キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
バックナンバー  12345...16 

第2回

2015.12.04 更新

自由

 会社を辞めたお父さんは自由だって思った。
 会社もそうだけど、お母さんからも自由になったんだ。そんなふうに言ったらお母さんがお父さんの自由をそくばくしていたみたいで、イヤな感じになっちゃうけど、でも、そういうことだと思う。
 夫婦は、お互いをそくばくしているんだって、マリカが言っていた。マリカはお父さんお母さんから聞いたんだって。だから、マリカのお父さんとお母さんは、結婚してもお互いをそくばくしないって話し合って決めていたんだけど、でも、結局いろいろなことがあって離婚しちゃったって。
 それなのに、まだ同じ家に住んでいる。そう、離婚したのにまだ一緒に住んでいるの。マリカも一緒に家族三人で。だったら離婚なんかしなきゃいいのにって思うけど。その前に、結婚なんかしなきゃいいのにって。
 ヘンだよね、ってマリカは笑ってた。私もそう思うって。でもマリカは元気に笑ってるから大丈夫なんだろうけど。そうだよね。結局みんなで一緒にいるんだから平気だよね。別に仲が悪いみたいじゃないから。
 クラスでお父さんお母さんが離婚した子は二人いる。あ、私もいれて三人になったんだ。マリカと私ともう一人は、ななこちゃんのお父さんお母さん。
 ななこちゃんは、笑っていなかった。もともとあまりしゃべらない静かでおとなしい女の子だったんだけど、静かでおとなしいのはそのままで、なんだか暗くもなっちゃった。どうして暗くなっちゃったのかは、わかる。
 わかるんだよ。私たちだって。
 お金がないから。
 ななこちゃんはお母さんと一緒に住んでいる。お母さんが働き出したって言ってたけれど、お父さんよりお給料が低くて大変なんだっていうのはよくわかる。引っ越した家も前より小さなアパートだったし。
 お金がすべてじゃない、って聞いたことがある。担任の吉岡先生も前に言っていた。世の中にはお金より大事なものがたくさんあるんだって。それは、君たちの命だって言っていた。よくわかるよ。命は大事で大切なもの。お金より大事だってことは。
 でも、その命だってお金がないと守れないってことだって知ってる。ななこちゃんがどんどん元気がなくなって暗くなっているのはお金がなくて生活が苦しいってことがよくわかっているからだ。そのまま、どんどんお金がなくなっていってご飯も食べられなくなったら、大切な命は消えてしまう。そんなニュースが、たまにあるよね。そういうのをテレビで一緒に見たら、「悲しいニュースね」ってお母さんは言っていた。お父さんも前にそう言っていた。どうして子供の命を守れないのかなって。
 お父さんは離婚した。会社を辞めて、作家になるために私たちと別れて暮らし始めた。それは、私たちの命をお金で守ることをほうきしたってことにならないんだろうか。ちょっと、思った。
 言わないよ。訊かないよ。お母さんにもお父さんにもそんなふうには訊いたりしない。そんなふうに言ったらダメだってことぐらいわかるよ。
 でも、もし、お父さんに訊いたら、そんなことしないって言うんだろう。私たちをちゃんと守るよって言うんだろう。
 じゃあ、どうして離婚して一人で暮らしているのって訊いたら、どんな顔をするんだろう。
 きっと、悲しい顔をするよね。困った顔をするよね。
 だから、訊かない。

お父さんの家の初めての夜

 お父さんがご飯を作ってくれるんだって思っていたんだけど、ちがった。これから家にいる間は三人でご飯を作るんだって。
「僕も?」
「天水もだ」
 風花ちゃんはお母さんを手伝ったりしているからお料理なんかも少しできるんだと思うけど、僕は何にもできない。
「何をするの? 僕は料理できないよ」
「いや、お前もできるよ」
「やったことないよ」
「簡単だ。材料を組み合わせて作品を作るんだ」
「作品?」
 そうだ、ってお父さんは言った。
「お前、夏休みの自由研究で作品を作ったよな? お父さんも手伝ったけど」
「作った」
「今ここに、そうだなぁ、大きな段ボールがたくさんと、ちゃんと電気が点く電球と電池、そしてちゃんと動く歯車と、そういうものがあったとしたら、それを組み合わせてお前はどんな作品を作る?」
 段ボールと、電球と、歯車。
「ロボットだね」
「ロボットか」
「そう。段ボールで頭と身体を作って、電球はロボットの眼にして、歯車を組み合わせてちゃんと手と足を動くようにする。モーターもあったらいいな。そしてスイッチを入れたら本当に動く」
「それと料理は同じだ」
「同じ?」
 同じなんだってお父さんはにっこり笑った。
「ここに、タマネギとピーマンと白いご飯があるとする」
「ピーマンはキライだな」
「好き嫌いは駄目だ。そのタマネギとピーマンを包丁で小さく切って、フライパンで炒めて、そしてご飯を入れて、しっかり炒めて塩とコショウを振りかけて味付けしたら、お前も好きなチャーハンのできあがりだ。つまり、それだけの材料を組み合わせてチャーハンという作品を作ったんだ」
 そうか。
 お料理って、材料から作品を作るんだ。初めて知ったかも。
「そうやって考えたら簡単だろ?」
 お父さんが言ったけど、となりで聞いていた風花ちゃんはなんかイヤそうな顔をして言った。
「そう言うと簡単そうだけど、そんなに簡単なものじゃないんだよ? お父さん、ずっと一人でご飯を作っていたの?」
「作っていたさ。そして、作るのは簡単だ。問題なのは、作品には失敗作もたまにあるってことだな」
「しっぱいはせいこうの母だよ」
 この間、谷岡先生が言っていた。
「その通りだ。さぁ、作るぞ」
「何を作るの」
「今日は、カレーライスだ」
 カレーか。風花ちゃんはなんかほっとしてた。きっとカレーなら自分でも作ったことがあるからだと思う。

        ☆

 カレーは美味しかった。じゃがいもとタマネギとニンジンとお肉を入れて煮てカレールーっていうのを入れるだけでカレーはできあがるんだって教えてもらって、やってみたら本当にできた。あとは、もっと美味しくなる工夫を覚えればいいんだって。本当に工作と同じだった。工作も、ちゃんとまっすぐ切ったり、きちんと折ったりすることができたら、同じ材料を使っても上手にできるから。
「散歩に行こう」
 お風呂に入る前に、海を歩くぞってお父さんは言って、風花ちゃんと三人で外に出た。夜の海を、砂浜を歩くのは初めてだったかも。
 さくさくさくさくって音がした。砂浜は熱くなかった。誰もいないかなって思ったけど、他にも夜の海岸を歩いている人は少しいた。
 月が出ていて、海は暗くて、波の音がはっきり聞こえた。
「月の道があるみたいだろう」
「月の道?」
 お父さんは、止まって、ほら、って言って、海をゆびさした。
「今日みたいに風がなくて波があんまりなくて、お月さまがはっきり見える日は、ほら、月が海に映っているだろ? それが伸びているように見えるだろ? 道みたいに見えるじゃないか?」
「本当だ」
「わかる」
 風花ちゃんと同時に二人で言った。月が海に映っていて、それが伸びているみたいに見えて、月が海の上に道を作っているみたいに見えるんだ。
「月の道って、あれをそういうふうに言うの?」
 風花ちゃんが言った。
「あまり言わないかもしれないな。お父さんが勝手にそう思って言ってるだけだ」
「勝手に言っていいの?」
 僕が訊いたら、お父さんはうなずいた。
「いいさ。言葉を作るのは自由だ」
「自由なんだ」
「自由だよ」
「でも、勝手に言葉を作ったら、誰もわからないでしょ」
 風花ちゃんが言った。
「そうだ。誰もわからない言葉を作って使っても、誰もわからないからつまらない。でも、誰にでもわかる言葉だったらどんどん作って使ってもいいんだ」
「月の道も?」
「今、お父さんが言って、お前たちもこれを見たらすぐにわかったろう? あぁ月の道だねって納得しただろ? だから、そういうのはいいんだ」
「そういうのを作るために作家になるの?」
 お父さんは、うなずいた。
「それも、作家の仕事のひとつだな。言葉って言ったけど、それは〈表現〉と言う」
「ひょうげん」
「何かを表すことだ。今ここにピアノがあって、天水は怒ってるとする」
「怒ってないよ」
「たとえばだよ。たとえば怒っていて、眼の前にピアノがあって白い鍵盤と黒い鍵盤がある。怒ってることをピアノで伝えようとしたら、天水はどうする?」
 考えた。でもすぐにわかった。
「叩く。鍵盤をバーン! って」
「そうだ。それが〈表現〉だ。お前はピアノで〈怒ってる表現〉をしたんだ。でも、乱暴に叩いたら壊れちゃう。それにただ叩くだけなら、聴いてる人はびっくりするだけかもしれないだろ?」
「そうだね」
「びっくりさせないように、怒ってることを鍵盤で伝えようとしなきゃならない」
 そうか。
「それが、工夫なんだ。料理を美味しくする工夫とおんなじ。ピアノを弾くときに工夫してるんだ」
「その通り」
 お父さんが、ぽん、って僕の頭を叩いた。
「材料を工夫して作品を作る。料理も、作家も、ピアノも、この世の中のものはほとんど全部同じだ」
「失敗することもあるよね」
 風花ちゃんが言った。
「あるよ」
 お父さんは風花ちゃんの頭をなでた。
「上手くいくことは、実はあんまりないんだ。ほとんど失敗ばかりだ。でも、成功することもあるんだから、皆は一生懸命やってみるんだ」
 お父さんがまた歩き出したから、僕と風花ちゃんも歩き出した。海岸にはいろんなものが転がってるから、僕はそれをいろいろひろったりした。ひろって、捨てて、ひろって、捨てて。
「お父さんとお母さんも失敗したの?」
 風花ちゃんが、お父さんに言った。お父さんは止まって、こっちを見て、少し笑った。
「そうだな」
 また風花ちゃんの頭をなでた。
「風花はもうわかるか。人間関係もそうだな。工夫しても失敗することもあるよな」
「あるよ」
 人間カンケイって、友だちのこととかか。お父さんとお母さんも、人間カンケイか。風花ちゃんは、お父さんとお母さんが失敗したって思ってるのか。
「でも、お父さんとお母さんは、失敗とは少し違うって、風花ならわかるよな?」
 風花ちゃんは、少しだけ首を斜めにした。
「まぁ、なんとなく」
 たぶん、風花ちゃんはちょっと怒ってると思う。こういうときは、なんにも言わない方がいいんだ。お父さんは、座るか、って言ってそこに転がっていた木のところに座ったから、僕と風花ちゃんもお父さんをはさんで座った。
「風花も天水も、今、ちょっと楽しいだろ?」
「楽しいよ」
 僕は夜の海の散歩は初めてだから、楽しい。風花ちゃん、うん、ってうなずいた。
「でも、この夜の海の散歩は、お父さんとお母さんが離婚しちゃったから、できたことだよな」
「そうだね」
「ということは、離婚したから楽しいことがあったってことだ。でも、離婚しなくても、ひょっとしたら夜の海の散歩はいつか皆でできたかもしれない。お母さんも一緒に」
「そうだね」
「ひょっとしたら、こうやって三人よりお母さんもいれて四人だった方が楽しかったかもしれないし、でも、やってみたら三人の方が楽しかったかもしれない」
 こんがらがってきたぞ。風花ちゃんがちょっと顔をしかめた。
「なに言ってるのお父さん?」
 お父さんが、笑った。
「わからないよな」
「わからない」
「お父さんもわからないんだ」
 ぽんぽん、って、お父さんは僕と風花ちゃんの背中に手を回して、軽く叩いた。
「わかんないことばかりだから、やってみるかみないかを、自分で決めなきゃならないんだ。そして、自分で決めたことを後悔しないようにちゃんとやらなきゃならないんだ」

バックナンバー  12345...16 

著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

ページトップへ