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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

デイ・トリッパー ブック・カバー
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第3回

2015.03.15 更新

芙美は、笑顔を浮かべて奥の中庭に面した席に香菜子を案内した。
「お茶でもいれるわね」
香菜子を座らせると、芙美は壁の向こうへと去った。すぐにでも、時を跳ぶ機械のある場所へ案内されるのかと思っていた香菜子は少し虚を衝かれたような気分になった。
思えば気分が少し高揚していることが自分でもわかる。前日までは、何をする気も起こらなかったというのに。
芙美は香菜子を落ち着かせるために、お茶をすすめたのだろうか。
店内を、あらためてゆっくりと見回した。思いのほか高い天井だった。すべてが木製だ。木製の床。木製のテーブル。白い壁紙には小さな花柄があしらわれていた。そして木製の天井。カフェの外観を見たときに、「英国植民地時代のアメリカの建物のようだ」と感じたことを思いだした。
木製の温かみが全体に漂う。ただし、建物そのものには歴史を感じる。これは芙美の伯父という人物の趣味だったのかもしれない。そして芙美は、この建物の古典的な魅力をそのままカフェに活かしたのではないのかな、と想像した。
遠くから、かすかに音楽が流れてくる。耳をすませる。クラシックではなかった。大きな音響ではないからメロディが耳に心地よい。
聞いたことがある曲だ。
曲名はすぐに思いだせた。「イエスタデイ」だ。ビートルズのポール・マッカートニーが作ったんだ、と香菜子は思いだす。高校の頃、音楽の授業に出てきた記憶がある。
「お待たせしました」
芙美がテーブルの上にカップを置き、ティーポットから紅茶を注いだ。
「この曲、好きなの?」と芙美が尋ねる。「え?」と思わず香菜子は問い返した。
無意識のうちに「イエスタデイ」を口ずさんでいたのだ。
「え、ええ」
「このお店で流れている曲は、いつもビートルズなのよ」と芙美は言った。「さあ、どうぞ」と紅茶をすすめる。
「ありがとうございます」
香菜子は、カップを手に取る。それだけで芳しい香りがした。砂糖もミルクも使わずに一口飲んだ。ほろ苦い味が口の中で広がっていくのがわかった。
芙美は、香菜子が満足そうに紅茶を飲むのを見届けているかのようだった。
香菜子がカップを置くと、やっと芙美が言った。
「決心したんですね。私のことを信用していただいたのね」
「ええ」と香菜子は頷いた。「きっと、芙美さんから話を伺っている途中から、決心していたのだと思います。だから、昨日帰ってからこちらを訪ねるまで、一度も迷ったりすることはありませんでした」
「よかった」
「先に知っておきたいのですが、その心のタイムマシンで芙美さんが過去へ送り出したのは、私で何人目なのですか?」
芙美は少し首を傾げてみせた。
「伯父のことは知りません。でも、私が遡時誘導機で過去へ行きたいと願う人を過去へ送り出すのは香菜子さんが初めてなんです。嘘をついても仕方がないから本当のことを言っておきます。昨日もお話しした通り、伯父の遺したすべてのものが私の所有になったのが、つい最近のことなのですから」
「え? 私が初めてなのですか?」
「そう」
香菜子は、この場に及んで悪い冗談を聞かされているのか、と思ってしまった。
「では、その機械で本当に過去に行っているのかどうかもわからないではありませんか?
 ……芙美さんも、この機械を使ったことがあるのではないのですか?」
「私は何度も、機敷埜の伯父に手伝わされていました。基本的に伯父は人を信用する人ではありませんでした。だから、どうしても人手を必要とする実験のときは、私を頼ったのです。遡時誘導機の初期の段階では、どうしても機械の操作を人に委ねなければならなかったのです。そのときに、私は取り扱いについては習熟したつもりです。だから、何も心配されることはありません。伯父が何度も自分自身を被験者として過去へ跳んでいるのですから」
芙美は自分のことには触れず、あくまで伯父の経験談として語った。
「危険はないのですか? 扱い方はわかるんですか?」
その伯父という人物はもう亡くなっている。その死因は何だったのだろうか、という疑問が香菜子の脳裏をよぎった。まさか、この機械を使ったから、ということは……? しかし、その後、彼はフリーエネルギーに研究の興味を移したはずだ。芙美は続けた。
「伯父はすべての回で異常なく過去から戻りました。そのうち、私が手伝わなくても伯父一人で操作できるようになりました。私だって、電気掃除機を扱うぐらいには自信がありますよ」
そう言ってから芙美は目を細めて笑った。
「あ、喩えが変だったかしら。でも、そのくらい機械の操作には慣れていると言いたかったの。香菜子さんに安心してもらいたいから」
疑っているのを見透かされたようで、香菜子はなんとなく申し訳ない気持ちになった。
「大丈夫ですか? 取りやめてもいいんですよ?」
「いえ。もう夫に会いにいくと決めてますから」と香菜子は答えた。
「機械をお見せする前に尋ねておきたいことはありませんか? 香菜子さんが納得できてから研究棟のほうに案内しますから」
過去へ行って守らなければならないことは、しっかり、頭に入れたつもりだ。香菜子の最大の願いは、まず大介に会うこと。正直なところ、他には何も考えていなかった。他に疑問点は……。
「もしも、過去に跳んだとき、いつの時点に着くのですか? 夫が亡くなる寸前ですか? 
それとも夫が元気な頃? 夫と出会う前ですか?」
口に出して初めて、大問題だと香菜子には思えた。せっかく過去にたどり着けても、その途端に再び大介を失うのであれば……。そんなことは耐えられないではないか。
「実は、何とも言えない。どの時点の過去に跳ぶのか、今のところ法則性らしきものは見出されていないみたい。ただ、伯父は生前、こんなことを漏らしていた。行き先を決めるのは時間旅行者の潜在意識ではないだろうかって。だから到着して初めて、その時点が自分が行くべき時間だったとわかる、と。伯父は一度も、時を跳ぶ旅で裏切られたことがないと言っていたわ」
芙美の伯父は、いったいどんな目的を持って過去に跳んでいたのだろうか? ふと、そんなことを香菜子は考えた。
「さっき流れていたビートルズのイエスタデイは伯父も大好きだった曲なの。伯父が、時を跳んで帰ってきた後に、ここで二人で話していたときも、あの曲が流れていた。伯父が言っていたわ。このイエスタデイという曲は、去っていった彼女のことを歌っていると皆は思っているけれど、実は違うんだ。作者のポール・マッカートニーは、十四歳のときに病死した母親のことを想ってこの曲を作ったんだって。今になって、よくわかる、と。
私は、伯父の時間旅行の手伝いをいつもやっていたけれど、どの時代に跳んでいるのかを知らなかったし、教えてもらったこともなかった。ひょっとして、伯父は自分の母親に会っていたのかな、とも思うんです。彼は、一度も自分の時間旅行を悔やんだことはなかったの」
それ以上の質問を香菜子が口にすることはなかった。
ただ香菜子は、芙美のことを「思い込みの強い人だ」と思った。香菜子が友人と会話しているのを耳にして、香菜子こそが時間旅行をする必要がある人物だと信じ込んだこともそうだし、伯父の話から自分なりに想像を組み立てて、伯父が発明した機械は完全だと信じている。思い込みが強くなければ、こんなふうに話せないだろう。物事に不安を感じるなんてことがない人かも。もしかすると、伯父さんゆずりの性格なのかもしれない。
「香菜子さんの不安に応えられたかしら。他にも何かある?」
芙美はそう言ったが、他に疑問が生じても正確な答えはもらえないような気がする。それに、どんな不都合があろうと、大介に会いに行きたい気持ちが変わることはない。
だから「はい。大丈夫です。すっきりしました」とだけ答えた。
芙美は、それを香菜子が一刻も早く過去へ跳びたい気持ちの表れと捉えたらしい。
「そう。よかった。じゃあ、ご案内しましょう」と立ち上がった。そのまま、カフェの入口へ行き、芙美は「いらっしゃいませ」の吊札を裏返して「準備中」とした。
なんと大雑把な営業だろう、と香菜子はあきれたが、芙美にとってはカフェの仕事は伯父からすべてを譲りうけた段階で、どうでもよくなっているのかもしれない。
「いいんですか? お店のこと」と一応、香菜子は尋ねたが「いいの、いいの」と芙美は楽天的な返事をしただけだ。それは本心だろう。二人の女の子がいると聞いたが、この日は見る限り、カフェ“デイ・トリッパー”には芙美以外の従業員はいない。かなり自由な営業形態なのか? それではカフェとしては成り立たないのではないか? 誰一人客が入店する様子はなかったから、香菜子の大きなお世話かもしれないが。
芙美は、そのままカウンターの裏へと進み、通用口から外へと出た。香菜子は、その後に続く。
右手はカフェの窓から見えた庭になっていた。そして左へと進むと、やはりカフェと似た木造の別棟が建っていた。この棟は、カフェからは死角になっていて見えなかった。
カフェの内部も天井が高かったが、こちらも見上げるような大きさだ。芙美の伯父は、ここで生活していたのだろうか? 建物は淡い緑色に塗られていて温かみのある雰囲気だ。
芙美は観音開きのドアの前で立ち止まると、「ちょっと待って」と大きな鍵を取り出して入口を開いた。まるで学校寮の入口のようだ。
中に入ると左に階上へと続く階段がある。芙美は部屋の大きな窓のカーテンを開く。室内に生命が吹き込まれるように陽光が差し込んできた。
「伯父は、この二階で生活していたんです。そして、奥が研究室になります」
正面のドアが開かれる。そこは左右の壁が書棚になっていた。床から天井まで、無数の本が整然と並んでいた。それぞれが厚みのある難解そうな書名だった。日本語ではない本もある。科学的な専門書ばかりというわけではなさそうだ。いったい何冊の蔵書があるというのだろうか? そして、このすべてを芙美の伯父という人物は読破したのだろうか? だとしたらよほど博覧強記な人物なのだろう。
芙美は、この部屋の光景も見慣れたものなのだろう。なんの注意も払わずに、ずんずん奥へと進んでいった。
部屋の奥はまたドアだ。その先も部屋らしい。
ドアを開くと、そこは広間のようだった。そのまま芙美は広間に入り、窓のほうへは行かずに、ドアの横のスイッチを入れた。
室内が明るくなる。
「どうぞ、この部屋よ」
芙美が得意そうに手招きした。香菜子は恐る恐る室内に足を踏み入れた。
小さな体育館ほども広さがあるのではないか。まず、香菜子が感じたのは、室内の独特なにおいだ。機械油のにおいもかすかにする。それだけではない。甘酸っぱいような独特のにおいも漂っていた。何がそのにおいを放っているのかはわからない。
部屋の壁際には、四方にわたって黒い正体のわからない機械が置かれていた。だが、芙美はそのようなものには目もくれず、部屋の中央で鎮座する機械に向かった。
その不思議な形の機械こそが、芙美が言っていた時を跳ぶ機械なのだと思った。
ジョルジュ・メリエスが巨大な大砲で月に向かって砲弾型宇宙船を打ち出すという無声映画があった。その砲弾型宇宙船は、映画の中では擬人化された月の目玉部分に突き刺さるのだが、目の前の流線型の機械は、その砲弾にそっくりの形をしていた。
上半分が透明になっていて、人が一人座れるようになっている。あの座席に乗るのだという覚悟が湧いてくる。無意識に生唾を飲み込んだ。
「この機械がそうですか?」
香菜子は、そう尋ねながら声が上擦っているのを感じていた。砲弾型機械の底部からは無数の何色ものコードがくねくねと延び、壁際の装置群に繋がっていた。赤や青、黒。まるで部屋が機械の体内であるかのようだ。コードは、その体内を走る血管を思わせる。
「そう。遡時誘導機。伯父はデイ・トリッパーと呼んでいたわ」
「変な名前ですね」。そうだ。確か表のカフェの店名もデイ・トリッパーだったではないか。
「伯父はビートルズが好きだったから」
ビートルズにも同じ名前の曲があるのだ。日帰り旅行者のことをそう呼ぶのだと、芙美は教えてくれた。デイを時間と読み替え、デイ・トリップ=時間旅行。ぴったりだと、伯父が名付けたのだという。
「どう? デイ・トリッパーに乗りますか?」
機械は信頼できるのか?
自分が、芙美が過去へ送り込む伯父以外の被験者だとしても。
そんなさまざまな思いがなかったと言えば嘘になる。しかし、そんな不安よりも先に、言葉が香菜子の口をついて出た。
「乗ります」
その返事を聞いて芙美は目を細め、満足そうに頷いた。それから、デイ・トリッパーに近付き砲弾型の底部に触れた。
そこがメイン・スイッチだったのか、数カ所が点灯する。赤い色が橙色から緑色へと変化した。それは、壁際に並べて据えられている装置群でも同じだった。操作を続けながら芙美は言った。「部屋のカーテンは開きません。誰かが外から見ていたらいけないから」
あくまで、デイ・トリッパーのことは世間には秘密だということらしい。もっとも窓の外から覗いたくらいでは、この機械が何なのかわかるはずはないだろう。
芙美がデイ・トリッパーの計器を見て、「いつでも大丈夫よ。もし、心の準備ができているならこれからすぐにでもいいくらい。どうする?」
「今からでも。行けるのならば」。すでに、香菜子はそのつもりでいるのだ。
「わかりました。これから、香菜子さんを過去へ送り込みます」
「その前に一つだけ。私はいつ帰ってくることになるのですか?」
「身体が跳ぶわけじゃない。心が跳ぶから物理的な期限があるわけではありません。時期が来れば、香菜子さんが望もうが望むまいが、過去から送り返されることになります。それがいつのことだと、これについても伯父は言っていなかったわ」
「そうですか。お願いします」
それを聞くと芙美は頷いて、香菜子を椅子に座らせた。あまり座り心地がよくない無骨な椅子だ。芙美の伯父が研究用で使っていたものではないだろうか。
そして芙美は壁際に近付くと、棚を開いた。中からコップを出し、下部の冷蔵庫から黄色い飲み物を取り出して注ぐ。その部分も装置だと思っていた香菜子には意外だった。
「さあ、これを飲み干して」と、芙美はコップを香菜子に差し出した。部屋に入ったときににおった甘酸っぱい香りの正体がわかった。
この液体のにおいだったのだ。ただのジュースではないことは見ただけでわかる。
香菜子は不安を感じた。そんなことは聞いていなかった。
「これ……何ですか? なぜ、飲まなくてはならないのですか?」
「伯父は、これを遡時誘導剤と呼んでいた。毒じゃないから安心して」
そう言われても、素直に信用していいものかどうか。芙美は、迷った様子の香菜子に言った。
「デイ・トリッパーは、心を過去に跳ばせる機械だけれど、それには旅行者の精神状態がどうあるかということも大きく関係してくるの。伯父が言っていたわ。過去へ跳ぶときは、禅で言う“無我の境地”の心の状態でなくてはならない。でないと、過去へ行けない、と」
「睡眠薬ということですか?」
「正確には違う。心が限りなく穏やかな状態になる。でも覚醒している。しかし身体は動かせない」
香菜子は怖くなった。それって、麻薬や覚せい剤の類では? このまま眠らされて、何かされる可能性だって……。
香菜子の様子を見て、芙美は自分が恐怖を与えてしまったことに気付いたようだ。
「ごめんなさい、説明が足りなかったわね。これは、伯父がデイ・トリッパーと一緒に開発した、いわば安定剤よ。危険なものは入っていない。……確かに、この薬を使うことを、“麻薬でトリップする”ことになぞらえてもいるけれど」
デイ・トリッパー。そんな意味も込められていたのか。伯父さんという人はなんと周到な人物なのだろう。香菜子はなんだか呆れてしまった。
「過去に行っても、体が動かない状態が続くのですか?」
「過去へ跳んだら現在の肉体から解放されるから関係ないわ。それに、効果は三十分もないの。すぐに元通りの身体になる」
「伯父さんも、同様の方法で行っておられたのですね」
「最初はね」
「というと?」
「後では、薬に頼らなくても、過去へ跳ぶのに最適な精神状態に自分をコントロールできるようになっていた。だから私の手助けも必要とせずに、デイ・トリッパーで一人で気ままに時間旅行するまでになっていたわ。でも、最初は無理。このお薬を使わないと、デイ・トリッパーはあなたを過去へ跳ばしてはくれないわ」
目の前に差し出されていたコップを香菜子は受け取った。なんとなく毒々しい色に見えてしまう。こんな量を飲み干さなくてはならないのだろうか?
「これ、全部飲むんですね」
「そう」
ここで躊躇しても仕方がないと香菜子は腹を据えた。今やめても、後から何度となく後悔することになるだろうという予感はあった。不安があっても踏み出さなくてどうする。大介に、また会う方法はこれしかない。
コップを口にあてて中の液体を飲む。
どろりとしていた。味はない。ただ、同時に酸っぱいにおいが鼻腔を突いた。そのおかげで飲みこもうとする液体が逆流しそうになったが、必死で飲み干した。
口の中にねばねばした感覚だけが残っていた。これでいいんだ、と香菜子は思う。
「さ、こっちへ」と芙美が香菜子の手をとった。芙美は香菜子の様子を確かめながら、デイ・トリッパーの方へゆっくりと歩く。
もう薬は効いてきているのだろうか? 何も変わったように感じないけれど。
砲弾型のデイ・トリッパーの透明なカバーが開かれ、香菜子はついにシートに腰を下ろした。 

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
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