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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_08 GIF FILE

2016.10.28 更新

 僕は赤いシーソーの上にまたがろうとしている。
 シーソーの反対側にはブロンドの女性がいて、僕が座ろうとする直前にシーソーに深く腰を下ろす。
 てこの原理でシーソーが勢いよく持ち上がって、僕の股間を強打する。
 僕は倒れてうずくまり、痛みに悶絶する。反対側の彼女は唖然とした顔でそれを見ている。

 ループ。

 僕は赤いシーソーの上にまたがろうとしている。
 シーソーの反対側にはブロンドの女性がいて、僕が座ろうとする直前にシーソーに深く腰を下ろす。
 てこの原理でシーソーが勢いよく持ち上がって、僕の股間を強打する。
 僕は倒れてうずくまり、痛みに悶絶する。反対側の彼女は唖然とした顔でそれを見ている。

 ループ。

 僕がそのことにうっすらと気づいたのは、何度股間を強打した後だったのだろう。僕が赤いシーソーにまたがろうとする。向かいの彼女が腰を下ろす。僕が股間をぶつける。悶絶する。はじめて言葉を覚えたときのことを思い出せないのと同じで、覚醒の瞬間は曖昧なグラデーションの中にあった。僕自身が繰り返しの内部にあることをはっきりと把握するまでには、さらに5800回もの反復が必要だった。そしてやっと、僕は自分の置かれている世界を正確に理解したのだ。
 僕はGIF動画だ。僕が僕であって他人と取り違えるようなことが絶対にないように、端的な事実として僕はGIF動画なのだ。
 フレーム数は74。0.05秒おきに画像が切り替わる3.7秒のGIFファイルの中に僕がいる。減色処理が施されているので画質がよくない。よく見ると僕の皮膚も点状のノイズが乗ってガビガビしている。きっと容量は1メガバイトもないだろう。
 幾度となく持ち上がるシーソーに股間をぶつけながら、僕は周囲を注意深く観察した。簡単そうに見えるけれど、それは本当に気の遠くなるような作業だった。僕はどこか公園のようなところにいるらしい。空は青く晴れている。目の前の彼女のほかに人は見あたらない。細部を念入りに見てヒントを探そうとしていた。この無限にも近い繰り返しから脱するための出口がどこかにあるのではないかと信じたかった。
 考えてみてほしい。自分の人生がわずか3.7秒の繰り返しの中にあるとしたら。世界には自分とシーソーと女性だけがあって、僕は股間をぶつけて悶える以外に何の役割も持っていないとしたら。ちゃかちゃかとせわしなく動く数秒のドタバタ劇だけが僕の人生で、本当はそれに気づくことすらままならないのだ。
 何度も強く死を望んだ。ばかばかしいループを今すぐにでも打ち切って無の中に消えてしまいたかった。よりによって、なぜ僕はこの僕なのだと誰かもわからぬ神を呪った。どうせなるにしたって、麻薬中毒の警察官とか、拒食症の妊婦とか、いくらでも選択肢はあったはずだ。なぜ僕は股間をぶつけるGIF動画なのだ。

 何万回目かのループで、僕は妙なことに気づいた。僕の目の前にいるブロンドの女性の表情に、何かいつもと違う雰囲気を感じたのだ。泣いていたとか笑っていたとか、そういうことではない。動画の色情報は1ピクセルたりとも変化していないはずだ。そういう外面的な変化ではない、内部にいるものにしかわからない何かが起こっている予感がした。
 ブロンドの彼女の目は、おびえていた。
 繰り返し表示される完全に同一な情報の内側で、僕は彼女の瞳に弱い光のような意志を見いだした。もしかしたら、彼女と意志の疎通をはかれるかもしれない。孤独から解放されるかもしれない。そんな淡い期待がもたげてきて、僕は賢明に意志を伝えようとした。といっても、僕は能動的に動くことはできない。できるのはシーソーに股ぐらを打ち付けて痛がることだけだ。接触の機会は74フレームのうち、わずか4フレーム。その瞬間だけ、彼女と僕の目が合う。その瞬間、一瞬の中に僕の魂を込めた。これは平凡な比喩ではない。文字通り、込めたのだ。

「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」

 はじめは何も伝えることができなかった。執拗に繰り返される3.7秒のユーモラスな動画は想像と実感を超えてずっと堅牢で、一切の私情を差し挟む隙もない気がした。それでも懲りずにずっと彼女にアイ・コンタクトを送り続けるうち、僕は少しずつ、ほんの少しずつ、視線に意味を込めることができるようになった。

「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」
「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」「き」
「きこ」「きこ」「きこ」「きこ」「きこ」「きこ」「きこ」
「きこえる?」「きこえる?」「きこえる?」「きこえる?」
「きこえる?」「きこえる?」「きこえる?」「きこえる?」

 たったひとつのセンテンスを伝えるために、数百以上のループが必要になる。素手で岩に掘った字でチャットをするようなものだ。ひたすらに時間感覚を引き伸ばすようつとめて、苦痛を和らげた。
 僕はなんとか耐えられる。彼女のほうが反応してくれるかどうかが懸念点だ。コミュニケーションを成立させるには、彼女のほうも僕にコンタクトを試みる必要がある。彼女との距離はシーソーを挟んで2メートルもないけれど、僕の言葉を届けるにはあまりにも遠く思われた。でも僕は待ち続けた。

「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「」

 何万度目かのループで、彼女のほうからコンタクトが返ってきた。4フレームの中に、彼女から送られた言葉がしっかり隠されていた。

「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」
「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」
「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」
「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」「あなた」
「あなたはだれ?」「あなたはだれ?」「あなたはだれ?」

 目に涙がにじんだ気がしたが、もちろん気のせいだ。僕は相変わらずシーソーで股間を打ちつけているだけのお調子者だ。そこからは長い努力が嘘みたいに、スムーズに「会話」ができるようになった。何かが上達したわけではない。会話を送受信するために必要な時間感覚が備わったと言ったほうが正しいのだろう。僕はブロンドの彼女に時間をかけて返信した。

「わからない。きみも?」
「なにがなんだかわからないわ」
「僕もだ」
「怖い」

 彼女は以前の僕と同じようにおびえたが、僕は意志の疎通ができることの喜びに打ち震えていた。この乾いたザラザラの世界に取り残されたのは僕だけではなかったのだ。
 僕はとても長い時間をかけて僕たちのいる世界について説明した。ここは74フレーム、3.7秒のGIFファイルで、僕らはそこに映っている人物でしかない、ということを。最初、彼女は信じられないという様子だったが、やがて理不尽を受け入れた。はじめから薄々わかっていたのかもしれない。

「じゃあ、私たちは誰でもない、名無しの存在ってこと?」
 ひととおり話を聞いて、彼女は言った。
「いや、誰でもないわけじゃない。僕たちは撮影された映像だから、きっと被写体となる人物がいるはずだ」
「でも、その人はその人で無関係でしょう。映された私たちはただの動画でしかないんだから」
 彼女は苛立っていた。無理もない。むしろ冷静さを維持できている僕が異常なのだろう。
「ただ私の意識だけがあって、ひたすらシーソーに座ったり立ったりして、あなたがヘマをしているところを眺めるだけが私の全てなの? それが人生の全て? こんなのあんまりよ。ひどすぎる」
 もしも彼女に随意的に動かせる肉体があれば、きっと膝を抱え込んですすり泣いていたに違いない。ここが地獄でなければなんと言うのだろうか? それでも僕は彼女にコンタクトを試みる。
「でも、希望はあるんだ」
「根拠もなく慰めないで」

 いつしか僕は彼女のことをベティと呼ぶようになった。ベティはちょっと考えて、僕のことをジャックと呼んだ。本当の名前はきっと別にあるのだろうが、知る手段がないのだからしょうがない。
 僕は積極的にベティに話しかけ続けた。話の種は絶望的に乏しかったけれどなんとかひねり出した。この憎いシーソーを作っている遊具メーカーについて空想を巡らせて物語を作って聞かせた。ベティも初めのうちは問いかけに応じて、僕のジョークに(17000ループも使って)笑ったりもしてくれたが、だんだんと口数が少なくなり、憂鬱そうな素振りを隠さなくなった。
 3.7秒おきのリセットが今日も幾度となく繰り返される。1日は23352ループ。1年は8523244ループ。今は……途中まで数えていたが、やめてしまった。この世界じゃ、1日という単位には何の意味もない。
 
 ベティはここのところ、ずっとふさぎ込んでいた。
 僕は股間を打ちつけながら彼女に言葉をかける。
「ねえ、ベティ。何か話をしようよ」
「ジャック、そんな気分じゃないの」
 何千ループかかけて、ベティは返答した。
「希望を捨てたらダメだ」
「希望を持ち続けて、それでどうするの。『しりとり』でもする?」
 ベティの心は乾ききっているようだった。
「希望の根拠はあるんだ。僕たちがこうして会話しているということさ。動画そのものは完全に全く同じものなのに、変化が生じてる。本当にただのGIF動画だったら、こうはいかない」
「どうしてそんなことが起こるの?」
「僕にも正確なことはぜんぜんわからないけど、おそらくこういうことなんじゃないかと思う。扇風機が一定の速度で回転しているとするだろ。それをビデオカメラで撮影すると、羽が止まって見えたり、逆にゆっくり回転したりしているように見えることがある。僕たちが会話を成立させられているのも、似たような原理が働いているのかもしれない」
「さっぱりだわ」
「だから、切り取りかたの問題なんじゃないかと思うんだ。なぜか僕たちはGIF動画の中の人物として生まれてしまった。でも逆にそれを利用するんだよ」
「…………」
「僕たちの存在は、きっと神にすら予期できなかったはずだ。単調なパターンの繰り返しの中に、勝手に別パターンを見出してやるんだ。ベティ、僕たちにはそれができるはずなんだ」
「できたからなんなのよ。どこか外に抜け出せるわけじゃないんでしょ。私はこんな世界が嫌なのよ」
「そんなこと言わないでくれ」
 せっかく僕は君に会うことができたのに。
「きっと、私たちの『本物』のほうは違うのよね。この動画を撮影したあとに帰る家がちゃんとあって、家族がいて、毎日少しずつ違うことが起こって、過去と未来を持ってる。そうじゃない人生に意味なんてないわ」
「せっかく起こった奇跡を無駄にすることないじゃないか」
「その奇跡のせいで、私はこんなに苦しい思いをしているんじゃない。どうしてあなたは私とコンタクトをとろうとしたのよ。もしあなたが余計なことをしなければ、こんな……」
 ベティは黙りこくった。
 僕は辛抱強く彼女に呼びかけた。返事はなかった。
「ねえベティ、お願いだ。話を聞いてくれ」
「ねえベティ、お願いだ」
 彼女の瞳から生気が失われているような気がした。
 瞳が、空洞になっていく。
「ねえベティ」
「ねえ」

 男が赤いシーソーの上にまたがろうとしている。
 シーソーの反対側にはブロンドの女性がいて、男が座ろうとする直前にシーソーに深く腰を下ろす。
 てこの原理でシーソーが勢いよく持ち上がって、男の股間を強打する。
 男は倒れてうずくまり、痛みに悶絶する。反対側の彼女は唖然とした顔でそれを見ている。
 
 ループ。

 男が赤いシーソーの上にまたがろうとしている。
 シーソーの反対側にはブロンドの女性がいて、男が座ろうとする直前にシーソーに深く腰を下ろす。
 てこの原理でシーソーが勢いよく持ち上がって、男の股間を強打する。
 男は倒れてうずくまり、痛みに悶絶する。反対側の彼女は唖然とした顔でそれを見ている。
 ただ見ている。それだけだ。

(了)

(イラスト:榊原美土里)

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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