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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_12 猫を持ち上げるな_後編

2017.05.31 更新

 発端となる大学生のツイートから10日が経った。
「猫の持ち上げ」の是非を語る者はもうあまりいない。今や、伸びる猫は思想の旗印になっている。それを支持するか否かで人は二つの派閥に分けられる。そんな雰囲気がいつしか醸成されていた。経緯を順に追ってみようとしても、話題は放射状に広がり、絡まり、捻れ、断絶しており、まったく全貌が摑めない。おそらく全貌などないのだろう。「猫を持ち上げる人間は原発再稼働反対派」などという言葉にどんな背景があるのか、もう俺にはよくわからない。
 この現象を集団ヒステリーだと断じる人々もいる。文化人たちは「なぜ猫を持ち上げてこんなに叩かれねばならないのか」「動物愛護病」といった言葉でこの現象を批判していた。しかし「猫持ち上げ」反対勢力は、彼らの過去の言動や出自を持ち出して冷笑した。
 動物関係の職業に従事する人々も各所で引っ張りだこだ。さまざまな獣医たちがいろいろなメディアで「猫への接触過多はストレス」という意見や「猫ちゃんの抱っこは適切な愛情表現」という意見を述べた。ペットショップや動物ふれあいカフェは批判の矢面に立たされた。動物の飼育環境が適切かどうかを厳しくチェックされ、実際に虐待が認められる事例も多数報告された。
「人間自然回帰」を唱える一部のナチュラリストは、瘦せこけた顔から伸びるひげを撫でながら「生き物が生き物を所有していいわけがない」という趣旨のことをインタビュアーの前で語った。
「猫持ち上げ反対」を強く訴える人々の多くは、動物愛護や環境保全に力を注いでいる。だが、宮島が言うには極度の動物嫌いにも「猫持ち上げ反対派」が多いらしい。動物と人間が接触する慣習を公然と批判できるからだ。ここにきて動物愛護と動物嫌悪は奇妙な利害の一致を見せている。
 しかし、反対派の反対派も黙ってはいない。
「私たちには動物と仲良くする権利があります」
「We Love Animals!」
 と書いてある横断幕を掲げたデモ隊の行進が、週末の渋谷の大通りで行われた。
 彼らは「持ち上げ反対」の風潮は動物好きへの弾圧だとして自由を訴えた。しかし、結果的にそれは逆効果だった。デモ参加者は自ら飼っているペットを抱え歩いていたのだが、がなり立てる騒音や人の多さにおびえて失禁しているチワワをテレビカメラが映し、その映像がネット上を駆け巡ったのだ。
「デモみたいなうるさい空間に犬猫連れていくなよ……」
「こんな神経の人が動物を飼ってると思うとぞっとする」
「口では愛だ自由だ言ってるけど結局はオモチャ扱いしてるのがこれで確定したな」
 まとめサイトは喜んでこの事件を取り上げていた。
 ここのところ、ペットの写真をネットにアップする人が減ったような気がする。見ず知らずの人間にコメントで嚙みつかれることがあるからかもしれない。俺にはもともとそんな趣味はないから関係ないが。

「秦野さん、猫飼ってるんですか」
 3時間を超える残業を終え、会社の向かいにあるコンビニに寄って弁当と酒を買う。まぐろ味の猫用缶詰を手に取ったとき、同僚の女性社員に話しかけられた。なぜか心臓が強く跳ねて「ああ、うん。猫」という簡単な返事をするまでに数秒を要した。彼女は半笑いで「へえ、いいですね。お疲れ様です」と言い残し、サラミと発泡酒と黒烏龍茶の入ったカゴを持ってレジに並んだ。
 帰宅すると、どっと疲れが体じゅうに押し寄せた。足下でバステが早く飯をよこせと鳴きながら、猫缶の入ったレジ袋に頰ずりをして甘えてくる。無視するわけにもいかないので、買ったばかりの缶詰からミンチ肉を搔き出して皿に盛ってやる。本当は今すぐにでも眠りたいが。
「食わせないと虐待になっちまうからな」
 バステは俺の独り言になど耳を貸さず、夢中でエサを頰張っていた。
 俺はベッドに倒れ伏し、大きくわざとらしく溜息をつく。
 ここのところ仕事が忙しいせいだろうか。溜まった疲労がなかなか取れない。
 体はこんなに疲れているのに、頭の方は冴えっぱなしで、眠気は訪れない。息苦しい。吐いた空気をそのまま吸っている感じがする。俺はベランダの窓を少し開けて換気をすることにした。
 またベッドに倒れたついでに、携帯のスリープ状態を解除する。液晶の光は寝不足のもとだと分かっているが、いっそいつもの習慣を再現したほうが寝付きがいい気がした。
「今日の午後6時ごろ、評論家の蔦中茂容疑者がJR新橋駅の駅員に素手で殴りつけるなどの暴行を加え、全治2週間のケガを負わせたとして逮捕された。蔦中容疑者は容疑を認めており『身に覚えのないことで駅員に引き止められ、つい頭にきてしまった』と――」
 ネットニュースを見ながら、ああ、また反対派が叩かれるぞと俺は思った。その直後、糸が切れたみたいに眠気が襲ってきた。
 
 肌寒さでいつもより早く目が覚めた。携帯を握りしめたまま眠っていたらしい。
 口の端についた涎の跡をぬぐい、のろのろと身支度をする。洗面所で目やにを取っているとき、胸騒ぎがした。
「バステ?」
 朝起きてからまだ一度もバステを見ていない。なぜ今ごろ気づいたのか。いつもは奴に顔を踏まれて起きるじゃないか。
 カーテンの裾がかすかに揺れているのに気づいて、はっとする。昨夜、換気のために窓を少し開けてそのまま寝てしまったのだった。ベランダの下をのぞき込むと、好き放題に雑草が茂るアパートの中庭が見える。ここは2階だから、猫が飛び降りることは十分ありうる。だが、まだそう信じたくはなかった。部屋のどこかに隠れているのかもしれない。
「バステ。バステ」
 名を呼びかけ、耳を澄ます。返事はない。ベッドの下や棚の裏をのぞき込んでも、埃が薄く積もっているだけだった。さして広くないこの部屋で猫が入り込めそうな隙間は限られている。落ち着こうとして、俺は腕や腿を何度もこすった。
 そうこうしていると出勤時刻が迫ってきた。俺は会社に電話をかけ、臨時で有給休暇を取得する旨を伝えた。
 PCで「猫 脱走」と検索すると「飼っている猫ちゃんが脱走してしまったら?」というキュレーション記事がトップに出てきた。「猫は長い距離を移動しません。ですので、家の近くに隠れていることがほとんどです。名前を呼んだり、好物で誘ったりしながら捜してみましょう」と書いてある。俺はアドバイスに従うことにした。
 空の缶詰の底を爪で叩き、名前を呼んで家の周囲を何度も往復した。正午が近づいてきてもバステは見つからなかった。
 自宅に戻ってシャワーを浴び、少しだけ冷静になった。下着一枚でベッドに腰掛けて次にすべきことを検索する。まずは近隣の人に猫の特徴を伝えて、見かけたら連絡を入れてくれるように頼むといいと書いてあった。であれば、まずはアパートの管理人だろう。
 不在だった管理人の代わりに彼の妻が顔を出した。
 ゆるいパーマのかかった中年の女は面倒そうに「あら大変」と言って、俺が伝えるバステの特徴をメモパッドに書き記した。このアパートはペット可だが、管理人の妻はむしろ動物嫌いだと聞いたことがあるのを思い出した。
「もし見かけたら連絡しますね」
 金属製のドアが音を立てて閉ざされた。
 連絡を終えても俺の心は全く落ち着かなかった。捜索ポスターを作って近所に貼り出すべきだろうか。しかし、ポスターを作ることで逆にバステがひょっこり戻ってくる可能性をつぶしてしまう気がして、やめた。その日はネットを見る気がせず、ベランダから外を眺めて過ごした。

 一夜明けてもバステは戻ってこなかった。管理人からの連絡もない。さすがに2日続けて休むわけにはいかないので、俺は仕方なく会社に向かった。あいつは今、無事だろうか。電車の中でぼんやりしていると、次々に嫌な想像が膨らんでくる。雑多な情報で搔き消そうとタイムラインを辿っていたら、あるニュースが目に入った。

過熱する「猫問題」…女性漫画家に悪質な嫌がらせ

 やめろ、開くな。理性が訴える前に、親指がそのリンクをタップしていた。

過熱する「猫問題」…女性漫画家に悪質な嫌がらせ
 世間で熱狂的な議論を呼んでいる「猫持ち上げ問題」を巡り、非常に悪質な嫌がらせ事件が起きた。
 被害に遭ったのは「猫の持ち上げ画像」に最初に苦言を呈し、その後も現代のペット事情を問題視してきた漫画家の秋生霧江(あきみ きりえ)さん。秋生さんのツイートによると、秋生さんが自宅玄関ドアを開けると玄関前に猫の死骸が置かれていたという。猫は刃物のようなもので首を切られており、発見した秋生さんはすぐに警察に通報した。
 この非情かつ悪質な嫌がらせは、猫問題に関する秋生さんの主張に反対する何者かによるものではないかとみられ――。

 吐き気がこみあげてきた。その首を切られていた猫は、バステではないのか。血を流し、苦しそうに目を見開いて横たわるバステの姿が頭の中いっぱいに広がって吐きそうになる。
 しかし、すぐにそれは思い過ごしだとわかった。よく読むと漫画家の住んでいる地域と俺の家は300キロ以上離れている。殺された猫がバステである確率はほとんどゼロに近い。なのに悪いイメージは消えてくれない。携帯をスリープ状態にし、ゴルフ雑誌の中吊り広告を繰り返し読んで気を紛らわした。
 会社に着くと、なぜ急に休んだのかと同僚に尋ねられた。体調がすぐれなかったのだと適当にごまかし、仕事に取りかかる。
「秦野、うどんでも食いに行かないか」
 宮島が後ろから俺の肩を叩いた。時計を見るともう12時10分だ。午前中をほとんど呆然として過ごしていたことに、そのとき気づいた。
「ああ、行くか」
 人と話したい気分ではなかったが、一人だとろくなことを考えない気がして宮島の誘いに乗った。
「なんか今日、ぼーっとしてるな。大丈夫か」
 食堂で早々にうどんを食べ終えた宮島が携帯をいじりながら言った。宮島のような男にもわかるほど、動揺が顔に出ていたらしい。俺は飼い猫が脱走したことを宮島に打ち明けた。未だに戻ってきていないことも。
「大変だな」
 言いながら宮島は携帯から目を離さない。
「もしかして、昨日休んだのはそれか」
「うん、実はそうなんだ」
「ていうか秦野、猫飼ってたんだな。まあ、あんまり落ち込むなよ、ほら、最近よくネットで見るじゃん」
 宮島は半笑いで俺の目を見て言った。
「その猫だって自由になれて、いま幸せかもしれないし」
 ダン、という大きな音が食堂じゅうに鳴り響いた。
「どうしてお前にそんなこと言われないといけないんだ!」
 食堂がしんと静まり返っていた。
 宮島が目の前で啞然としている。そして、小さい声で「ごめん」と言って携帯を置いた。周囲の客と店員がみんな俺を見ている。
 右手の平にじんわりと痺れを感じた。視線を落とすとコップが倒れて水がこぼれていた。それを見て、俺がテーブルを思い切り叩いていたことにやっと気づいた。
「お拭きしますね」
 と、ふきんを持った店員が割り込んできた。

 そのあとすぐ俺は我に返り宮島に謝罪した。「ついカッとなってしまった」と逮捕された評論家と同じことを言った。宮島はそれほど気にしていないように振る舞ってくれた。
 なぜあんなに大きい声を出してしまったのかわからない。ほとんど無意識だった。
 自宅へ続く住宅街の道を歩きながら、俺はいなくなったバステの安否を考えていた。それを俯瞰で見つめる俺もいて、「もしこのことをネットに書いたら、どんなコメントが付くだろう」と考えていた。
 バステは今どこで「猫がかわいそう」何をしているんだろう。「猫の安全管理もできないのによく飼い主を名乗れたもんだ」まだこの近所にいたりしな「なんで被害者ぶってんだ、コイツ?」いだろうか。飼い猫はそ「猫を家に閉じ込めておくほうがよっぽど虐待」こまで遠くまでいかないはずだ。バステはもとも「もし見つかってももう飼い主の資格ないでしょ」と野良猫だからかなり遠くまで行ってしま「自己責任」うかもしれない。誰かに拾われてしまったかもしれない。「オモチャがなくなってかわいそうですね~」人馴れした猫だから俺じゃなくてもすぐに懐くだろう。「で? って感じ」それは良い事なんだろうか。もし悪意ある人間に拾わ「1年に殺処分されてる猫の数知ってるのかなこの人」れていたら、いまごろ遊び半分に虐待されているかも「結局のところ猫じゃなくて自分の心配しかしてないんだよね」しれない。車にはねられて、もう死んでいるかも「で、どれくらい経ったらペットロス(笑)から抜け出して新しい猫飼うのかな?」しれない。保健所に「だから最初から飼うべきじゃなかったってあれほど」連れていかれたのかもしれない。「畜生は紐に繫いでおけよ」室内飼いとはいえ首輪をしてお「自業自得」けばよかった。
 いつのまにか自宅アパートの前にいた。周囲を見回す。この薄闇のどこかからバステの青い目が俺を見つめているような気がした。
「秦野さん」
 願望混じりの錯覚を断ち切る呼びかけが後ろから飛んできた。聞き慣れた声だ。振り返ると、人の良さそうな白髪混じりの男が会釈して近寄ってきた。アパートの管理人だ。
「ああ、よかった。ちょうど電話しようとしていたところなんです」
「なんでしょう」
「お宅の猫ちゃん、さっき見つかりました」

 管理人が玄関ドアを開けて出てくる。腕にはバステが抱きかかえられている。
「ほらあ、やっと会えたねえ」
 文字通りの猫なで声で管理人が言う。バステは俺の顔を見ると、ニャアー、と大きな声で鳴いてじたばた暴れた。
「おっとと」
 慌てて管理人からのパスを受け取る。バステは俺の腕の中で落ち着きを取り戻し、ゴロゴロと喉を鳴らした。安堵感が俺の体にも伝わってくる。
「近所に野良猫の餌付けをしてる奥様がいましてですね、見かけないネコちゃんがいる、綺麗な毛並みだからきっと飼い猫だろうって僕に教えてくれたんです」
「そうだったんですか、ありがとうございます。わざわざ預かってくださって」
 俺は心底ほっとして、管理人に感謝の意を伝えた。
「いや無事でなによりですよ。ご心配だったでしょう」
「ええ、まあ。世間じゃ猫のことで大騒ぎだったみたいですし、気が気じゃなかったです」
 俺が顔を緩めて言うと、管理人は首を傾げた。
「は、そうなんですか。あまりニュースに詳しくなくて」 
 管理人に再三お礼を言ってから、階段を上る。
 自宅の玄関ドアを閉めると、バステは俺の腕をすり抜けて床に降り立った。
「逃げるなよ」
 部屋の照明を点けるのと同時にバステはキッチンへ走った。俺は冷蔵庫からまぐろ味の缶詰を取り出して、たっぷり青い皿に盛ってやる。
 よほど腹が減っていたのか、バステはいつも以上に夢中で餌をがっついている。
 俺は椅子に腰を下ろし、ビールの蓋を開けた。とりあえずは一件落着だ。
 PCを起動して、メールチェックをする。しばらく見ていなかったRSSフィードに「猫」の文字はほとんど見当たらない。唯一発見したエントリーは「猫持ち上げ問題とはなんだったのか」というブログ記事だった。
 何かが脛に押し付けられる感触。足下を見ると、満腹になったバステが足にまとわりつき、丸い目で俺を見上げていた。
「もう食ったのか」
 俺はバステの両脇に手を差し入れ、持ち上げた。胴体が2倍近く伸びて、後ろ足が地面から離れる。
「長い猫だな」
 抱きかかえようとすると、バステは俺の顔の前で大きなげっぷを一つした。

(了)

こちらのお話も収録されている単行本が現在発売中です。

cover
(イラスト:たかくらかずき デザイン:佐々木俊)

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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