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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

デイ・トリッパー ブック・カバー
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第1回

2015.01.21 更新

香菜子が、そんな奇妙なものを見るのは、初めてのことだ。
部屋の中央に流線型の砲弾を連想させる形状の機械が横たわっていた。上半分は透明なフードになっていて、内部に人が一人座れるのだとわかる。フード状の部分が開閉できるようだ。そして砲弾の黒い底部からは無数のコードが伸びていて、壁に沿って置かれている装置群に繋がれている。
ここへ香菜子を連れてきた竺陣(りゅうじん)芙美が得意そうに香菜子の反応を楽しんでいるようだった。
「この機械がそうですか?」と香菜子は尋ねた。
「そう。遡時誘導機。伯父はデイ・トリッパーと呼んでいたわ」芙美が答えた。
「変な名前ですね」
「伯父はビートルズが好きだったから、そんな呼び方をしていたそうよ。日帰り旅行者のことをデイ・トリッパーと呼ぶそうだけれど、伯父は他の意味も込めていたみたい。デイを時間と読み替えれば、時間旅行者。伯父が、この機械につけた名前が遡時誘導機だから、ぴったりだと思ったんじゃないかしら」
本当に信頼できる機械なのだろうか? つい先日まで面識もなかった彼女について、ここまでやって来てしまったが。
だが、芙美が香菜子を騙したところで、何の得にもならないはずだ。しかし、もし芙美の言うことが本当だったら、この機械を使ってみたい。そして、もう一度、大介に会いたい。
「どう? デイ・トリッパーに乗りますか?」
「乗ります」香菜子はきっぱりと言いきる。

heart

約束の時間十分前に、香菜子はホテルに着いた。そのまま化粧室へ向かい鏡の前に立つ。泣き腫らした目になっていないかどうかを確認した。
よかった。明るくふるまえば涙目だった気配さえわからない。
香菜子は無理に口角を上げてみる。強張ったような作り笑いができあがった。これで、何とかいけそうだ。馬鹿話をしていれば、一瞬でも大介のことを忘れることができるのではないか。
鏡の前を離れると、背筋を意識的に伸ばし大股でロビーのほうへと歩いた。これだと、少しでも元気そうに見えるのではないか。とても夫を亡くしたばかりの未亡人には見えないはずだが。
「香菜子~」と声が届いた。見るとソファに座って二人が掌をひらひらさせているのが見えた。
中川香菜子の高校時代からの親友、安井沙智と中原まいの二人だ。
二人ともまだ新婚だ。三人の中では、香菜子が一番最初に結婚にゴールインした。そして二ヶ月前、香菜子はやはり三人のうち最初の未亡人になった。
すべてが夢の中のできごとのようだった。夫の大介が亡くなってしまい、日に日に悲しみが押し寄せてくる。涙が途絶えることがなかった。
誰にも連絡をとらず、香菜子は一人で淋しさを背負っていた。そんな彼女を案じて、沙智とまいが香菜子を呼び出した。親友として、なんとか香菜子を励ましてやりたい。元気づけてやりたい。そんな意図が香菜子には痛いほど伝わってきた。だから、香菜子としては元気なふりをして二人を安心させたいと思っていた。それにひょっとしたら、気のおけない二人と数時間過ごすことで、潰れそうな気持ちを束の間でも忘れることができるかもしれないとも。
香菜子も手を振り返し二人に駆け寄った。
まいが胸を撫で下ろした、と言った。「なんと声をかけたらいいんだろう、って沙智と話していたの。でも、顔を見たら、安心したよ」
「でも、少し痩せたんじゃない? ちゃんと食事はとってた? 顔色はいいみたいだけれど」
香菜子は精一杯微笑んだ。そのまま、三人は沙智が予約していたというロビー横のレストランへ向かった。
席は、庭が見える窓際だった。三人は腰を下ろし、まず香菜子が礼を言った。
「今日は、ありがとう。誘ってくれて。とても嬉しかった。沙智ともまいともお葬式以来ご無沙汰していたから」
「なに言ってるの。ゆっくり三人で会うの楽しみだったんだから」と沙智は笑う。
そのとき、香菜子の背後から声がした。「安井さん。安井沙智さんですか?」
沙智が驚いたように腰を浮かしかけ、それから「あら」と声を上げた。香菜子が振り向くと後ろの席で、香菜子たちと同い歳くらいの女性が三人を見ていた。涼しげな目をした、頭のよさそうな嫌みのない感じだ。
「芙美ちゃんだよね」と沙智が答える。芙美と呼ばれて女は嬉しそうに目を細めた。沙智と芙美は幼馴染みだったことを香菜子は知った。彼女は年輩の男性と同席していて、目の前の書類に目を通していたようだ。その途中、隣の席に来た安井沙智に気がついて声をかけたらしい。
二人がおたがいの元気を確認すると、芙美は香菜子たちの会話を邪魔したことを詫びて目の前の書類に視線を戻した。
三人は、ランチを食べながら、久しぶりの情報交換を始めた。
三人が初めて知り合ったのは、高校一年のときだ。だから共通の知り合いも多い。他の同級生や教師の消息も話題になった。アイスクリームショップのアルバイトも一緒にやったし、大学で進路が別になっても機会を作って集まった。温泉旅行や海外旅行にも一緒に行ったほどの仲だ。
三人の間で話題に事欠くことはなかった。高一のときの担任とばったり再会したら、高校の頃よりも十数キロ太っていて着ぐるみを着ているようだった、とか。おまけに頭の毛が薄くなっていて何度も瞬きしてしまった、とか。先日、テレビを見ていたら三人で一緒に行ったローマのレストランが紹介されていて楽しかった。そのお店の近くにも、お洒落で美味しそうなお店があったんだよ。また三人で行ってみようよ、とか……。
他愛のない話が次から次へと続く。そんな会話の流れに香菜子は、少し気分が上向いてくるのを感じた。やはり、友人たちはありがたい。そんな世間話が続き、自然と会話はおたがいの近況の報告ということになる。
中原まいは、フリーのピアノ教師をやっている。これまでは教室が遠かったが、自宅近くの教室に変えてもらい、授業のコマも減らしてもらったと言った。友人とリサイタルを準備しているからだという。また、ギャラのいい結婚披露宴の演奏を受けられるように、土日の昼の教室を外したそうだ。「仏滅とかの土曜、日曜の昼は遊べるかも」と皆を笑わせた。
沙智は外資系の商社で事務をやっていた。先月、退職したのだが、請われて同じ職場でフリーの立場で事務を続けているのだという。沙智の夫は、部署は異なるが同じ職場だ。
「どうして正社員やめたの? もったいない」とまいが口を尖らすと、「……そのほうが、これから色々な方向が見えたときに、責任を感じなくて済むような気がしたの」と口を濁し、はっきりとした理由は告げなかった。
会話の間が空き、二人の視線が心配そうに香菜子に注がれているのがわかった。三人が集まるといつも、まい、沙智、香菜子の順で近況を話すのがいつの頃からかの習慣だったのだ。「無理に話す必要はないのよ」二人の目は、同時にそう言っている。
「今度は、私の番ね」と言いかけた。と同時だった。堰を切ったように、大介のイメージが、湧き上がった。いつも大介がいた香菜子の右側に今、誰もいない。頬が小刻みに震えているのがわかった。大丈夫。ちゃんと話せる。そう自分に言い聞かせる。
「私は……私は……」言えたのは、やっとそこまでだった。あとは言葉にならなかった。嗚咽になってしまい、涙が噴き出した。バッグからハンカチを取り出すのが間に合わないほどだ。予期していたのか、沙智がハンカチを香菜子の手に握らせた。それを受け取ると顔に押しあてた。すでに肩を上下させる号泣になっていた。
淋しい。どうして私だけ置いていってしまったの。どうしていなくなったの。声にはならなかったが、心の中で夫の大介にそう呼びかけていた。
夫の大介は二ヶ月前まで元気そのものだった。香菜子との結婚生活は三年半。子どもこそなかったが、二人はずっと仲睦まじかった。口げんか一つもしたことがない。
香菜子の頭の中で、さまざまな表情の、いろんな場面での大介が浮かび、次々と閃光のように移ろっていく。
必死でハンカチを顔から外した。このままじゃいけない。沙智とまいに何か言ってやらなくてはならない。
「ありがとう。時々まだこらえきれなくなるの。でも、やっと気持ちをコントロールできるようになったわ」
そんなふうに言い訳できれば一番いい。しかし口を開きかけ、何度も息を吸い、今の自分には無理だと悟った。下手すれば、過呼吸を起こしてしまいかねない。
代わりに香菜子の口から出た言葉は。
「もう一度、大介に会いたい……」
香菜子は、自分で、なんと馬鹿なことを口走っているのだろうと呆れていた。死者に会うなんて不可能だということは、わかりきっているのに。なのに、そんな叶うこともない、子どもが言うようなことを言ってしまう。
沙智とまいが、香菜子の歪んだ視界の中で香菜子を見つめているのがわかる。涙がまたしても噴き出し、ハンカチを顔に押しあてた。
まいが、香菜子の肩をやさしく叩くのがわかった。
「そうね。香菜子つらいよね。どんな慰めの言葉も効果ないかもね。でもね。残酷かもしれないけれど、何とかこの悲しみを乗り越えなきゃならないの。今は、泣くだけ泣いたらいい。そして、これからは、ご主人の大介さんの代わりに私と沙智がいる。何でも、私たちに言って。これからのこと、私たちが、相談にのるから」
まいの言葉は、香菜子にしっかり伝わった。
親しくなければ、香菜子の最愛の伴侶が亡くなった話題にはできるだけ触れずに済ませようとするだろう。確かにまいも沙智も、最初は悲しいできごとを香菜子が思いださないようにと大介の話題は避けていた。しかし、今は親友の立場で、香菜子が悲しみを悲しみとして受け容れ、乗り越えていく手伝いをしたいと宣言しているのだった。ありがたさはわかる。
香菜子が感情を抑制できない状態が、それに応えられないだけのことだ。
しばらく三人の間の会話が途絶えた。香菜子は泣き疲れ、ようやくハンカチを手放した。
三人は、止まっていた箸を持つ手を動かす。香菜子も、ランチを無理に口に入れる。すると、少しは気持ちが落ち着きを取り戻していくのがわかった。

香菜子が交際した男性は大介が初めてではない。
高校時代は、特定の異性と交際する気も起きなかった。男女共学だったが、男子生徒たちが騒いでいる様子を見ていると、皆が小学生の頃から少しも成長できていないように思えて、異性として見ることもできなかったからだ。しかし、クラスの女子生徒の何割かは特定の男子生徒と交際していた。それは、香菜子にとっては特殊な人々に思えていたのだが。
高校を出てから、香菜子は短大に入った。その頃、別の大学に入った沙智や音楽大学のまいに誘われてドライブに行った。誘われたときは三人で行くものと考えていたが、実は男性三人も一緒にドライブに出かけるトリプルデートだった。三台の自動車でそれほど遠くないデートスポットを巡った。そのとき香菜子が乗ったのが、大介の運転する自動車だった。
閉ざされた空間で男性と二人きりになるなんて初めての経験だった。大介も女性と交際した経験がないようで、行動の一つひとつがぎこちなく感じられた。それは香菜子も同じことで、どのようなタイミングで、運転中の大介の何を手伝えばいいのかわからずに緊張ばかりが続いていた。目的のデートスポットに着くと、大介から逃げるようにまいや沙智にまとわりついた。だから、車中で香菜子と大介が二人きりでいるときも、会話らしい会話は成り立っていなかった。
香菜子は、大介とはなんの約束もすることなく別れた。こんな緊張は、もうこりごりだと思ったから。
その後、他の男性と交際したことが一度だけある。夏休みにアイスクリームショップでアルバイトをしたとき、一緒にアルバイトをやっていた大学生から交際を申し込まれたのだ。
交際と言えるかどうか、結果的には三回だけデートをしたくらいだった。それまで、特定の男性とつきあったことがなかった香菜子が、そんな自分は少しおかしいのではないかと思い始めていた時期でもある。だから、交際がスタートすれば人を好きになることもあるのではないか、とその学生の申し込みを受けた。
真面目な若者だったし、本当に香菜子のことを好きでいてくれるようだった。しかし、デートを重ねるにつれ、香菜子は「この人ではない」という結論にたどりついた。何故なのか、理由はうまく言えない。相性のようなものだ。
そしてもう一つ、気がついたことがある。香菜子は無意識のうちにデートの相手と、かつて一日だけドライブで時間を共にした大介とを比較していた。そして思った。やはり、自分は大介のほうが好感が持てる。だから、香菜子は三回目のデートのときに相手に伝えた。早いほうがいい。私には、好きな人がいる、と。
交際している人がいると言ったわけではないが、それでその男性との交際にはピリオドが打たれた。もちろん、香菜子には何の後悔もなかった。むしろ、せいせいした程だ。それから思った。自分は異性との交際は向いていないのではないか、と。この数度のデートは、それがわかっただけでも無駄にならなかった。
しかし何故か、そんなときに、ふっと大介の面影が脳裏をよぎるのがわかった。だからといって鮮明に大介の顔を思いだしているというわけではない。ぼんやりとしたイメージの大介だ。自分に向いているのは大介だったのだ。そんなことを考えた。
だからといって、香菜子は大介の行方を探そうとは思わなかった。大介を見つけだしたところで、うまく自分の心を伝えられるか自信がない。大介だってすでに自分のことを忘れ去っているかもしれないし。自分は、男性との交際に不器用だし、気疲れするばかりだろうし。女友達とはしゃいでいたほうが余程楽しいし、と。
短大を卒業して、香菜子は、ある企画会社に勤めることになった。企画会社といっても数人しか社員はいない。広告代理店のような業務から依頼に応じて調査や統計の仕事もやる。少人数ながらそれぞれのスキルは高かった。業務内容も、一つの仕事を終えたらまったく別の仕事ということがあたり前の会社だった。
そのときの業務は、無差別に抽出された相手に新商品についてのアンケートに答えてもらうというものだった。アンケートの内容と抽出された対象者は依頼主から与えられていた。手分けして対象者と面接してアンケートに回答してもらい、それを社に持ち帰り、集計分析するという流れになっていた。
指定の人物に連絡をとり、時間を割いて質問に答えてもらう。アンケート回答者が自由に自分の言葉で語る項目が多いため、文章や電話の調査会社ではなく香菜子の会社に依頼され、面接で行うことになったのだ。
香菜子は次の回答者に会うために、ある設計事務所を訪ねた。応接室で待っていると、回答者が入ってきた。そして男は、言った。
「おひさしぶりです」
香菜子は、耳を疑い男をじっと見た。
大介だった。これまで思いだそうとしてもぼんやりとしていた大介の顔が、今ははっきりと思いだせた。そして目の前の笑顔とぴたりと一致していた。
「大介さん」と思わず香菜子は言った。何故気がつかなかったのか。中川大介という、ありふれた名前を見ても、まったく大介と結びつくことがなかったのだ。
大介は、香菜子を見た瞬間にわかったのだという。彼はこの偶然に大喜びしていた。もう一度、香菜子は大介を見た。以前よりも精悍な感じで、何より笑顔が素敵になっていた。もうアンケートどころではなかった。
最初に会ったときにドライブでほとんど口を利けなかったのが嘘のようだった。香菜子と大介は、あれからのおたがいについての情報を交換した。どれだけ話しても話しつくせなかった。男の人と話して、これほど自分がよく笑うのだとは、香菜子自身信じられなかった。そして、大介と香菜子は食事の約束をした。こうして、二人の交際は本格的にスタートしたのだ。
香菜子は、大介と一緒にいるだけで心地よかった。何も気にすることはなくなっていた。言葉を交わしているだけで時がみるみる経過していくのだった。そして、その心地よさはおたがいの価値観が似ているということも大きかった。

大介が将来の夢を話したときに、香菜子は、この人と一生を過ごすことになるのだと意識していた。
そして、大介の口から、結婚を打診されたとき、香菜子はもう何も迷わなかった。大介のプロポーズを受け容れ、半年後に式を挙げた。一年前には、香菜子自身がそんな人生を歩むことになるとは思ってもいなかった。
夢のような結婚生活だった。子どもは数年後に作ろうと申し合わせていた。大介は香菜子のことを思いやり、香菜子は大介のことを気遣った。この幸福はいつまでも続く。香菜子は、このときは、そう信じていた。

しかし、あまりにも突然、悲劇が訪れた。
大介が身体の不調を訴え、それから、数日後に急逝したのだ。
その数日から今に至るまで、現実感を失った日々が続いている。大介の死を受け容れたつもりでいる。しかし、本音では、まだ受け容れることができずにいるのだ。だから、沙智やまいの前で泣きじゃくり、「大介に会いたい」とまで口走ってしまうのだ。
死者に会えるはずはない。
それは言われなくてもわかっている。
どうやって香菜子が沙智やまいとの席を後にしたのか、よく覚えていない。ただ、それまで頭の中は真っ白になっていた。気がつけばホテルのロビーにいて、そのまま外へ出ようとしていた。沙智やまいには悪いことをした。気持ちが落ち着いたら電話で謝ろう。
「中川香菜子さん」フルネームで呼ばれ、香菜子は足を止めた。女が近づいてくる。席の後ろにいた、沙智の知り合いの芙美と言ったか。
彼女は、香菜子に信じられないことを告げた。
「香菜子さん。もう一度、ご主人に会う方法があるのですが」

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
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