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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

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第18回

2016.06.15 更新

迷いはあった。どのように書けば私自身を信じさせることができるのか?
迷ってばかりいては、書き出すことができない、と思った。自分に宛てた手紙であれば、ストレートに自分の想いを書き綴ればいいのではないか。その想いをたどれば他の誰にも書けない、自分自身の言葉だと気がつくことができるのではないか、とも思えた。
香菜子には、あまり手紙を書く習慣はない。しかし、幸いなことに大介が便箋を常備していることを知っていた。
書き出しにちょっと迷ったが、香菜子はボールペンを持つと、便箋に自分に宛てた手紙を書き始めた。

――中川香菜子様
あなたがこの手紙を読み始めているということは、私は、もうこの時間にいないということだと思います。私は中川香菜子。そう、あなたです。ある目的のために未来から来て、私はあなたの心の中にいたのです。しかし、目的を果たせないままに、元々私がいた未来へと押し戻されることになったのだと思います。私が心の中に一緒にいたという記憶があるでしょうか。もし、あるとすれば、それが一番わかりやすいと思います。もし、覚えていないとすれば、私がこれから書くことを信じてほしい。
あなたにとって、そして私自身にとって一番大事な人である大介さんは、不治の病にかかろうとしています。ある日、大介さんは、身体の不調に気づき、それからあっという間に亡くなってしまうのです。
私は、突然の不幸を信じられず、立ち直れないままでした。
もう一度、大介さんに会いたい。そればかりを願って過ごしていました。そして、その願いをかなえてくれる出来事が起こったのです。ある方が心を過去に送りこんでもう一度大介さんに会わせてくれるというのです。その代わり、大介さんの運命を変えたり、命を助けて歴史を変えたりしないということが条件でした。もちろん、私は大介さんにもう一度会えるのであればと、その方の言う条件に従うつもりでお願いしました。そして、私は過去へ戻り大介さんに再会することができました。
やはり、大介さんは素晴らしい人です。あの人と一緒にいるだけで自分が幸福であると実感することができます。これを読んでいるあなたも、まったく同じことを感じていると思います。
いや、ひょっとしたら、今のあなたは、大介さんが永遠に存在してくれるものと思っているかもしれません。そして、今の幸福をあたりまえのように感じているのではないでしょうか。
もし、そうであれば、想像してみてください。大介さんがいなくなった世界を、目が覚めたとき隣に大介さんの姿がない朝を。歩いていて、右側に誰の姿もない散歩道を。たった一人で食事をとる淋しさを。
過去に戻って大介さんと再会できたとき、叫びたくなるほど嬉しかった。
私は、過去に戻るために交わした約束を最初は守り続けてきました。
大介の運命を変えないこと。
しかし、なんとか大介さんの命を救えないかと徐々に考えるようになっていました。ひょっとしてこうすれば、大介さんの運命を変えることができるのではないか、という案が浮かべばそれを実行するようになっていました。未来で生前の大介さんが温泉旅行に行きたいと願っていたことを知っていた私は、大介さんと二人でその願いを果たしました。
未来の私と大介さんとの間に子供はいませんでした。もし、大介さんの子を授かっていれば、二人の未来は違ったものになるのではないか。そう考えて、大介さんの子を授かる努力も続けています。
過去になかった出来事を新たに発生させれば、大介さんを待ち受ける悲劇を避けることができるのではないか。そう考えたのです。なんの確証もありません。私のかすかな希望でしかないのですが、もし大介さんを救うことができるのであれば、その方法をすべて試してみるつもりで日々を過ごしていました。そのどれが効果をもたらしてくれるのかは、まだわからずにいます。今のところ大介さんの子を身ごもったという兆候はありませんし、大介さんの体調の変化も注意しているのですが、この手紙をしたためている現在までは、本人も体調の変化は自覚していないようですし、私の目にもわかりません。しかし、以前の記憶からすれば大介さんの体調の変化は、ある日何の前触れもなく、突然やってくるはずです。それを考えると、怖くて怖くて仕方がないのです。
さて、この手紙をなぜ書いているのか? ということを記しておきたいと思います。最近、不安を感じるような状態にあるのです。私が、この時間軸へ来るときに説明は受けていました。大介さんが元気だった頃の時間に永遠にとどまれはしない、と。でも、大介さんと過ごしていると、いつまでも一緒に過ごせるのではないかと思いこもうとしている自分がいます。しかし、これまでには感じなかった力を感じるようになりました。もう原因はわかっています。これは本来いた未来の時間に私を押し戻そうとしている力なのです。そしてこの力は私が大介さんをなんとか救おうと考え、行動に移すたびに強くなっている気がします。きっと運命に逆らうことを“時の風”は許してくれないでしょう。今まで私がやってきたことが大介さんを救う結果につながるかどうかはまだわかりません。でも、これだけで大介さんを救えるのかという不安をいつも抱えています。もし、私が近いうちに未来に跳ばされてしまえば、大介さんを救えなくなってしまうのではないかと不安でたまらないのです。もし、そうであればできることはただ一つ。この手紙を読んでいるあなたに、大介さんのことを必ず救うように、お願いしておくしかないのです。どうすれば大介さんを確実に救うことができるのか? 正直、今の私にもわからずにいます。もし、この手紙を読み終えたあなたが、この手紙に書かれたことを信じてくれるなら、この時から大介さんを救う行動を起こしてください。どんなことでもかまいません。大介さんに危機が迫っていることを覚悟して、大介さんを守るためにはどうすればいいのかを常に考え、実行してくれれば、何らかの効果が生まれるのではないかと思っています。いえ、そう信じるしかないのです。
お願いします。私は、いつ未来へ押し戻されるかわかりません。そうなると、大介さんを救えるのはこの時間軸にいる、あなただけになるのですから。
どうぞ、この手紙を書いている私を信じてくださいますように。
そして、何より、私が未来へ帰ったときに、そこに元気な大介さんが待っていることを心から願っています。
がんばって、私。根子島の宿で食べたイワシの手打ちパスタの味が忘れられない。未来で大介さんが元気だったら、またあの宿に行きたいと思います。そう思いませんか?
乱筆乱文ごめんなさい。香菜子

書き終えた手紙を前にして香菜子は、一つ大きな溜息を吐いた。この手紙で、この時間軸の本来の私は信じてくれるだろうか? もう一度、読み返してみた。何も知らない自分になったつもりで目を通してみる。
明らかに、自分の字で自分が書く文章だということがわかる。そして、考えた。残る私と未来へ戻される私の意識は常に重なり合っているのではないか?
だから無意識のうちにイワシの手打ちパスタの記述も入れたのではないかと思う。もし意識が重なり合っているのであれば、このことで、書いたのが香菜子自身であったという証拠にもなるだろう。
書き直したい衝動もあったが、あえてそのまま便箋を折り、白い封筒に入れた。
表に「中川香菜子様」と記して、封を閉じた。それから裏に、「香菜子」とだけ書いた。それをどこに置けば、他の人の目に触れることなく、確実に私に届けられるのか? もちろん 大介の目にも絶対に触れさせたくない。そして、香菜子自身が必ず最低一日一度はチェックするような場所。
自分に日記を書く習慣があったなら、日記の最新ページに挟んでおくというのが一番確実なのだろうに、と思う。しかし、香菜子は残念なことに日記をつけていない。家計簿をつけていれば、家計簿にということもあるが、香菜子には、その習慣もない。
考えあぐねて、結局、自分が一番使うショルダーバッグの中に封筒を入れた。買物に行くときは、いつもそのショルダーバッグを持っていく。その封筒が常にそこにあることは、自分で確認できるはずだった。
そして、もしも自分の心が未来へ押し戻されて、ここに残った自分の記憶がゼロになったとしても、すぐにその手紙を発見できるに違いないという確信があった。
ここであれば、他人に見られることもないし、大介の目にも触れることはない。
そう自分に言い聞かせると、気持ちがずいぶん楽になった気がした。
それから香菜子は、そのショルダーバッグがいつでも自分の視界に入るような場所に置いた。そして、時々バッグがそこにあることを確認し、安堵した。
外出するときには、必ずそのショルダーバッグを持っていった。買物をしてお金を払うときに、バッグを開けると、必ず封筒が目に入った。その度に、自分は“時の風”に吹きとばされることなく、大介が元気な時間にまだいられるのだと思えるのだった。
自分への手紙を書きあげてから、気のせいか“時の風”を感じなくなったような気がしてならない。
“時の風”はその力を駆使することをやめたのだろうか? 
そんなはずはない。だが、一刻でも長く、大介と過ごせることはありがたかった。
「香菜ちゃん、最近ずいぶん穏やかな雰囲気だけれど、何かいいことあったの?」
そう大介に指摘されるほどだった。
「そう? あまり自分ではわからないけれど、そう言われたら、いつもはなんだか尖っているみたいね」と冗談を返した。
「いやあ、尖っちゃいないよ。でも、なんだか、悩みから抜け出したというか、悟りを開いたような表情に見えたりするから。気のせいかな」
それほど、自分の心の持ちようが表情に表れるのかと驚いた瞬間だった。そして香菜子は、大介の観察眼にも舌を巻いた。香菜子が思っている以上に、大介は香菜子の変化に注意を払ってくれていたのだ。これまでの香菜子は精神状態がいっぱいいっぱいなこともあった。そんなときも、大介は当然気がついていたにちがいない。
「気のせい。気のせいだよ」とあわてて答える。
「そうかな、香菜ちゃんはぼくに言わなきゃと思って言っていないこととか、ないの?」
この大介の言葉に、香菜子はどれほど驚かされたことか。
「え? 何のこと?」と答えつつ、頬が強張るのがわかる。大介に話していないことが、あまりに多すぎる。大介が何を感じてそういうことを言うのかということにまで頭が回らない。一所懸命作り笑いを浮かべようとするのが関の山だ。
「あ、やっぱりちがうのか」と大介は肩をすくめてみせた。香菜子が何のことだろうと思っていると、大介は右の手のひらを自分のお腹にあてるような仕草をしてみせた。
「まあ」と答えてから、香菜子は思う。そういえば、まだ大介の子を授かった兆しはない。大介はそのことを言っていたのか、と思う。
「そうだと思ったの? ごめんなさい」
「いや。ひょっとしてと思っただけだよ」
その結果がわかるのは、もう少し先だろうか、と香菜子は思う。
子供を授かれば、大介と自分の運命も大きく変わっていくのではないか。
それ以上の行動を、香菜子は慎んでいた。大介を助けることができるに違いない決定的な方法を思いつかなかったということもある。そして、芙美の言葉も香菜子の行動にブレーキをかける効果があった。芙美が言うとおり、彼女の言葉に逆らえば、やはり“時の風”が強くなる気がするのだ。
静かに日々を過ごせば、大介と一緒に、時間を送れる気がする。
ただ、そうすれば大介の運命を変えることは難しくなる。
できるのは大介との愛の結晶を授かるのを待つことだけ。とはいえ同時に、もしも大介の子を持てなかった場合のことも考えるようになっていた。
「そのとき」が前の時間軸と同じような経過でやってきたら。
運命を変えることができず、大介を救おうにも香菜子にはなす術がなにもないとしたら。
そうなれば、自分が未来に戻されなくても、また同じ悲しみを味わうことになってしまう。
一度だけでもつらかったのに、二度もそんな目に遭いたくない。
そんな気持ちを抱えながらも、大介が帰宅したときには、できるだけ平静を装おうとする。それでも、ときに自分を抑えることができずに、ただいまと言った大介にしがみついてしまったことがあって彼を驚かせた。あわてて、これではいけないと自分に言い聞かせる。大介に、どうしたんだいと尋ねられても、答えることができなかった。
それは衝動だったから。
衝動に理由づけなどできるはずがない。そういうときは大介から離れて無理に作り笑いをしてみせる。きっと大介は、いろんな解釈を試みたことだろう。
それから、繰り返し未来の出来事を思い出すのだ。大介が発病してからの悪夢のような時のことを。
そして、発作でも起こったかのように、自分が未来で考えていたことがよみがえってきた。
なぜ、自分は大介があの世に旅立ったときに一緒に死ななかったのかという考えを、はっきりと。
そして、こう思った。本当に愛する人と同時に人生を終えることこそが人の生というものなのではないか、と。それが生き方の理想なのではないか?
今度、大介が発病したときには、最後まで看取り、その最後の瞬間には同時に己の命を絶とう。
そして、その理想を実現するための方法を自分で考えるようになった。
苦しまずに、同時に逝く方法はないか。まだ、答えは出ない。毒薬、縊死(いし)、飛び降り。さまざまな死に方を検討するが、途中で、何か大介を救う決定的な方法があるはずだという考えが広がってきて、結論がうやむやなままで、先延ばしになってしまうのだ。
この頃から、他にも自分を制御できないことが起こりそうになっていることに香菜子は気がついていた。
大介と夕食をとっていて、急に泣き出しそうになり、抑えるのに苦労する。それだけではない。大介を仕事へと送り出して一人になった途端に、大声で絶叫してしまう。これは室内だし、香菜子一人しかいないから、思いきり叫ぶことができる。すると、少しは落ち着きを取り戻せるのだが。
一度は、無意識のうちに、仕事中の大介に電話をかけてしまったこともある。プライベートな電話を大介の仕事中にはかけないという原則になっているのに。それでも、電話をかけてしまったのは、それが香菜子の無意識の欲求だったということだろう。
携帯電話に大介が出てから、そのことに気がついて香菜子はあわてた。
「ごめんなさい。間違ってかけちゃった。友達にかけたつもりだったの。本当にごめんなさい」
大介が、どう思ったのかわからない。しかし、あくまで彼はやさしかった。
「いや、いいよ。間違えてかけてしまうことはよくあるから」
注意しろとも言わなかったし、声には嫌な気配さえなかった。大介が何も感じていないことはありえないと香菜子は思った。帰宅しても電話のことには彼は触れることはまったくなかった。いずれの衝動も、実は香菜子の無意識下で、未来に引き戻される時機が近づいていることを感知した結果ではないかと、考えていた。
その時がいつ来るのかは、わからなかった。
風に脅えていた。
どのタイミングで、“時の風”に跳ばされるのがいいのか、ということまでぼんやり考えるようになっていた。
大介と別々の場所にいるときは嫌だ。最後まで彼と一緒にいたい。
眠っているときも嫌だ。自分の目に元気な大介を焼きつけておきたい。
香菜子は、ショルダーバッグを開けてみる。
自分に宛てた手紙は、ちゃんとそこにある。
そして何日も、“時の風”を感じなくなっていたとき、それはやってきた。

※次回更新は9月15日の予定です。

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
『クロノス・ジョウンターの伝説』誕生から20余年。梶尾真治の描く新たなタイムトラベル・ラブストーリーがついに始動!

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