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名誉男性とよばないで

碧野圭(あおの・けい)

名誉男性とよばないで ブック・カバー
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第14回

2017.08.09 更新

 そうは言ったものの、駒子は埋もれた人材を発掘するという仕事には向いてない、とすぐに気が付いた。会社の人事のほんとうのところは、書類では伝わってこない。むしろ噂話の方が詳細な事情が語られるが、どこまで真実かはわからない。面白おかしく脚色された話の方が人は喜ぶし、広く伝わるものだからだ。そして、そもそもその噂話ですら駒子は避けてきたから、不遇な目にあっているけど仕事はできる、という特殊な状況の人物は思いつかなかった。
 どうしたらいいかなあ。
 駒子はその晩寝ながら考えた。社員名簿でいちいちあたるわけにもいかないし、そういう人がいないか、聞いて回るわけにもいかない。人事的な情報に詳しい人間にあたるしかないな。
 となると、人事課の人間か。
 でも、直接自分の仕事に関わることを、話してはくれないだろうな。それに、人事課には、そんなに親身になってくれる知り合いはいない。
 こういう話をするのも、親しくないと逆に変な噂が立ったりするからなあ。
 そうすると、やっぱり彼女かな……。
 駒子の頭にひとりの女性の姿が浮かんだ。経理部にいる二年先輩の女性。かつて駒子と同じ書籍事業部にいたが、妊娠出産を機に自ら異動を願い出て、経理に移った女性である。
 宮園結理。
 人事課と同じフロアにいるので、自然といろんな話が耳に入る。かなりの情報通だ。駒子とは書籍事業部時代から親しくしていた。社内では少数派のワーキングマザーであり、子どもの年頃も近いので、たまにランチをいっしょにする仲である。駒子が次長に昇進した時も、ランチで祝ってくれた数少ない社内の友人である。面倒見もいいので、相談にも乗ってくれるだろう。
 よし、彼女に相談してみよう。
 駒子は思い立ってベッドからがばっと起き上がった。気配を感じたのか、隣のベッドで寝ている達彦が「ううん」とうめくように声を立てて寝返りを打った。
 まずい、起こさないようにしないと。
 駒子は暗闇の中でサイドテーブルの上を撫でまわして、スマートフォンを探り当てた。
 布団を被ってLINEを開く。
『夜遅くにすみません。明日のランチ、もしよければご一緒しませんか。返事は明朝で結構です』
 宮園であれば相談に乗ってくれるだろう。ほっとして寝ようとしたら、すぐに返事がきた。
『了解』
 深夜一時である。
 明日も仕事があるのに、宵っ張りだな。
 それにしても、無駄なことは一切書かないのは彼女らしい。
 そう思いながら、駒子は、
『よろしくお願いします』
 と、返信していた。

 翌日、駒子は『奢りますから』と、結理を近くのホテルのカレービュッフェに誘った。ランチにしては高額だが、いつも行くようなお店は同じ会社の人間がうようよしている。ここには会社の人間はほとんど来ないし、長居もできるので安心だ。
「夕べは遅くに連絡してすみませんでした」
 それぞれビュッフェの皿に料理をいっぱいにしている。カレーだけでなく、ローストビーフやピッツァ、サラダなども豊富に並んでいるから、つい目移りしてしまう。
「いえ、よかったのよ。私も起きていたから」
 結理はベリーショートに近いくらいの短髪にベージュのスーツ。結婚指輪以外のアクセサリーは一切身に着けない。眉が太く、目鼻立ちが整っており、意志的な美人と言えないこともないが、口紅も薄く、しゃれっ気はない。
「じゃあ、食べましょうか」
 時間を無駄にできない、とばかりに、結理はカレーをたっぷり載せたスプーンを口へと運ぶ。結理は細身なのにもかかわらず大食だ。ビュッフェにした理由のひとつはそこにもある。
「結理さん、宵っ張りなんですね」
 駒子はどう切り出そうか、と思いながらサラダに手を付けた。ダイエットを意識しているので、野菜から食べ始めるのだ。
「うん、もうすぐ期末試験だからね。私だけ早く寝るわけにもいかなくてね」
 そうか。ほんとうなら海もそういうことをしている時期なんだな。
 駒子はふとそんなことを思う。
 妊娠とか家族を養うとか、まだ遠い年齢のはずなのに。
「それにしても、ずいぶんたいへんそうね。中江さんを追い出したんだって?」
 結理の言葉に、駒子は現実に引き戻された。
「もうそんな話が伝わっているんですか?」
 中江が駒子に辞表を叩きつけたのは、つい昨日のことである。
「だって、大騒ぎだったもの。中江さん本人が人事課にやってきて、『あんな上司、やってられない』って大声で課長に訴えていたわ」
「そんなことが……」
 おそらく駒子に辞表を出して、その足で人事課長のところへ行ったのだろう。まだ駒子がスタッフと話しあっていた時間だ。
「中江さんを追い出したのはまずかったわね。あの人、古株だから部長クラスにも知り合いは多いし、社内には飲み仲間や麻雀仲間もいるしね。あなたの悪口も吹聴して回るに違いないわ」
「追い出すつもりじゃなかったんです。実は……」
 駒子はこれまでの経緯をざっと説明した。結理はうんうん、とうなずきながら、皿の上の食べ物を忙しく口に運んでいる。
「だから、本人が謝ればこれまでのことは知らん顔するつもりだったのよ。どうせ私が来る以前のことですから。だけど、これからは困る、そう釘を刺したつもりだったのですけど……」
「あなたに頭を下げるくらいなら、会社を辞めた方がましってことね。ああいう男尊女卑の男にはありがちだけど」
 結理はふと食事の手を止めて、ほおっと溜息を吐いた。
「だけど、まずいわね。あなたの評判がこれでまた落ちるわよ」
「また?」
「わかっていると思うけど、次長に昇進したことでいろいろ言われているからね。なかには『名誉男性』ってあなたのことを言う人もいるくらいだよ」
 聞き慣れない言葉だ。
「『名誉男性』って?」
「ほら、名誉白人って言葉は知ってるでしょ?」
「ええ、もちろん」
 人種差別のアパルトヘイト政策を掲げていた南アフリカ共和国では、黄色人種は白人以下の扱いだったが、日本は経済的に南アフリカ共和国と強い繫がりがあったため、「名誉白人」として白人と同等の扱いを受けていた。それ以前にも、アーリア民族至上主義のナチスドイツが、同盟国の日本を「名誉アーリア人」として、アーリア民族と同等の扱いをしていた。どちらもレイシズムを元にした考え方で、政治的経済的に無視できない存在だから、仕方なく自分たちと同等と認めてやる、ということだ。政治的経済的に価値がなくなったら、名誉という称号ははく奪されることになるわけで、どちらも本音では日本人を、白人、アーリア民族より下にみている考え方なのである。
「そこからきているんだけど、女なんだけど男に媚びて、男と同様の地位や扱いを手に入れている女って意味なのよ」
「それはどういうことですか?」
 駒子はまだよく呑み込めない。
「ほら、政治家によくいるでしょ。マドンナとか言われて、男にちやほやされて勘違いしている女が。実は、彼女たちは男の政治家が『自分は女性に対してフェアである』という言い訳に使われているだけなんだけどね」
「フェアである言い訳?」
「そうよ。自分たちは女性の力を評価しているから、女性も重要ポストにつけるのですよ、自分たちは理解のある人間ですよっていうポーズを取りたいのよ。そうして出世した女たちは、実力ではなく、有力な男の後ろ盾のおかげだってことがわかっているから、彼らに媚びるのよ。男がなかなか口に出せない本音を、率先して代弁するわけ。『子どもが三歳までは女は家にいるべきだ』なんてことは、男が言うと『差別だ』と叩かれるけど、女が言うと説得力があるでしょ。子育てする立場の女自身が言うんだから、これはやっぱり正しいんだ、ってプロパガンダに使われるわけ。実際のところ、そんなこと言う女に限って、子育ては実の親にまかせっきりだったりするんだけどね」
 結理は肩を竦めた。結理自身は、親を頼らず、保育園とベビーシッターの二重保育で男の子ふたりを育て上げた。親は地方に住んでいるので、頼りたくても頼れないのだ。そういう点でも、駒子と同じだった。
「だけど、そんなことはいちいち詮索されないし、そう発言した女はまわりの男たちから褒められるから、嬉しくなってさらに過激な発言をするってわけ。時に、政治家でも評論家でも、男より女の方が反動的で過激な発言をすることってよくあるでしょ? それって、そういう理由からなのよ」
「女の敵は女ってことなんですね」
 駒子はちょっと驚いている。政治的なことにあまり興味のない駒子は、そういう見方で政治家のことを考えたことがなかった。
 しかし、結理はこういう話には慣れているのだろう。しゃべりながらも食事をする手を休めない。食べたり、しゃべったり、忙しい。
「それで……私も、名誉男性、つまり男に媚びて出世した女ってことですか?」
 嫌な言葉だ。自分はそんな言葉で形容されているのか。
「目立つ出世をすると、そういうふうに見る人もいるってことよ。若い女性社員なんかも、『水上さんに失望した』なんて言ってるらしいわ」
 男よりも、若い女性社員に言われるのはもっと堪える。かつては駒子を「家庭があってもいい仕事をする理想の上司」と言ってくれた子もいたのに。
 駒子がショックを受けている様子を見て、結理は言葉を和らげた。
「理不尽な話よね。そもそもあなたと岡村さんが次長に昇進したことは、会社の言い訳なのにね」
「会社の言い訳?」
「ほら、権藤さんのセクハラ事件でうちの会社、評判落としたでしょ。それって新卒採用の応募者数にまで影響したんだよ」
「つまり女性の応募が減ったってことですか?」
「そうよ。それって由々しき問題なわけ。いま出版社って斜陽産業でしょ。優秀な男はなかなか入ってこようとしないけど、優秀な女性はいまでも出版社を受けたがる。ほかの産業より仕事がイメージしやすいし、リベラルで女性の活躍のしどころがある、って思われているんでしょうね。だけど、セクハラがまかり通っている会社だと知って、そういう女性たちがうちからそっぽを向いたのよ。権藤さんはほとんどお咎めなし、だったからね」
 昔と違っていまはSNSが発達している。悪い評判は一気に拡散する。意識の高い女性ほど、そういう面は厳しくチェックするのだろう。
「それで応募者が減ったことに慌てた会社が、イメージアップするために、急遽女性の管理職を増やそうってことになったわけ」
「そういうことだったんですか」
 駒子も薄々気づいていたことだが、結理に言われて状況がはっきりした。自分と岡村は会社の、女性を優遇しているというポーズに利用されたのだ。昇進ありきで、異動が決まったのだ。
「つまり岡村さんは実力があるから昇進も当然だけど、私の場合はそうでない。実力もないのに昇進したのは、上司に媚びたからではないか、と思われているってことなんですね」
「まあ、そういうことね」
「だけど、私は上司と飲みに行くこともないし、上に媚びるようなことは一切していないのに。それはみんな知ってるはずなのに」
「それはそうだけど、この話も、根拠がないわけじゃないのよ」
「どういうことですか?」
「昇進の話が出る直前に、みんながもてあましている花村さんを、あなたが部下に引き取ったじゃない? それが実は次長昇進の裏取引だった、ってまことしやかに囁かれているのよ」
 駒子は衝撃のあまりスプーンを取り落とした。
 裏取引。
 そんな人間だと自分は思われているのか。
「とんでもない。花村さんを引き取ったのは、書籍事業部では誰も引き取り手がなかったからだし、花村さんの上司の沢崎さんに頼まれたからなのに」
「あなたは人がいいから、それが事実でしょう。あなたが候補に選ばれたのは、課長で子どもがいる女性はあなただけだからだ、と私は思うわ。そういう女性を昇進させる方がPR効果としては大きいから」
 結理の言う通り、駒子たちの会社の管理職で、子どものいる女性はいない。独身か、既婚でも子どもはいない女性だけだ。
「子どもがいることが、PR効果なんですか……」
 いままで仕事では子どもがいることで得したことはほとんどない。扶養家族手当が増えたくらいだ、と思っていた。いまになって、それを会社の都合のいいように利用されるとは。
「だけど、男どもはそうは思わないからね。やっかみ半分、面白おかしい方に噂するのよ」
「そんな……。私はもともと次長とか部長になりたかったわけじゃないのに。岡村さんみたいな野心があるわけじゃないし、長く細く会社勤めができれば、それでよかったのに」
 管理課でのんびり仕事することに自分は満足していた。こたつの中のように快適な環境だったのに、誰が外に出たいと思うものか。
「わかる、わかる。私もそうだもの。この会社で女が出世したってろくなことないし。そりゃ、給料も上がるから少しは昇進したいと思うけど、せいぜい課長あたりで十分。偉くなるほど面倒なことも増えそうだし、足を引っ張られるもの」
 駒子はすっかり食欲がなくなっていた。次長になってたいへんな思いをしているのに、まわりはそんな自分を『名誉男性』なんて言葉で貶めるのか。
 むしろ、自分はほかの女性スタッフによかれ、ということを心掛けてきたのに。
 男に媚びることなんて、考えたことすらないのに。
 それを言うならむしろ岡村さんの方が女を売りにして、まわりの男の評判を上げていたと思うのに。
「それで、用ってなに?」
 ふいに結理は尋ねた。
「えっ?」
「まさか、こんな世間話をするために、私を呼び出したんじゃないでしょう?」
 そう言われて、駒子は結理を呼び出した理由を思い出した。結理の話がショックで、思っていたことがすっかり飛んでいたのだ。
「実は、ちょっとお願いがあって」
 駒子は気を取り直し、手短に自分の考えを説明した。
 どうせみんながきたがらない部署なら、みんなが引き取りたくない社員を呼び寄せよう。そうした社員なら、うちにくることも嫌がらないだろう。
 勘のいい結理はすぐに駒子の意図を理解した。
「つまり、花村さんみたいな社員で構成するってことね」
「そこまで問題児でなくても、たとえば出産すると残業の多い部署には居づらくなるでしょう? 親の介護の問題を抱えている人もいると思うし」
「そういう人を引き取って、あなたの方は大丈夫なの?」
「うちはすでにそういう人たちの集まりみたいなものですから。ふたり一組のチームにするとか、家での仕事の持ち帰りを奨励するとか、いくらでもやり方はあると思うんです」
 実はこれは中江からヒントをもらったようなものだ。メイン担当とサブ担当というやり方は、中江自身が楽をしたいということから生まれたことかもしれない。だが、ひとつの仕事をふたりでカバーし合えば、うまく行くこともあるだろう。
「まあ、何人か、心当たりがないわけじゃないけど……」
「教えてください。これくらいしか、うちの部署に人を呼べる方法が考え付かないんです」
 先行きが怪しい部署というだけでなく、自分が『名誉男性』なんて言われているなら、人はやってこない。だが、なんとかしなければ、絶対的なマンパワー不足なのだ。
「そうね。そうだろうね」
「お願いします」
「ちょっと時間をちょうだい。いろいろ調べてみるから」
「はい、もちろんです」
「それにしても、あなたもたいへんね。組織を作るところからやらなきゃいけないなんて」
「ええ、こんなこと、誰が望んでやりたがるのか、と思います」
「でもまあ、こうなった以上は頑張って。どんどん実績上げて、岡村さんを出し抜いてあなたが部長になってよ」
「えーっ、結理さんがそんなことを言うんですか? 出世するとたいへんだ、って言ったばかりじゃないですか」
「それはそうだけど、誰かが出世しないと、いまの男性優位の体制は変わらないもの。セクハラの問題が起こった時だって、話し合いの場に女性の管理職がいたら、状況が違ったと思うのよ」
「だったら、結理さんが部長になってくださいよ。会社のことをいろいろご存じだし、私より適任ですよ」
「だめだめ、まずはあなたが部長にならないと。会社の意図がどうであれ、女性の管理職が増えるのは悪くない。そして、その人たちが成功してくれないと、会社は変わらないわ。応援しているから、頑張って」
 はなはだ虫のいい発言だったが、それが本音だろう。もし自分が逆の立場だったら、同じことを思ったはずだ。
 誰かがやらないと状況は変わらない。だけど、自分は苦労を抱え込みたくない。できればほかの人に頑張ってもらって、自分は応援する立場にまわりたい。
 なのに、自分は貧乏くじを引いちゃったかな。
「私、第二ターム行くね」
 空になった皿を持って、結理が立ち上がった。ビュッフェのお代わりを取りに行くのだ。
「いってらっしゃい」
 駒子はすっかり食欲がなくなっていた。手つかずのカレーやサラダやローストビーフが、蠟細工のサンプルのように形よく皿に残っていた。

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著者プロフィール

碧野圭(あおの・けい)

愛知県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。フリーライター、出版社勤務を経て、2006年『辞めない理由』で作家としてデビュー。
他の著書に、ベストセラーとなりドラマ化された『書店ガール』シリーズ、『銀盤のトレース』シリーズ、『全部抱きしめて』『半熟AD』『菜の花食堂のささやかな事件簿』等多数がある。

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