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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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第13回

2016.11.07 更新

選択

 お母さんが帰る日。駅まで車で送るって言ったのに、お母さんはバスで帰るって。それで、私が駅まで送っていくことになった。天水は行かないで、私とお母さんだけ。お父さんと天水は、車で駅まで行って、私を拾って帰ってくるって。
 天水が言い出したんだ。ちょっとびっくりした。どうせならいろいろなパターンを試そうよって言った。
 これからもこうやってお父さんの家に来ることがあるんだから、来るときも帰るときもいろいろやってみた方がいいじゃん、って。
 お父さんもお母さんも私と同じようにちょっと驚いていた。
 驚いて、なるほどな、って頷いて笑ってた。私も納得した。なるほどな、って。
 そうか、これが成長ってやつかって。天水はまだ四年生で、四年生ってホントに子供で、でも低学年より身体がおっきいから邪魔になるんだけど。ホントに頭に来ることもあるんだけど。
 でも、びっくりした。きっと天水はこの夏休みにすごく成長してると思う。お父さんの家に遊びに来たことで。
 それは、お父さんとお母さんが離婚しなかったらなかったことだから、この間天水が言ってたみたいに、離婚してもいいことがあったのかもしれない。あ、でも離婚しなくても何かがあって成長したかもしれないんだから、そうでもないのか。
 それは、わからない。
 わからないってことがわかって、私も、あ、またひとつ自分も経験したって思った。
 良いことなのかも悪いことなのかも、どんなときになにが起こるかなんて、誰にもわからないんだってこと。
 お母さんは、来たときと同じ花柄のワンピースを着て、大きなカバンを持って、じゃあね、ってお父さんに手を振った。天水には、ちゃんとお父さんの言うことを聞いてねって。
 それで、私と一緒にバス停まで歩き出した。
 今日は曇り空。雨はたぶん降らないけど、一日中曇り空って天気予報に出てた。
「でも、なんか湿気はないわね」
「そうかな?」
 お父さんとお母さんは、大人はよくじめじめしてるとかカラッとしてるとか気にするけど私はそんなに気にならない。
 バスが来るまでまだ五分以上ある。
「風花も天水もすごく陽に焼けたね」
「毎日海に行ってるからね。きっと私の人生史上で最高だよ」
 そうね、ってお母さんが笑った。
「お父さんもすっごく焼けてるよ。お父さんもきっと人生史上最高の焼け方だと思う。見たことないもん」
「あぁ、そうね」
 お母さんは、普通だった。
 普通っていうのは、ひょっとしたらお父さんの家に来て、なんかいつもとは違う様子になるのかなって考えたんだけど、いつもと変わりなかった。お父さんと会話しているところも、普通だった。朝ご飯を食べているときだって、離婚する前の家での朝ご飯のときと同じだった。
 違うのは、家が違うってことだけど。
 嫌いになって離婚したわけじゃないんだから、そうなんだろうなって思っていたけど。
「ねぇ、風花」
「なに?」
「お母さんね、お父さんに少し怒られた」
「怒られた? なんで?」
「あ、それは言い過ぎだった。意見をされた」
 意見をされた。
「注意されたってこと?」
「そうそう」
「なんて?」
「カッコつけるなって」
「カッコつける」
 お母さんがカッコつけてたってこと?
「何をカッコつけたの?」
「風花や天水に」
 わからない。
「どんな風に?」
「それはねー」
 お母さんが、うーん、って唸ってからくるっと回って海の方を見たので、私もそうした。曇りの日の海は、鈍色(にびいろ)って言うんだってお父さんが教えてくれた。確かにそんな感じの色だなって思う。
「説明するのは難しいなー」
「簡単にしてみて」
「簡単にしちゃうとね、上手く伝わらないような気がするんだ」
「でもしてみて。気になる」
「うん」
 お母さんが、私を見た。
「お母さん、仕事するって決めたときにね、風花にお願いしたよね。いろいろ協力してねって」
「うん」
 そう言ってた。私もわかってるって答えた。
 協力した。お母さんが帰ってくるのが遅くなったとしたら、天水と二人で晩ご飯を何か頼んで食べちゃうとか、作ってあるものを食べたら私が洗い物をするとか、天水をお風呂に入れさすとか。
「そこで、カッコつけちゃったかなって」
「なんで?」
「協力じゃなくて、助けてね、って言えば良かったのかもって思ったんだ」
 助ける。お母さんを、助ける。
 お母さんを助けるのと、協力するのと、何が違うか?
「どっちでも同じことだよね?」
「そうだね。結果は同じだね。でも、お母さんの気持ちの問題かな」
 お母さんに協力するのと、助けるの。やることは同じ。でも、気持ちが違う。
「協力っていうのは、それぞれの力を合わせて頑張るってことだよね」
「そうだね」
「助けるっていうのは、困ってるから力を貸してあげるってことだよね」
「うん」
 お母さんが頷いた。
「でも、そういうふうに言葉の意味で考えちゃうと、ちょっと違うかなーって思う。つまりね」
「うん」
「お母さんは、お父さんがいなくなったけど、その分一生懸命頑張るから、風花にも頑張ってほしいって思って言ったの」
 それは、わかる。
「でもそれは、ただ風花にやることをやってって押し付けているだけだった。そうじゃなくて、お母さんは困るかもしれないから、風花の力を貸してって、お母さんを助けてって素直に言えば良かったの。そう言えなかったのは、お母さんは母親だからあなた達を守らなきゃならないって、大人なんだからってカッコつけていたの」
「あー」
 そうか。そういうことか。
「それを、お父さんに言われたの?」
「そう」
 でも、あんまり関係ないような気もする。
「同じような気がするけど」
「違うんだと思うんだ」
 お母さんが言った。
「たぶん、もう少ししたら、風花が大きくなったらその意味の違いに気づくと思う。お母さんも、気づくと思う。だから、改めて言うね」
「うん」
「お母さん、だいぶ慣れたけど、きっと困ることがたくさん出てくるから助けてね」
「もちろん」
 最初から、今までもそのつもりだった。
 バスが来た。

負うた子に教えられること

 負うた子に教えられる、というのは、正確には〈負うた子に教えられて浅瀬を渡る〉というものだ。背中に子供を背負って川の浅瀬を渡るとき、背負った子供が上から見るので川底の様子が見やすくなってより浅瀬がわかる、という故事らしい。
 つまり、たとえ子供の意見であってもきちんと聞け、ということだ。
 今までの人生でも、昔の人は良いことを言うもんだと何度か思ったことがあるけど、今回ほど実感したことはない。
 助手席に座る天水に、普段と変わった様子はない。車に乗ってゲームをやると酔うみたいで、いつも窓の外をぼんやりと眺めている。
「天水」
「なに?」
「訊いていいか」
「なにを?」
「いつ思いついたんだ? バラバラで帰るってこと」
「いつ? いや始めっから」
「始めから?」
 うん、と、頷いたのがわかった。
「最初だから風花ちゃんと来たけど、僕一人で来るのも覚えた方がいいなって思ってたよ」
 そんなのあたりまえじゃん、って感じで言う。そうか、始めっからか。天水がシートの上で跳ねるように身体の位置を動かした。
「風花ちゃんだって中学校に入ったら、ここに来なくなるかもしれないじゃん。そしたら一人で来るんだからさ」
「そうだな」
 確かにそうだ。中学になって、運動部の部活をやれば夏休みでも練習がある。まぁ風花が何かの運動部に入るとはあまり思えないんだが。
「風花ちゃんはさ」
「うん」
「なんかちょっと淋しがってるけどさ、そうでもないからね」
「天水がか?」
「そう」
「淋しくないのか?」
「ゼンゼン」
 それはちょっとこっちが淋しい気もするが。
 天水の横顔をチラッと見る。強がっているのかとも思ったが、いつもの天水だ。普通の顔をしている。
「そりゃあ、お父さんが家にいた方がいいと思うけどさ。でもそんなの言ってもしょうがないし、いつでも会おうと思えば会えるんだし。こうやって知らなかったところで遊べるし。ねぇ!」
「なんだ」
「海に中野さんいた! サーフィンやってた!」
「見えたのか?」
「見えた!」
「サーフィンやりたいけどさ、できる?」
 サーフィンか。
「できるんじゃないかな。でも、その前に泳げるようになった方がいいかな」
「泳げるよ! あ、でももっとか。プールに通おうかって前にお母さん言ってたよね」
「言ってたな」
「通おうかな。遅くないよね? 今からでも!」
「全然遅くないな。でも、海で泳ぐ練習だってできるだろ。それこそ中野くんに教えてもらえるぞ」
「教えてくれるかな?」
「頼めばな」
 さすがにアラフォーの今からサーフィンを覚えて、天水に教えるのはキツイか。いや、まだ大丈夫か?
「中野くんに訊いてみるよ」
「うん」
 わくわくしてるのがすぐにわかる。身体を動かさずにいられない。別に区別するわけじゃないが、やはり女の子の気持ちより男の子の気持ちの方がよくわかる。わかるというか、そもそも天水ぐらいの男の子は、ほとんど何も考えていない。
 ただ自分の欲望に正直だ。自分がそうだったから、よくわかる。楽しいことだけやりたい、嫌なことはしたくない。
「じゃあ、あれだな。まずは海で泳げるようになって、それからサーフィンだな。そうしたら、毎年の夏、ここにサーフィンをしに来られるだろう」
「来られるね! お父さんもやれば一緒にできる」
「そうだな。がんばってみるか」
「がんばろう!」
 サーフボードだって安くはない。中古だってそこそこするだろう。俺も一緒に教えてもらうのなら、いくら中野くんだってタダというわけにはいかない。
 お金が掛かる。
 だから、稼ぐ。
 今までもずっとそうしてきた。子供ができてからは、働くことは子供たちが不自由なく暮らしていけるように稼ぐことだった。それだけだった。決して、楽しいものではなかった。
 頬が緩む。
 今は、楽しい。
 天水にサーフボードを買ってやるために稼がなきゃならない。アルバイトでもいいが、できれば原稿料や、遠い目標だが印税で買ってあげられたら、自分が嬉しい。
 そのために、書く。
 そう自然に、素直に思えることが本当に嬉しい。
 自分の選択は間違っていなかったと思える。少なくとも、今の時点では。

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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