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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_10 ピクニックの日

2016.12.27 更新

 トーストのやけるいいにおいで目をさました。
 窓の外で小鳥のなきごえがする。たまにとんでいる、きれいな緑色をした鳥の親子かもしれない、と、まどろんだ頭でおもった。
 ぼくは目をこすって、ベッドから体をおこした。
 のろのろとパジャマをぬぎながら、さっきまでみていた夢のことをかんがえた。だけどだめだった。どんな夢だったか、もうわすれてしまっていた。ただ、胸のあたりがぎゅっとちぢこまるような感じのする夢だった。ぼくは右の手のひらを胸にあててみた。あの変な感じはなんだったんだろう。
 リビングにいくと、エプロンをしたお父さんが鼻歌をうたいながらソーセージをやいていた。
 
「タドル、おはよう」
「おはよう」

 ぼくは冷蔵庫をあけて、オレンジジュースの瓶をとりだした。
 まるいテーブルにコップをおいて、ジュースをとくとくとそそぐ。こぼさないように、よくきをつける。
 
「ママは?」
「ママはまだねてるよ」

 ぼくのママはねるのが大好きだ。いつも夕方くらいまで横になっている。おきているときは、だいたい本をよんでいる。ママは本をよくよむから物知りで、いろいろおもしろい話をぼくにきかせてくれる。ぼくはそれをきくのが好きだ。でも、眠っているママの顔をみるのも好きだ。
 
「パンがやけたぞ。ソーセージも」

 パパがオーブンからパンをとりだして皿にのせ、横にソーセージをそえた。
 よくやけた食パンの上にバターをぬる。これがけっこうむずかしい。冷蔵庫からだしたばかりのバターはかたまりだから、パンにぬろうとしてもころがってしまう。無理やりぬろうとナイフでバターをおさえつけると、パンが「かんぼつ」してしまう。この「かんぼつ」という言葉は、このまえママにおしえてもらった。ぼくはてっきり、「かんぼつ」はパンとバターのときにだけつかえる言葉だとおもっていたけれど、どうやら他のものも「かんぼつ」するらしい。
 
「パパ、さっきね、外で鳥がないてたんだけど」
「どんな鳥だい」

 パパはナイフでバターのかたまりをうすくきって、それを器用にぬりひろげている。
 
「みてない。声だけきいたんだ。チョロロロ、みたいな音。なんていう鳥かわかる?」
「さあなあ」
「でね、たまにさ、庭に緑色の鳥の親子がとんでるときがあるんだよ。あの鳥の声だったらいいなっておもう」

 ソーセージをもぐもぐしながらパパが言った。
 
「ママなら鳥のことも知ってるかもしれないぞ」
「あとできいてみる」

 朝ごはんをたべたあとはあらいものをした。ぼくはパパがあらった食器をきれいにふく係だ。
 
「今日はピクニックの日だよね」
「そうだよ」
「ママ、ちゃんとおきてくるかな」
「さあね。起きてこなかったら明日だな」
「明日もおきてこなかったら?」
「明後日だ」
「あさっても起きてこなかったら……」
「起きたわ」

 ふりかえると、青いパジャマのママがいた。
 
「ママ、おはよう」
「おはよう、タドル」

 ぼくはママのところにかけよって腰にだきついた。いいにおいがする。パンやバター、焦げたソーセージとはぜんぜんちがう種類のいいにおいだ。
 
「今日は早いじゃないか」

 パパは冷蔵庫からだした冷たいハーブティーをコップにそそいだ。ママは朝起きたらまずハーブティーをのむ。朝食はたべない。
 
「だって、今日はピクニックの日でしょ」

 そういうママは涼しい顔でコップに口をつけた。ママはあまり笑ったりしないけど、本当はやさしいからすきだ。
 
「そうだよ。ピクニックだよ。ねえ、いつでかけるの」

 パパが台所を布でふきながら言った。
 
「お弁当を作ったら出かけようか」
「お弁当はなに?」
「サンドイッチがいいわ。ピクニックといったらサンドイッチでしょう」
「サンドイッチって、なに?」
「パンとパンの間にお野菜とかお肉とかを挟んだ料理のこと」

 ママの説明をきいただけで、ぼくの口の中によだれがあふれてきた。
 
「じゃあ、今日はサンドイッチに決定だな」

 ぼくは、料理をするパパの手のうごきを横からながめるのが好きだ。
 食パンのみみのところを、包丁で四回きりおとす。すると、ふかふかした、干したあとのふとんみたいになる。
 
「今度はパンにマスタードをぬるぞ、タドル」

 パパがスプーンで瓶からマスタードをすくって、ていねいにうすく引きのばしていく。スプーンの背中をつかってぬると「かんぼつ」しない。
 
「ぼく、辛いのはたべられないから、ぼくのサンドイッチにはぬらなくていいよ」
「おう」

 パパとママのぶんにだけマスタードをぬった。まっしろだったパンが少し黄色くなってしまって、ちょっとざんねんだ。ちらっと後ろをみたら、ハーブティーをのみおわったママがほおづえをついて、ぼくとパパをじっとながめていた。
 つぎは、ハムとスライスチーズをのせる。
 
「タドル、やってみろ」

 パパがぼくにいった。ぼくは冷蔵庫をあけて、ひんやりとしたハムとチーズをとりだした。まずはハムをパンの上にのせていく。ぺたり。ぺたり。シールみたいだ。おもってたよりも簡単だったから、次々とのせていったら、パパが急にストップをかけた。
 
「ああ、全部のパンにのせたらだめだよ。あとで二つのパンを重ねて一つにするから、のせるのは半分でいいんだ」
「あ、そうか」

 まちがえてしまった。でも、そのうえにチーズをのせるときはうまくいった。
 
「あー、次はなんだっけ、ママ?」

 パパがよびかけると、ママはすぐにこたえた。
 
「レタスよ」
「そうだ、レタスだ」

 あざやかなみどりいろのレタスを、蛇口からだした水でばしゃばしゃあらう。よく水滴をきってから、こんどは手でちぎっていく。
 
「彩りってやつだな」
「いろどりってなに?」
「食べ物には、できるだけいろんな色があったほうがいいんだってさ」

 パパが「だってさ」というときは、ママにおしえてもらったことなのだ。ママは本当に、なんでもしっている。
 
「レタスの次は目玉焼きをのせるぞ。こぼれるから黄身は硬めにしたほうがいいな」

 そういって、パパは家でいちばん大きいフライパンにつぎつぎと卵をわってほうりこんだ。あっというまにいくつもの目玉焼きができた。それをフライ返しでさっとすくいとると、レタスの布団のうえにねかせた。
 
「すごーい」

 ぼくはおもわず拍手をしてしまった。
 みみのない白い食パンの上に、ハムとチーズとレタスと目玉焼きがのっている。それの上に食パンをのせてギュッとはさむとサンドイッチの完成だ。すごくきれいだ。こんなのおいしいにきまってる。
 
「ママ、どう? すごくよくできたよ」

 できあがったサンドイッチをのぞきこんで、ママはうれしそうにほほえんだ。
 
「すごいじゃない。これを持ってピクニックに行きましょう」

 サンドイッチを竹であんだバスケットにいれて、水筒にハーブティーをそそぐ。お気に入りの服にきがえたら、準備はばんたんだ。
 家のうらの道をパパとママとぼくで並んであるく。ぼくの右手はパパと、左手はママとつなぐ。パパの左手はふかふかあたたかくて、ママの右手はほそくてつめたい。
 ぼくはママにたずねた。
 
「山にはどうやっていくの?」
「この道を、ずっとずっとまっすぐ歩いていけば山よ」

 うららかな日差しの下で、ママは長い髪をみつあみにして、麦わらぼうしをかぶっている。あるくたびに白いスカートがひらひらゆれる。
 
「その服、似合ってるよ」

 パパがママにいった。
 
「ぼくも、すごく似合ってるとおもうよ」
「ありがとう。嬉しいわ」

 ママはまっすぐに道の先のほうを向いたまま言った。その頭の上を、小鳥がすうっととんでいった。
 
「そういえば、ママ」
「なあに?」
「チョロロロってなく鳥、しってる? その鳥って緑色でかわいい親子の鳥かなっておもうんだけど」
「なんで緑色だとおもったの?」
「ぼく、緑色の鳥が、チョロロロってないてたらすごくいいと思うんだ」

 ママはそっとほほえんだ。
 
「そうね。だったらきっと、その鳥だったんでしょうね」
「よかった」

 ぼくはほっとした。ママがそういうなら安心だ。ママはものしりだから。
 
「おい、あれ……」

 林の中をとおるとき、パパがあいている右手でしげみのほうを指さした。
 赤い××××がいた。
 ぼくはパパの後ろにかくれた。
 ××××は、ママのところまでのたのたと近づいてきて、体の横からのびているものを左右にふって、かんだかい音をだした。
 
「××××××××××××××××」

 ママは、まったく表情をかえないで、同じように音をだした。
 
「××××××××××××××××××××」
「××××××××」
「××××××××××××」

 ママと××××は、しばらく交互に音をだしあった。
 やがて、××××は細長い体をだらんとかたむけると、しげみの中に戻っていった。ぼくはなぜか、ちょっと心配になった。
 
「ねえ、ママ……」
「さ、行きましょう」
「ああ、行こう。タドル」

 ぼくたちは山にむかって、ふたたびあるきはじめた。あるきながらかんがえるのは、さっきの××××のことだ。
 
「ママは、どうしてああいうふうな音がだせるの?」
「勉強したからよ」
「ぼくもできたほうがいいかな」
「必要ないわ。あの人と話せるのは私だけで十分だから」

 ぼくはおどろいて言った。
 
「人? あれは人なの?」
「まあね。でも、そういうものだとタドルは思っていればいいのよ。あれがああいうふうに見えるってことは、私たちとは関係ないってことなの」

 ママのいうことは難しくてよくわからなかったが、パパもニコニコしながら「関係ないさ」というので、ぼくは、そういうものなのか、とおもった。
 たくさんの木にかこまれた道をあるく。鳥の声とか、枝のこすれる音がきこえてきて、けっこうにぎやかだ。そして、あるけばあるくほど、だんだんと道がななめになってきて、一歩をふみしめるのに力がいる。
 
「山って、どこからが山なんだろう。どれくらいななめになったら山のはじまりなんだろう。パパはしってる?」
「考えたこともないなあ。そういうのは物知りママに聞いてくれよ」
「昔の人も、タドルみたいなことを考えたらしいわ」

 ママはあるくはやさを少しだけゆるめて言った。
 
「ぼくみたいに? 山はどこから山なのかって?」
「砂山からね、砂を一粒だけ取り除くの。それでも砂山は砂山。じゃあ、二粒、三粒……と取り除く数を増やしていったら、どこから砂山がなくなるかって。そういうことを真剣に考える人が、昔はいたのよ」
「へえ、今はどこにいるの?」
「どこにもいないわ。昔の人なんだから」
「どこにもいない……?」

 山とか砂山よりも、そのことのほうがふしぎだった。だって、昔いた人なら、今だってどこかにいるはずだ。
 
「でも、砂山はどこから砂山でしょう、みたいな問題は、結局ぜんぜん意味がないことがわかったんですって。だからやがて、みんなそういうことを考えるのをやめたの」
「そりゃあ、やめて正解だな。ピクニックに行ってサンドイッチを食うほうが百倍賢い」

 そう言ってパパが笑う。はんたいに、ママの顔は、ちょっとおちこんでいるみたいだった。
 屋根のようにかさなりあった葉っぱのすきまから、太陽の光がこぼれおちる。パパとママの体にまだらもようの影がはりついていておもしろい。
 
「そろそろ、このへんで休憩にしよう」

 木にかこまれた道をぬけて、ぼくたちは広くてあかるい原っぱについた。緑の中にぽつぽつと、赤くてきれいな花がさいている。
 
「ねえ、緑の中に赤があって、いろどりがあるね」

 ぼくがそう言うと、パパが首をひねった。
 
「いや、タドル。『彩り』は料理をするときだけつかうんじゃなかったか」
「そんなことないわ。こういうのも彩りよ」

 ママが風にとばされないようにぼうしを押さえながら、涼しい顔で言った。
 
「へぇ、そうなのかい」
「タドルは偉いわね」

 ぼくはママにぎゅっとだきついた。
 
 
 草原にシートをしいて、バスケットをひらいた。中にサンドイッチが入っているのはわかってるのに、あけるときは宝箱みたいでわくわくした。
 
「いただきます」

 口を大きくあけてサンドイッチにかじりつく。口の中でいろんな味がしてたいへんだ。じっくり口の中に心を集中しないといけない。
 
「こりゃうまいな」
「でしょう」

 パパもサンドイッチがとてもきにいったみたいで、ひとりでバスケットの半分もたべてしまった。ぼくとママもいつもよりたくさん食べたから、バスケットはすぐに空っぽになった。
 
「ふう」

 おなかいっぱいになって、ぼくらは草の上にごろんとねころがった。目いっぱいに空がひろがって、真上にかかったまんまるな虹が、まるで顔のすぐ前にあるみたいに見える。
 すぐに、横からパパのいびきがきこえてきた。パパはおなかいっぱいになるとすぐにねむってしまう。
 ぼくは空に向かって手をのばし、虹のかたちを指でなぞった。いちばん外側が赤色で、だんだん色がくらくなって、いちばん内側がむらさきだ。
 
「昔はね、虹が今のとぜんぜん違ったのよ」

 ぼくのとなりでママが言った。
 
「それ、どのくらい昔?」
「どのくらいか私もわからないくらい昔」
「ふうん」

 ママでもわからないんだから、きっとものすごく昔なんだろうな。
 
「昔の虹が見られる場所は空のてっぺんじゃなくて地平線だったし、雨上がりのときだけ太陽の反対側に出るものだったの」
「なんで今はちがうの?」
「すごく長い時間が経ったから」

 パパがいないときのママはちょっとだけおしゃべりになる。
 
「ママは昔の虹を見たことあるの? 昔って、虹のほかにはどんなふうになってたの? ママわかる?」
「タドルは、こんな話聞いておもしろい?」
「おもしろいよ。昔のこともっと知りたい」

 それに、ママが話したそうにしているような気がして、だからもっとききたいと思った。
 
「だったら話すけど。たぶんタドルには難しいし、退屈なら寝ちゃってもいいんだからね」
「絶対ねないよ」
「ずっとずっと昔はね、この地球は今よりも、なんていうかすごくゴチャゴチャしてたの。いろんな人がたくさんいて、みんなで好き勝手なことを言ったりやったりして、ぶつかりあって……」
「うん」
「本当は、みんな違う生き物だったのよ。摩擦が生まれて当然なの。なのに、同じ姿かたちをした人間だというだけで、仲良くしなければいけなかった。淡水魚と海水魚を同じ水槽で飼ったら、片方は絶対に死んでしまうのに」

 なんだかよくわからない言葉がふえてきたけれど、ぼくは意味をきかなかった。きいたら、ママの話がおわってしまう気がした。
 
「やがて争いの火種は膨れ上がって……ついに、大きな爆発が起きて……ああ、なんと言ったらいいのか……そうね。『陥没』したの」
「へこんじゃったの?」
「そう。世界が大きくへこんで、人の数がものすごく減ってしまったの。それでね、とっても偉い科学者が、もう二度とみんなが『陥没』みたいなことを起こさないように、コンピュータであらゆるパターンを計算したんだけど。その結果は『ほとんど確実に陥没はまた起こる』というものだった。もし陥没を直して、人の数をまた元通りに増やしても、将来、また同じことが起きる」

 言っていることのいみは、ぼくにはぜんぜんわからない。ママはぼくの手をぎゅっとにぎって、また話しはじめた。
 
「昔の人が不幸だったのは、だから、仕方のないことだったの。誰もが偶然に支配されていて、出会うべき人と出会えず、関わるべき人でない人と暮らしていた。災難や悪意がでたらめに行き交う中で暮らさないといけなかったの」

 丸い虹のまんなかを大きな鳥のむれがとんでいった。
 
「やがて、私たちの幸せのために、人をコンピュータで管理しようという考えが生まれた。ただ、それはかなり無茶なことだった。自由意志とか、人権とか……そういう大切なものをまるで無視する発想だったから。そこで、私たちは幸福のために一度世界を捨ててしまったの。もう一つの世界を作って、そこに引っ越して暮らすことに決めたのよ」
「引っ越し? どこに?」
「ここよ」

 と、ママは言った。
 
「ものすごく大きなベッドルームに、何千万という数の人がねむっている。その人たちが見ている夢がこの世界なの」

 なんだか、ママの言っていることはむずかしくてよくわからない。ぼくは、ものすごく大きい部屋でぐうぐうねむっている人をあたまにおもいうかべてみた。となりでいびきをかいているパパみたいな人がものすごくたくさん、ひろい部屋でならんでねむっているのだ。見てみたいなとおもった。
 
「ただ、いくら仮想世界でも、現実と同じような不幸は生まれうる。だからといって、人の心を直接いじり回して、無理やり幸福を感じさせるようなことは絶対にしちゃいけない。そこで最適化アルゴリズムを世界生成のルールに組み込むことにしたの。って、それじゃタドルにはよくわからないわよね」
「あんまり、よくわかんない」

 よくわかんないというのはちょっとウソだ。さっきからほとんど、ぜんぜん、わからない。

「もう少し簡単に言うとね、世界に不幸な人が生まれたら、時間を巻き戻すように設定したのよ。誰かが悲しい思いをするようなことがあった瞬間に、保持されていた過去のデータが呼び出されて『やり直し』できる。世界のたった一人でもよ……」

 そう言って、ママはうっとりと目をとじた。ぼくもまねして目をとじてみると、まぶたの向こうにかすかに虹が見えるようなかんじがした。
 
「タドルはジグソーパズルって知ってる?」
「うん。おうちにもあるよね。どうぶつのやつ」
「この世界はきっと、果てしなくピースの多いジグソーパズルみたいなものなの。でも、どんなに大きなパズルでも、ピースを順番に一つ一つ組み合わせ続ければ、いつかは絶対に一枚の大きな絵ができる。大きさは問題じゃないの。昔のわたしたちは、そのトライ・アンド・エラーに世界を賭けた。そして、新しい世界はゆるやかに綺麗なグラデーションを描き始めた。運命が試行錯誤を繰り返しながら、より良い方向へと私たちを導いてくれる」

 もうママはぼくに話しかけているのではなくて、ママ自身にことばをむけているみたいだった。ぼくはだんだん、頭のおくが重くなってきた。
 
「その世界で過ごすうちに、目にするものや出会う人々の言葉が、どことなく角が取れたみたいになめらかになって、物や出来事の境目がだんだんとほどけていったわ。みんな互いに必要としあっている人だけで暮らすようになって、本来なら出会うべきでない人は、最適化された運命が遠ざけてくれる。世界の形もゆるやかに私たちを包み込むように変わっていったわ。いつのまにか緑が増えて、見たことのない鳥が鳴いて、虹がいつでも見られるようになった。長い時間をかけて必ずみんなの願いが叶うなんて素敵でしょう」
「うん……」

 ママのやさしい声が耳にとどくたびに、ぼくはだんだんとねむくなっていった。
 
「夢みたいよ。私、こんなに幸せで。いえ、ある意味じゃ夢には違いないけど」
「うん」

 ママがぼくのほほをなでるのがわかった。
 
「今日のピクニックも、何度だって行きたいくらいだわ。タドルとパパとママの三人だけで森を歩いて、サンドイッチを食べて。でもたまに、昔が懐かしくなる」
「何が?」
「さっき森で会った人、いたでしょう」
「赤くてほそながい、ヘンな……」
「そう。あの人、本当はササキさんって言うの。昔、近所に住んでて……とても感じの悪いおじいさんだった。長い時間をかけて今のササキさんはあんな形になったけど、でも、消えてしまわなかったってことは、私がササキさんみたいな人が世界のどこかにいてほしいと願っているのかも。変ね。私はずっとパパやあなたみたいな子と暮らすことを願ってたのに。あの寂しくて惨めだった頃を忘れられない。ああ、いけない。こんなこと考えたら。また……」

 ぼくはもうねむくて、あたまがふわふわになっていて、でもママの顔を見たいとおもってうすく目をあけた。よこになったママがほほえみながら、なみだをながしていた。
 
「ママ……?」
「明日、ピクニックに行きましょう。何度でもね……タドル……」

 そしてぼくは目をとじた。あたたかいな、明日のピクニックたのしみだな、とおもいながら、ママとパパの間でゆっくりとしずんでいく。

(了) 

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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