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品田遊(しなだ・ゆう)

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名称未設定ファイル_01 みちるちゃんの呪い

2016.07.08 更新

 電子書籍で本を読むってどういう感じと幼馴染の絵理子が言った。
 わたしは、別に、普通だよと答えた。
 駅前の喫茶店で長たらしくおしゃべりをしていたわたし達は、しだいに会話の種を失いつつあった。沈黙をおそれて、ふと視界に入ったものや、いま話していることの連想から次のテーマを拾い上げてはつぎはぎしていく。
 職場の愚痴から、人間関係の些細な愚痴へ。愚痴は知人の悪口に変わり、悪口の対象は時をさかのぼって小中学生時代の思い出話にスライドする。昨年話したことと内容の半分近くが重複していることは、もちろんの承知の上だ。年に一、二度しか会わない相手と交わせる話など、思い出話と近況報告しかない。
 やがて絵理子はバッグからはみ出したタブレット端末を目ざとく見つけ、それで私が電子書籍を読んでいることを聞き出した。
「あんまり読もうと思えないんだよね、電子書籍。キンドルとか流行ってるけど。データにお金を払う感じって怖くない? Suicaのチャージとかもなんか損した気分になるのよ、あたし」
「何それ。べつに、慣れちゃえば普通の本と変わらないよ」
 わたしはへらへら笑いながら、会話を途切れさせないがための問いかけに応答する。
「まあ、あたしはもう本自体読まないんだけど。珠美は小学生の頃から読書家だったもんね」
「図書委員だったってだけでしょ」
 たしかに、あのときのわたしといえば本ばかり読んでいた気がする。小学四年生の頃に『ズッコケ三人組』シリーズを全巻読んでいたのはわたしだけだった。いまとなってはタブレットで月に三冊も読めば多いほうだ。
「実際便利だよ、電子書籍。かさばらないし、売ろうかとか捨てようかとか考えなくていいし、気が楽だから。慣れちゃうとさ、Amazonで紙の本しかないときにイラってするくらいだもん」

 そのあと十五分ほど雑談は続いて、絵理子は歯医者の予約があるといって先に席を立った。ひとり残されたわたしはもう少しゆっくりすることにした。年に数度とはいえ、小学生時代からの友達で定期的な付き合いがあるのは絵理子だけだ。あとの元クラスメイトとは同窓会くらいでしか顔を合わせることがない。
 タブレット端末をオンにして、読みかけの小説の続きを読んだ。すでに九割がた読んでいたから、すぐに読み終わってしまった。未読の本で今読みたい気分のものはない。わたしは端末をスリープ状態にした。液晶が黒くなってから、読み終わった本のデータが容量を圧迫していることを思い出した。まあ、あとで消そう。
 ほとんど水になったアイスコーヒーの残りを吸いながら、小学生の頃を思い出した。あの頃はよく本を読んでいた。ただ読むことが楽しくて、図書室に入りびたっていた。それで迷わず図書委員になったのだ。
 みちるちゃん。
 心が少しだけざわついた。その名を思い出しただけで、いやな記憶の端に触れてしまった感じがした。名字は思い出せない。とにかく、みちるちゃん、という名前の響きと、下膨れの顔の小柄な女の子の顔を鮮明に覚えている。
「みちるちゃんはねえ」というのが、みちるちゃんの口ぐせだった。小学四年生なのに彼女の一人称は自分の名前で、わたしはそれが嫌いだった。当時のわたしが子どもなりに克服したと思っていた幼さを堂々とぶら下げて接してくる態度が不愉快だった。
 にもかかわらず、みちるはわたしに懐いていた。いつもちょろちょろと後ろをついてきて、わたしが本を読んでいると必ず「ねえ何読んでるの」と言う。しかたなく本のあらすじを簡単に説明してあげると、何がおかしいのかケラケラと笑って、ぜんぜん関係ない自分の話を始める。
 あの「いやさ」が、まるで昨日の出来事のような質感を伴って蘇ったことに、わたしは少し驚いた。それを忘れて何年も過ごしてきたことにも。
 みちるも図書委員だった。彼女は本を読まなかった。一冊を読み通すほどの集中力なんてなかった。みちるが図書委員になりたがったのは、わたしが図書委員に立候補したからだ。結局、わたしとみちるが四年一組の図書委員になり、まるで二人が同列にあると見なされたように感じられて、その日は帰宅してすぐ親に拙い言葉で不服を述べた。
「いいじゃない、どうせ活動なんて月に一度くらいなんでしょ」
 そういう問題じゃないのだ、ということを説明しようとして、わたしはみちるがいかにばかなやつであるか、具体的なエピソードを話した。調理実習で醤油を無意味にシンクに捨てたことや、ふざけてまきついたカーテンの端を破ったエピソードを。あんなやつと一緒にされてしまってはたまらない、と。すると、タンスに服をしまいながら話を聞いていた母の顔はみるみる険しい形相に変わり、わたしを怒鳴りつけた。
「そういう子には優しくしてあげないとダメでしょう」
 母の言う「そういう子」がどういう子なのか、いまではわかるし、当時もなんとなくわかっていた。けれど、当時のわたしにその反応は無理解な態度としてしか映らなかった。
「神さまはいつも見てるんだから、弱い子に意地悪を言うと地獄に落ちちゃうんだから」
 クリスチャンの母は神さまの名を出してわたしを叱った。そのあとはタンスに服をしまう作業に戻り、口をきかなくなった。居心地が悪くなったわたしは自室に戻って、散らかった部屋に積み上がった本の山を崩し、適当な一冊を手にとりベッドに転がって読んだ。
 母は昔から、ことあるごとに神さまや地獄の名を出してわたしを脅した。そこまで敬虔なキリスト信者というわけではなかったから、単にしつけの手段としてだろうと思う。もっと幼い頃は素直に怖がっていたわたしも、いろいろな本を読んで知恵をつけてからは本気にせず受け流していた。母が神を引き合いに出すときは決まって、怒る理由をうまく説明できないのだ。
 それを確信したのは、自室の掃除を命じられたときのことだ。わたしはこれから捨てる古本の束に飛び乗って棚の上のホコリを払っていた。それを見た母は髪を逆立てて怒った。
「本を踏むとはなにごとか」と言われても、わたしはこれから捨てる本を踏むことの何がいけないのかわからなかった。すると母は神さまの名を出して、わたしがそれでも不満を示すと手を出した。
「神さまも呪いも噓なんだ」と、そのとき悟った。
 みちるのことを話した日の夜、わたしは言葉にできない憤りを抱えながらねむった。
 図書委員は当番制で、主な仕事は昼休みと放課後に本を書架に並べ直すことだった。仕事中、みちるはなんの役にも立たなかった。役に立たないどころか余計だった。配架中の本をデタラメに並べ替えて、怒られると言い訳する。
「みちるちゃんはねえ、この方がいいと思う」
 そう言って笑いこける。やがて、他のクラスの図書委員にも「あいつはおかしい」という評判が立ち、煙たがられたり気を遣われたりするようになった。そのたびにわたしも恥をかいている気がして、みちるへの苛立ちは一層つのった。
 みちるとふたりで図書室の当番になる日があった。図書室は二部屋あって、小さい方の部屋は古い本の保管庫になっていた。誰が最初に呼び始めたのか、児童たちはなぜかその部屋を「おしいれ部屋」と呼んでいた。おしいれ部屋は入るといつも薄暗くて空気が冷えていて、少し怖かった。
 棚の整頓も終えてやることもなくなったわたしは、家から持ってきた文庫本を読んでいた。小学生向けではない本をあえて学校で読むのが格好いいんじゃないかと思っていたのだった。
 すると、おしいれ部屋からみちるが出てきた。何かをほのめかすようなニヤニヤ笑いでわたしのほうを見ている。
「あのねえ、珠美ちゃん、すごいいいこと考えちゃった」
「いま本読んでるんだけど」
「いいから、いま見て」
 みちるは私の手首をつかむと、おしいれ部屋まで連れて行こうとした。仕方なく戸を引いておしいれ部屋を覗きこむと、床に本が何十冊も立ち並んでいた。
「これ、なんだと思う。ドミノ作ったの。最初に倒していいよ。スタートここね」
 ずっと静かだと思っていたら、そんなことをしていたのだ。
 わたしはみちるの指示を無視して真ん中あたりの本をつかんで取り上げた。雑に取ってやったので、ドミノは製作者の意図から外れてパタパタと虚しく倒れた。
「あんたさあ、何やったかわかってんの」
 わたしは本をみちるの胸元に突き出して責めた。なるべく深刻に聞こえるように。
「本って、こういうふうにしたらダメなんだよ。知らないでしょ。こういうふうにドミノとかして遊んだらダメなんだから」
 みちるの笑顔がみるみるうちに曇って、泣きそうになっていった。わたしはそれが愉快だった。次々と言葉が口から出てきた。
「本が傷ついちゃうじゃん。本の中にも神さまがいてさあ、乱暴にしたら神さますごい悲しむよ。呪われるよ。みちるちゃん、呪われたかも。地獄に落ちるよ」
 みちるはついに鼻をすすって泣き出した。わたしは我に返って、足元に倒れている大量の本を拾い集めた。ほどなくして先生がやってきた。みちるが自業自得で誰かに泣かされることはよくあったから、特に怒られなかったはずだ。
 このできごとは、母親には言わなかった。
 
 翌日、みちるはけろりとした顔で登校してきて、いつものようにわたしにちょっかいを出してきた。まったく懲りていないんだと思うと腹が立ったが、わたしは少し安心もしていた。
 昼休み、教室で本を読んでいると、みちるが廊下から顔を出して手招きしてきた。無視したかったけれど、他のクラスメートや担任の目があったので、わたしは仕方なくドア前まで歩いて行った。
「ねえ、何」
「パスッ」
 胸のあたりに何かが飛んできた。
 とっさのことで受け止められず、わたしはそれを取り落とした。バサッと音を立てて、図書室のラベルがついた背表紙を上にした本が床に広がり落ちた。
「ちょっと、何……」
「呪われた」
 みちるはわたしの顔を覗き込んで、嬉しそうに笑った。
「珠美ちゃん呪われた。地獄に落ちる」
 みちるは笑いながら廊下を走って行った。わたしは教室に取り残された。
 最初に湧いたのは、怒りだった。昨日のことをやっぱり根に持っていて、復讐しに来たのだ。しかも、いかにもみちるらしい、稚拙極まる方法で。
 しかし、それと同時に、なぜかとてつもないおそろしさを感じた。
「呪われた」と言ったときのみちるの顔が頭に焼き付いた。彼女のあんな表情は見たことがなかった。にもかかわらず、あの顔の、あの言い方のいやらしい感じは、わたしがとてもよく知っているもののような気もした。
 わたしは本当に呪われたのだ。
 わたしはいま、地獄に落ちることが決まったのだ。
 なぜか、強くそう感じた。その日は学校から家までずっとそのことを考え、押しつぶされそうになりながら歩いた。
 家に帰って、自室に入ると、床に散らばる本の一冊一冊がわたしのことを呪っているように見えた。いてもたってもいられず、わたしは本を本棚に戻した。神さまごめんなさい、助けてください、と内心で頼みながら。
 部屋を片付けているところを見た母親は、「きっと神さまが見てるよ」と、わたしを褒めてくれた。ちっとも嬉しくなかった。
 布団に入ってからも、みちるちゃんがかけた呪いが頭をずっと支配していた。
 頭に繰り返し浮かぶのは、おしいれ部屋でみちるを責めたてたときのことだ。
「呪われた」
 口に出して言ってみた。
「わたしは呪われた」
 わたしは、もう人生がおしまいになってしまった気がして、涙をぽろぽろこぼした。
 
 けれど、そのときの気持ちを結局はすぐに忘れてしまった。本もすぐに散らかすようになって、何度も叱責された。いつしか母の口からは神の名が出なくなっていた。
 五年生になると、みちるとは違うクラスになった。視界にみちるが入ってくることがグッと減った。中学は別々になった。わたしはいよいよみちるのことを忘れた。
 みちるは同窓会にも来ていない。だから、今までずっと忘れていた。
 わたしはタブレット端末に手を伸ばして電源を入れる。ライブラリに表示された、もう読み終わった本の表紙をタッチして、削除していく。一冊を消し去るのには二秒もかからない。リズミカルに人差し指を上下していると、本棚を模したインターフェースはすっきりと整頓された。
 この板の中にも、呪いはまだ残っているだろうか。
 それとも、電子データは呪われたりしないのだろうか。
 わたしはやっぱり、いずれ地獄に落ちるのだろうか。
 グラスの底に残った氷のかけらを口に含んだ。
 もう夕方だ。スーパーに夕飯の材料を買いに行かないといけない。わたしは伝票を持って立ち上がり、口内の氷を嚙み砕いた。水道水の味がした。

(了)

(イラスト:榊原美土里)

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著者プロフィール

品田遊(しなだ・ゆう)

東京都出身。
人気サイト「オモコロ」を運営する株式会社バーグハンバーグバーグに勤める会社員であり、
Twitterフォロワー数67,000を超えるスタープレイヤー。
小説デビューの作品『止まりだしたら走らない』(リトルモア)が各所で話題になる。
別名義ダ・ヴィンチ・恐山での著作として『くーろんず』等がある。

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