キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

名称未設定ファイル

品田遊(しなだ・ゆう)

名称未設定ファイル ブック・カバー
バックナンバー  1...34567 

名称未設定ファイル_11 猫を持ち上げるな_前編

2017.05.10 更新

 玄関ドアを開けると、薄闇からミャアと声がする。
「待ってろ」
 足下から俺をじっと見つめる二つの青いガラス玉に向かってそう言うと、壁に指を這わせて明かりのスイッチを入れた。
 戸棚から缶詰を取り出す。そのあいだ、バステは俺の足の周囲をぐるぐるまわって、ミャアミャアと催促を繰り返す。缶の蓋がパキッと開く音でバステの騒々しい訴えはピークを迎え、青い皿に中身を盛り付けてやると黙って食事に没頭する。
 俺は洗面所でうがいを済ませ、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。デスクの前に腰掛けるとパソコンを起動し、立ち上がりを待ちながらちびちびとビールを口にする。いつもの金曜日。
 メールフォルダを確認し、溜まったメールに返事をした。これで今日の残務処理は終了だ。膝の上に食事を終えたバステが跳び乗ってきた。あごを軽く撫でてやると目を細め、バステは満足気にグルルと喉を鳴らした。
 ビールを飲みながらRSSフィードが選定したお勧め記事とSNSのタイムラインに目を通す。あるトピックが目を引いた。

猫を持ち上げるのは虐待? ネット上に波紋

 リンク先は主にネットニュースを扱う情報サイトだった。視界を阻む広告をかいくぐり、記事に目を走らせる。

【アニマル】猫を持ち上げるのは虐待? あるツイッターユーザーの発言が波紋
「猫を持ち上げるのは是か非か」という問題がネットに論争を呼んでいる。
 発端となったのは都内在住の大学生、Tさんのツイートだ。
〝待って 笑 猫めちゃ伸びるんだけど 爆笑〟
 写真には、Tさんの飼い猫と思われる白い猫が脇をかかえられて持ち上げられている様子が写されている。持ち上げられた猫の体はまるで軟体動物のように長く伸びており、その奇妙でおかしみのある姿は愛猫家のハートをすぐにつかんだようだ。ツイートはまたたく間に1万RT(リツイート)を突破した。
 しかし、写真の投稿から一夜が明け、女性漫画家の秋生霧江(あきみ きりえ)さんがこんな引用ツイートをしたことから状況は一変してしまった。
〝(RT)こんなツイートが回ってきた。。。正直、背筋がゾッとします。これがほほえましいニュースのように出回っていることが。。猫ちゃんの顔すごく嫌がっていますよね。。。動物は人間のオモチャじゃないんです。。(続く)〟
〝(続き)こういうのを目にするたび、惨憺たる気分になります。。。どうしてそっとしておいてあげるということができないのでしょう。いきなり持ち上げられて嬉しい動物などいるでしょうか?〟
 このツイートが注目を集め、意見に賛同する人も多数出てきている。
〝わかる。私もちょっとおかしいと思ってた〟
〝漫画家さんに同意。猫飼ってるけど、あれは嫌がってる顔。まともな飼い主なら足が浮くまで持ち上げたりはしないなあ〟
〝これは根深い問題。日本人は動物に対する意識が欧米諸国に比べて遅れている〟
 一方で、反対意見もある。
〝いや、これくらいよくあるでしょ。深刻に考えすぎじゃ?〟
〝うちの猫は持ち上げろってねだってくるくらいだけどな~〟
〝この人は動物の気持ちがわかるのか? 何にでも文句つける人っているよね〟
 ネットを騒がす「猫を持ち上げるのは是か非か」問題、あなたはどっち派?
(ライター:よしみち)

「ふん」
 一通り読み終えてタブを閉じた。暇なやつがたくさんいるもんだ、としか思わなかった。俺はネット記事漁りを再開したが、それ以上に興味をかきたてる話題もなかったので、早めにベッドに入ることにした。ベッドの中でタイムラインを見ると、猫の持ち上げを話題にしている人が何人かいる。俺は基本的に何も発信しない。特に言いたいことがない。

 明けて土曜の予定は空っぽだった。洗濯や買い出しをしているといつの間にか日が暮れかけていた。もう何かするには遅すぎる時間帯だ。ベッドの上に横になり、タブレット端末でネットを見て過ごすことにした。傍らではバステが丸まって寝ている。
 昨夜から日をまたいでも「猫の持ち上げ問題」は引き続き話題になっていた。むしろ論争はさらに過熱している。匿名で書ける日記サイトに書かれた文章が原因のようだ。

■猫を持ち上げるな
この際はっきり言う。
猫を持ち上げるな。
話題になってた、猫持ち上げ画像の件。
あれに対して過剰反応とか言ってる輩もいるが、全くそんなことはない。
俺たちは慣れきってしまってるんだよ、動物をオモチャにすることに。
4年前、ペットショップで働いてた。
知ってるか? 裏側で犬猫がどんな扱いされてるか。家畜の方がまだマシなんじゃないかな?
断言するが、ペットショップの店員は犬猫なんてモノだと思ってる。働いて理由がすぐわかったよ、そう思わなきゃやってらんねえもんな。
ペットショップには「常連さん」がいる。
成金の男が若い女連れて来て言うんだ。「今どれが流行ってんの?」ってな。服かよ。
実際、服と同じなんだろうな、あいつらにとっては。肉の詰まった動く毛皮。
で、明らかに買いに来るスパンが短いんだ、そいつ。前に売った2ヶ月のスコティッシュはどうしたんですかね?
そんでさ、店長もわかってて「新商品」を売ってやるんだ。そりゃそうだよな、血統書付きの高い犬猫をホイホイ買ってくれるお得意さまなんだから。「気を利かせてちょっと体の弱いやつを選ぶ」とか抜かしてたこともあったな。
これが命を売る態度かよ。クソが。
ほかにも色々、胸糞悪すぎて思い出したくもないようなことが山ほど。
1年でメンタル病んで退職。昔はあんなに大好きだった動物が、今じゃ見るだけでも気分悪くなる。怖くて。申し訳なくて。
これ読んで、酷いやつがいるな、って思ったか?
お前らも同罪だからな。
「同罪」は言い過ぎとしても、お前らに罪がないとは言わせない。
テレビとかネット見てると、ペット関係のコンテンツが盛りだくさんだ。屋上から落っこちる猫の面白動画とかな。
なんでそれを楽しめる? 動物は人間のオモチャだから。そうだろ?
触れあいとかコミュニケーションとか、御託並べてるけどさ、結局は人間様が気持ちよくなりたいだけじゃん。
たしかにお前はペットを虐待しないかもしれないけど、お前が猫の脇を持ち上げた画像を見て「軟体動物w」とか喜んでるそのことが動物をオモチャとして扱う文化
を育ててるって自覚しろよ。
■コメントを書く(428)

 この匿名日記には428ものコメントがついていた。最初についているコメントは「主語の大きい人がまた出ましたね…」「結局何を言いたいのかが不明瞭」といったものだったが、ざっと古い順に流し読みしていくにつれて、日記の主張に理解を示す内容の書き込みが増えていった。

「語気は荒いがおおむね同意。我々は動物を愛玩することの暴力性に無自覚すぎる」
「あー、あのRTを見たときに感じたモヤモヤの正体はこれか。なんかストンと腑に落ちた」
「なんかわかってない人多いけど、猫が嫌がってるかどうか、っつうのは副次的な問題なのよ。そういうのをエンタメとして成立させてること自体が問題なわけで」
「なるほどなあ。うちも猫飼ってるけど、なんで飼ってるかっつったらやっぱり人間の都合なんだよなー、なんだかなあ」
「実体験を一般論にする連中のタチの悪さよ」
「ペットを飼う文化自体が前時代的な慣習と言える日が近いのかもしれない。生命を所有するって気軽にやっていいことですか?」
「猫持ち上げ画像がプチ炎上してる件は、この国にとって象徴的な事例だよね。今年は動物愛護観のターニングポイントになりうる」

 猫を持ち上げることから話は脱線し、今は「愛玩動物の飼育は是か非か」というところまで議論が及んでいるようだ。なんだか、猫を飼っている俺が悪者にされた気分になる。バステは保健所から引き取った2歳のキジトラだ。腹を見せてのんきに眠るこいつを見ていると、束の間の深刻な気分は消え失せてしまった。

 月曜日の昼間。取引先への電車移動中に同期の宮島が中吊り広告を見て言った。
「あ、来栖あざみ」
 中吊りに目をやると、女性向けファッション誌の広告だった。青いワンピースを着たロングヘアの女――ファッションモデル兼テレビタレントの来栖あざみが笑顔でポーズを取っている。
「来栖あざみのファンなのか? 意外だな」
 宮島は顔の前で手をひらひらと振った。
「違う違う。今、あの子ブログ炎上してるから、あっと思って」
「へえ、なんで?」
「秦野、猫持ち上げ問題って知ってる?」
 またそれか、と俺は思った。
「まあ、なんとなくは」
「あの猫写真をマネした写真を飼い猫で撮ってブログに載せたんだよ。よりによってこのタイミングだよ。で、猫が明らかに嫌がってるのな。それでもう、けっこうな騒ぎよ。バカだよな」
「そんなことでか」
「まあ、もともと嫌われてるってのもあるんじゃないか? バラエティだと生意気キャラだし、性格クズって噂だし」
「テレビはあんまり見ないからよく知らん」
「それに、いかにもネットオタクが嫌いそうな見た目だろ。叩かれても仕方ないって感じだよな」
 俺は携帯から来栖あざみのブログを覗いてみた。最新の「のび~る♪♪」というエントリのみ、コメントが2000以上もついている。日記の内容は宮島が言うとおりだった。来栖あざみが飼い猫の脇をつかんで持ち上げている写真と、改行まみれの短文。末尾には独自ブランドの化粧品の宣伝が挟まれている。

「あの~^ ^: 猫ちゃんいやがってませんか?」
「これはないわ。あまりにも常識がなさすぎ」
「猫虐待女はテレビ出るなよ」

 コメントのほとんどは来栖あざみを強い調子でバッシングする内容だった。中にはファンからの「あざみんが虐待なんて絶対信じませんアンチに負けないで頑張ってください応援してます」という応援コメントもあったが、嘲罵の嵐の中にあってはいささか心許ない。
 来栖あざみはこのコメントを読んでいるだろうか。読んでいるとして、落ち込み傷ついているのだろうか。あるいはもっとしたたかに、いい宣伝になったと思っているのか。

 俺が帰宅してパソコンを起動すると別の話題が盛り上がっていた。山来新聞に掲載された「猫持ち上げ騒動に思う現代的即物性」と題された評論家の蔦中茂の短いインタビューが動物虐待を肯定しているとして批判を呼んでいるらしい。太い黒縁眼鏡をかけた白髪の老人がインタビューに答えている写真の下に本文が並ぶ。俺はざっと記事を斜め読みした。

 ……現在、猫を持ち上げてどうのこうのということが、インターネットで話題になっているでしょう。ああいった騒動を聞くにつけ、ああ、本当に日本人は駄目だな。このままでは未来はないな、と、うっかり絶望しそうになってしまうんですね。文句を言っている人がそろって匿名なのも、非常によくないと思う。はっきり言って卑怯だよね……

 ……いたずらに動物に苦痛を与えるとか、そういうことは許されません。動物愛護という問題に相当な重みがあることも認めますが、追及のプロセスがまずい。日本人は昔からそういうところがある。カッと熱くなって、この話はどこから来たんだってことが、頭からスッポリ抜けてしまう。元を辿ればたかが猫を持ち上げる持ち上げないの話ですよ。それの何が特別な問題になるのかさっぱりわからない。……

 ……私も猫を飼っていますが、はっきり言って猫を持ち上げるなんて日常茶飯事です。もっと本質についてじっくり考える。話し合う。そういう姿勢がないと、いよいよ本当に日本は終わりますよ。……

 
 翌朝。通勤中にRSSフィードを見ると、昨夜読んだ評論家のインタビューが「まとめ記事」になっていた。ニュースサイトから拾い集めた話題に不特定多数のコメントをつけて記事に仕上げるサイトだ。

評論家「猫いじめは日常茶飯事。こんなことで怒ってる日本人は全員馬鹿!」

 まとめ記事はこんなタイトルになっていた。はて、あのインタビューにそんな事が書いてあっただろうかと俺は不思議に思う。しかし、編集後のコメント欄にそれを疑う人はいない。俺は知らなかったが、蔦中という評論家はネット受けがすこぶる悪いようだ。政治やら経済やらによく口を出しているから、あちこちで敵を作っているらしい。

「よっぽど日本が嫌いなんだろうなこの老害は。さっさと○ねよ」
「この爺さんがやってきたことを考えるといまさら何言っても、ねえ?(笑)」
「『匿名で意見を言う奴は卑怯者』←権威しか誇れるものがない老害は全員これ言うよなw」
「日本に未来はない未来はないって連呼してるけど未来があるとよっぽど都合が悪いんですかね……(邪推)」
「『山来新聞は評論家の蔦中茂さんに取材し』ここでもうお察し。ステマ新聞には御用作家がお似合いだな」
「猫虐待肯定派ってこんな人しかいないの? 頼りない仲間に恵まれてますね」
「憲法解釈についてもトンチンカンなこと言ってなかったっけコイツ。こういう発言していくら貰えるのかには純粋に興味があるな」
「あー…こりゃダメだ。昔は好きだったんだけど、最近はダメダメだね。騏驎も老いては駑馬に劣るとはこのこと」
「コイツが騏驎だった時期なんかねーよwww」

 疲れた頭で赤や青の太文字を見ていると軽いめまいがしてくる。続きを読むのはやめた。

 3日経つと、RSSに表示される話題はほぼ猫一色に染まっていた。どこを見ても、猫、猫、猫である。あちこちでさまざまな事件が同時多発的に起こっていて、全容を把握するのはとても無理そうだ。
 しかし同期の宮島は経緯を逐一追いかけることに夢中になっているらしく、昼休み中にカツ丼を食べながら詳細を教えてくれた。
「最初に猫持ち上げ写真を投稿した大学生いただろ。あれで祭りが起こってるんだよ」と宮島は言う。
 大学生は話題の急速な広がりに驚いて、早々にアカウントを閉鎖していた。だが、そのときにはもう「解析班」と称される匿名の集団が彼の身辺を探り終えたあとだったのだ。彼の本名、所属大学、住所、家族構成まで、全てが特定されている。試しにその場で俺が「猫 大学生 住所」で検索しただけで、彼の本名と住所が載っているサイトが表示された。宮島曰く、まとめWikiもあるらしい。
 さらにネット民は一晩で宝を掘り当てた。彼が未成年の頃より常習的に飲酒や喫煙を繰り返し、所属サークル内で乱交まがいの遊びをしたり、その様子をネットで生配信したりしていたことが残っていたログからわかったのだ。裸の学生たちが出鱈目な歌を唄いながら乱痴気騒ぎをする動画の話題性は十分で、発見後はお祭り騒ぎになった。数時間後には、流行の歌やアニメのワンシーンと組み合わせたコミカルなムービーが多数制作された。一方で、行為を咎める苦情の対応に追われた大学は、彼の除籍処分を決定したという。
「芋づるだよ。すげえ時代だよなあ」
 宮島はなぜか惚れ惚れとしている。それでも、彼が除籍になった段階では元・大学生の被害を憐れみ、調子に乗るネット民に苦言を呈す声も多かったという。「でも、そこからもう一転あってさ」と宮島は熱っぽく続きを語った。
「なんと、そいつの裏アカウントが見つかったんだ。アカウントには一応鍵がかかってたんだけど、偽装アカウントで潜り込んだ勇者がいたのな。で、案の定そいつ全然反省してなかった。大学クビになった。一生恨んでやる。とか言ってるし、まだ酒もタバコもガンガンやってたんだ。それからはもう誰も擁護しなくなっちゃったわけ」
「そりゃ運が悪かったな」
 俺は味噌汁を飲み干した。よく見ず知らずの人間を調べるモチベーションが湧いてくるものだ。世の中、思った以上に暇な人間が多いらしい。

(続)

こちらのお話も収録されている単行本が現在発売中です。

cover
(イラスト:たかくらかずき デザイン:佐々木俊)

詳細はこちらから(クリックするとamazonページへ飛びます)

バックナンバー  1...34567 

著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

ページトップへ