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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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第1回

2015.11.05 更新

お父さんとお母さんが別れた

 僕が九才、風花(ふうか)ちゃんが十二才になった四月にお父さんとお母さんは、リコンした。どうしてかって訊いたら、「今は言ってもわからないと思うので言わない」ってお母さんは言った。すこしだけ悲しそうな顔をしていた。あ、悲しいんだってことぐらいは僕にだってわかる。そして悲しいのはリコンしたからだってこともわかる。それならどうしてリコンするんだろうって不思議に思った。悲しくなることなんかしなきゃいいのにどうしてするんだろうって。
 風花ちゃんは、姉さんだ。
 僕は天水(あまみ)。
 お母さんは岬(みさき)えりかだったけど津田(つだ)えりかになった。
 僕と風花ちゃんも名字が津田になった。
 津田って、おじいちゃんとおばあちゃんの名前だ。お母さんの方のおばあちゃんとおじいちゃんの名字。リコンというのは夫婦が別れることでリコンをすると名字が変わるのぐらいは知ってる。同じクラスのアッキがそうだった。田中晃って名前だったのに夏休みが終わって学校に来たら急に堀内晃になっていたんだ。なんかそっちの方がカッコいいってアッキは言ってたけど。
 僕にリコンの理由は言ってもわからないってお母さんは思っている。
 本当にそう思っているんだろうか? 夫婦っていうのがお父さんとお母さんだ。夫婦は好きになってずっと一緒にいたいから同じ家で暮らすっていうことで、それが結婚なんだ。なのに、それなのに一緒に暮らせなくなったってことは何か大きなモンダイが起こったからだ。そのモンダイはたいていはお金か人間カンケイだってことぐらいは僕だって知ってる。マンガやアニメにそんな話はたくさんあるんだ。お母さんは僕にはわからないって思ってるかもしれないけど、知ってるんだ。
 たぶん、お母さんは自分で理由を話したくないからそう言っているだけじゃないかって思う。ひょっとしたら理由なんかないんじゃないかって。だって、嫌いになるのに理由なんかないから。たぶん、お金か人間カンケイのモンダイが急にお父さんに起こって、それでお母さんはお父さんを嫌いになったから別れるんだろうと思うけれど。
 リコンした理由は、あとから、寝るときに風花ちゃんが僕のベッドに入ってきておしえてくれた
「お父さんが会社をやめたの知ってるでしょ」
「うん」
「それはね、作家になるために会社をやめたの」
「さっか、ってなんの」
「小説家。小説はわかるでしょ」
「わかるよ」
「それを書く人」
「その作家か」
「それで、別れることになったの。お給料がなくなってお金が入らなくなるから。お金がないと暮らせなくなるのはわかるでしょ?」
「わかるけど」
 それはわかったけど、どうしてそれがリコンする理由になるのかよくわからなかった。お金がなくなると好きだったのに急に嫌いになるのか。
「お金がないと嫌いになるのかな?」
「そういう簡単なものじゃないの。天水にはまだわかんない」
「どうわかんないの?」
「嫌いになりたくないから、一緒に暮らさないってこともあるんだよ」
 会社をやめるっていうのはたいへんなことだっていうのは知ってる。クラスのかっちゃんのお父さんは会社をやめて、ちがうか、やめさせられた。そして毎日家にいてお母さんとケンカばかりしてるって。今度おじいちゃんのところに引っ越すかもしれないから困ったなぁって本当に困った顔をしていたんだ。転校したくないって。大人の都合で僕たち子供はあっちに行ったりこっちに行ったりするのはわかる。
「会社をやめて働かなくなったからさっさとリコンするってことかな」
「まぁそれもひとつかな」
「僕たちの前でケンカなんかしないように、別れて暮らすことにしたってことか」
 そう言ったら風花ちゃんは少し首をひねってから、僕の鼻の頭を、チョン、ってつついた。
「するどいかも。天水こそ作家になれるかもね。あんた本読むの好きだし」
「作家になんかならないよ」
「何になるの?」
「宇宙飛行士」
 おー、って風花ちゃんが楽しそうに笑った。
「じゃあたくさん勉強しなきゃ」
「するよ」
「お父さんがいなくなって淋しい?」
「淋しいけど、泣かないよ」
「泣いてもいいよ。天水はまだ子供なんだから」
「風花ちゃんも子供じゃないか」
「わたしは、お姉さんだから大丈夫」
「じゃあ、僕は男だから平気」

離婚

 何となくだけど、そんなことを考えたことがあるの。いつ頃からだったかは忘れちゃったけど、お父さんは仕事をしたくないんだなって。自分でそう言ったわけじゃないけど感じた。お父さんはカーディーラーで営業の仕事をしていて、自慢じゃないけど成績はいいんだぞって言っていた。お母さんも笑ってうなずいてたから本当だと思う。お父さんが私たちに噓や大げさなことを言ったらお母さんはすぐに口を尖らせるからわかる。
 家は貧乏じゃなかったから本当にそうだと思う。世界でも有名なメーカーだったし、お給料だって良かったはず。私と天水は誕生日のプレゼントにいつも好きなものを買ってもらえたし、クリスマスにはサンタクロースがちゃんと欲しいものをくれたし、私は新しい服をちゃんとお母さんに買ってもらっていたし、天水はゲーム機はほとんど持っていたし。
 お父さんはお休みの日の夜は天水が寝たらいつも自分の書斎にこもっていたの。それは知ってる。書斎って言っても廊下の奥みたいな小さな小さなスペースでまるでトイレぐらいの広さのところ。置いてあるのは小さな机と小さな本棚とパソコンと灰皿だけ。壁には小さな窓があっていつもそこを開けて煙草を吸いながらキーボードを叩いていた。煙草を吸っていいのはそこだけで、私も天水もそこに入っちゃダメ。
 そして。
 書斎に入るとき、お父さんはいつも嬉しそうだった。本当に嬉しそうだった。背中しか見えなくてもその背中がすごく楽しそうだった。書斎にいるときのお父さんはきっといつものお父さんじゃないんだって思っていた。あれが本当のお父さんなんだとしたら、会社で働いているときのお父さんは噓のお父さん。昼間の間はずっと噓をついているのはきっと大変なんだろうって。
 私は思っていた。
 私も噓をつくことがある。そんなに楽しくないのに楽しいような顔をして友達と遊んでいることがある。そんなにスゴイと思わないのにスゴイねって友達をほめることがある。やりたくないのに先生に頼まれたからいっしょうけんめい委員をやったことがある。きっとお父さんもそうなんだろうなって。
 お父さんの噓は、私たちをちゃんと育てるための噓なんだろうなって考えたことがあるの。それは、誰にも言ったことがなかったけれど。お金がないと暮らしていけない。だからお父さんは噓をつきながら会社に行ってお給料を貰ってくる。それがお父さんなんだって。
 だから、会社をやめたって初めて聞いたとき、あ、お父さんはついに噓をつくことをやめたんだって思ったの。
 ちょっとうらやましいなって。
 もうお父さんは噓をつかなくていいんだろうなって考えたら、そう思った。

お父さんの家へ行く

 夏休みにお父さんの家に行って様子を見てきたいって風花ちゃんと二人でお母さんに言ったら、いいわよって言った。その代わりに毎日一回電話してくることって。お母さんは嫌な顔も悲しそうな顔もしなかった。ちゃんと宿題するのよ、とか、ろくなものを食べさせてもらえなかったら文句を言うのよとか。そんなことを言っただけ。お父さんが今住んでる新しい家は海が目の前なんだ。歩いて一分で海だって前に手紙に書いてあった。だから行けば夏休みの間ずーっと海で遊べる。
 それで、僕と風花ちゃんは着替えをたくさん荷物に詰めてお父さんの暮らす町に二人ででかけたんだ。三カ月ぶりぐらいにお父さんと過ごせるようになった。電車とバスを乗り継いで五時間。バスに十五分乗ってバス停で降りてから歩いて十分。けっこう遠い。
 でも、お父さんが車で電車の駅まで迎えに来てくれることになった。お母さんは、僕たちが帰りたくなったらいつでもお父さんの家まで迎えに来てくれるってことになった。どうしてわざわざ迎えに来てくれるのかって訊いたら、お父さんの様子もちょっと見てみたいからって。それなら一緒に来ればいいのにって思ったけど、お母さんはお母さんで仕事があるから行けないらしい。
 お母さんは、お父さんと別れた後に仕事を始めた。結婚する前にしていた設計の仕事。建物の図面を引く仕事らしい。そんなことをしてたんだって僕は少しびっくりしたけど風花ちゃんは知ってたって。お父さんと別れたから、お金を稼がないとならない。そうしなきゃ僕も風花ちゃんもご飯を食べられない。学校も行けない。だからお母さんは働いている。大変だなって思ったけど、でも、お母さんは楽しそうなんだ。それまでのお母さんとはちょっと違う。毎朝ご飯を作るのは前と同じだけど、忙しそうにお化粧をして僕と風花ちゃんと一緒に朝ご飯を食べて一緒に家を出る。
 駅についてホームに降りたらもう海の匂いがしていて、初めての駅だったけど急に嬉しくなってきて僕と風花ちゃんは駆け足で階段を昇って降りて改札口を出たら、そこにお父さんが来ていた。
 お父さんは髪が伸びていた。髭も伸びていた。白い半袖のシャツに紺色の短パンで黒いスニーカーを履いていた。手を振って笑っていた。
「よく来たな」
「うん」
 風花ちゃんの頭を撫でて、僕の頭を撫でた。風花ちゃんはそんなことされたらちょっと怒るはずなのに、今日は怒らなかったのは、きっとお父さんに久しぶりに会えて嬉しかったからだと思う。
 この町に来てから買ったっていう車は、クリーム色のフォルクスワーゲンのビートルだったんだけど、びっくりするぐらいボロボロだった、あちこちサビがあった。エンジンを掛けるとあちこちが悲鳴を上げるような音を出して、今にもバラバラになるんじゃないかってぐらい。風花ちゃんと一緒に後ろの座席に座ったんだけど、風花ちゃんがものすごく嫌そうな顔をして言った。
「お父さん」
「うん?」
「この車、いくらだったの?」
「一万円」
 そんな安い車は初めて聞いた。
「大丈夫なの?」
「今までは大丈夫だったからこれからも大丈夫だ」
 風花ちゃんは唇をヘの字にした。そういう顔をするとお母さんにそっくりだってお父さんは笑ったけど、僕もそう思う。お母さんと風花ちゃんは怒ったときの顔がおんなじなんだ。車の会社で働いていたお父さんが大丈夫だって言うんだからきっと大丈夫だと思うけど、ものすごくのりごこちは悪い。
「お母さんは元気か」
「元気だよ」
 僕が言ったら、お父さんはちょっと後ろを向くみたいに頭を回した。
「どんなふうに元気だ。風花」
「楽しいみたいだよ。働くの」
 そうか、ってお父さんがうんうん、ってうなずいてた。
「きれいになったんじゃないか? お母さん。どうだ天水」
「わかんない」
「きれいになったよ」
 風花ちゃんが言った。それはただお化粧をたくさんするようになったからじゃないかって思うけど。
「お母さんは前からきれいだよ。お父さんも言ってたじゃん」
「そうだな」
 お父さんは笑ってた。

       ☆

「ここ?」
「そうだ。恰好良いだろう」
「ぜんぜんカッコよくない」
 お父さんの家は、本当に目の前が海だった。道路はあるけどその向こう側がもう海。それは本当だったけど、ビートルと同じでものすごく古かった。一階しかなくて、屋根なんかあちこちめくれていて壁は全部けっとばしたら壊れそうな板ばかりでできていた。でも、縁側があってそこに猫が三匹寝ていて、そのうちの一匹がすぐに僕たちに近づいてきて風花ちゃんの足のところに座ってにゃあん、って鳴いたら風花ちゃんはもう笑った。風花ちゃん、猫大好きだからね。全部のら猫だったらしいけど、エサをあげたら勝手にそこにいるんだって。
「名前は?」
「クロとブチとミケ」
「そのまんまじゃん」
 わかりやすくていいけど。家の中に入ったらけっこうちゃんとしてた。お父さんが知り合いの大工さんに頼んできれいにしてもらったらしい。風花ちゃんもにこにこしてたから気に入ったらしい。ちゃんと僕たちの布団は新しいものを買ったって。トイレとお風呂も、僕たちが泊まりに来たときに嫌がられないようにそこだけは新しくしたんだって。
 お父さんの部屋は、前のすごくせまいところとは違って、ちゃんとした部屋だった。壁が全部本棚になっていて、そこにたくさん本が並んでいた。前の家にはこんなになかったのに、全部買ったのかって訊いたら貰ったんだって。
「古本屋をやっていた知り合いのおじいちゃんが死んじゃってな。全部、貰ったんだ」
 古本屋のおじいちゃんの友達がいるなんて聞いたことがなかった。そう言ったら、お父さんはうれしそうに笑った。
「お父さんにはお前たちの知らない友達はたくさんいるぞ。そしてな」
「うん」
「この家にはそんな友達がたくさん来てくれるんだ」

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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