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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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第15回

2017.01.05 更新

子供たちの王国

 毎日のご飯を、つまり自分一人じゃない状態で全員のご飯を考えて作るというのは、理解はしていたけれども実際にやってみると本当に大変だ。
 主婦は職業、ということがよくわかる。
 世の中の、専業主婦の皆さんは働いている。家事をきちんとこなしていくのには、つまり上手くやっていくためには才能も必要だし技能も必要だし、努力も必要だ。つまり、会社で働くのと何ら変わりはない。
 たった二週間、それなのにメニューはネタ切れになりそうで、こういうときに便利なのがネットだと思って、調べながら三人で食べられそうなものを決める。
 やたらと美味しそうなものはあるけれど、天水の好みを取り入れると結局オムライスになった。それだけじゃあ野菜が足りないだろうと思い、コンソメにとにかくある野菜を全部入れて煮込んだスープも作る。
「自由研究」
 オムライスを食べながら風花が言う。
「うん?」
「自由研究、お父さんとお母さんにしようかな」
「なに?」
 何気なくとんでもなく恐ろしいことを言わなかったかお前。
「お父さんお母さんをどうするんだ。何を研究するんだ」
「お仕事」
「お仕事?」
 うん、と、頷きながら風花がスプーンをくるりと回す。
「大人の仕事って、お金を稼ぐことでしょう?」
「まぁ、そうだな」
 確かにそうだ。
「お金を稼いで、私たちみたいな自分の子供たちを育てるのも仕事」
「うーん」
 それは、仕事と言っていいのか。
「仕事かなぁ、広い意味ではそうだろうけど、少し違うと思うんだが」
「でも、大人のやるべきことだよね?」
「確かにそうだが。いや、いったい何を研究しようと言うんだ?」
「だから、お父さんの仕事とお母さんの仕事。お父さんが一人になって、お母さんも一人になって、二人とも仕事が変わったから」
「変わったな」
「生きる、ってことだよ」
 いきなり天水が言う。今度は何だ。生きる、って何だお前たち。
「お父さんもお母さんも、生き方が変わったんでしょ? それは仕事が変わったからで、だから生き方と仕事の研究を風花ちゃんはするんじゃないの?」
 天水に、風花がうんうん頷いた。
「いいこと言うねー。そういうこと」
「そういうことって」
 それは、大学の哲学科か、もしくは経済学科かなんかのゼミで研究するべきようなことじゃないのか。
「えぇ? じゃあ、具体的には何をどうやって研究して、その、書くんだ?」
「まずは、一日のスケジュール。お父さんとお母さんの両方の」
「お父さんのスケジュールなんてバラバラだぞ」
「大体だよ。お母さんもわかるし。あとは私たちのスケジュール。それを照らし合わせると、大人と子供のスケジュールの違いがわかって、大人になってお金を稼ぐってことは、今の自分のどういう時間を使うかがわかる」
 言ってることは間違っていないと思うが。
「それは、ちょっと考えたらわかることじゃないのか。子供が勉強している時間に、大人は働いているんだ」
「でもお父さんは、普通の人が休んでいるときに原稿を書いているでしょ」
 あぁ、そういうことか。
「それは、合っているけど。でも風花、たとえばタクシー運転手さんだって、夜働いているぞ」
「そうか」
 そうだとも。
「コンビニだって深夜の時間のバイトもある。大人皆が、子供が学校で勉強しているときに働いているわけじゃない」
「そうだね」
 納得したか。
「だから、あれじゃないか? 世の中にはどんな職業があって、その職業の人はどんな時間に働いているかとか、そういうのを調べれば立派な自由研究になるんじゃないのか? 別にお父さんお母さん二人の研究にしなくても」
 うーん、って唸ってから風花が頷いた。
「それで、いいかな? どうやって調べればいいかな」
「お父さんの部屋に職業図鑑みたいな本があるから、ご飯食べてから探そう」
「わかった」
 良かった。
 離婚したお父さんとお母さんの研究なんて、何を思いつくもんだかわからんな。いや、まさか離婚したとかは書かないだろうが、二人のスケジュールなんか見せたら丸わかりだ。まぁもう学校にもクラスの皆にも知られていることだが、廊下にでも張り出された日には全校生徒に知られちゃうじゃないか。
「僕はさ」
 天水が言う。
「名前の研究をしようと思うんだけど」
 今度は何だ。
「名前って、確か自由研究は浜辺の生き物を探すとか言ってなかったか」
「や、それもいいんだけどさ。こっちで会った人、みんなに言われたんだよね」
「何をだ」
「天水、ってすっごく良い名前だって」
「ほう」
 それはまぁ、嬉しい。
「風花ちゃんと姉弟、風花と天水って並ぶというのがまた良いって。さすが小説家のお父さんが考えただけあるなって。でも違うよね? お父さんじゃなくてお母さんが考えたんだよね?」
「そうだな。まぁ二人で考えたんだぞ」
 ロマンチックな名前だと思う。風花は、お腹にいるときから女の子だってわかっていて、それなら風花にしたいと彼女が言ったんだ。異存はなかった。可愛らしいし、風と花なんて、女の子らしくていいと。
 二人目ができたときには、じゃあ風花と呼応するような名前にしようと提案すると、彼女が空と水、と言った。そらみ、ではちょっと名前にしては何だし、天と水であまみならば、男でも女でも通用する。
 そうやって、決めた。
「風と花と空と水、なんだよね。地球にも、人にも、なくてはならないものばかりだって」
「そういうことだ」
「でも、空水だったらちょっと語呂が悪いからって、天水にしたんでしょ?」
「そういうことだ」
「でも、キラキラネームだって言われることもあるんだよ」
 天水が言うと、風花が、あー、と頷いた。
「天水はちょっと雰囲気あるよね。私は言われたことないけど」
「そうなのか? そんなことはないぞ。古くからある言葉だ」
「別に気にしてないけどさ。そういえば名前って不思議だなって思って、名字と名前ってどうして分かれているのかとか、そういうこと調べてみようかなって」
 子供の興味は大切にしなければいけない。それは、もちろんだ。しかしまた大人でもまとめるのに手こずるようなことをなぜ言い出すのか。
「それは、けっこう難しいぞ?」
「でも、お父さんのところにはそういう本はないの? 作家なんだもん」
「ないことは、ないが」
「じゃあ、いいじゃん」
 まぁ、いいか。
 あと何日か、三人で本をテーブルに積み重ねながら、うんうん唸って書き物をするのも。
 子供は、本当にわからない。
 昨日まで興味を持っていたことを、何事もなかったかのように忘れる。そうかと思えば、突然まったくとんでもないことに興味を持つ。天水なんか本を読むことなどなかったはずなのに、本で調べればいいと言い出す。
 大人は、そういう自分も子供だったことをいつの間にか忘れてしまう。
 忘れて、大人のふりをして毎日を過ごす。
 あたりまえだ。子供の自分をずっと覚えていたら恥ずかしくてしょうがない。恥ずかしいことを忘れて恥ずかしくないように生きることを覚える。それが成長するってことだ。
 でも、恥ずかしいなんてことをまったく思わない子供を見ていると、それがとてつもなく羨ましくなる。
 ひょっとしたら、そういうことをもう一度感じたいから、大人は子供を作るのかもしれない。自分の分身のような、我が子を愛おしみながら育てるのかもしれない。

職業

「消防士ってね」
「うん」
「誰でもなれるんだって」
 そうだな、ってお父さんが頷いた。
「もうお父さんは無理だけどな」
「なれないの?」
「誰でもなれるけれど、年齢制限みたいなものはあるはずだな。ほら、職業っていうのは、大人になる前に決めるもんだろう」
 そうか。
「大人になってからだと、なれないものがあるんだ」
「そういうことだ。なるべくそういうものはない方がいいんだけど、どうしても特殊なものはな、出てくる」
「え、じゃあお巡りさんにもなれない?」
 天水が急に顔を上げて言った。
「お父さんはな、もう無理だ。いやちょっと待てよ」
 お父さんがパソコンで何か調べ始めた。
「うん、そうだな。やっぱり警察官になる試験には年齢制限がある。だから、お父さんはもう無理だ。お巡りさんになりたいって思っても無理だ」
「そっかー」
「婦人警官もいるよね」
「いるな。でも今は正式には女性警察官、って言うらしいぞ」
「名前が変わったの?」
 いや、そうじゃない、ってお父さんが言って、なんかしかめっ面をした。
「説明するのが難しいな。男女平等っていうのは風花はわかるか」
「なんとなく」
 男も女も、同じ権利を持ってるってやつだと思うけど、そう言ったらお父さんは頷いた。
「その通りだ。だから、警察官と婦人警察官という呼び方ではなく、男性警察官と女性警察官がいる、っていう考え方かな? わかるか?」
「えーと」
 まぁ、なんとなくわかるような気がする。
「女性警察官も、婦人警察官も、同じじゃないの?」
 天水が首を捻りながら言った。
「同じだけど、きっと違うんだよ。大人の世界では」
「めんどくさいんだね」
 お父さんが笑った。
「そうだ、大人の世界はめんどくさいんだ。子供は少しずつそのめんどくさいのを覚えていって、大人になるんだ」
「じゃあさ、お父さん」
「なんだ」
「職業を決めるって、そのめんどくさいことの中で、自分のできそうなものを見つけること?」
 そう思ったから訊いたら、お父さんは、うーん、って唸ってしまった。
「なかなか含蓄のあることを言うね、風花は」
「がんちくって?」
「深い意味ってことだ。確かに、職業を決めるってことは、自分が将来なりたいものを決めるってことだよな」
「そうだね」
「言い方を変えれば、なりたいものじゃなくて、なれそうなものに決めるってことにもなる。それが今風花が言ったようなことだな」
 そういうことになるのか。自分で言ったけどよくわからない。
「なりたいものと、なれそうなもの?」
 天水が首を捻って言ったら、お父さんが待て待て、って言った。
「そこは、お前たちはまだ考えなくていいんだ。なりたいものだけを考えていればいい。どうしてかって言うと、お前たちはまだ何にでもなれるからだ」
「何にでも」
「そうだ」
 お父さんは大きく頷いた。
「お前たちは、今の段階でなれない職業なんかない。この世にある職業をどれでも選べる」
「アイドルでも?」
「もちろんだ」
「総理大臣でも?」
「もちろん」
 何にだってなれる可能性はあるんだってお父さんは言った。何にでもなれる可能性はあるんだろうけど、アイドルにはなれないのは、私はわかる。私にはムリだ。そんなにカワイクないから、なれない。でも、女優ぐらいならなれるかも。別に女優になろうなんて考えたこともないけど。
「職業を選ぶってさ、ゼッタイにしなきゃいけないことなんだよね」
 そう言ったら、お父さんが頷いた。
「そうだな。学校へ行くのが終わったら、今度は職業を選ばなきゃならない、働かなきゃならない。どうしてかっていうと、人間は何かを生み出さなきゃ、生きていけない動物だからだ」
 え? って天水が言った。
「どういうこと?」
「人間には手があって五本の指があって、その手でいろんなことができる知恵がついている。同じ動物の中で、人間だけがそういうふうに進化したんだ。つまり、何かをその手で生み出すために進化したんだ。お父さんはそう解釈している。だから、仕事をしなきゃならない動物なんだよ。何をするかは、自由だ」
 お父さんみたいに物語を書いたり、お母さんみたいに設計したり、漁師さんみたいに魚を捕ったり、消防士さんみたいに火を消したり。その手で何かをすれば、それは自分で何かを生み出したことになるんだ。
 お父さんは、そう言った。

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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