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名誉男性とよばないで

碧野圭(あおの・けい)

名誉男性とよばないで ブック・カバー
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第13回

2017.07.26 更新

 そうして、中江は翌日ほんとうに退職届を持ってきた。
「まさか、本気なの?」
「もちろんです。いろいろ疑われたら、こうすることでしか身の潔白を証明できませんから」
 中江はにやにやしている。こちらの言動を試しているようだ。
 せこい使い込みをしていたのは誰? それを指摘されて、釈明できないから、問題をすり替えようとしているくせに、あくまで被害者づらする気ね。
 駒子は腹が立ってきた。よりによって全員が席に着いている朝の時間を狙って、これみよがしに退職届を机上に叩きつけてきたのだ。
 みんなが固唾を呑んでこちらを見ている。一言一句聞き漏らすまい、という緊張感が伝わってくる。
 中江は私が頭を下げるのを待っているのだ。自分がいなければ、『俳句の景色』は成り立たない。そういう絶対の自信があるのだろう。そして、それをスタッフにも見せつけたいのだ。
 そんなことはできない。もし、そんなことをすれば、これからますます中江は自分を侮るに違いない。そして、いままで以上に仕事をしなくなるに違いない。部の売り上げ向上や体質改善など、望むべくもない。
「あなたのやったことは、会社の規則に反していることよ。発覚した以上、なんらかのペナルティは必要だけど、正直に認めて謝れば、不問に処すこともできるのよ」
 駒子はあえてそう問うた。下手に出ることはできないが、引き留めをしないわけにもいかない。
「その辺の見解の相違はいかんともしがたいですな。私は、あくまで仕事の一環として行っていること。経費なども、会社に定められた範囲を逸脱することもありますが、編集という仕事にはそんな杓子定規なやり方では通用しないことがあります。それをいちいち揚げ足取られていたのでは、やっていられません」
 揚げ足?
 静岡のホスピスに入っているはずの人と新宿で飲んでいたという指摘が、揚げ足取りと言うの?
「見解の相違とは思わないわ。経費の使い方には明確な基準があるし、虚偽を申請するのは許されないことですからね」
 中江の眉がぴくりと動いた。こんな男でも、緊張しているのだろうか。
「これまでは、上司のチェックもあいまいだったし、どんぶり勘定でも許される状況だったわけだから仕方ないと思います。だから、今後はやり方を改めるというのであれば、それでいい、と言ってるのよ」
 駒子は再度妥協案を出す。辞められて困るのは事実なのだ。ただでさえ少ないスタッフ、しかも雑誌の中心人物がいなくなって困るのは、ほかならぬ駒子自身だ。
 中江はふと気弱な目をした。中江自身も、長年執着してきたいまの立場を、簡単に投げ出す気にはなれないに違いない。こちらの言うことを聞いてくれるかも、と駒子が期待をしたその瞬間、社内の電話が鳴り響いた。唐突だったので、全員がびくっと動揺するのが感じられた。
「はい、『俳句の景色』編集部です」
 電話を取った海老原の声が聞こえてくる。その瞬間、中江がはっと正気づいたようだった。
 ぐっと唇をかみしめ、駒子を上目づかいに見た。
「はい、御主人が亡くなられたので、定期購読をやめたいとのことですね。本来はそういった連絡は通販のセクションでお受けするのですが……。はい、はい。わかりました。では、僕の方で処理しておきます。ご住所とお名前をお聞かせ願えますか?」
 海老原は電話の応対を続けている。それが終わるのを、中江は辛抱強く待っている。
「はい。では、そういうことで。……また何かありましたら、ご連絡ください。……海老原と申します」
 海老原の声だけが響いている。ほかの人間は固唾を呑んで中江を見守っている。
「はい。ありがとうございました」
 海老原が電話を切った。中江はスタッフ一同を芝居がかった様子でゆっくり見回す。みんなはいたたまれない気持ちなのか、目を合わせないように下を向いた。
「諸君、聞いていたと思うが、僕は今日いっぱいで退職することにした。長い間、みんなよくついてきてくれた」
「編集長……」
「至らないところもあったと思うが、自分は精一杯やってきたつもりだ。輝かしい歴史と伝統を誇る俳句を次の世代に繫げるために。それが自分の使命だと信じてきたからだ。しかし、新しい次長はそれを良しとなさらない。もっと売れるやり方に変えろ、と命じられる」
「それは違うでしょ。私が言いたいのは……」
 言い掛けた駒子を、海老原はまあまあ、と言うように手を振って制止させる。
「まあ、次長にしてもお立場があるから、それはそれで仕方ない。会社というものはしばしば目先の利に走り、社会的な意義や責任は見失われがちだ。それに唯々諾々と従うものが、結局は会社で生き残る道。悲しいかな、それもまた真実」
 呆れてものが言えないとはこのことだ、と駒子は思う。
「だが、理想を掲げ、それを追求することを使命とする者は、会社命令にも従えないことはある。それが原因で、職を失うことになったとしても」
「編集長……」
 海老原と庄野が泣かんばかりの顔をしている。池端と花村も驚いて目を見開きつつ、ことの成り行きを見守っている。
「これ以上の弁は必要ない。去る者は多くを語らず、だ。じゃあ、みんな、達者でな」
 そうして中江は花道を去る役者のように、堂々と胸を張って歩き、外へと出て行った。
 ちょん、ちょん、ちょん、と拍子木の音が聞こえてきそうな勢いだ。
 やれやれ、と駒子は思う。ほんとうに、最後までええかっこしぃの奴だった。
 しかし、みんなはそうは思っていないようだ。
「あの、ほんとうに編集長は辞めてしまうのですか?」
 海老原が縋るような目でこっちを見た。
 使い込みがばれたので、追及される前に逃げ出したのよ、という言葉が駒子の喉まで出掛っていたが、それはかろうじて押しとどめた。
 ほんとうにこの件を問題にしたら、懲戒免職にもなりかねない。中江はそれがわかっていたから、逃げ出したのだ。
「引き留めたけど、本人の意思は変わらなかったわね。残念だわ」
 スタッフは動揺している。本来なら、人事にまずこの件を報告すべきなのだけど、こうなったら先にみんなに説明すべきだな。
「じゃあ、予定を変えて、これから会議にしましょうか。会議室空いてるか、誰か調べてくれる?」
「はい、手配してみます」
 花村がパソコンを起ち上げて、作業を始めた。ほかのスタッフは呆然としたまま身動きできないようだった。

「中江さんの急な退職については、こちらも驚いています。ことの原因をみなさんも知りたいでしょうからご説明しますと、私の方でこの部の金銭の状況を知りたいと思い、経理に確認しました。いくら収入があって、いくら支出があるか。それを調べるのが改善のための第一歩ですから。それで、昨年度の経費の詳細を調べたところ、不明な点がいくつかありました。たとえば、赤羽のスーパーのレシートとか、入院中の作家さんとの飲食代とか」
 海老原がぎくっとした顔をした。こいつは薄々知っていたのだな、と駒子は思う。
「私もかつては編集部にいましたから、会議費として表立って申請できない出費も時にはあることは知っています。それを別の作家さんの名前にして届けたりとか、裏ワザがあることも理解しています。ですから、ほんとうはどういうことなのか、中江さんにも聞こうとしたのです。ですが、中江さんは説明することを拒み、その場で退職を決意されました。それではこちらもかばいようがない。やってることは、使い込みと言われても仕方ないことですから」
 駒子はふうっと大きく溜息を吐いてみせた。
「このことは、中江さんにとっても不名誉な話なので、外には漏らさないでください。だけど、いっしょに仕事をしていたあなた方にはほんとうのことを知ってていただいた方がいいと思いますので」 
 駒子はぐるっと全員の顔を見回した。
 海老原と庄野は意気消沈したように下を向いている。池端は納得したような顔だ。花村は訳がわからない、ときょとんとしている。
「ともあれ、雑誌は続けていかなければなりません。正式な辞令にはもろもろの手続きがいるので遅くなりますが、まずは海老原さんに編集長代行をお願いしたいと思います」
「えっ、僕がですか?」
「ええ」
 海老原のほかに、正社員は花村しかいない。副編集長でもあるので海老原以外の選択はありえない。
「僕には無理です。できません」
 海老原は悲鳴のような声を上げる。
「ですが、海老原さんは副編集長ですよね。編集長がいない今、海老原さんにお願いするしかないのでは?」
「無理、無理、無理。とてもできません」
 亀が甲羅に閉じこもるように、海老原は首を縮め、背を丸めて自分を小さく見せようとする。
「では、私がしばらくは編集長代行として責任は負いますので、実働をお願いすることは可能ですか?」
 仕方なくそう聞くと、
「でしたら、まあ、なんとか」
 と、海老原はしぶしぶ返事をする。
「庄野さん、池端さんにもご負担をお掛けしますが、よろしくお願いします。それから、花村さんも、雑誌の方のお手伝いをお願いします」
「もちろんです」
 と、元気よく答えたのは花村だけ。あとの三人は相変わらずしゅんとしている。
「まずは、担当の振り分けをしなければなりませんね。いろんな噂が広まる前に、それぞれ作家さんに編集長が替わることをお話ししなければいけませんし、何より中江さんが担当していた作家さんに動揺を与えるといけませんから。……まずは、中江さんの担当していた作家さんを、それぞれ振り分けしないと」
 そう駒子が言うと、三人は何やら妙な表情になっている。
「何かあるの?」
「その……中江さんの担当分には、それぞれ副担当がいますので……その者がやればいいか、と」
「副担当?」
「はい。中江さんは作家との交渉とか、いろんな会合でお忙しいので、入稿作業とか実務についてはそれぞれの副担当がやることになっていました」
 池端が代表して質問に答える。
「つまり、中江さんは原稿を取ってくる係ってこと?」
「え、ええ、まあ。……連載の場合、原稿が遅れると、副担当が先生に直接電話することはありましたけど」
 編集者の中には、そういう人間もいる。原稿を著者からもらうところまでが自分の仕事で、後はほかの人間任せ。入稿作業はもちろん、校正ゲラのチェックも自分ではやらない剛の者もいる。
「そのために制作部や校閲部があるんじゃないか」
 と彼らは言うが、それで原稿のクオリティや本の仕上がりに責任が持てるのだろうか、と駒子は思う。クリエーター気取りで実務を嫌い、台割を作ることもできない編集者もいるが、編集者は作家ではない。実務をちゃんとこなしてなんぼ、だ。そもそも、制作部や校閲部のない出版社に転職したら、そんな人間は役立たずとみなされるだろう。
「それで、中江さんの担当は何人くらいなの?」
「そうですね。……かなりの数は抱えていらっしゃいますが、引退された方も多いし、実際にうちで仕事されている方は六人か七人くらいだったでしょうか。十人はいなかったと思いますが。……あ、でもうちにとっては大事な作家さんばかりです」
 池端はフォローするように言う。六人か七人、と聞いた時の、駒子の「たったそれだけ?」という表情を見逃さなかったのだろう。駒子がかつて在籍していた編集部では、その三~四倍は担当作家を持つのが当たり前だったからだ。
 しかし、それだけの担当者数で、副担当をつけるほど忙しいのだろうか?
「ともかく、中江さんの担当作家には全員副担当がいるってことなのね?」
「はい」
「じゃあ、それをそのまま正担当に昇格させれば問題ないってこと?」
「いえ、それはちょっと問題か、と」
 池端が言う。
「どういうこと?」
「副担当はほとんど私なので。私ばかり重要な作家さんが集中してしまいます」
「それはまずいことなの?」
「ええ。私は中江さんのように、毎晩作家につきあって飲みに行ったり、土日に句会に出たりはできませんから」
 池端は言うが、中江がほんとうに担当作家とつきあいで飲みに行っていたのかを駒子は疑っている。編集長だからつきあいが多いにしても、毎晩のように接待が必要なのだろうか。
「それに、自分も近いうちに退職することになっているから、この時点でメイン担当に格上げされるということになりましても……」
 庄野の言うことはもっともだ。そう、この庄野も近いうちに戦力から外れることになるのだった。
「わ、私はこれ以上責任の掛かることはお引き受けしかねます。中江さんがいてこその『俳句の景色』編集部でしたし、もう、これからどうやっていけばいいのやら」
 海老原は完全にパニックのようだ。そう言えば、海老原は精神的に弱い。そのために長期療養していたのだった、ということを思い出した。
「わかりました。みなさんの言うことももっともですね。でも、こうなった以上なんとか手を打たないわけにはいきませんし、私自身がまだ『俳句の景色』のことを知りませんから、独力で解決することはできません。ともかく、みなさんのご協力をいただきたい」
 駒子が全員の顔を見る。海老原は視線に耐えきれない、という様子で下を向く。
「よろしくお願いします」
 駒子の声はやけに空々しく会議室に響いた。スタッフは皆、うつむくばかりだった。

「ただいま」
 駒子がリビングに入っていくと、キッチンには火の気がない。達彦が冷凍庫の中をごそごそ引っ搔き回している。
「あれ、ご飯まだ?」
「僕もいま帰ったところ」
 達彦の声に少し苛立ちがある。今日は都内の公園をあちこち撮影に行ったはずだった。都立公園のガイドブックの仕事を受けているのだ。以前の仕事と同じプロダクションの依頼で、ギャラが安いのに手間が掛かる、と達彦がぼやいていた。それで疲れているのだろうか。
「しまった。ひき肉炒め、この前使い切っちゃったっけ」
 冷凍庫を見ながらぶつぶつ言っている。
「簡単なものでいいよ。肉野菜炒めとか、簡単なものでも」
「買い物行ってるヒマがなかったから、肉系が全然ないんだ。スパムも使い切ったし、卵もないし、どうしようかな」
「だったら、買ってこようか?」
「そこまでしなくてもいいよ。駒子さんの運転、心配だし」
 この辺は環境はいいが、近所にスーパーがない。車を走らせて行くことになる。駒子は運転が好きだが、あまり上手くない。自宅の車庫入れでさえミラーをこすったりする。達彦に言わせると、はらはらして見ていられないということだそうだ。
「でも、ないんなら、しょうがないじゃない」
 駒子は少しむっとした声で言う。達彦が困っているようだから、手伝おうと好意で言ってるのに。
「冷凍庫に、鰆の西京漬けがあったよ。これを解凍して使うよ」
「西京漬けか……」
「どうかした?」
「いえ、ランチに西京漬けを食べたな、と思って。でも、大丈夫だよ。昼のは鮭の西京漬けだったし」
 駒子は慌てて弁明するが、今度は達彦がむっとした顔をする。
「だったら、やめるよ」
「いいってば。達彦が作ったのは美味しいし」
「冷凍庫にあるのは、前に石坂さんからいただいた魚久のやつだよ」
 しまった、藪蛇だ。出来合いのものよりも自分で作ったものの方が美味しい、と達彦は言っていた。それで食卓に出さずにしまいこんでいたのだろう。
「まあ、いいじゃない。出来合いのおかずはこういう時のためにあるんだから」
 駒子は言うが、達彦はむっとしたまま冷凍庫の奥の方を漁っている。
 志保がいなくなってまだ二日。海だけでなく、達彦もずっと機嫌が悪い。達彦も志保が気に入っているので、心配なのだろう。
 やれやれ、私だって志保さんが心配だし、仕事もたいへんな状況にあるんだけどな。
 私の方こそ機嫌悪くなりたいよ。
「ねえ、だったら、外食しない? あなたも仕事で疲れているんでしょう?」
 駒子は前向きな提案をしてみる。
「うーん。今からまた着替えて外出するのも面倒。……鶏ハムが出てきたから解凍するよ。それに野菜炒めと玉ねぎスープでいい?」
「うん、もちろん。何か手伝おうか?」
「いいよ、別に。……あとで、玉ねぎスープを作って」
 インスタントはあまり使わない達彦だが、コープの玉ねぎスープは気に入って、棚に買い置きしている。お湯を注ぐだけでできるお手軽なものだ。達彦がいない時や、海がひとりで夜食を食べる時に重宝している。
 達彦は、これくらいの作業しか私に期待していないんだなあ、と駒子は思う。
 達彦はキャベツと玉ねぎと人参とピーマンを見事な手つきで素早く刻み、中華鍋を振り回して炒めた。鶏ハムを解凍して、出来上がった野菜炒めといっしょに盛り付ける。それにインスタントの玉ねぎスープと、糠漬けの壺の奥にあった古漬けを添える。忙しい時の夕食としたら、まあまあだろう。
「いただきます」
 向き合って食卓を囲む。
「海はまだ?」
「うん、ずっと出て行ったっきり。電話は一度あったけど」
「なんて?」
「志保さんが立ち寄りそうなところで見張っているってさ」
「そう。見つかるといいけどね」
 LINEや携帯の番号まで変えているのだ。理由はわからないが、志保さんは海との関係を断ち切りたいと思っているのだろう。海の前に姿を現すことは当分ないかもしれない。
「そうだね。ふつうの身体じゃないんだし、どこにいるんだか。……そうそう、駒子さんの方もたいへんだったんだね。結局、中江さんの件はどうなったの?」
 達彦が駒子を気遣うように、仕事のことを尋ねる。重くなった食卓の空気を変えようと思ったのだろう。
「結局、ほんとうに辞めちゃったわ。経費の使い込みについて、いろいろ追及されるのが嫌だったんでしょうね」
「それじゃ、たいへんじゃない。ただでさえ人は足りないんだよね?」
「作業的にはそうでもない。もともと中江さんは実務は全然やらない人だったから」
 今日の会議の後、駒子は一人一人と面談した。これまでの仕事のこと、これからどれくらい仕事を増やせるか、どんなふうに仕事をやっていきたいかについて、聞いてみたのだ。
 いままでは中江が「必要ない」と言い張り、各スタッフと一対一で話すこともできなかったので、ちょうどよい機会だった。
「ただ、いままでは中江さんのワンマン体制だったから、すべては中江さんが決めていたの。スタッフもそれに慣れているから、意識改革するのがたいへん。誰も責任ある仕事はやろうとしないし」
 海老原は精神的にもろいところがあり、庄野はもうすぐ退職だからと新しい仕事を拒み、池端は夕方五時には退社したい、と言う。花村だけは「なんでもやります」と意欲的だが、残念ながら俳句の知識と経験が欠けている。どうにもうまくいかない状況だ。
「実務だけならなんとでもなるの。問題は誰が編集長になるか、だわ。正社員じゃないと編集長は任せられないし、かといって私や花村さんがやるわけにもいかないし。頭の痛いところよ」
 編集長を引き受けるとしたら、俳句の勉強を一からしないといけないだろう。雑誌に専念できるなら望むところだが、新しいビジネスを起ち上げることを期待されている以上、こればかりに関わってはいられない。
「やっぱり誰か新しく増やすしかないんじゃないの? 中江さんが抜けて戦力ダウンだから、総務も嫌とは言わないだろう?」
「それはそうだけど、年度の途中だし、うちに来たいと言う人がいるかどうか。編集長を頼むならそれなりのキャリアのある人じゃないといけないけど、もともと『俳句の景色』は問題のある社員の受け皿って思われている」
 権藤部長とのスキャンダルで名前を知られることになった花村を引き取ったことで、その汚名はさらに強固なものになっただろう。
「だったら、問題のある社員を引き受ければいいんじゃない?」
「えっ?」
「花村さんだって、部長がちょっかい出さなければ文芸編集者としてばりばり活躍できたのに、って言ってたじゃない。無能だから行き場を失ったわけじゃないんでしょ。そういう人はほかにもいるんじゃない? 探せば、編集長を任せられる人もいると思うよ」
「確かに……それはあるかもしれないわね」
 会社というのはおかしなところだ。派閥争いに敗れたというだけで、出世コースから外されて閑職に追いやられたり、本人に関係あってもなくてもミスやトラブルの責任を取らさられたり。ちょっとしたことで出世レースから脱落する。妊娠出産や親の介護といった私生活のことも、レースでは不利な要素になる。それは必ずしも仕事の能力とは関係ない。
「どうせ問題児の集まりなら、それを逆手に取ればいいじゃない。編集なんて、もともと社会の傍流の仕事なんだし、新しい何かを起ち上げるなら、優等生よりも独立愚連隊の方が似合ってるんじゃない?」
「そうね、そういう考えもあるかも。どっちにしても正攻法では立ち行かない状況なんだから、イレギュラーなことを考えた方がいいよね」
 社員が五百人もいる会社だ。出世レースから外れた人間の中にも人材はいる。少なくとも、中江よりはいい編集長になれる人物もいるだろう。
「うん、うん。そういう連中も、駒子さんなら率いていけると思うしね」
「ありがとう。だけど、達彦は凄いね。そういうこと、全然思いつかなかった」
「会社の中にいると、その場の常識っていうのに支配されがちだからね。外にいる方がかえって自由にものを見られるんだよ」
 達彦は言うが、そうとも限らない。家庭の主婦の方が保守的になることも多い。達彦がもともと自由な発想をする人間なのだ。
「ともあれ、助かったよ。その線で考えてみる」

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著者プロフィール

碧野圭(あおの・けい)

愛知県生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。フリーライター、出版社勤務を経て、2006年『辞めない理由』で作家としてデビュー。
他の著書に、ベストセラーとなりドラマ化された『書店ガール』シリーズ、『銀盤のトレース』シリーズ、『全部抱きしめて』『半熟AD』『菜の花食堂のささやかな事件簿』等多数がある。

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