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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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第10回

2016.08.05 更新

平和

「争いは、起こってしまうの。それは人間が生きている限り、避けられないものなの。争いがなくなってしまえばそれはとても平和なことで良いことなんだけれどもね。でもね、風花ちゃん」
「はい」
 喜子さんは、とても難しい顔をした。
「争いがなくなってしまうということは、ひょっとしたら人間にとってはいちばん不幸なことなのかもしれないのよ」
「え?」
 どうして? って思った。争いがなくなったら、つまりケンカや戦争がなくなったらそれはとってもいいことのはずなのに。
「どうして、不幸なことなんですか?」
「またまたとても難しい話になっちゃうわぁ。困ったわね。風花ちゃんはとても頭が良いからどんどんこんな話になっちゃうわ」
 喜子さんが少し笑いながら言った。
「私、そんなに頭は良くないですよ」
 ううん、って喜子さんが頭を振った。
「学校のお勉強の話じゃないわ。そういう頭の良さじゃなくて、自分でちゃんと考えられる頭の良さ。大人にもね、全然まるっきり自分で考えられない人がいるのよ」
「そうなんですか」
「そうなのよ。だから法律があって警察とかがいるのよ。悪いことと良いことの区別もつかない、自分で判断できない人がたくさんいるからよ」
 そうか。そういうことか。
 今まで考えたことなかったけど、法律とかは、自分で悪いことがわかんない人がたくさんいるから作られたものなのか。
「じゃあ」
 急に思いついちゃった。
「学校の規則とかも、子供でまだわかんない子がたくさんいるから、そういう子に教えるために作られたものなんですね?」
「そういうことよ」
 うんうん、って喜子さんが嬉しそうに笑って頷いた。
「子供は皆、小学校中学校を必ず出なきゃならないのは知ってるわね?」
「知ってます。義務教育です」
「そうそう。でもね、それは子供の義務じゃないの。親の義務なの」
「親の義務?」
 そうよ、って喜子さんがお父さんをちらっと見た。
「子供を作った大人は、自分の子供を必ず小学校と中学校を卒業させなきゃならないの。それは、国で定められた義務なの。どうしてそんな義務を作ったかというと、子供に生きる力を与えるためよ」
「生きる力?」
「言葉を覚える、計算を覚える、どんな世界があるかを知る、今までどんな出来事があったかを知る、生き物はどう生きているかを知る。風花ちゃんや天水くんが学校で習うのはそういうことでしょう?」
 ちょっと考えてみたら、確かにそうだった。
「そうですね」
「それは、この社会で生きていくための基本的な力なのよ。実は風花ちゃんは中学校を卒業したら、一人でもこの社会で生きていけるの。今だって風花ちゃんはこうやっておばあちゃんの私とちゃんと、お話しできるでしょう? もしもよ、夏休みの間、私の家に来て、私のお手伝いをして、ってお願いしたら、風花ちゃんはできるでしょう?」
「どんなお手伝いですか?」
「家のお掃除、お買い物、お料理、そして私と話をすること。そういうこと」
 それなら、できる。
「できます!」
 喜子さんが、大きくにんまりと笑った。
「それが、お仕事。お仕事をしたら、お金が貰える。そして風花ちゃんはそのお金で好きなものが買える。つまりアルバイトね。お掃除も、買い物の計算も、人とちゃんとお話することも、学校で習ったことでしょう?」
 そうだ。全部学校で習ったことだ。
「もう、風花ちゃんは生きる力の半分を持っているの。学校って、そういうことを学ぶための場なのよ。だから、親の義務なの。親は子供に生きていく力を与えなきゃならない。いずれ独り立ちするためにね」
 そうだったのか。なんか、いろいろわかっちゃった。
「じゃあ、高校とか、大学とかは?」
「それは義務教育じゃないわね。自由に選べるもの。たとえばだけど、風花ちゃんは棋士というお仕事を知ってる?」
 きし?
「わかんないです。あの馬に乗って戦う騎士ですか?」
「それじゃなくて、将棋や囲碁のプロの人たちのことを、棋士というのよ」
「あ、知ってます!」
 マンガにもあるやつだ。
「読んだことあります。マンガで」
「そうね、そういう棋士の中には中学生でプロになって、高校に行かないでそのまま社会人として働いている人がいるのよ。つまり、自分でお金を稼げる力を持っているのなら、高校とか大学は行かなくてもいい。でも、そんな才能を持った人は滅多にいない。だから、皆は高校とか大学に行って、自分の〈将来〉を考えながら勉強する」
「将来を」
「そうよ」
 学校は、全部そうなのよ、って喜子さんは言った。
「自分の将来を考えるために、学校というものはあるの。それが本来の役割なのよ。学校というのは」
 皆、お父さんもお母さんもそうだったんだろうか。っていうか、いつぐらいにそれに気づいたんだろう。
 学校は、自分の将来を考えるためにあるんだって。
「話がズレていっちゃったわね」
「えーと」
 そうだった。別に学校の話をしていたわけじゃないんだった。
「戦いや争いがなくなったらいいのに、でも不幸かもしれないって言ってました」
 そうそう、って喜子さんが言った。
「それはどうしてかって言うとね。それぞれ個人個人は、違う人だから、いろんな考え方を持っていてあたりまえなの。それは、わかるわね?」
「わかります」
 全員が違う人なんだから、同じ考え方の人ばかりじゃない。
「そうですよね」
「その通り。それが、あたりまえで、正しいことなの。人間という生き物はそうじゃなきゃならないの。でもね、風花ちゃん」
「はい」
「違う考えを持っていてあたりまえってことは、喧嘩することもあたりまえってことなのよ。そうでしょう?」
 そうか。
「そうですね」
「でも、違う考えだからって喧嘩だけしていたら、何も決められないし、生きてもいけない。だから人は話し合って、問題を解決して、一緒に生きていこうとするの。それが、人間という生き物なの」
「だから、喧嘩も何もしない。つまり、争いや戦争がなくなるってことは、みんながまったく同じ考え方をしてしまうからだってことですか?」
 ぽん、って喜子さんが手を叩いた。
「そうなの! やっぱり風花ちゃんは頭が良いわ」
 なんか、そんなに褒められると照れる。
「全員が違ってあたりまえなのに、皆がまったく同じ考え方をするってことは、個性がまったくなくなるってことよね。それは、とても怖いこと。ありえないこと。誰か一人が右へ行け! って言って全員が右だ! って右へ進むとするわね、もしその方向へ進むのが間違いだったら、怖いでしょう?」
 それは、怖いかもしれない。
「もし右に崖があったらみんな死んじゃう」
「そうなの。だから、もしも、争いがまったくなくなった世界っていうのは人間がいなくなった世界のことなのかもしれない。人間というものが今のまま存在し続けるのなら、決して争いはなくならないのかもしれない」
 争いのない世界は、ない。人間だから、争いが起きる。
「じゃあ、争いは起こってしまうけど、それが大きくならないように話し合うのが、いちばんいいってことですか?」
 うん、って喜子さんが大きく頷いた。
「それが、今の人間の世の中のベストね。百年、二百年後はわからないけれど、少なくとも、人が人である以上は、争いの種は必ずあるもの。風花ちゃんが言ったことは、真実よ。種が大きく育たないように、人は話し合う、勉強し合う、お互いをよく知ろうとする。それが、いちばんなの」

友達はずっと友達なのが友達だ

「中野さんはずっとここにいるの?」
「ここって、この町にってことか?」
「そう」
 うーん、どうかなぁ、って中野さんは少し考えた。
「今は、ずっとここにいる。お店があるからな。でも、もしも、何か他の仕事がしたくなって、どこかの町に行かなきゃならないってなったら、離れるな」
「そっか」
「どうしてだ?」
 や、だって。
「僕はずっとここにいないし、いつまた来るかもわかんないし、そうなったらせっかく友達になってもさ」
 あぁ、って中野さんは笑った。
「そういうことか。それは大丈夫だ」
「なにが大丈夫?」
「どこに行っても、何があっても、俺と天水くんは友達のままだ」
「どうして?」
 どうしてかぁ、って中野さんは少し背中を伸ばして腕を組んで、空を見上げた。僕も見上げたら、すっごく星がきれいだった。
 星がきれいに見えるのは、すっごくいいと思う。
「転校した仲の良い友達でもいるのか?」
 中野さんが訊いたから、ちょっとびっくりした。
「そう。なんでわかったの?」
「それは、俺が大人だからだ」
「大人だとわかるの?」
 わかるぞ、って中野さんは言いながら、薪をくべた。
「たくさん、いろんなことを経験してるからな。その経験の中には天水くんが今まで経験したのと同じようなことがたくさんあるから、わかるんだ」
 そうか。お父さんもそんなふうに言ってたっけ。
「転校しちゃって、会えなくなって、友達じゃなくなっちゃったと思ったか?」
「や、そうは思わないけど、でもずっと会えなかったら忘れちゃうかなって」
 そうだなぁ、って中野さんは言う。
「まず、お父さんと俺は、もう一生友達なんだ。どうしてかというと、俺は岬さんが好きだし、岬さんも俺が好きだからだ。だから、どこかへ引っ越しちゃってもずっと友達のままでいられる。そして、天水くんは岬さんがいちばん大切にしている息子だから、俺も天水くんを大切にしようと思ってる」
「だから、友達のまま?」
「そうだ。その気持ちはずっと消えない」
「気持ち」
「好きって思ったら、その気持ちはずっと消えないんだ。もしも、ちょっと忘れちゃったりしても、また会ったときにその気持ちを思い出す。それが友達ってもんだ」
「思い出すんだ」
「そうだぞ。好きになった気持ちは、ずっと、一生、どんなに離れても消えないんだ。もしも、このまま会わないまんま天水くんが大きくなって、たとえばアメリカとかに行っちゃって、二十年後とかに会って天水くんが俺のことを忘れてても、俺は覚えている。そして、会えたら嬉しくなるんだ。『大きくなったな!』って笑いながら天水くんの肩を叩くんだ。だから、友達のままだ」
 そうなのか。大人の中野さんが言うんだから、きっとそうなんだな。中野さんは、うん、って頷いた。
「ちょっと、難しい話になるけどな」
「うん」
「俺は、中学校のときの仲間が大好きなんだ」
「中学校」
「いちばん仲の良かったクラスなんだ。そのときの仲間は今ももちろん友達だ。俺も実はこっちに引っ越してきた人間だし、今は皆バラバラになっちゃっていてなかなか会えないんだけどな。それはわかるよな」
「わかるね」
「でも、俺は、そのときの仲間に会ったときに、胸を張って会えるようにずっと生きていこうって思ってるんだ。だから、絶対に悪いことはしない。そしてカッコいい男になろうって思ってる」
「カッコいい男?」
「だって、仲間には女の子もいるからな。まぁ今は皆おばさんだし、結婚とかもしてるけど、会ったときに『中野くん、いつまでもカッコいいわね』って言われたらめっちゃ嬉しいだろう?」
 ちょっと考えた。カッコいいか。あんまり考えたことなかったけど。
「めっちゃモテるってことか」
「そうだ。モテるっていうのはさ、そりゃあジャニーズみたいに見た目がカッコいいっていうのもあるけどな。中身の問題もあるんだ。テレビのヒーローはカッコいいだろ?」
「カッコいいね」
「あれは、平和を守るために戦っているからカッコいいんだ。見た目の問題だけじゃない。そうやって頑張って生きることが大事なんだ」
「ヒーローになりたいの?」
 そう訊いたら、中野さんは笑った。
「そうだな。俺は仲間のヒーローでいたいんだ。苦しいときには助けに行く。悲しいときに慰めに行く。そうやって生きて、いつまでも仲間と仲良くしていきたいんだ。そうやって生きるって決めてるんだよ」

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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