キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

縁もゆかりもあったのだ

こだま

縁もゆかりもあったのだ ブック・カバー
バックナンバー  1 

京都を知っていた

2018.05.25 更新

 子供のころ、ひどい赤面症だった。そのうえ軽い吃音や声の震えもあり、授業中に朗読の順番が回ってくるのがとても恐ろしかった。真っ赤になって言葉を詰まらせていると変な目で見られ、笑われた。人と向かい合うと全身から汗が噴き出し、気軽におしゃべりすることもできない。誘いを断るにも言葉が必要だから、たいてい「うん」の一言で済ませていた。

 小学校五年生のとき、こんな私でも人と交流できる道を見つけた。
 手紙である。学習教材の片隅に文通相手を探すコーナーができたのだ。
 胸が高鳴った。手紙なら、相手を目の前にして話さなくてよいのなら、いける。「文通」は私のためにあると思った。
 ひとりずつじっくり目を通していくと、ある女の子の自己紹介が目に留まった。
「いらないものを交換しませんか」
 京都市北区に住む同い年のチカちゃんという子だ。
 好きなアイドルや趣味を堂々と宣言する人が多い中、その簡素な一文が私には眩しく見えた。
 
 何でもいいのかな。
 学習机の引き出しをまさぐり、処分に困っていた使い捨てカイロと健康祈願の御守りを封筒に詰めた。桜の時期を迎え、北の集落で暮らす私ですら使わなくなった季節外れの大きなカイロをどうして京都の子が喜ぶだろう。そして見知らぬ人間のお下がりの、聞いたこともない神社の御守り。不気味なこと極まりない。
「ほんとにいらねえもん送ってきやがった」
 ぱんぱんに膨らむ封筒を開けた瞬間の彼女の眉間のしわを、戸惑いを、大人になったいまなら想像できる。
 見知らぬ相手に手紙を書くことに不安はなかった。「いらないもの」について綴るうちに、私のことも知ってもらいたくなった。生まれ育った集落やその気候、スキーが得意なこと、でも泳ぐのは苦手なこと。紙の上では不思議なくらいすらすらと言葉が溢れ出るのだった。

 学校から帰ると、「入っていますように」と胸の前で小さく手を合わせてから郵便受けを覗くようになった。
 何度目かのお祈りを経て、それは届いた。顔もわからない京都の女の子が私の住所と名前を書いてくれている。くせのない大人びた文字だった。くすぐったい気持ちのままでいたくて、しばらく封を開けずに勿体ぶった。
 その少し大きな封筒の中には五重塔や観音様のポストカードが数枚入っていた。
「まさに京都の人って感じ」
 集落からほとんど出たことのない子供にとって、初めて触れる生身の異文化だった。
 中でも目を奪われたのは赤茶けたレンガの橋だ。
「水路です」
 チカちゃんの丁寧な文字を何度も読み返した。私の知っている田んぼの用水路とはずいぶん違う。橋脚には窓のような空洞が施されており、外国の風景を眺めている気分になった。
 チカちゃんとは中学を卒業するころまで手紙のやりとりが続いた。好きな男の子の話もした。修学旅行や家族の写真を送り合うこともあった。彼女は、手脚がすらりと伸びたショートボブの活発そうな女の子だった。
 五年も文通していたけれど、会ってみたいとは一度も思わなかった。手紙だから饒舌に話せる。手紙だから私のことを嫌わずにいてもらえる。会ったら落胆させてしまう。文字に思いを託す関係で充分だった。
 高校に入ってからは、お互いに新しい生活や人間関係に気を取られ、どちらともなく返信の間隔が空いた。二ヶ月、三ヶ月、半年、一年、二年。「お久しぶりです」と書き出してみたものの、長い沈黙を破ってまで伝えたいことが特段思いつかない。日の傾きをぼんやり眺めていたら、いつしか暗闇に包まれていたように、わかりやすい断絶のないままチカちゃんとの手紙はそれっきりになった。

 彼女の存在を思い出したのは三十代に入ってからだ。
 当時、私はライターとして働いていた。毎日知らない人に会い、慣れないながらも取材をこなしていた。書くことだけはずっと好きだったけれど、土日も遅くまで仕事が入り、ある日とうとう過労で倒れてしまった。
 どこか遠くに出かけよう。ひとり旅をしよう。
 退職の手続きをしながら「行き先は京都がいいな」と何の迷いもなく決めていた。かつて封筒の表に書き続けた京都。彼女との交流は途絶えてしまったけれど、街への愛着は変わらない。
 何でもインターネットで調べられる時代なのに、わざわざハンドブックを購入した。初めてのひとり旅だから、記念に買いたかった。
 高揚感に浸りながらページをめくった。八坂の塔、祇園の街並み、石畳、のどかな鴨川沿いの風景。うっとりする。そんな中、とある写真から目が離せなくなった。
 知ってる。私この場所、ずっと前から知ってる。
 チカちゃんの送ってくれたポストカード。あの「水路」だ。

 四月初旬の京都の街をひとり歩いた。
 ひっそり花開く山桜ばかり見て育った私は、交通標識や寺院に覆い被さるように枝を張り、その先までみっしりとまばゆい色を付ける京都の桜に、ただ圧倒された。無数の眼がまばたきもせずこちらを見ている。そんな気持ちになった。
 私の足は京都市の東側、南禅寺に向かった。寺のシンボルとなっている荘厳な三門を抜け、境内の片隅に視線を移すと不意にそれが目に入った。
「あ、チカちゃんの水路」
 思わず声に出していた。
 正しくは「水路閣」と呼ぶらしい。琵琶湖の湖水を京都市内に引くためのアーチ状の橋だった。
 初めて訪れたのに、初めてじゃない。懐かしさが込み上げてくる。橋脚の洋風窓のような緩やかな曲線も、苔むしたレンガの色も知っている。昔のままだ。答え合わせをするように、記憶の断片と断片がつながってゆく。
 勝手に「友達」と呼んでいた京都の女の子、六十円切手で届いた手紙、部屋の壁に貼っていた「水路」。小学生のふたりに手を引かれるようにアーチをくぐり、レンガを撫でながら思った。チカちゃん、京都いいところですね。
 
水路閣1

バックナンバー  1 

著者プロフィール

こだま

主婦。2017年1月、実話を元にした私小説『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)でデビュー。同作は13万部を超える大ヒットとなり、『ブクログ大賞2017』エッセイ・ノンフィクション部門ノミネート、『Yahoo!検索大賞2017』小説部門賞を受賞。本年は映像作品とマンガでの展開を予定している。二作目のエッセイ『ここは、おしまいの地』(太田出版)も好評発売中。また現在、「Quick Japan」「週刊SPA!」で連載中。

ページトップへ