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縁もゆかりもあったのだ

こだま

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監獄のある街で

2018.09.28 更新

「俺はたったいま刑務所から出てきたんだ」
 見ず知らずの男性に突然そう話しかけられたことがある。
 真冬のJR網走駅構内での出来事だった。
 私は大学生で、数年後に夫となる人と青春18きっぷを使って北海道をぐるりと旅行していた。オホーツク海に面するその街に立ち寄り、名物の駅弁「かにめし」を買い、ベンチに座ってさあ食べようというときだった。
 浅黒い皮膚をたるませた六十代くらいの小太りな男性がふらりとやって来て、並んで座る私たちのすぐ横に腰を下ろした。まわりに客はほとんどおらず、ベンチもたくさん空いているというのに。
 そして冒頭の一言だった。
 娑婆で接する最初の人間が私たちだったのかもしれない。会話の距離感を忘れてしまったのか、元からそうなのか、とにかく、いきなりだった。
 私たちは「えっ」と発したまま固まった。
 刑務所と監獄博物館のある街特有の冗談だろうか。反応に困り、苦笑いしていると、おじさんは身を乗り出して話し始めた。
 ちょっと悪いことをして五年服役していたこと。列車で女満別空港まで行き、飛行機で東京へ帰ること。そこでは「むかし俺が世話をしていたやつら」が帰りを待っていること。
 どこか誇らしげに語るおじさんの前歯は欠けていた。
  
 その「ちょっと悪いこと」が気になって仕方なかった。
 クスリですか。放火ですか。それとも。
 気さくなその人は喜んで教えてくれそうだけど、どんな顔で聞けばよいかわからないので黙っていた。学生の「ちょっとした」いたずらとは大きくかけ離れていることだけは確かだ。
 私たちは膝の上に載せた「かにめし」に手を付けられずにいた。気が引けた。ムショ帰りの人の前で、のんきに頰張ってはいけないような気がした。

 おじさんの乗る列車がホームに着いたとき、私たちは誰に教わったわけでもないのにキリッと立ち上がり、キリッと四十五度のおじぎをした。わずか十数分のあいだで自然と舎弟の振る舞いになっていた。
 すると、おじさんは気を良くしたのか、別れ際「これやるよ、餞別だ」と言って、ずっと片手に持っていたエメラルドグリーンのものを夫に手渡した。私たちは「ありがとうございます!」と声をそろえ、再びキリッと一礼した。やはり舎弟の素質がある。
 列車が目の前から去っていくのを見届けてから、雑に丸められた「餞別」を広げてみた。それは首元や袖口の伸びきったスウェットの上下だった。ついさっきまで塀の中で着ていたのか、酸っぱい汗の臭いがした。
 私は「すごい記念品もらっちゃったね」と笑ったが、夫は「こんなきったねえもん持ち帰れるかよ」と指先で摘み、つかつかと歩き出した。そうして南の海のように鮮やかなグリーンは、北の大地のステンレス製のごみ箱にするんと吸い込まれた。
 窓の外は雪が降っている。路面もすっかり覆われている。ごみ箱の中を覗くと、そんな真っ白な世界に抵抗するかのように、おじさんの分身が異彩を放っていた。
 果たして飛行機を降りたおじさんを迎えてくれる仲間は本当にいるのだろうか。「ひとりぼっちだったら悲しいね」と夫に言うと、「世の中そういうもんだよ」と手厳しかった。
 色彩の乏しかったあの日の北の街を思うとき、前歯のないおじさんと場違いなほどまばゆいエメラルドグリーンが一緒になって前面に出てくる。それがあまりにも強烈だったから「かにめし」の味を思い出すことができない。

 次に網走を訪れたのも、また寒さ厳しい冬の真ん中だった。
 新年を迎えた温泉宿の玄関先には縁起物の桃色の繭玉がいくつも垂れ下がり、雪原の中、そこだけ人工的な色が際立っていた。
 私たちは三十代半ばになっていた。この結婚生活がうまくいっているのか、いっていないのかわからなかった。夫婦仲はぜんぜん悪くない。刑務所帰りのおじさんに「餞別」をもらった日と何ら変わらず日常が続いていた。それで充分なはずなのに、双方の親が決まって口にするのは「不妊治療を受けなさい」だった。思いつめた親の顔を見るたびに、自分たちの「不完全さ」と向き合うことになった。
 これが私たちの完成形だ。子供は望んでいない。あきらめたのじゃなく、このままでいい。
 けれども、親を目の前にすると何も言えなかった。この温泉旅行を終えたら私の実家に寄ることになっている。もうこの問題はおしまいにしたい。

 そんな重苦しい気持ちのまま訪れたのが網走監獄博物館だった。
 レンガ造りの正門の頂には、綿帽子のように雪が積もっていた。
 門をくぐると、明治、大正期の歴史的建造物が並んでいる。囚人が収容されていた建物は、中央に見張所があり、そこから放射状に五棟の舎房が広がっていた。上空写真からは、五本の光線がまっすぐ伸びているように見える。日陰の世界なのに、皮肉にもその形状は太陽みたいだ。
 雑居房や独房の連なる、凍てつく長い廊下を歩いた。すきま風に足元から体温を奪われる。鉄格子の奥の窓には氷がへばり付いていた。
 錆付いた錠のかかった独房に、薄手の囚人服を着た男の人形が、うつろな目で正座していた。
 これは私だ。これから親に問い質される私だ。
 とっさにそう思った。親や世間と対峙する自分と重なった。私は誰に頼まれたわけでもないのに、自ら檻に入ってしまったのだ。
 もう自分を縛り付けるのはやめよう。
 おじさんのエメラルドグリーンの上下を捨てたように、自分の卑屈な気持ちを檻の中に放り込み、その場を後にした。

 この夏、数年ぶりに夫とその地を再訪した。ふたりで愛読していた漫画に、その監獄が出てくるという単純な理由で、はるばる足を運んだのだった。
 八月の監獄は手入れの行き届いた花々に囲まれていた。真冬とは打って変わって別世界だった。厚い氷に覆われていた池には蓮がみっしりと葉を広げ、可憐な花がすっと天を向いていた。
 舎房に足を踏み入れた。高い天窓から光がさんさんと射し込んでいる。棟の突きあたりの扉が開け放たれ、生暖かい風が通路に吹き込んでくる。囚人と自身を重ねた日が妄想だったんじゃないかと思えるくらい、いまの私は穏やかな気持ちで歩いていた。
 きちんと決別できたのだ。人からどのように見られても、私たちはこのままでいいと思えるようになったのだ。歩く方向が定まると、世界の見え方も変わった。

 雪原はひまわり畑になっていた。のどかな畑の先に小さな鳥居があった。お賽銭を滑り込ませ「原稿を書けますように、夫婦関係がこのまま続きますように」と私の頭の中を占める大きなふたつの願いを何度も唱えた。これからもずっと、そればかりだ。
 
kangoku

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作品について

著者プロフィール

こだま

主婦。2017年1月、実話を元にした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作は13万部を超える大ヒットとなり、『ブクログ大賞2017』エッセイ・ノンフィクション部門ノミネート、『Yahoo!検索大賞2017』小説部門賞を受賞。映像化、マンガ化でも話題に。二作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞受賞。また現在、「Quick Japan」「週刊SPA!」で連載中。

作品概要

幼少期からいままで、いろいろな人や場所、ものと交差してきた。
「陳腐」でいとおしいものから、「数奇」と呆れられるものまで――。
著者初のWEB連載は、日常と記憶をたどる優しくコミカルなエッセイです。

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