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縁もゆかりもあったのだ

こだま

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東京は、はじまりの地

2018.07.20 更新

 東京は私にとって縁のない場所だった。
 高校の修学旅行や海外へ行く飛行機の乗り継ぎ時間を潰すために立ち寄った程度だった。東京のことを何も知らない、何をすればいいかわからない。そんなぼんやりとした怖さがあり、どこか避けるように過ごしていた。

 その封印が解けたのは二〇一〇年。同じ投稿サイトの仲間二〇人と蒲田で会う約束をしたのだ。これをきっかけに出かけてみよう。ようやく東京へ行く目的ができた。
 都心での飲み会だったら山暮らしの私が辿り着けないだろうと配慮しての蒲田だった。みなさん親切なのだ。宿も蒲田に取っていた。
「蒲田なら空港からすぐだから大丈夫だよ」と言われたが、東京に大丈夫な場所があるとは思えなかった。
 ひとりでちゃんと電車に乗れるだろうか。三〇歳をとうに過ぎているのに、そんな初歩的なところで躓いてしまう。私の故郷には線路すら通っていない。バスは一日二本。とても難易度の高いミッションにしか思えない。
 その日、私は羽田に降り立ち、はらはらしながら京急空港線に乗り込んだ。京急蒲田駅で降りる。ただそれだけ。なんでもないことだった。  
 そして、確かに蒲田は怖くなかった。
 それが私にとって初めての東京だった。
 
 四年後の二〇一四年。私は文学フリマという同人誌即売会に参加するため上京していた。ひとりでは不安だったので、ネット上で「誰か一緒に出ませんか」と仲間を募った。ありがたいことに、これまた投稿サイトの仲間三人が応じてくれて、エッセイや創作を一冊の本にまとめた。
 ゴールデンウイークのさなかだった。私の大きなバッグには、自宅のプリンターで刷った大量のポストカードと地元の銘菓がぎっしり詰まっていた。どちらも同人誌を購入してくれたお客さんへのおまけの品である。
 参加経験もない、ただの素人である私たちの文章を五百円も出して買ってくれる人がどれだけいるのだろう。百冊も注文したのに売れなかったどうしよう。そんな不安から「どうか、これでひとつ」とおまけを握らせ、ごまかそうという魂胆だった。

 この日は京急沿線にある北品川の宿を予約していた。京急には「羽田空港と一本でつながっている」という妙な安心感があった。その先には私の故郷がある。そう考えると心細さも薄まる。
 大荷物を抱えて赤色の電車に乗った。ずっと窓の外を眺めていた。
 間もなく北品川に到着というときだった。目の前の斜面が赤、白、桃色のつつじで埋め尽くされていた。いくつもの鞠が嵌め込まれているような、こんもりとした美しい壁画に見えた。あれは何だろうと目を凝らしていたら、電車が進むにつれ、道路に面した立派な構えの鳥居が目に入った。品川神社と書いてある。
 あそこに行きたい。行かなきゃ。
 東京、初めての同人誌即売会。不安がこみ上げてきて、電車を降りると突き動かされるようにまっすぐ神社に向かった。
 鳥居をくぐり、やや急な石段を上る。ふと横に目をやると、その斜面に鮮やかな桃色のつつじが枝を突き出していた。一段ごとに、薄明かりに包まれる北品川の街が視界に広がっていく。
 賽銭を入れ、慎重に祈った。
「同人誌を買ってもらえますように」 
 日がすっかり落ちるまで境内の大きな石に座り、行き交う電車を眺めていた。暗がりの中の、薄ぼんやりとしたつつじの輪郭もまた美しかった。

 別に祈ったおかげではないけれど、翌日の即売会は予想を大きく上回る盛況ぶりだった。同人誌は二時間ほどで完売した。普段から私たちの文章を読んでくれている人たちがやって来て、一言二言交わしては帰ってゆく。同窓会のような、はたまた放課後の教室のような穏やかな時間だった。 
 
 あれから四年。まったく縁のなかった東京に、現在は月一で通っている。これは通院と同じペースだ。
 緊張しないで電車に乗れるようになったけれど、ついこのあいだまで宿泊先に変なこだわりがあった。蒲田、北品川、新馬場、大鳥居、大森海岸、品川、と京急沿線の宿にしか泊まらない、と自身に課していたのだった。品川より奥、都心方面に泊まってはいけない。もうひとりの自分が「そっちに泊まるのは生意気だ」と言ってくる。
 でも、あるとき気が付いた。
 空港からモノレールもあるじゃないか。故郷とつながっているではないか。
 一気に浜松町まで宿泊範囲が広がった。それをきっかけに全身を縛っていた縄がするすると解け、自由になった。新宿、高円寺、阿佐ヶ谷、新橋、国分寺、とその時々の目的に合わせてどこにでも泊まるようになった。
 最初から自由でよかったんだ。いまとなっては謎の「京急縛り」もいい思い出だ。

 同人誌でつながった仲間はそれぞれの活動を始めた。のりしろさんは純文学の新人賞を獲り、乗代雄介という名で小説を執筆している。爪切男さんは私小説を出し、多方面のイベントに呼ばれている。たかさんは漫画の賞を獲り、いまも黙々と描き続けている。そして、私も私の道を進んでいる。
 やってみないとわからないことの連続だった。

 勇気を出して東京へ行ってよかった。文学フリマに出てよかった。その誘いに乗ってくれたのが気の置けない知人でよかった。恥も外聞も捨てて『夫のちんぽが入らない』というエッセイを書いてよかった。それがたまたま編集者の目に留まってよかった。「クイック・ジャパン」と「週刊SPA!」からの執筆依頼を断らなくてよかった。信頼できる編集者に巡り会えてよかった。『夫のちんぽが入らない』を書籍化してもらえてよかった。中傷の言葉が飛んでくることもあったけれど、それらがどうでもよくなるくらいもっといいものを書こうと打ち込めてよかった。好きなように書いてやると開き直り『ここは、おしまいの地』というエッセイを出してよかった。そして、思いも寄らない賞をいただけて本当によかった。

 何度東京を訪れても目に浮かぶのは品川神社の高台から見下ろした薄暮の街並みとつつじの花。そして「同人誌を買ってもらえますように」と手を合わせていたときの心細さ。 
 あのときからすべてがつながっている。無駄なことなんて、ひとつもなかった。
 
shinagawa

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作品について

著者プロフィール

こだま

主婦。2017年1月、実話を元にした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作は13万部を超える大ヒットとなり、『ブクログ大賞2017』エッセイ・ノンフィクション部門ノミネート、『Yahoo!検索大賞2017』小説部門賞を受賞。映像化、マンガ化でも話題に。二作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)は第34回講談社エッセイ賞受賞。また現在、「Quick Japan」「週刊SPA!」で連載中。

作品概要

幼少期からいままで、いろいろな人や場所、ものと交差してきた。
「陳腐」でいとおしいものから、「数奇」と呆れられるものまで――。
著者初のWEB連載は、日常と記憶をたどる優しくコミカルなエッセイです。

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