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縁もゆかりもあったのだ

こだま

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浅草寺と奇縁

2019.02.22 更新

 年明けの浮き立つような余韻が続く1月初旬、対談と取材のため2泊3日で東京へ出かけた。夫には「友達の家に行く」と告げた。
 こんな生活をいつまで続けるのだろう。家族に言えないことばかりじゃないか。そう良心の呵責を感じる自分と、いや、こうなったらとことんやっちまおう、「いけいけ突っ走れ」とぐるんぐるん腕を回す三塁コーチャーのような自分もまたいる。最終的には私の中の「彼」がいつも競り勝つ。それは2019年になっても変わらない。

「こんな氷の世界で暮らしているのか」と機内から故郷の山並みをまじまじと見下ろしていたら、何の前触れもなく右下の親知らずに激痛が走った。
 たちまち「親知らず」が「親、娘の愚行を知らず」に思えてきた。「小型の両親」が右下の奥歯を拳で殴っている。そんな画が浮かんだ。
 すぐ治まるだろう。何かの間違いであってくれ。その祈りもむなしく、患部をじんじんさせたまま陽の傾く羽田空港に到着した。

 気合で乗り切るしかない。頭の中から歯痛を排除すべく、街並みに目を向ける。
 私は冬から春先にかけての東京がいちばん好きだ。
 1月なのに雪がない。手袋を忘れても凍傷にならない。何度訪れてもその事実に驚いてしまう。生垣には思わず目を引く赤いサザンカの花。鈴なりに真っ赤な実をぶら下げるマンリョウの低木。民家の庭先に実るみかん。凍り付いたものばかり見てきたから、目が誤作動を起こしそうになる。
 これが東京の真冬。ありえない。最高。
 幾種もまざった植え込みの緑と土のにおいに、いちいち足を止めながら、大きな荷物を提げて定宿まで歩く。この日は特に、熱を帯びた頬に冷えた空気が心地よい。

 しかし、私は歯痛をあなどっていた。深夜になっても腫れは一向に治まらなかった。対談先で痛み止めの薬をいただいたり、宿の隣のコンビニで買った冷却シートを貼ったりしたけれど、一時しのぎに過ぎない。
 ベッドに入ると身体が温まる。自然と歯が痛くなる。眠れない。冷たい水をしばらく口に含んでいると、熱が引いて痛みが少しやわらぐ。ほっとして横になるのだが、再び突き上げるような痛み。「小型の両親」が昼夜を問わず張り切っている。父さん、母さん、もう2時です。いい加減寝てください。
 旅先で歯が痛むとこんなに心細いものなのだ。近場の歯科医院に駆け込めば応急処置をしてもらえるのだろうか。
 あれこれ思案していたら、ふと昔見た映画のワンシーンがよみがえった。無人島に漂着した男が虫歯の痛みにのたうち回り、島に流れ着いたスケート靴の刃や石を使って自力でその歯を抜くのだ。いま私はその男の気持ちが手に取るようにわかる。

 人と話しているあいだは痛みをかなり忘れられた。初対面の人を目の前にすると、それどころじゃなくなるのだ。緊張は麻酔代わりになる。
 不自然に頬を押さえながらも何とかすべての仕事が終了。最終日は昼の飛行機まで、ぽっかりと時間があいた。誰との何の約束もない。
 何をしたらいいんだろうという戸惑いと、何をしてもいいんだという開放感。下調べをしてこなかったことを悔やんだが、行き当たりばったりもいいじゃないかと気を取り直し、歩きながら考えを巡らす。
 そうだ、浅草寺まで行ってみよう。
 その日は、前日の陽気とは一転、風が冷たかった。しかし、歯には好都合。JR秋葉原駅のホームで冷気を思う存分吸い込んだ。もっと冷やしたい。どんどん吸う。次第に怪しい健康法みたいになっていった。
 コートの襟を立て、「すうすう」と謎の音を発しながら電車を待っていると、灰色の空から雪が舞ってきた。みぞれになる手前の、水分を多く含んだ雪。隣に立つ若い女の子も、異国の男女も、スマホを空にかざして写真を撮っている。いい日に立ち会えた。そう思いながら、また吸う。例年よりも遅い東京の初雪だった。

 浅草は夫と初めて遠出をした思い出の地だ。
 22歳、就職一年目の夏休み。まだ結婚前だった。東京といえば浅草。そんな多くの外国人観光客と同じ発想で浅草寺へ向かったのだ。
 私たちは浅草寺でおみくじを引いた。細長い箱を振り、その穴から出てくる棒の番号のおみくじをもらう「振りくじ」だ。このちょっとした手間が「自分への特別なメッセージ」に思えた。胸を躍らせながら箱を揺すり、おみくじを手にした私に戦慄が走った。
 大凶だった。
 教員としての人生が始まったばかり。結婚式の打ち合わせも控えている。
 大吉を引くよりも難しいはずだ。夫は「生の大凶はじめて見た」と笑い転げた。当時から人の不幸や不測の事態が嬉しくて仕方のない人だった。そんな夫は大吉。世の中は不公平にできている。
 仏様から重いものを手渡された気分になりながら向かった上野動物園で、早速その効力が表れた。私は動物に夢中になるあまり、両脚を50ケ所以上も蚊に刺されてしまったのだ。気が付いたときには手遅れだった。スカートから出ていた、ふくらはぎから足首が赤い斑点だらけになっていた。異星人の脚だ。
 夢中になっていたのがパンダならまだわかる。だが、私が長時間眺めていたのはタヌキだった。故郷の野山に行けばいつでも会えるやつ。そして、その晩、熱を出した。
 
 タヌキの何が面白かったのだろうか。22歳の自分に思いを馳せながら写真撮影の観光客で溢れる雷門をくぐり、仲見世通りの店先に並ぶ着物やお面を眺めて歩く。
 本堂で手を合わせ、おみくじの前で立ち止まった。
 ここだ。覚えている。でも、きょうは引かない。いつか夫と再び訪れる日まで待とう。それまで大凶の記録保持者のままでいい。
 気になって浅草寺のおみくじについて調べると、現在大凶は入っていないらしい。私は貴重な経験をしたのかもしれない。
 頬をさすりながら「身代守」という木札を買い求めた。「あなたの代わりに厄を引き受けてくださいます」と書かれている。いまの私に最も必要な文言だ。

 帰宅後、意外な事実が判明した。歯医者に診てもらうと「親知らずに異常はないし、虫歯もない」と帰されたのだ。通院先の担当医に相談すると「細菌がアゴの骨に侵入している」と耳慣れない症状を告げられた。
 こんなの気合やお札で治るはずがない。「菌を殺すお薬」をもらい、「死んでくれ」と願いながら飲む日々が始まった。

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作品について

著者プロフィール

こだま

主婦。2017年1月、実話を元にした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作は13万部を超える大ヒットとなり、『ブクログ大賞2017』エッセイ・ノンフィクション部門ノミネート、『Yahoo!検索大賞2017』小説部門賞を受賞。映像化、マンガ化でも話題に。二作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞受賞。また現在、「Quick Japan」「週刊SPA!」で連載中。

作品概要

幼少期からいままで、いろいろな人や場所、ものと交差してきた。
「陳腐」でいとおしいものから、「数奇」と呆れられるものまで――。
著者初のWEB連載は、日常と記憶をたどる優しくコミカルなエッセイです。

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