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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_03 天才小説家・北美山修介の秘密

2016.08.12 更新

 思わず「小おどり おどり方」でネット検索してしまうほど嬉しかった。
 あの、北美山修介からメールの返事が来たのだ。
 北美山修介は10代の女子に圧倒的な支持を得ている覆面小説家だ。代表作は『秋桜の園』『わたしと』『午前2時のチャイム』などで、少女同士の淡い友情と恋愛模様を描いた学園ものを得意としている。中学2年生のときに初めて彼のデビュー作『枯葉ひろい』を手にして以来、わたしはその甘い耽美の世界に一発でノックアウトされてしまった。一行読むごとにため息が出る。どうして大人の、しかも男の人が、女の子の繊細な心の動きをここまで美しく描けるのだろう? 
 それから、わたしは一気に北美山修介に傾倒した。文芸界屈指のヒットメーカーかつ速筆として知られる彼の著書はゆうに70冊を超えるけれど、半年で買い集めてしまった。どの本も最低5回は読み返し、そのたびに優美な世界に浸りながらベッドの上で萌え悶える。ほんとうにもう、この素敵な世界に比べたら、現実の男なんて取るに足らない虫だ。わたしが信じられる男の人は、北美山修介ただ一人。
 その彼からメールが届いたのだから、冷静でいられるわけがない。
 先週、ダメ元で送ったファンレターもといファンメール。彼の公式サイトに設置されたメールフォームの小窓に、わたしは積年の想いを8000文字かけて綴った。新刊の『アガスティア』で描かれる恋の切なさに涙がこらえられなかったこと、先生の真似して小説を書いてみたけれどうまくいかないこと、過去作品の特に好きな一節について……書いては消しを繰り返し、なんとか文章量を1/10に抑えるのは大変だった。悩んだ末、最後にわたしが書いた小説を公開しているサイトのアドレスも添付した。長編を書こうとして挫折した未完成作だから恥ずかしかったけど、もうこの機会を逃したら終わりだと思い切って送ってしまった。
 返事は期待していなかった。相手はベストセラー作家だ。わたしはただの一読者の女子高生。天才・北美山修介からしたら、きっと退屈な有象無象の一人でしかない。
 なのに、まさか。
 メールボックスに「北美山修介」の名を見つけたときは、2秒ほど心臓が止まった。
 返信にはこう書いてあった。
 
 西田岬さん
 メールありがとう。ぼくの読者の中でも、きみほど深く作品を読み込んでくれている子はほとんどいないんじゃないかな? 特に『秋桜の園』の浜辺の描写は力が入っていたから、ほめてもらえて嬉しいです。
 もしよかったら、ぼくの事務所に見学に来ませんか? きみからもっと詳しい話を聞かせてもらえると、ぼく自身もいろいろ参考になると思うし。
 あと、小説を書いているって教えてくれていたよね。ぼくからいろいろとアドバイスできることもあるかもしれません。ぼくのアドバイスでよかったら、だけどね。
 じゃあ岬さん、お返事待っています。 北美山

 目を血走らせて、何度も文面に目を走らせた。何かの間違いかと思ったけれど何度読んでも間違いない。「ぼくの事務所に見学に来ませんか?」そう書いてある。喜びが、プレッシャーに変わる。鼓動のBPMが3くらいになった。
 ぼくの事務所に見学に来ませんか?
 ぼくの事務所に見学に来ませんか? ぼくの事務所に見学に来ませんか? ぼくの事務所に見学に来ませんか? ぼくの事務所に見学に来ませんか?
 行きます、の4文字を伝えるまでに3日かかった。

「それで今日の放課後に行くの? その小説家の北山なんとか」
 紙パックのミルクティーを吸い終わったアキが、ストローの先を嚙みながら言う。
「だから、北美山修介だって。何度言ったらわかんの」
 わたしは『アガスティア』の表紙をアキの目の前に突き付けた。
「でもそれ、なんか怪しいよ」
「なんで」
「だってさあ、顔も知らない読者をさあ、いきなり家に呼んだりする?」
 アキは疑惑の眼差しをわたしに向ける。
「家じゃなくて事務所。そういうこともあるのかもしれないじゃん。小説に出てくるキャラは高校生の女の子が多いし、実際の高校生に取材したいのかも」
 メールに「きみほど深く作品を読み込んでくれている子はほとんどいないんじゃないかな」と書いてあったことは、恥ずかしいので言わない。
「そうやって読者の女の子を連れ込んでさ、変なことしてるんじゃないの」
「やめてよ、先生がそんな人なわけないでしょ!」
 わたしは机を叩いて否定した。友達といえど言っていいことと悪いことがある。あの北美山修介が、そんな変態のわけがない。
「ごめんごめん。でも万が一、ってこともあるんだからさ、岬も気をつけてね。じゃ、あたしこれから吹奏楽の定例だから」
 アキはそう言って教室を出ていった。
 気をつけて? 何を言うか。北美山先生に限っては、億に一つだってありえない。彼は世の中の男たちなんかとは魂のステージが違うんだから。

 北美山修介の事務所は、山手線内の住宅地にあった。もし表札に「北美山プロダクション」と書いてなかったら、普通の一軒家にしか見えない。
 いや、「普通」ではない。これはかなりの豪邸だ。見上げてみると3階建て。駐車場には4台も車が停まっている。わたしが住んでいるマンションの10倍は広そうだ。
 インターホンを押そうとする指先が震える。わたしは何度も何度も深呼吸して、ペットボトルの水を飲み干してから意を決して「♪」マークのボタンに触れた。
「はい」
 スピーカーから男の人の声がした。脳が凍てつく。
「あ、あ、はい。えっ、あの……」
「もしかして、メールくれた西田さんですか?」
「はい。そう、です」
「少々お待ち下さい」
 スピーカーの音声が切れる。どうしよう。このままだと北美山先生と対面してしまう!
 数十秒して、重そうなドアが開いた。
「西田岬さんですね」
 ポロシャツを着た男の人が顔を出した。わたしは問いかけに無言でうなずいた。
「ようこそ、お待ちしてました。あ、どうぞ、入って大丈夫ですよ」
 わたしは夢遊病患者みたいに歩いて、促されるまま事務所に足を踏み入れた。目の前のこの人が、この背中が北美山先生……? ちらっとしか顔を見られなかったけど、年齢は20代半ばくらいに見えた。思ったよりもずっと若い。
 清潔感のある応接間に案内されて、わたしは赤いソファに座った。案内してくれた男の人がお茶を注ぎながら言う。
「ごめんなさい、前の仕事が押しちゃってて。北美山先生はあと5分くらいでいらっしゃいますから。少々お待ち下さい」
「え……はい」
 違った。この人は北美山先生じゃない。事務所で働いている人だ。彼は応接間を出て行った。一人になったわたしは少しホッとして、コップのお茶で唇を濡らした。少しだけ余裕が戻った。
 部屋を見回してみる。よく片付いた、モデルルームみたいな空間だ。壁の本棚には北美山先生の著書がずらりと並んでいる。もちろんわたしは全て揃えているけれど、こうして見ると北美山修介という作家の多作ぶりがよくわかる。しかも、そのどれもが傑作。わたしはそんなとんでもない人とこれから相対するのだ。
 入り口のドアが開く音がした。全身に緊張が走る。
 そこには、眼鏡をかけた綺麗な女の人が立っていた。
「はじめまして、北美山修介です」

「驚いた?」
「はい、正直、かなり。まさか……」
 わたしは、北美山先生が出してくれたフルーツタルトにフォークを入れながら答えた。
「北美山修介先生が、女の人だったなんて」
 目の前でニコニコと笑いながらケーキを味わっている、ボブカットの女性。彼女こそが、北美山修介その人だった。
「イメージ壊しちゃったかしら」
「いえ、そんな」
 わたしは慌てて首を振る。気を遣ったわけではなかった。確かに男性じゃなかったのは意外だったけれど、北美山先生はわたしが愛した小説のイメージそのものだった。年齢は30代前半くらいだろうか? 上品な振る舞いに、知的な雰囲気と美貌を兼ね備えた容姿。そのまま北美山作品の登場人物になりそうだ。女優だと言われても信じてしまうだろう。
「ほら、わたしが書くのって少女小説でしょ? デビュー直前に、『男が書いてるってことにしたほうがインパクトがあっていいんじゃないか』なんて出版社の人に入れ知恵されて、言われるがままにね……。がっかりしたでしょう」
「全然、そんなことないです! わたしが好きなのは先生の小説ですから……」
「そう言ってくれると嬉しいわ。読者の中には、作品と作者をどうしても結びつけちゃう人がけっこう多いから」
 たしかに、そういう読者は存在する。ネットの評判を見ていても、「男作者が書く百合小説なんて気色悪い」と貶す輩が少なからずいる。
「わたしは、そういう読み方は間違ってると思います」
「だといいんだけどね……」
 そう言って笑う北美山先生の目には憂いが宿っていた。性別を偽っていることに、きっと大きな葛藤があるのだろう。小さなため息。
「わたし、本当に北美山先生の作品が好きなんです」
 思わず言葉が口をついた。
「先生の書く物語はすごく綺麗で……読んでいる間だけ、嫌な現実を忘れられるんです。メールにも書きましたけど、『秋桜の園』の、『ふたりの重ねた手に灯る熱が、この夜の浜辺の唯一の命だった』ってとことか、本当にすごくて……ええと……」
 だめだ、本人を前にすると全然まとまらない。それでも北美山先生はうんうんと嬉しそうにうなずいてくれた。
「本当によく読んでくれているのね、ありがとう」
 そして、言った。
「今日聞いたことと、これから聞くこと、他言無用でお願いできる?」
 微笑みを絶やさず、真剣な瞳でわたしを見つめる。
「はい」
 もちろん、わたしは誰にも言うつもりはない。返事を聞くと、先生は「よかった」と呟いた。
「わたしはね、もっと面白い小説が書きたい。読んだだけでその人の世界が広がって豊かになるようなものを。でも、わたしだけじゃどうしても限界がある。努力では越えられない壁があるの」
 思いもよらなかった。北美山先生ほどの人が、そんな悩みを抱えていたなんて。わたしの驚きを見通してか、先生は笑った。
「あなたには、わたしが万能に見えるのかもしれないわね。でも、しょせん一個人が扱えるテーマの幅には限界があるの。文章表現だって、ずっと書いていると同じ言い回しを使いがちになる。書けば書くほど文字から瑞々しさが失われていくのは辛いものよ。特に少女小説みたいに、感性が重視される世界ではね」
 先生はフォークを皿に置いた。
「メールを見て、あなたの書いた小説を読ませてもらったの。若くて、新鮮な表現に満ちていて、とても良かった。特にセリフのちょっとした言い回しにリアリティがあって素敵だったわ。わたしには書けない」
「あ、ありがとうございます」
 倒れそうだ。
「西田さんをお招きしたのも、あなたの文章に惚れ込んだからよ」
 倒れよう。あの北美山先生が、わたしがネットに載せた小説を読んでくれていた。それどころか惚れ込んだとまで。わたしは耳まで真っ赤になって、言い訳がましく言った。
「でも、あれは短編だし……。わたしにはあんなに良い小説を、あんなにたくさん書くなんてできないし……」
「そうね」
 わたしは顔の前でぶんぶんと手を振る。その手を、北美山先生の手が握った。ひんやり冷たい手。え、え、何?
「わたしはたくさんの小説を書いている。そして、これからもたくさんの小説を書かなければいけない」
 先生の顔から微笑みが消えた。
「あなた、北美山修介にならない?」
「え」
 意味が、よくわからなかった。わたしが、北美山修介に? わたしの手を離した北美山先生は再び柔らかな微笑みをわたしに向けた。
「つまりね、北美山修介名義の小説を、あなたが書くの」
 わたしは戸惑った。
 わたしが、北美山名義で小説を?
 それって、ゴースト――。
「ゴーストライターじゃないか、って?」
「そんなこと……」
 思いましたけど。
「じゃあ、わたしが『北美山修介』名義で小説を書くことは、ゴーストライティングだと思う?」
 それは……違う。だって、「北美山修介」は、目の前にいるこの女性のことだ。わたしではない。それに、もっと別の問題がある。
「そもそも、わたしには書けません。わたしに北美山先生の小説を書く力なんて」
「大丈夫。安心して。あなたが書くのは小説の全部ではなくて、一部だけだから。そうね、セリフをお願いしようかしら」
 ますますわたしは混乱した。北美山先生の小説の一部だけをわたしが書くって、どういうこと? マンガの背景画をアシスタントが作者の代わりに描くことがあるのは知っている。でも、小説でそんな話は聞いたことがない。
「北美山修介はね、プロダクション形式をとっているの。ほら、本にも書いてあるでしょう?」
 先生が棚から取り出した新刊『アガスティア』をわたしに見せた。奥付をよく見ると「北美山修介©北美山プロダクション」と書いてある。
「これはつまり、大勢の人で北美山修介を作っているってこと。北美山修介は、一個人ではなくて、組織の名前なの。わたしは言わばプロデューサーってところね」
 北美山先生は屈託なく微笑む。彼女が笑うたびに、わたしの心を支える土台に少しずつ亀裂が入っていくのがわかる。
「じゃあ、今まで出していた本は……」
「そう。みんなで分業して書いていたの。そのほうが、常にいろんな発想を取り入れることができるし、文章のクオリティも確実に高くなる。別に珍しい事じゃないのよ。アメリカの3Dアニメ映画もストーリーを分業して作っているし」
 わたしの世界がぐらぐらと揺らいでいく。
「北美山先生が、書いているわけじゃないってことですか……」
 そんなこと、信じたくない。冗談だと言って欲しい。
「わたし? そうね。わたしは出来上がってきたものに総合的な修正を入れる立場だから、書いてはいないわね」
「で、でも。『秋桜の園』の浜辺のシーンには力が入ったって……」
「それねえ。何度も何度もリテイクを出して、やっと納得のいく表現が納品されてきたから記憶に残ってるのよ。だから褒めてもらえて嬉しかったわ」
 北美山先生の口から出た「納品」という言葉に、わたしの心は打ちのめされた。
「書いたのは上海の人だったから、文法的な間違いも少なくなくて修正にも時間がかかったし……」
「上海!?」
 思わず叫んでしまった。
「日本人じゃないんですか」
「ええ」
 次々に明かされる事実がわたしを奈落に引きずりこむ。
 北美山先生はフォークを手にとって、食べかけのタルトを指した。
「たとえばこのタルト、いろいろな果物が入っているけれど、キウイは中国産、マンゴーはタイ産、ベリーはアメリカ産で、産地がバラバラなの。大量生産とコストダウンのためにね。国産なのはイチゴだけよ。それでも美味しいでしょう?」
 北美山先生はタルトを一口ほおばって「んー、おいしいっ」と言った。
「社会の授業で習ったでしょ? 問屋制家内工業とか、工場制手工業って言葉。それぞれの分野に特化した訓練を積めば、一人であれこれ作業を頑張るよりもずっと効率が良くなるの。今はいろんな国にそれ専門の下請け業者があるのよ。わたしの小説でいえば、自然風景の描写はフィリピンが上手くて、比喩表現の描写は上海が強い。女の子同士のラブシーンはガーナが得意ね。あとはメキシコ、ニュージーランド、イランとか……いつも15カ国から1000パターンくらい送ってもらって、削ったり足したりしながら体裁を整えてるわ。これで1ヶ月おきに新刊を出せるようになるってわけ」
 先生は棚から取り出したファイルを開いてわたしに見せる。工場のようなところでPC作業に打ち込む十数人の黒人女性の写真があった。窓の外をニワトリが歩いている。
「ただ、やっぱり会話シーンは特に重要だから国産を使いたいなと思って、あなたに依頼してるの。タルトでいうイチゴね」
 次から次へと差し出される資料は、先生の話が嘘ではないことを裏付けていた。わたしは泣きそうな気持ちになる。
「へ、変ですよ。一体なんで、そんな」
「だから、効率がいいのよ。もちろんデビュー当時みたいに、わたしだけが机にかじりついて小説を書き続けることもできなくはなかった。でも、そうなると確実に発想は痩せていくし、執筆ペースは年々落ちる。楽しみにしている読者のみんなに面白いものを提供することができなくなる。だからわたしはこの方法を選んだの」
 一人で書けることには限界がある。
 安定して面白い小説を量産するためには、分業するしかない。
 それは確かにそうなのかもしれない。でも……。
「そんなの……おかしいです!」
 自分でも驚くほど大きな声が出ていた。
「そんなの、そんなのって、全部噓じゃないですか。全然、北美山先生の小説とは言えない。読者のことを裏切ってるとしか思えません。ひどい……」
 取り乱すわたしを見て、先生がうつむいた。
「あ……」
 先生の目の端には涙が浮かんでいた。わたしは我に返った。
「北美山先生」
「さっき西田さん、言ってくれたわよね。作品と作者を結びつける読み方は間違ってるって。だから、きっとあなたなら理解してくれると思ったんだけど。そうね、わたしは間違ってるのかもしれない。卑怯よね、でも」
 北美山先生は目元を手で軽く拭った。
「あなたならきっと良い北美山修介になれるって思ったの」
「じゃあ、北美山先生、教えてください」
「何かしら」
「わたしに返信してくれたメールは、あなたが書いたんですか」
 北美山先生は曖昧に微笑んで、何も言わなかった。

「48、49、50。よし。送信、と」
 わたしは「退屈を紛らわす女子中学生どうしの会話」を50パターン書き終えたことを確認してから送信ボタンを押した。納品完了だ。
 すぐに「北美山修介」から返信が来た。今月の支払いの内訳について書かれた事務的なメールだった。
「最近、読むほうがめっきりだね」
 背後からアキがいきなり声をかけてきたので、わたしは慌ててブラウザを消した。
「ちょ、何、アキ。吹奏楽部は?」
「これから行くとこだよ。岬さ、前までは教室で本ばっか読んでたのに、今はPCルームでなんか書いてばっかりだね。作家でも目指してる?」
「いや、まあ」
「おやおや、第2の北美山修介の誕生かな?」
 アキが体をゆすって茶化す。わたしは力なく笑った。
 第2の北美山修介か。今月出た北美山修介の新刊に3ヶ所、わたしが書いたセリフが入っていると知ったら、この子はどんな顔をするだろう。
「どんなの書いてたの、読ませてよ」
「やだよ、恥ずかしいから」
「あっそ、じゃあ芥川賞取ったらサインちょうだい。応援してるから」
「そっちも頑張って。文化祭もうすぐだよね。アキの演奏楽しみにしてるから」
「わたしのだけじゃなくて、みんなの演奏を楽しんで」
 アキはPCルームを出て行った。
 あれ以来、「北美山修介」とは一度も会っていない。美しい人だった。わたしは彼女の流した涙に心動かされ、北美山修介の一員となることを決めた。今考えれば、思う壺だったのかもしれない。
 あれは本心からの涙だったのだろうか? もしそれも戦略の一つだったとしたら。
いや、それでもわたしは構わない。北美山修介の一部となることには、思ったよりもずっと充実感があった。北美山先生がわたしの文章を評価し、作品に組み込んでくれている。それだけでわたしの心は満たされる。
北美山先生が間違っているとは思っていない。みんなで協力して一つの作品をつくり上げることが間違っているはずがない。なのに、それを飲み込みきれない自分がいる。その理由もわかっている。
 テキストエディタを開いて、わたしが以前書いた小説を表示した。今読むといろんなところで粗が目立つ未熟な作品だ。話も中途半端なところで途切れてしまっている。正視するのも辛い出来だ。
 続きを書かなければいけない気がした。もちろん、最後まで自分でだ。だって、わたしが最初に読んだ北美山先生の作品は、彼女が一人で書いたデビュー作だったのだから。

(了)

(イラスト:榊原美土里)

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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