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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

デイ・トリッパー ブック・カバー
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第2回

2015.02.15 更新

香菜子は、一瞬、芙美という女が何を言っているのか理解できずにいた。
彼女は、香菜子たちのテーブルの後ろで男と一緒にいた。書類を見ながら説明を受けていたという記憶がある。
背後で、香菜子たちの会話を聞いていたのだろうか? だから、香菜子の名前まで知っていたのだ。そうとしか考えられない。
しかし、かけられた言葉があまりにも唐突だ。香菜子の夫が亡くなっていることは、わかっているのだろうか? 単に失踪しただけだと聞き誤っているのではないだろうか。たしかに、香菜子は、大介にもう一度会いたいと漏らした。自分でも不可能だとわかっていながら口にしてしまったことでもある。だから、どう返事していいものか、わからずにいる。
芙美という女性は、沙智の友人でもある。とすれば、一概に変な人物ではないと思うのだが。
「私も、声をかけるのを迷ったのですが、ひょっとして、これは私に与えられた使命ではないのか、と思えたんです。私が、香菜子さんのお役に立てるのではないか、と思って。これが数日前だったら、声をかけることはなかったと思います」
さっきまで弁護士から伯父の財産を相続するにあたって説明を受けていたのだと、彼女は香菜子に言った。そして、あの場所で香菜子の話を聞いたことは運命であり、必然だと考えたのだという。
それでも香菜子は芙美に念を押さずにはいられなかった。
「私の主人は、中川大介は、もう亡くなっているんです。どうやって会うというんですか? 幽霊にでも会わせるというんですか?」
香菜子は、そう言いながら、自分の言葉に棘があるのではないか、と思っていた。しかし、そうとられても仕方がない。
しかし、芙美は大きく首を横に振ってみせた。それから、香菜子を安心させるように、微笑んだ。
「時間をとらせるけれど、あちらの席で詳しくお話しします。それからどうするかは、香菜子さんが判断されたらいい。私が、これを香菜子さんに勧めることは何の得にもならない。でも、さっきの話を耳にしたら、香菜子さんに告げないわけにはいかないと思ったんです」
「何の得にもならないことを私のために、どうしてやろうと思われたのですか?」
「香菜子さんは、困っている人を見て、その悩みを自分だけしか救ってやれないとわかったとき、ほうっておきますか?」
香菜子は口ごもった。芙美は続けた。
「香菜子さんも私と同じだと思う。黙って見過ごすわけにはいかない」
それから、芙美は香菜子に名刺を渡した。
<デイ・トリッパー 竺陣芙美>
それから、「あちらで話しましょうか」とロビーの隅のソファーを指差す。香菜子は、芙美の言葉に従った。嘘でも真でも、死んだ夫に会わせてくれるという意味を知りたかった。
香菜子が腰を下ろすと、沙智とまいが話しながらホテルを出ていく姿が見えた。ロビーの隅にいる香菜子のことに気がつかない様子で。
「それは、私がやっているカフェの名刺です。小さいお店だけれど、味はいいんですよ」と芙美は言った。二人の女の子が働いているから、自分がいなくても、店はまわっていくと言った。そんなカフェの女主人が、私にどうしようというのだ? と香菜子は思う。
「伯父の屋敷の一部をカフェにしているんです。伯父には私以外に身寄りがなかったから、伯父が亡くなって、私が伯父のすべてを相続することになりました」
この竺陣芙美という女性のこれまでの人生を聞かされることになるのだろうか、と香菜子は思った。
「伯父は、半年前に亡くなりました。そして、すべての遺産を私に残してくれました。そして、遺品をチェックしていてわかったのです。伯父は、いくつかの特許を持っていて、その特許の使用料で生活していました。伯父は機敷埜風天(きしきのふうてん)といいます。私の亡くなった母の兄になるんです」
香菜子は芙美の伯父という人の名は聞いたことがなかった。具体的に名前を出したから、自分が知らないだけで著名な人物なのかもしれないと思った。あるいは彼女が、その伯父のことを尊敬していたということか。香菜子は頷き芙美の話に耳を傾けた。
「伯父は、研究者でした。どのような分野を専門にしていたのかはわかりませんが、特許料をふんだんに研究につぎ込み、伯父なりの研究を完成させたようです。しかし、その研究成果を世間に発表することなく、伯父は次の研究に打ち込み始めたのです」
「次の研究ですか?」
「伯父は、自分の研究結果が世間から評価を受けることなど、何の興味もなかったようなのです。そして研究で自分の納得できる成果が得られたら、次の興味の延長にある対象に研究の的を移す。そんな人でした。最後に伯父が取り組んでいたのはフリーエネルギーの研究だと聞いています」
香菜子は耳にしたことがないものだ。
「それで、夫に会わせていただけるというのは……伯父さんの研究と関係あるのですか?」
焦れる香菜子に、芙美が頷いた。
「ごめんなさい。なかなか話が進まなくて。そのとおりです。伯父の研究の一つが、香菜子さんの役に立てると思ったからです。伯父が完成させた研究を、そしてその装置を私が引き継いだからです。さっき言ったフリーエネルギーの前に完成させていたという研究。その装置を使えば、香菜子さんを亡くなったご主人に会わせてあげられる」
「それは死者を生き返らせる装置ということですか?」
香菜子の質問に芙美は大きく首を横に振った。
「それはできないわ。世の中には人が支配できないものが、いくつかある。死んだ人を復活させるといったこと」
香菜子は首をひねる。「では、どうやって夫に会うことができるというのですか?」
「香菜子さんが、伯父が作った機械を使って生きておられた頃のご主人に会うんです」
「はあっ?」
思わず香菜子は問い返していた。よく意味がわからなかったからだ。生きていた頃の夫と? 
しかし、一つだけ思いあたる。その可能性を馬鹿馬鹿しいと思いつつも口にした。
「伯父さんが研究され、そして完成させたというのは……タイムマシンということですか? さっき、人が支配できないものがあるとおっしゃいましたね。一つは生死を支配できないと。でも、私は思います。時間の流れも人には支配できないのではありませんか? それとも伯父さんは、人を過去に送り込むことができるということですか?」
芙美は香菜子に頷いてみせた。
「正確には、伯父の機械がタイムマシンと呼べるかどうか疑問です。たしかに時に挑む機械ではあります。遡時誘導機と伯父は手書きの取扱説明書にそう記していました」
「遡時誘導機……」なんと奇妙な響きだろうと香菜子は思った。
「なぜ、タイムマシンと呼ばないのですか? 同じ働きの機械ではないのですか?」
「過去へ物体を送るのであれば、タイムマシンと呼ぶべきだと思う。でも、この装置は物体を送るんじゃないの。だから、伯父は、タイムマシン、つまり航時機とは呼ばなかった。それは伯父のこだわりだと思います」
香菜子は、芙美が言っていることを必死で理解しようとしていた。大介に会いに過去に行けるけれどタイムマシンではない? 香菜子は混乱した。
「伯父が、物体を過去に送る方法をとらなかったのは、タイム・パラドックスの発生を恐れたからだと言っていました。たとえば、香菜子さんが、ご主人のいる過去へ行ったとします。するとどんなことが起こりますか? 考えてみてください」
「過去の私、そして現在にいて過去へ行く私。私が二人になるということですね」
「そうです。現在から過去に行く香菜子さんの存在は、これまでの時の流れでは、なかったものです。二人の香菜子さんが同時存在すること自体が許されないことなのです。その矛盾を伯父の装置は解決したのです。伯父の頭脳であれば、真の意味でのタイムマシンを作ろうと考えたら、ひょっとすれば実現できたかもしれません。でも、伯父はそれをやらなかった。代わりに遡時誘導機を開発した。タイム・パラドックスの発生をできる限り防ごうとしたのです」
「いずれにしても、過去へ行くんですね。どうやって?」
「過去の香菜子さんの心の中に現在の香菜子さんを送り込むんです。それが、一番パラドックスを発生させない方法だという結論になったのです」
心を送り込む……? いったいどうやって?
それに、芙美の言葉にはタイム・パラドックスという言葉が何度も出てくる。
「パラドックスって、それほど避けなければならないことですか? そもそもタイム・パラドックスが起こるとどうなるのですか?」
「わかりません。歴史そのものが変わってしまうかもしれません。過去に存在しないものが存在したということで、最初は小さな変化が大きな変化になっていく。出会う人と出会えなかったり、遭わなかった災害に巻き込まれる。蝶が羽ばたくと地球の裏側で嵐を招くというバタフライエフェクトの考え方です。あるいは時間の流れがパラドックスを補正してしまうという考え方もあるそうですが、その真実は誰にもわかりません。伯父がタイムマシンではなく遡時誘導機にこだわったのは、それが理由だったということです。少しでもタイム・パラドックスの起こる可能性を摘むための」
香菜子は芙美が何故、遺品として残された機械のことについて知っているのだろうか? 生前に、芙美の伯父が詳細を伝えていたのだろうか? 香菜子にそんな疑問が湧きあがっていた。機械の操作だけでなく、伴う現象発生のリスクまで教えていたとは。
しかし、そのことはより一層、香菜子に希望を抱かせた。リスクの話が、逆に信憑性を高めているように思えた。
「この機械がタイムマシンと呼べないのは、ここに制約があるからです」
「どんな制約ですか?」
「つまり、香菜子さんが生まれる前の時間には行くことができません。香菜子さんの心が飛び込める肉体が存在しないからです」
もしこの話が本当だとしたら。香菜子は思った。その制約は私には関係ないだろう。もし、過去に行くことで大介に会えるのだとしたら、自分が生まれる前の時間に行くことなぞ、興味はない。
「大丈夫です。私は夫にもう一度会いたいだけですから。夫がいる時間に行ければ、それでいいんです」
そう香菜子が答えると、芙美は安心したように頷いた。
「よかった。実は、伯父からは、この機械を使うための条件を言いつけられていました。香菜子さんのことを耳にして、香菜子さんのためならこの機械を役立てることができるのではないか、と思っていました。香菜子さんなら、この機械がぴったりだと」
「条件ですか……?」
「ええ。この遡時誘導機を使う目的です。私は、この使い方にこだわるのはどうかと思うのですが、伯父の意思ですから従わなければならないのです」
「どんな目的ですか?」
「この遡時誘導機は、亡くなった方に会うためだけに使用が許可されます。それ以外の目的では使ってはいけない、と」
なるほど。香菜子の願いにぴったりだった。
「他の目的では使用してはいけない、と言われました」
そう芙美は言いきった。そのとき、はっきり香菜子は悟った。芙美は、この機械を使ったことがあるのだ。そして、過去世界で、この機械の利用法について伯父である機敷埜という人物から釘を刺されているに違いないと。
「竺陣さんも……」と香菜子は問い返す。
「私のことは、芙美と呼んでください」
「わかりました。芙美さんも、この機械を使ったことがあるのでは、ないですか?」
 芙美は、その質問には答えなかった。代わりに言った。
「亡くなった人に会うためだけに使用を許可するというのは、伯父の発想です。やはり、タイム・パラドックスの発生を恐れているのだと思います。これから死にゆく人に会うためだけであれば、よりバタフライエフェクトは発生しづらいのではないか、と」
「でも、事故で亡くなった人には、事故に遭わないようにアドバイスできるのではありませんか?」
「それは大丈夫です。私が見極めます。そして私がお誘いします。もしも、そのような可能性があり歴史を変える可能性のある方には最初から声をおかけしません」
香菜子は、それを聞いて、なるほどと思った。大介の場合は急性の難病にかかってのことだった。もし、死を避ける方法があれば知りたいが、現在の医学では、決定的な治療法はないということだった。
「香菜子さんの願いは、ご主人ともう一度会いたいということですから、それを叶えることが目的ですよね。ご主人は、難しい病気だったようですね」
そのようなことも、さっき沙智やまいとの会話の中で出てきたのだろうか? 自分で気がつかなくても何気なく口にすることで状況がわかるのだろう。
「もう、気がついたときは手遅れというか、手の尽くしようのない病気だったと聞かされています」
香菜子は、医者から夫の正式な病名を聞かされた。やたら長い名前の覚えづらい病名だった。今でも、すぐには病名が出てこない。それほど珍しい病だったし、症例も少ないので治療法の研究も進んでいないということなのだ。今でも香菜子がその病名を耳にすることは、まずない。
「そうですか。残念なことでしたね」と芙美は心から哀悼を捧げてから言った。「もう一つだけ、過去に故人に会いに行くにあたって、守っていただかなければならないことがあります」
「はい?」
「香菜子さんは、ご主人がいつ、どのような形で亡くなられたのか、ご存知ですね」
「はい、知っています」
「ご主人には、絶対に死期を知らせないでください。これは伯父の希望です。私も香菜子さんも、自分の死期は知らない。数十年後かもしれない。ずっと後のことだと思っているし、実は明日、突然に訪れるかもしれない。どんな方も自分の死期を知らないほうがいいというのが伯父の考え方でした」
この条件も裏にはタイム・パラドックスを発生させないための理由が潜んでいるような気が香菜子にはする。しかし、大介に会うことができるのであれば、そんな条件はお安い御用だ。
「約束していただけますか?」と芙美は尋ねた。
しかし、香菜子は即答できなかった。約束が守れないと思ったからではない。大介にもう一度会うことなんて本当にできるのだろうか? もし、会えたら何と言えばいいのか? 助けることはできないのだろうか? そんなさまざまなとりとめのない思考が錯綜してしまい、返事にならなかったからだ。
芙美が、その沈黙をどうとったのかは、わからない。ただ、自分の話があまりに性急すぎたのではないかと反省したようだ。
「びっくりされたでしょう。私の話は」
「え、ええ」
香菜子は我に返って、そう答えた。そこで芙美は、今、香菜子に必要なのは“時間”だと考えたようだ。
「明日、私は一日名刺のカフェにいます。もし、亡くなったご主人に会いたいと思ったら……そして私が今、お話しした条件が守れると決心がついたら訪ねてきてください。もし、信用できない、怖い、そう思ったら連絡はけっこうです。名刺は破り捨ててかまいません。でも、それからは私のことは誰にも話さないで。そして私のことは忘れてください」

heart

一日が経つ。
芙美と別れたときから、すでに結論は出ていた。
奇妙な名前の機械で大介に再会させてくれるのなら、どんな条件も約束も守るつもりでいた。だから、迷うというより、もしも大介と再会できたとしたら、どうしよう。そのことばかりを考え続けていた。
香菜子は、ふと気がついた。芙美と話してからというもの、一滴の涙も流していないことに。
それから、病室に置いていた文箱を開いてみた。
その文箱は、大介の遺品だ。病室でメモ用紙はないだろうか、と大介に言われて彼女が買い求め、筆記具やメモ用紙とともに病室に置いたものだが、メモ用紙に書き込む姿を香菜子は最後まで見なかったから、文箱は未使用のままだったに違いないと思っていた。
だが、死後に文箱を開くと、書き込まれたメモ用紙が入っていた。いつの間に大介が書いたのかはわからない。できるだけ側を離れなかったつもりなのに。きっと香菜子が席を外した寸暇に書き残したものだと思われた。
用紙には、大介の文字で走り書きが記されていた。病室で記したのだとわかる。文字に力強さがない。
それは箇条書きだった。
大介が、病が癒えたらやりたいと考えていることを、一つずつ記している。
<香菜子と温泉宿でゆっくり過ごしたい。>
そんな一行が目に飛び込んできた。大介は、この時まで自分の病が完治するのだと信じていたのだ。
初めて読んだとき、後の文字は噴き出る涙で読むことができなかった。今、大介が残していたメモをあらためて辿る。そして、胸に刻み込む。
文箱を置くと、香菜子はドレッサーの前に座り、丁寧にメイクを整えた。それから、服を選ぶ。
これから、大介に会うために過去へ跳ぶ。その決意は変わらない。しかし、過去へ行くのは、自分の心だけだ。何を着ていても関係ないはずだ。しかし、香菜子は水色の服を選んだ。「似合うよ」元気だった大介が気にいってくれた服なのだ。
香菜子は、その日、昼下がりに芙美のカフェ「デイ・トリッパー」を訪ねた。芙美がそこにいた。「待っていたわ」

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
『クロノス・ジョウンターの伝説』誕生から20余年。梶尾真治の描く新たなタイムトラベル・ラブストーリーがついに始動!

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