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風とにわか雨と花

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

風とにわか雨と花 ブック・カバー
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最終回

2017.02.06 更新

もう戻れない、日々へ

 自分が子供の頃の、風花や天水ぐらいの年齢だった頃の夏休みに何をやって過ごしていたかなんて、実はあまり覚えていない。
 中学校なら、部活があったからわりと鮮明に覚えているが、小学生の頃は微妙だ。イメージとしてしか残っていない。
 かき氷を自分で作ったり、ばあちゃんの家へ行って海水浴をしたり、家の前で近所の子供たちと花火をしたり、六年生のときに同じクラスの友達だけで動物園にも行ったか。
 何を考えて過ごしていたかなんて、思い出せない。平和な子供時代だったので、何も考えずにただ遊んでいただけなのか。
 だとしたら、風花や天水は、ある意味では特別になったはずのこの夏休みをどうやって思い出すだろう、と考える。
 離婚して初めての夏休みだ。
 離婚する前には皆で海水浴に行った。ディズニーランドにも行った。キャンプにも行った。山にも登った。恵里佳と二人で、風花と天水のために楽しい夏休みの思い出を残してあげようといろいろ考えて計画した。自分たちもそれなりに楽しんだのはもちろんだが、風花と天水が喜んでくれたのが何よりも嬉しかった。家に帰ってきたときの疲労感が心地良かった。来年も行こうね! と言った風花や天水の笑顔は、きっと一生忘れられない。
 二人は、どんなふうに思い出すだろう。
 もっと大きくなったときに、中学生や高校生になったときに、離婚したことを怒るだろうか。ちゃんとした家族のままでいてあげられなかったことを、父親のせいだと罵るだろうか。そしてこの離婚して初めての夏休みが、苦い記憶として残ってしまうだろうか。今はそれなりに楽しく過ごしていたとしても。
 そうならないように努力はしたつもりだが。
 どうだっただろうか。
 そんなことを考えるぐらいなら離婚なんか考えるな、とは、確かにそうだ。
 だから、きっと心の底からそんなふうには思ってはいないのかもしれない。ろくでなしの父親なのかもしれない。
 二人が恵里佳の元に帰ってしまうと、きっと寂しく感じると予想していた。
 夏休みはもうすぐ終わる。
 二人を駅まで送っていって、改札口で手を振った。ひょっとしたらどっちかは不機嫌になるかと心配したけど、そんなことはなかった。
 二人とも、学校にでも行くみたいな様子で準備をして、車に乗り込んで、さっさと降りて、じゃあねー、またねー、と手を振った。
 お父さんちゃんとご飯を食べてね、と、風花は言った。
 お父さんサーフィン練習してよ、と、天水は言った。
 いつでも来いよ、と、言った。
 待ってるからな、とはあえて言わなかった。待ってるぐらいなら離婚なんかするな、と自分で思ったからだ。
 お前たちのことを愛している、などと台詞のような言葉は言えない。
 きっと〈愛している〉という思いは言葉では届かない。溢れ出す思いを言葉になんかできないから、どうしようもないから、〈愛している〉と言い、その言葉と一緒に誰かを抱きしめる。
 抱きしめることができなくなった人間は、きっと小説を書く。
 それも頭の中でこねくり回した結論かもしれないけれど。
 それでも愛していることを信じてもらうために、書かなきゃならないのは小説だった。
 いつか、そんな話ができるだろうか。
 大きくなった風花と天水と。
 そんな日が訪れるように、来るように、努力をするんだ。これからずっと一人で。たぶん、いつまでも一人で。

本当にぜんぜん寂しくない

 寂しくない? って電車に乗って座席に座ってしばらくしたら、風花ちゃんが聞いた。なんか、ビミョーな顔をして僕を見て。
「何が?」
「家に帰るの」
「家に帰るんだから、いいじゃん」
 家に帰るの寂しかったら毎日大変じゃん。
「お父さんとまたしばらく会えないよ」
 風花ちゃんはまた言った。
 そんなのわかってるし、会えないってわけじゃない。
 もうここに来る方法はわかった。
 どれだけお金がかかるかもわかったし、お小遣いでも簡単に来られる。だから、しばらく会えないんじゃなくて、会わないだけ。
 お父さんは小説を書かなきゃならないし、僕は学校に行かなきゃならないし。
「平気だよ。いつでも会えるんじゃん」
「いつでもか」
「いつでもだよ。誰もダメって言わないじゃん」
「まぁそうだね」
 笑ってるけど、わかったよ。寂しいのは風花ちゃんだって。
 なんとなくだけど、わかった。風花ちゃんって、お母さんよりお父さんの方がいいんだ。や、お母さんもいいんだけど、好きなんだけど、きっとお父さんがいた方がいいんだ、風花ちゃんは。
 お父さんはそれをわかってるかな。お母さんもわかってるかな。僕がわかるぐらいだから、きっと二人ともわかってるな。
 僕は、本当にぜんぜん寂しくない。
 お父さんの作るご飯よりお母さんの作るご飯の方が美味しいから、毎日はお母さんと一緒にいた方がいい。
 そんなふうに言ったら、お父さんもお母さんもちょっと困るかもしれないから、はっきりとは言わないようにしようと思うけど。
 二人がものすごいケンカをして、二度と会わないとか言って離婚したんだったらちょっと寂しくなったかもしれないけど。
 わかんないけど、寂しくならないのは、きっとお父さんの書いた小説を読めるからだ。ちゃんと書いたものは、雑誌に載ったものも、本になったものも、僕宛に送るって約束してくれたから。
 お父さんが一人になって、書きたいものを書いて、それを読ませてくれるんだから、いいんだ。
 家にいないだけで、お父さんはそこにいるんだから。いつでも会えるんだから、平気だと思う。
 ぜんぜん寂しくなんかない。

きっと幸せなんだと思う

 風花と天水が帰ってくる。
 でも、帰ってくるって言い方もどうかなって、思ってしまった。あの子たちにしてみると、ちょっとお父さんの家へ遊びに行っていただけって感覚かもしれない。戻ってくる? それも違うか。学校へ行ったって家へは〈帰ってくる〉んだから、やっぱり帰ってくるって感覚でいいんだろうか。
 離婚した父親の家へ行く、というのを、私が気にし過ぎなのかもしれない。私の感情じゃなくて、その行動があの子たちに何か悲しさや苦しさを募らせることにならなきゃいいって、ネガティブな方向ばかり考えたからかもしれない。
 きっと大丈夫だって思う。
 あの家で、風花も天水も楽しそうにしていた。普段よりテンションも上がっていた。旅行気分もあっただろうし、海辺の家の生活なんて初めてのことばかりだっただろうし。
 楽しんで過ごしてたと思う。その反動が、家に帰ってきて出なければいいと思うけど。そして、向こうで暮らしたいって言い出したら何て言って説得しようか、なんて。
 そういうことを、素直に訊いてみることに決めた。
 自分の中であれこれ考え過ぎない。
 でもそれは、何もかもあけすけに子供に話すのとも違うと思っている。親は、大人。子供じゃない。子供に知らせなくていいことと、知っていてもいいことの区別はつけなきゃならない。そうは、思う。
 でも、感情の共有はしようと決めた。
 お母さんは、寂しいの。
 お母さんは、辛いの。
 お母さんは、疲れているの。
 だから、ちょっとだけでいいから優しくしてくれる? 甘えていい? サボっちゃっていい?
 そうやって、風花や天水に素直に言うことにした。
 本当ならそれは夫であった博明さんに言うべきことなんだろうけど、そして博明さんはそれを受け入れてくれるとてもいい夫だったんだけど、それはもうできない。
 できないことを、自分一人の中で消化しようと思うと、どこかで無理が生じるんだ。
 風花も天水も、良い子。優しい子。
 そんなふうにここまで大きくなってくれたことに感謝してる。どうかこのままひねくれないで育つように、あの子たちの人生に大きな嵐など吹き荒れないようにって願っている。
 でも、どうなんだろう。
 親の離婚は、嵐なんじゃないだろうか。
 少なくとも憎み合って、酷い喧嘩やDVみたいなものがあって別れたわけじゃない。
 何で? っていうぐらいに穏やかに私たちは別れた。だから、表面的には何の嵐もなかったはずなんだけど、子供たちの胸の内はわからない。何かが吹き荒れたかもしれない。今も、帰りの電車に乗っているはずのあの子たちの胸の内には何かがあるのかもしれない。それも全部、引き受けなきゃいけない。
 大丈夫。
 私たちは不幸な家族なんかじゃない。
 きっと、幸せなんだと思う。だって、お互いにお互いを思い合っているんだもの。遠く離れていたって。

卒業

 前のお父さんと今のお父さん、って言うと誤解されそうだけど、どっちも同じお父さん。ただ、職業も環境も変わってしまったお父さん。
 自分の意志で、フツーだったら変えられないようなものを変えてしまったお父さん。
 楽しそうだった。
 一緒にいたときに別に苦しそうだったり、辛そうだったりしたわけじゃないけど、今は前よりずっと楽しそうだった。
 だから、いいことなんだと思う。
 前になんかのマンガで読んだ。
 親にだって人生はあるって。
 子供を生んだんだから、育てなきゃならない義務も責任もあるんだけど、それでも親にだって自分だけの人生という選択肢はあるんだって。
 お父さんはその選択肢の中から選んで、そっちへ進もうって決めた。私たちを置いて全然違う方向へ進むんじゃなくて、私たちと一緒に歩いているんだけど違う道を歩いてる。
 ときどき、私と天水がそっちの道を歩いたりしても全然大丈夫。お父さんにおんぶしてもらっても大丈夫。
 でも、お父さんが一人で歩いている時間をちゃんと考えてあげなきゃならない。それをお父さんが選んだんだから、そんちょーしてあげなきゃならない。
「天水」
「何」
「小学校を卒業したらね、中学へ行くでしょ」
「あたりまえじゃん」
 何言ってんの? って顔をして私を見た。
「中学を卒業したら、高校へ行くの」
「行くんじゃない? その後は大学とか、専門学校とか、シューショクとかするんでしょ?」
 そうだね。皆、そうやってるね。
「私さ、高校生になるときに、こっちに来たいって言ったら、どうする?」
「こっち?」
 天水が窓の外を見た。
「お父さんの町ってこと?」
「そう」
 お父さんの家に住んで、高校に通う。中学まではお母さんと過ごすけど、高校の三年間はお父さんと過ごす。
 だって、高校は自由に選んでいいはずだから。選ばなきゃならないはずだから。その後は、まだどうするかなんて何にも考えてないからわかんないけど。
「うーん」
 天水が天井を見上げた。
「いいんじゃないの? 別に」
「天水は?」
「いいよ? だって高校なんて、寮とかに入ることだってあるんでしょ?」
「あるね」
「だったら、おんなじじゃん。どこに住んだって」
「天水は? お父さんの家から学校に通おうとか思わない?」
「ぜんっぜん思わない」
「そうなの?」
 うん、って思いっきり頷いた。
「や、わかんないけど。そうなることがあるのかもしれないけど」
「今はそんなこと考えてない?」
「そう」
 考えてないって頷いた。
「それに、風花ちゃんがお父さんの方に行ったら、僕がお母さんの方にいなきゃかわいそうじゃん、お母さん」
「そうだね」
 お母さんを一人にするのは、かわいそうだ。
「でも、私が高校にこっちに来たとして、天水が残っても、天水はその後二年経ったら高校なんだから、それこそ寮のある学校に行くとかするかもよ」
 そっか、って天水が言った。
「それはしょうがないんじゃない? だって大人になったら、みんなバラバラになるんでしょ?」
 そうだね。
 大人になったら、皆バラバラになるもんなんだ。
 だから、それまでは一緒にいるんだよね、きっと。いようと、努力するんだよね。一緒にいるんだから、仲良く気持ち良く過ごそうとするんだよね。
「そういうもんだよ」
 きっと。

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著者プロフィール

小路幸也(しょうじ・ゆきや)

北海道生まれ。広告制作会社を経て、執筆活動へ。『空を見上げる古い歌を口ずさむ』で第29回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。著書に『東京バンドワゴン』シリーズ、『ビタースイートワルツ Bittersweet Waltz』『すべての神様の十月』『花咲小路二丁目の花子さん』などがある。

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