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縁もゆかりもあったのだ

こだま

縁もゆかりもあったのだ ブック・カバー
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熊の恋文

2019.07.19 更新

 子供時代を振り返ると、我が家は少し変わった同居形態だった。
 両親と妹二人、父方の祖母のほか、父の妹にあたる叔母がひとつ屋根の下で暮らしていたのだ。

 過疎地ゆえ単身者向けのアパートがないという地域性もあるが、我が家が無駄に広かったのも一因だ。実家はアル中の親族が設計したためなのか、床板が薄い、壁が剥がれ落ちるといった欠陥住宅だったが、一風変わった大家族になることを予期したような7LDKという部屋数の多さだった。

 結婚早々に夫の親族とシェアハウスなんて、私だったら一週間も待たずに気が狂う。家に火を放つかもしれない。けれど、母は誰に対してもはっきり物を言う人なので、叔母たちを相手にたったの一度も劣勢になることなく自分のペースで家を動かしていた。母の指示がすべて。司令塔である。私はその才能を一切受け継ぐことなく現在に至っている。

 小学生の私は、同居する叔母の「まりこおばさん」を歳の離れた姉のように慕っていた。20代前半のうら若き女性を「おばさん」と称することに抵抗があったけれど、「まりこさん」と呼ぶほど他人ではなかった。
 オセロの相手をしてくれる。私の得意な鉄棒の連続回転や逆上がりを見て派手に驚いてくれる。だけど、私が妹を泣かせたら、母と同じくらい厳しく叱った。私の腕を引っ張り「反省しなさい」と外につまみ出される。そんなときは、しばらくダイコン畑を歩いて時間を潰したあと「ごめんなさい。反省しました」とドア越しに大きな声で謝ると、中に入れてもらえるのだった。
 姉妹でもなく、母親でもない。同じ家に暮らす女の人。身近にいる一番好きな大人だった。

 まりこおばさんは近所の会社で事務員をしていた。低血圧で、いつも青白い顔をしている。朝はひとりで起きられない。祖母に頼まれ、起こしに行くのが私の日課だったけれど、あまりにも気持ちよさそうに寝ているので、布団にもぐって一緒にうとうとしてしまうのだった。
 枕や毛布には、まりこおばさんの使っている百合のような甘いシャンプーの香りが染み付いていた。登校するときに自分の髪の毛から同じ匂いがふわっと漂う。その瞬間がなんとも言えず幸せだった。
 
 ひょろりと背が高く、細身のジーンズがよく似合う。中古で買った白い車を持っていて、たまに近隣の街まで乗せてくれる。両親と一緒のときには絶対に足を運べない喫茶店で「みんなには内緒だよ」と、こっそりチョコレートパフェを食べさせてくれたのもまりこおばさんだった。
 私が未だに喫茶店に強い憧れを抱いたり、パフェに固執してしまったりするのは、そのせいかもしれない。大人の世界に足を踏み入れた子供のころの気持ちを思い出すのだ。
 
 まりこおばさんは、ほがらかで友人が多い。週末になると部屋に年頃の男女が集まる。私は足音を忍ばせて階段を上がり、しばらくそこに腰掛けて賑やかな話し声に耳を傾けている時間が好きだった。 
 
 そんなまりこおばさんとの別れは唐突だった。
 ある日とつぜん来客があり、大人たちだけで神妙に話し合ったのち、私と妹たちが「ちょっとおいで」と居間に呼ばれた。
「まりこおばさんのフィアンセよ」
 さっきまで裏の畑でダイコンを抜いていた母から放たれる、およそ不似合いな横文字に、どうしようもない恥ずかしさを覚えた。

 そこには胸板の分厚いおじさんがいた。
 太い眉毛に、ぎょろりとした大きな瞳。二の腕から指の先まで毛むくじゃらだった。口数は極端に少ない。誰かが口を開くたびに目玉だけが左右に動く。笹薮で身を潜める熊のようだった。
 どうして若くて綺麗なまりこおばさんがこんな熊おじさんと結婚するんだろう。
 驚きのあまり「こんにちは」の声も出なかった。
 熊に騙されてるんじゃないか。
 そんな私の心配をよそに、あっという間に結婚式の日取りが決まった。
 まわりは祝福する人ばかり。結婚に異議を唱える者はひとりもいない。

 まりこおばさんは新しく始まる生活のことで頭がいっぱいで、すっかり舞い上がっていた。あんなに寝坊だったのに、私が起こしに行くと布団がきちんと畳まれている。一緒に隣街へ出掛けると、シーツや枕カバーなんかを二組ずつ買う。「どっちの色がいいかな」とマグカップの色を私に訊く。それらが並ぶ家に私はいない。目の前にいるまりこおばさんが、すでに遠い人になっていることに気付いて寂しさが押し寄せた。

 寒さも緩み始めた春先、まりこおばさんは東北の地方都市へ引っ越した。我が家からは一日がかりでようやく着くような海沿いの街だ。
 私は荷物が運び出されて空っぽになった二階の部屋にひとり、大の字になって寝転んだ。お別れの言葉もちゃんと言えなかった。置いてけぼりにされたような虚しさに包まれた。カーペットに残る家具の痕跡を目で追っていると、部屋の隅に見慣れないクッキーの缶があった。
 もしかしたら私への贈り物かもしれない。
 息を吹き返したように飛び起き、獣のように素早く這って手に取った。どきどきしながらゆっくり蓋を開けると、そこには白い封筒が入っていた。手紙だ。最後に私との別れを惜しみながら書いてくれたのかもしれない。
 胸を高鳴らせながら封を開いた。

「まりこへ」 

 一行目で頭を打ち砕かれた。熊からの恋文だった。
 大人の男の人が好きな人に向けて真剣に書いた「生身の文章」を目にしたのは、このときが初めてである。「愛しています」「一生大事にします」と子供のようなたどたどしい文字で数枚にわたって書いてあった。
 あの無口な熊が。こんな熱烈な求婚を。
 話すのが苦手だから手紙にしたのかもしれない。
 そう思ったら、ずっと憎らしかった熊に少しずつ親しみがわいてきた。私とおんなじだ。

 あれから月日は流れ、2015年。私は彼らの一人娘の結婚式に招待された。披露宴を締め括る花嫁からの手紙が読み上げられると、熊はその大きな目玉から大粒の涙をこぼし、子供のように声を上げて泣いた。
 まりこおばさんも、一人娘も、約束どおり大事にされていた。「こんな漫画みたいに泣く人が本当にいるのね」と同じテーブルの人たちが苦笑いしていたけれど、私には人目もはばからず無様に泣ける彼が羨ましくて仕方なかった。

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作品について

著者プロフィール

こだま

主婦。2017年1月、実話を元にした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作は13万部を超える大ヒットとなり、『ブクログ大賞2017』エッセイ・ノンフィクション部門ノミネート、『Yahoo!検索大賞2017』小説部門賞を受賞。映像化、マンガ化でも話題に。二作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞受賞。また現在、「Quick Japan」「週刊SPA!」で連載中。

作品概要

幼少期からいままで、いろいろな人や場所、ものと交差してきた。
「陳腐」でいとおしいものから、「数奇」と呆れられるものまで――。
著者初のWEB連載は、日常と記憶をたどる優しくコミカルなエッセイです。

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