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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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第6回

2016.04.05 更新

誰もいない秘密の浜辺で遊んでいい!

 芋洗いみたいだぞ、ってお父さんは言った。
 今日は何をしたいって訊くから、海に来たんだから泳ぐって二人で言ったら、お父さんがそう言ったんだ。
 海水浴場は芋洗いみたいだぞって。
「芋洗いって? 芋を洗うの?」
「昔はな、と言ってもお父さんも知らない昔の話だが、お芋を洗うときは木の桶にたくさん入れて水を入れてかき混ぜるようにして洗ったそうだ。わかるか?」
 何となくわかる。
「そうしたほうが、こすれあって土とかがよく落ちるから?」
 風花ちゃんが言うとお父さんが頷いた。
「たぶんそういうことだろうな。で、海水浴場に人がもう大勢いて海も見えないぐらいになっていることを、芋洗いみたいだって言うんだ」
 なるほどぉ、って僕はすごくよくわかってしまった。
「おもしろいね。言葉ってちゃんと意味があるんだね」
「意味があるから言葉なんじゃない」
「そういうことじゃないよ」
 もっとちがうこと、って言いたかったけどどうやって言うのかわからなかった。
「それが表現ってことなんだね?」
 お父さんに言ったら、にっこり笑った。
「そうだな、表現だ。お前たちの知らない、お父さんもあまり使わない古い表現だってたくさんある。言葉は生き物なんだ」
「生き物?」
「生き物?」
 風花ちゃんと二人で同時に首を傾げちゃった。
「たとえ、だな。まるで生き物みたいに変化するんだ。植物だって動物だって、この世に生きているものはいろいろ姿を変えるだろう? 種から芽が出て茎が伸びて花が咲く。お前たちだって赤ちゃんの姿からここまで大きくなった。変化したんだ。それと同じで、言葉も表現もいろいろと変化する。変わらないものなんかないんだ」
「そうなんだ」
「まぁでも、そういう話をしようとしたんじゃない」
 お父さんは笑って、立ち上がって窓のところまで行って僕と風花ちゃんを手招きした。
「あそこに岬(みさき)があるな」
「あるね」
「あの岬の奥には、誰も入ってはいけない私有地になっている浜辺があるんだ」
 風花ちゃんが、ちょっと跳び上がった。
「プライベートビーチってやつ?」
「まぁ、そういうことだな。そこの土地の持ち主しか入ってはいけないんだ。とてもきれいなところだぞ。それでだな」
 お父さんが僕と風花ちゃんを見て、すごく楽しそうに笑った。
「お父さんはその土地の持ち主と知り合いになっているんだ。お前たちが夏休みに来ると言ったら、いつでもそこの浜で遊んでもいいって言ってくれたんだが、どうする? ただし、海の家も何にもないただの浜辺だぞ」
「行く!」
 風花ちゃんと二人で跳び上がって答えた。そんなの行くに決まってるじゃん。
 何にもないからお弁当が必要なんだって。だから、サンドイッチとおにぎりを三人で作った。飲み物も、麦茶を水筒に入れた。保冷袋に入れてリュックでお父さんが背負っていくことになった。僕と風花ちゃんは自分たちのタオルと着替えと水筒とおやつと。
「途中に美味しい唐揚げを売ってる店があるからそれも買おう」
「いいね!」
「ただし、岬までの交通機関はないからな。海岸沿いの道をずっと歩いて、岬の中の森を抜けて崖を下りていくんだ。けっこう大変だから覚悟しておけよ」
「何キロぐらい歩くの」
「たぶん、六キロぐらいかな」
 何だ。そんなの平気だ。僕と風花ちゃんは毎日学校まで二キロ歩いている。たった三回分じゃん。それだけ歩くのなんか簡単だ。

友達

 国道をずっと歩いて岬が近づいてくると、お父さんは階段から砂浜に下りて、また岬に向かって歩き出した。
「こっちから行くほうが近道なんだけど、ちょっと山を登るみたいになるからキツイぞ」
「平気!」
 天水が元気に言った。私もまだ全然大丈夫だし、勉強より運動してるほうが好きだから楽しい。
 砂浜を歩いて行くと岬の上に続いていそうな道が見えてきたけど、そこの前には何かの建物があって塀が続いていた。お父さんは木の扉の鍵を開けて、その中に入っていった。
「鍵預かってるの?」
「借りておいたんだよ。この夏の間だけ」
 建物は、白くて大きくて小さなホテルとか別荘とかそんな感じだったけど、全然人の気配がなかった。庭みたいなところを歩いていくとそこから岬に登れる道があって、私と天水はお父さんの後についてどんどん登っていった。
「これ、つづら折りって言うんでしょ」
 訊いたら、お父さんがちょっと驚いた。
「よく知ってるなそんな言葉。その通りだ」
 けっこうな山じゃん! って天水が少しはぁはぁ言いながら走って登ってる。どんどん先に行ってるから危ないからそんな急ぐなって言おうとしたら、もう上まで行ってて立ち止まって何かを見てた。
「お父さん、また家があるよ!」
 天水が指差した。
「管理小屋だよ。人は住んでいない。もうすぐ浜だぞ」
 登り切って、今度は下り坂になってる。森の中に本当に小屋があった。でも、放ったらかしって感じじゃない。ちゃんと管理されてるって雰囲気で本当に山小屋みたい。
「走るなよ天水。下り坂は危ない。ほら、もう浜は見えるぞ」
 本当だ。見えた。すごいきれいな浜。英語のUの字の形で映画やアニメに出てくるような浜辺。砂が白く見えるのはどうしてだろう。
「お父さん」
「うん?」
「ここを持ってる知り合いって、友達なの?」
 うーん、ってちょっと唸った。
「友達というほど親しいわけじゃないけど、貸してもらえるほどには知り合いだ」
「昔からの?」
「どこを基準に昔から、というのも因るけれども、まだお前たちが生まれる前からの知り合いだよ」
 そんな人が、知り合いにいたんだ。
「お金持ちなんだよね? こんなプライベートビーチ持ってるなんて」
「そうでもないんだよ。よし、ここからはちょっと危ないからな。ゆっくり下りるんだ。木の枝なんかに摑まりながら下りるんだぞ」
 道がなくなってる。これ、けもの道って言うのかな。ほとんど崖みたいなところに人が下りる跡がついていて、そこを天水も私もお父さんも、足を踏ん張りながらゆっくり歩いた。きっとお母さんがいたらきゃあきゃあ騒いだかもしれない。こんなところ下りるのコワイって。
 海は本当にきれいだった。そして誰もいなかった。砂浜が白いのもわかった。きっとこれは貝殻が細かくなって混じっているんだと思う。
「天水待て!」
 天水が走って行こうとするのをお父さんが止めた。
「慌てるな。いいか?」
 お父さんが指差した。
「あそこに岩が少し見えるな?」
「見える」
「あそこまでは、この浜は浅いんだ。お前の身長でも全然平気だ。でもその先から深いから、絶対にあの岩の向こうには行くな。その手前までだ。わかったか?」
「わかった!」
 たぶん、大丈夫。天水はけっこう気が小さいから、それに泳ぎも上手じゃないし。天水が走って入って行って、本当に浅い! って驚いてる。お父さんが荷物を下ろして、敷物を広げたので、私もそこにリュックを置いた。
「ねぇ、お父さん」
「何だ」
「お金持ちじゃないの?」
 また訊いたら、お父さんは困ったように笑った。
「何だ、気になるのか」
「だって」
 お父さんの友達は会社の人しか知らない。大分前に大学のときの友達って人が遊びに来たことがあるけど、この町に友達がいるなんて知らなかった。
「古本屋さんとか、大工さんとか、ここを持ってる人とか、お父さんは私の知らないところにおもしろそうな友達がたくさんいるみたい。そんなの全然知らなかったし。うちに遊びに来たこともないし」
 そう言ったら、お父さんは、うん、って頷いて座ったので、私も隣に座った。天水は浮袋を一生懸命ポンプで膨らませてる。
「風花の知らない知り合いは、お父さんにはたくさんいるって言ったな?」
「そうだね」
「この町に来たのも実はその知り合いがいたからだ。あの家は知り合いから紹介してもらって借りた。お父さんはな」
 私を見て、ちょっと考えるみたいに頭を傾けた。ちょっと恥ずかしそうに笑った。
「風花は、小説家ってどういうものかわかるな」
「小説を書いて本を出してる人。それで生活をしてる人」
「そうだ」
 お父さんは頷いた。
「実は、お父さんは本を出せる小説家じゃなかったけど、小説を発表してる小説家だった」
「そうなの?」
 びっくりした。
 すごいびっくりした。
「本当に?」
「本当だ。お父さんは風花に噓なんかつかない」
「本を出していないの?」
「出していないんだ。本になるほどたくさんの小説を書いていなかった。書けなかった。でも、文芸誌ってわかるか?」
「わかんない」
「大人が読む小説ばっかり載っているような雑誌だ。そういうのが本屋さんには売ってるんだ。お父さんの小説は、そういう雑誌に載ったことがあるんだ」
 全然知らなかった。
「お母さんは知ってたの?」
「もちろん知っていたさ。でも、載ったと言っても最後に載ったのはもう五年も前だ。そして、全部で三編しか載ったことがない」
「書けなかったから?」
「書いても、いいものができなかったからだ」
「私たちがいたから?」
 お父さんが、思いっ切り首を横に振った。
「それは、違うぞ風花。絶対に違うからな。書けなかったのはお父さんのせいだ。そんなこともう絶対に思うなよ? いいか?」
「わかった」
 お父さんが笑って、私の頭をポンポンって軽く叩いた。
「だからずっと小説家とも言えない、ただの物書きではあったんだお父さんは。もう二十年ぐらいな。そして、二十年もそういうことをしていると、いろんな知り合いが増える。お父さんの数少ない小説をすごいって思ってくれる人も出てくる。編集者って知ってるか?」
「知ってる。出版社で働いてマンガとか小説とかの本を作る人」
「そうだ。小説家やマンガ家と一緒になって、本を作る人。そういう人の知り合いもできるし、そして本当の、お父さんみたいなただの物書きじゃない小説家とも知り合いになる。ただ、しょっちゅう会うわけじゃない。作品を通して会うんだ」
「作品を通して?」
 そうだ、ってお父さんは頷いた。
「その人が書いた作品を読めば、その向こうにその人が見えてくる。どんな人がどんな思いで書いているかがわかることもあるんだ。だから、一度しか会っていなくても、ずっと作品を読んでいれば、たまにメールで話していれば、友達みたいになれる。そして、本気で小説家になろうとすれば、その手助けもしてくれる。ここで遊んでいいって言ってくれた人も、実は小説家だ」
 そうだったんだ。
「その小説家の人もお金持ちってわけじゃないぞ。先祖代々ここに住んでいるんだ。だから名前を言って誰でもわかるような小説家じゃない」
「女の人?」
 訊いたら、お父さんがちょっとだけ変な顔をした。
「どうして女の人だって思った?」
「こんなきれいな場所を持ってる人はきっと女の人だって思ったから」
「なるほど」
 うん、って頷いて何かを考えた。
「確かにそうだな。女の人だ」
 何か、ちょっと私も考えちゃった。
「きれいな人?」
 訊いたらお父さんが困るかなって思って訊いたんだ。だって、お父さんはもう独身なんだからお母さんの他に好きな人がいたっていいんだから。
 そしたら、お父さんがちょっと困った顔をして、それから、笑った。
「そうだな。今もきれいだから、昔はもっときれいだったろうな」
「昔は?」
「その人は、風花のおばあちゃんよりもっとおばあちゃんだ。もうすぐ八十歳かな」
 おばあちゃん。
 

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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