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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_04 過程の医学

2016.08.26 更新

「橘、久しぶりだな。13年ぶりか。変わってないな」
「12年と7ヶ月だ。まあ入れよ」
 守田は旧友との再会を喜び、招かれるままにドアを通った。太い黒縁の眼鏡をかけた無精ひげの男、橘は彼を奥へと招いた。整頓されているとは言いがたい研究室が2人を迎え入れる。物珍しげに周囲を見渡す守田を尻目に、橘はソファにどかっと腰を下ろした。
「適当に書類をどけて座ってくれ」
 橘は白衣の下からタバコを取り出して火をつける。
「しかし、信じられんな。あの橘が今は大学病院で働いてるなんて」
 守田が覗いた窓の下には青々とした芝生が広がり、患者たちが運動や日光浴を満喫していた。県内随一の規模を誇る、伝統ある大学病院。橘はそこに勤めている。
「すごいだろ。俺を見なおしたか?」
「いや、雇った病院の正気を疑ってる」
「馬鹿にしやがって」橘が白煙を鼻から吹き出す。「合理性が成り立つのはごく小さなコミュニティだけだ。組織っていうものはな、大きければ大きいほど内部に理不尽を飼う余地があるんだよ。獅子身中の虫ってやつだ」
「自分をその虫に例えるやつはお前くらいだ」
 橘の不遜な口ぶりが守田には懐かしかった。大学時代の橘と守田は、時間さえあればいつも一緒にいた。橘は大学で有名な変人で、いつも騒ぎを起こしては迷惑をかけていた。「全人類を俺が幸福にしてみせる」というのが彼の口癖だった。上京して間もなく友人もいなかった守田はそんな橘の奇妙な言行に惹かれた。守田が害を被ることも多かったが、ともかく彼といれば退屈しないのは確かだった。
「まだ学内サーバーのハッキングみたいな犯罪じみたことをやっているんじゃないだろうな」
「あれは教師達へのレジスタンスという意義が……いや、俺だって昔に比べたら成長したよ。今は多くのかけがえのない命を救うための研究に身を捧げてるんだから」
 カケガエノナイ、というところがいかにもわざとらしい言い方だった。
「守田、そういうお前はどうなんだよ。ライターなんて前時代の職業になっちまって」
「前時代? ライターが?」
「そうだよ。ライターがやる仕事ってのは、要は情報の要約と出力だろ。そんなのは機械学習でいくらでも代用できる。あと20年もしたら必要とされるライターの数は1/2、いや、1/5になるだろうな。職業としては風前の灯火」
 ライターだけにな、と付け加えて橘が笑う。ずけずけとした物言いは相変わらずだ。当時の橘に自分以外の友人が乏しかったのも納得だなと守田は苦笑した。
「どう言われようと、俺は生き残りの1/5に食い込んでやるよ。子供も生まれるし、家族を食わせてく責任があるんだ」
「なんだお前、パパになるのかよ」
「予定では来週あたりにな」
「そりゃ、過去の人脈にすがってでもネタを探すわけだ。『新世紀・医療の可能性特集』だっけ? いいよ、なんでも聞いてくれ。ただし聞いていいのは俺が話したいことだけだ」
 橘は吸いかけのタバコを灰皿の底で押しつぶした。守田は鞄からレコーダーとメモ帳を取り出す。
「写真はあとでまとめて撮るから、まずは話を聞かせてほしい。載るのは一般紙なんで、あんまり専門的じゃないほうが助かる」
「お前が正確な説明を理解できないことくらいわかってるから、ちゃんとわかりやすくて不正確な説明をしてやるよ」
「うるさいな、始めるぞ」
 守田はレコーダーのスイッチを押した。
「特に聞きたいのは、そもそも工学部情報学科を出た橘が大学病院で何をしてるのかってことなんだが」
「医者をこの世界から消すため」
 橘が即座に答えた。意外な返答に驚いた守田は問い返す。
「医者を消すって、どういう意味だ?」
「文字通りだよ。俺は医者という職業がなくなる日を目指している。思うに、医者という職業は社会を成り立たせるうえで必須じゃない。例えるなら電話交換手に近いな。昔は電話をかけるとき、まずは電話交換手にかけて、『だれそれに繋いでください』と言って繋いでもらっていただろ。でも今はそんな手間はほぼ必要ない。技術が進歩したからだ。同じように、技術さえあれば医者なんてほとんどいらなくなる」
「乱暴だ」守田は反論した。「電話交換手は電話回線を繋ぎかえるだけだったからすぐに自動化できたけど、それと医者を一緒にされちゃ医者が怒るぞ。複雑さの度合いが段違いなんだから」
「複雑なことなんかないね。外科も内科も産婦人科も肛門科も、どんな医療行為だって目的はただひとつ、幸福の追求だ。不快感をなくして幸せになりたい、医療の存在意義は突き詰めればそれだけさ」
「そりゃ、一言にすればそうだろうけど、単純化しすぎだよ」
 橘の言い分は抽象的に過ぎた。それがどんな研究成果に繋がるのか守田にはいまいちよくわからなかった。
「俺がいま研究しているのは、不幸とその原因を検知して、幸福へと導く方法を教えてくれるデバイスだ」
「よくわからないな、もっと詳しく教えてくれ」
「たとえば、ある男が腹痛に苦しんでいるとするだろ。彼は医者に診てもらうまで、痛みの原因が食あたりなのか胃潰瘍なのか盲腸なのかがわからない。診てもらっても原因がわからないこともある。だが、新デバイスを使えば、その原因をAIがたちどころに推理して、さらに治療法も提示できる。すごいだろう」
「確かにすごい。でも不可能だよ。機械にどれだけの量の医学知識とプログラムを組み込めばそんな判断ができるようになるんだ。現実的じゃないね」
 得意げな橘に守田が言う。否定するほど彼はムキになって説明してくれることを守田は知っていた。
「医学知識なんて必要ない」橘が不敵に笑った。「いま言っただろ。医学は不幸を幸福に繋ぐ中継点でしかない。問題はもっとシンプルに解決できるんだよ」
「それじゃあどうやって」
「何年か前に、AIが大量の絵の中からゴッホの絵を見分けられるようになったのを知ってるか? AI自体には西洋絵画史についてはなんの知識もないのにもかかわらずだ。AIは数万枚の雑多な絵画データを読み込みまくることによって、ゴッホの絵の『ゴッホらしさ』を勝手に学んだんだ」
 そのニュースは守田の記憶にも残っていた。
「同じように、腸炎の患者のデータ群には『腸炎らしさ』が現れる。人間が気づけないほどの小さな特徴もAIの眼は見逃さない。AIが『らしさ』を学ぶことさえできれば、医学知識なんて不要だ。俺の作っているAIは、腸炎とは何かには答えられないが、何が腸炎なのかはよく知ってるのさ」
「ううん」
 言われたことの意味はわかる。しかし、そんなにうまくいくものだろうか。守田は疑いの念を晴らせないままでいた。なにより、この調子で記事を書いては、読者が納得しないだろう。
「まるで夢物語だ。実証してもらえない限りは信じられないね」
 あえて強情な態度を見せる。しばし橘は言葉に詰まったが、「仕方ない」とつぶやいて、守田の腹のあたりを指さした。
「お前、胃をやってるな。酒を控えて、もっと野菜を食ったほうがいい」
「なんだと」
「あと最近、肺の病気になっただろう。このままだと再発するから手洗いとうがいをサボらないようにして、できれば予防接種も受けとけ」
 守田は驚愕した。どちらも大当たりだったのだ。このごろ胃のあたりが痛むことが多いし、2ヶ月前には肺炎にかかっている。
「どうしてわかった」
「記事には書くなよ」橘は、自分が掛けていた黒縁の眼鏡を取り外して守田に差し出した。「秘密はこれだ」
 守田が眼鏡を装着してみると、不思議な像が目に入ってきた。指を組んでこちらを見つめる橘の体全体が淡く発光しているように見えたのだ。
「どう見える」
「体が赤く光ってる」
「だろうな。その眼鏡は透過モニターになっていて、現実の像にPC画面のレイヤーを重ねられる。ちなみにこれがお前を見たときの映像だ」
 橘がノートPCの画面を見せる。そこにはさきほどの守田の姿が映しだされていた。体全体が緑色のオーラを纏ったように光っている。
「なんだ、これ」
 画面を覗き込んだ守田が訝しむ。さっきからずっとこんな風に見られていたのか。
「簡単にいえば幸福度を色に変換したものだ。表情や肌の色、動きなど、人間には見分けのつかない微細な特徴を、蓄積したデータに照らしあわせ相対的な幸福度を割り出している。サーモグラフィーと同じで、暖色になるほど幸福度が高く、寒色になるほど不幸だ。鬱病の患者を見ると青っぽい人影になる」
 守田はメモをとるのも忘れて橘の説明に聞き入っていた。
「俺は緑色だけど、どうなんだ?」
「まあ、普通だな。楽しいこともあれば憂鬱なこともありの、平均的人間だ。ただ、よく見ると肺と胃のあたりが薄暗くなっているのがわかるだろ。これはお前の身体データが胃や肺を病んだ患者のデータ群に似ていることを警告しているんだ。それの適切な対処法を指示することもできる」
 橘がキーボードを操作すると、守田の幸福度をより上昇させるためのプランが一覧で表示された。野菜の摂取。飲酒の抑制。手洗いとうがい……。
「この『うつ伏せで昼寝する』ってのはどういう意味だろう」
 守田は一覧に含まれた妙なプランに目をつけた。
「さあ。わからん。こいつが提示する案に『なぜ』はないんだ。膨大なパターンが結んだイメージ、つまり高精度な直感みたいなものだからな。俺は『目をつぶって縄跳びをしろ』なんて指示を出されたこともある。半信半疑で試したら、なぜか確かに腰痛が緩和されたんだ」
 守田は身震いする思いだった。答えだけをいきなり提示してくれる。その理由は作った橘にすら分からない。膨大なパターンの蓄積がそれを可能にしたのだ。
「なるほど、誰でも幸福度の測定とリスク管理の両方ができるわけだ。世界がひっくり返るぞ。これはとんでもなくすごい発明じゃないか」
「これを作った俺がすごいんだ」
「いや、まったくその通り」
 守田は橘の背を叩いて笑った。これを記事で報じれば間違いなく日本の、いや、世界のトップニュースになる。発明者でもないのに守田はわくわく浮足立つ。逆に橘は苦々しげに忠告した。
「言ったはずだぞ、守田。眼鏡のことは記事にするなよ。お前が友達だからつい見せてしまったが、このデバイスはまだプロトタイプなんだ。記事には俺がそういう展望のもとに研究を続けていると書くだけで十分だろうよ」
 その口ぶりには、都合の悪い事実を隠している者に特有の後ろめたさがあった。
「それじゃ読者は納得しないぞ。記事は具体性が命なんだ。それに、プロトタイプといってもこの眼鏡はほとんど完成品に見える」
「調整にはまだ時間がかかる。変な期待を持たせたくない」
「現状でも十分に世界を変えられるさ」
「だからこそ怖いんだよ」
 食い下がる守田を前に、橘が顔を逸らして言った。
「怖いだって? お前らしくもない」
 尊大な橘が、ここまで臆病な表情を見せたのは初めてだった。橘は息をついてから立ち上がった。
「わかった。街を少し歩いて話そう。お前はその眼鏡を掛けたままでな」
 橘は研究室のドアを開けた。
 
 不思議な光景だった。人々の体が色付けされている。ほとんどは黄緑色から黄色のグラデーションだったが、中には違う人もいた。不審がられるのも忘れ、守田はすれ違う人々を観察しながら街を歩く。
「いますれ違った学生の男女はひときわ赤く光り輝いてた。幸福度はかなりのものだな」
「熱々のカップルってやつだな。羨ましいね」
 守田の前を歩く橘が振り返らずに言う。
「いますれ違った中年男は青色だったな」
「ということは、かなり不幸ってことだ。でも対処法も表示されただろ」
「ああ、鉄分の摂取とか、日光を浴びるとか」
「それらを確実にこなせば、確実に幸福に繋がる。簡単なことだ」
 まるで神の目を手に入れたかのような感覚だった。このイノベーションの到来を報じない手はない。性能を体感した守田は改めてその思いを強くした。
「橘、なぜ」
「なぜこれを世に出さないのか、だろ。さっきも言ったように、このデバイスはまだプロトタイプだ。いや、この際だから正直に言うと、すでに性能面はほぼ完成している、だからこそ、不可解な事実があってな」
 橘がふいに足を止めた。
「いたぞ」
 指差す方向から、ベビーカーを押して歩く女性が見えた。女性の体は緑色に輝いている。視線を少し下にずらしたとき、守田の背筋に冷たいものが走った。
 ベビーカーに乗っていたのは、真っ黒な塊だった。
 闇を切り取ってきたかのような漆黒が、ベビーカーの中に収まっている。
「なんだよ、あれ」
 震える声で橘に尋ねた。
「赤ん坊だよ」
 赤ん坊だと。あれが。
 守田は信じられぬ思いで眼鏡を上げて肉眼で見てみる。ごく普通の親子だ。生後数ヶ月にも満たない乳児は、ベビーカーの中ですうすうと寝息を立てている。
 眼鏡をまた掛けると、「それ」は再び漆黒の塊に変わった。
 母子が立ち去るのを見届けてから、橘は守田に語りかけた。
「このデバイスが完成したとき、はしゃいだ俺は院内を駆けまわっていろんな人間を観察した。効果はすぐに実証された。医者が一日かけて判断するような病気を一秒で見ぬけたんだ。精度も想定よりずっと高く作ることができた。ほぼ完璧と言ってもいい。そのときは、ついに人類に希望を与え、幸福に導く発明を俺が成し遂げたと思ったよ」
 橘は苛立たしげにタバコをくわえてライターに火をつけた。
「だが、例外があった。乳児、特に物心がついていない時期の乳児を見たときだけ、表示がおかしくなる。幸福度が理論上の最低値でしか表示されないんだ。どの子を見ても真っ黒に染まってる。もう一つおかしなことがあった。真っ黒な赤ん坊に提示される『問題の適切な対処法』だ。さっきもなんて表示されたかわかったか?」
「見てなかった。黒さのほうに気を取られてて」
 橘が煙を深く吸い込んでから吐き出した。
「『塩化カリウム3mgの注射』、それ以外はなにも出てこない。知ってるか、塩化カリウム。アメリカでは薬殺刑にも使われる心停止剤だよ。乳児に3mgも投与したら高カリウム血症を起こして確実に死ぬ。このAIは、その赤ん坊を殺せと言っているんだ。それが幸福への近道だ、と」
 守田は言葉を失った。
「最初は単なるバグかと思っていろいろと出力系をいじったんだが、どうしてもダメだ。乳児だけは真っ黒に染まるんだ。最近になって思うようになった。もしかしたら、これが本当は正しいのかもしれないと。なぜかは分からない。作った俺ですら知ることはできないようにできてる。しかしAIの直感はそう導いた。この世の中の全ての赤ん坊は、生まれたときから完璧に絶望しているんだと。俺がこの眼鏡の存在を隠したがる理由がわかっただろう。こんなものを世の中に出せると?」
 橘は押し付けるように、懐から出した一枚の写真を見せた。設備から、大学病院の新生児室を写したものだと分かる。
 小さな黒い塊が、純白の布の上に等間隔に並んでいる。
「お前もこれから父親になるんだろ」
 守田はもう何も返す言葉を持たず、彼の視界に映る橘を取りまく色が、徐々に生彩を失っていった。

(了)

(イラスト:榊原美土里)

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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