大丈夫なの?」
「まだ仕事内容自体がはっきり決まっていないんだもの。それに、六人のうち正社員が四人だから人件費も高いのよ。仕事が軌道に乗るまでは、これ以上増やせないわ」
 しかも『俳句の景色』のスタッフはみなベテランだ。契約社員でもそれなりの給与が支払われている。いままでいた管理課と人数は同じだが、自分は次長だし、『俳句の景色』の編集長は課長待遇だから、人件費の総額はずっと高くなっている。
「岡村さんの方はどうなの?」
「彼女はやり手よ。あちこちから生きのいい若手を引き抜いてきている。それも八人も。すごいと思うわ」
 管理課で駒子の部下だった松井も、ミステリ文庫の副編集長の高橋も、新しい部署では岡村の部下になる。高橋は課長として迎えられるそうだ。それが異動の条件だったのだろう。
「でもまあ、よかったじゃないか。形はできてきたんだね」
「うん。これから何をするか、それが問題だけど」
「大丈夫、新しい職場は駒子さんひとりじゃないでしょ。スタッフみんなで一生懸命考えれば、何かアイデアは浮かんでくるよ」
「そうね。場所を移ってから考えよう。引き継ぎが完全に終わったわけじゃないし、うちでうだうだ考えても仕方ないものね。そうそう、お風呂沸いているから、入ったら?」
「お風呂、ちゃんと掃除した?」
「一応海が」
 駒子が風呂掃除を嫌いなことを、達彦はちゃんと知っているのだ。排水溝のぬるぬるを始末するのが、駒子は何より苦手なのだ。
「へえ、珍しい」
「居候を置かせてもらっているから、気を遣ってるみたいね」
「あるいは、彼女の前でいいところを見せようと思っているのか」
「それもあるかも」
 雄の孔雀が雌の前で羽根を広げて自分をよく見せようとするように、海も志保の前で精一杯よく見せようとしている。その様子は滑稽だが、いじらしくもある。
「でも、いいのかな。ほんとに」
「なにが?」
「彼女を家に置くこと」
「まだこだわってるの? 何が問題なの?」
 達彦に言われて駒子もはたと考える。
 彼女はいい子だ。震災で実家が被災し、住むところがなくて困っている。だから、仕事がみつかって住む家が決まるまでうちで面倒をみる。
 悪いことではない。居候を置くことで食費とか光熱費が掛かるかもしれないが、それくらいは本人が支払うと言ってる。あるいは海も。どっちにしろ、それで困るほど我が家は家計的にせっぱつまっているわけじゃない。人に親切にするだけのゆとりがあることは感謝すべきことだと思うし、誰かに親切に出来る機会があれば、なるべくそれは実行しようと駒子は思っている。その親切はいつかどこかで自分たちに返ってくるかもしれないから。
 なのに、今回のことはなぜ気が重いのだろう。
「やっぱり、嫉妬なの?」
 達彦が核心を突いてくる。駒子は思わず渋面になる。
「母親としたら、息子の恋人って面白くないのかもしれないけど、いつかは離れていくんだから、いまから慣れとかなきゃ」
「それはわかっているんだけど……思ってたより早かったから」
「いいじゃない。いつまでも彼女ができなくて、ずっと家に居られても困るだろう?」
「それはそうだけど」
「まあ、今の彼女との関係がいつまで続くかわからないけど、温かく見守ろうよ」
「あら、ずいぶん醒めた見方ね」
 気に入っているみたいなのに、『いつまで続くかわからない』なんて。
「初恋って、実らないものだからさ。でも、志保ちゃんはいい子だし、ダメになってもきっといろんなことを学ぶと思うよ」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ」
 達彦が自信ありげに言うので、駒子はなんだかほっとした。しばらくの間のことだし、志保に対して優しくしよう、と思っていた。

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著者プロフィール

碧野圭(あおの・けい)

愛知県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。フリーライター、出版社勤務を経て、2006年『辞めない理由』で作家としてデビュー。
他の著書に、ベストセラーとなりドラマ化された『書店ガール』シリーズ、『銀盤のトレース』シリーズ、『全部抱きしめて』『半熟AD』『菜の花食堂のささやかな事件簿』等多数がある。

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