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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

デイ・トリッパー ブック・カバー
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第15回

2016.03.15 更新

沙智は話している限り、香菜子が知っている明るいイメージのままだった。とても落ち込んでいるようには見えない。
久々に香菜子やまいに会えたことで安堵したのだろうか?
何も心配することはないのよ。結婚したら未亡人になった私を励ます役に回ることになるなんだから。香菜子は、本当はそう言ってやりたいくらいなのだが、まさか、そんなことを言うわけにはいかない。
沙智は、香菜子に気にしないで、と言うように首を横に振ってみせた。
それから、香菜子に「ひょっとして、病院に行ってたのかな、と思った」と言った。
えっ? 沙智は何を言っているのだろう、と香菜子は思う。大介は、まだピンピンしている。どうして、そんなことを言うのだろう。
「そろそろ、おめでただったりして」
そう言って、沙智は悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべてみせた。香菜子が何も答えられないでいると、「どうしたの?」と沙智が心配そうに眉をひそめた。そうだったのかと香菜子はようやく理解する。病院というのは、大介のことではなく私のことだったのか、と。沙智を心配させたのだとしたら、今、私はいったいどんな表情をしていたのか。
「だったらいいけれど、なかなか兆(きざ)しがないの」と答えた。
「そう」と沙智が頷く。「だってさっきロビーで待っていたとき、香菜子は左手で自分のお腹をさするようにして入ってきたじゃない。だから、ひょっとしてと思ったというわけよ」
香菜子自身は、そんな意識はまったくなかった。だが、ひょっとして無意識のうちに、願望がそのような仕草になって出たのだろうか?
沙智は、ビールをくいと飲む。すっかり、マリッジ・ブルーはふっ飛んだようだ。やはり一人でいろいろと思い悩んでいると、物事を負の方向へと際限なく考えてしまうのではないか。
まいが、自分の近況を話し始めた。教え子の発表会のレッスンで苦労していること。そして通って教えている教室が、片道一時間半かかるから大変だという愚痴。二人の会話は覚えていない。ただ、大介が亡くなった後に三人で集まったときは、教えている教室が近くになったという話をしていたな、と思う。もうすぐまいは、通うのに便利な教室に変わるわ、と言ってやりたい気もしたが、もちろん黙っていた。
すると、まいが、今度は香菜子に話題を向けた。
「香菜子の結婚生活について話してあげたら。香菜子、充実した毎日を送ってる?」
「ええ、もちろん」
そう。今の自分と大介との暮らしを正直に話してやればいいのだ、と香菜子は思う。それこそが沙智のマリッジ・ブルーを解消させる一番の方法だ。
マリッジ・ブルーはまったくなかったが、結婚式の準備にはいろいろ悩んだり迷ったりしていたことを香菜子は話した。ただ、イベントが終わり、日常生活に入ってみればどうでもよいことで迷っていたことに気づいた、と。案ずるより産むが易しと言うじゃない。
沙智にそう話しながら香菜子は結婚当時のことをいろいろ思い出していた。自分たちはできるだけ簡素に式を挙げようと、親戚の招待客も最小限にとどめた。それでも、さまざまな問題が出てきたっけ。結婚式のことだけではなく、新しい住まいのこと。引っ越しのこと……。結婚を決めた日から思いもよらなかった問題が次から次に生じたのだった。
大介は、基本的に問題が生じれば、その都度、解決法を一所懸命に考えてくれた。
それは、ありがたかった。
だが、大介の知らなかった一面を知ることもあった。それは、香菜子が結論に迷い大介に相談すると、時折、大介が無口になってしまうこと。大介は、凍りついたように口を閉ざし、無反応になるのだった。しばらく大介がその状態でいるので、香菜子は無視されているような気持ちに陥る。しかし、突然、大介の顔に感情が甦る。そして、先刻の香菜子の問いかけに答える。
そこで、香菜子は知る。大介は香菜子を無視していたわけではなく、香菜子から持ちかけられた問題の解決法を必死で考えていたのだということを。あまり一所懸命に考えると、周囲に目が入らなくなり、内にこもってしまうのだ。それは、彼の真剣さゆえであることを香菜子は、それまでまったく知らなかった。
ただ、とまどうことはあっても、新たな一面を知ることは嬉しくもあった。こういうことを繰り返しながら家族になっていくのだとも感じた。
思いつくままに語ると、沙智はグラスを手にしたまま何度も頷く。
沙智にも同じようなことがあったのかもしれな。徐々に、沙智の表情がほぐれていくように感じた。
「やっぱり、今日は二人に会えてよかった!」と沙智が安堵の声を漏らしたから、香菜子もほっとする。
「まい! 香菜子! 本当にありがとう。こんなとき頼りになるのはあなたたちだわ。これからも、ずっと、よろしくね」
すると、まいが「もちろんよ。私は、まだ結婚していないから、アドバイスしても話に重みがないと思ったの。だから、香菜子よ。香菜子の体験談、迫力あったでしょう」
「あった。あった。でも、まいも耳年増だから、結婚していなくてもいろいろ知っているんじゃないの」
「そんなことないわよ。同じ話をしても、人妻の香菜子が話してこその、迫力というものがあるのよ」
それからは、沙智が、式と披露宴の予定について語った。
香菜子は、沙智の話を聞いていると、沙智がマリッジ・ブルーになるのも当然と思えてくるのだった。香菜子と大介は、すべて二人の話し合いで結論を出していた。いろいろ問題は持ち上がるものの、その都度、大介と知恵を出しあえば解決することができた。
ただ、沙智の場合は、その問題が沙智と彼だけでは解決できないものも多いようだった。香菜子のときとちがい、出席者の数が桁違いに多い。それは、両家の親族の出席者も多いということだ。すると両家の家風、あるいは考え方の相違も生じてくる。
そこで生じた摩擦を二人で解決しようとすると、かかってくるエネルギーも自分のときとは比較にならないと思えてきた。
すると、そこまでは言わないものの沙智のストレスは相当なものだろうと、香菜子は少し心配になるのだった。
しかし、沙智のそんな苦労もヤマを越えようとしているようだ。それがわかって、香菜子も、ほっとする。
沙智が今度は話題の矛先を、まいに向ける。
「まいは、どうなの? 学生の頃から何人も男の人とつきあったから、目が肥え過ぎたんじゃないの?」
「なにが?」
「結婚よ。結婚」
沙智に問われて、まいはチラと香菜子を見る。香菜子がまいに結婚の話題を振ってしまったときのまいの反応のことを知っているから、香菜子の様子が気になったのだろう。香菜子は表情を変えずに、まいの反応を待った。
「結婚ね。時機が来たら、私もするわよ。別に目が肥えるとか関係ないと思う。本当に好きな人ができたら、経験とか理屈とか関係なくなっちゃうと思う。私が早く結婚した~いと思う結婚を、沙智は早くしてよ」
まいは大人な答えを返していた。沙智は少しびっくりしたようだった。
「まいは、もっと打算的に結婚を考えているかと思っていたけど、予想外に乙女のようなこと言うからびっくりしちゃったあ」
「あら。昔から、こうだったじゃない。今頃びっくりしてどうするの?」
そこで、三人は声をあげて笑った。香菜子の記憶では、まいは沙智が結婚した一カ月後に、自身の結婚話を披露することになるはずだった。もちろん、香菜子がまいの結婚について触れて彼女を驚かせたことでもわかるとおり、まいの結婚話はまだ表明するほど煮詰まっていないということだろう。
三人とも表面では声をあげて笑っているのだが、それぞれ心の奥では、引っかかるものを抱えているのだろうと香菜子は思う。しかし、それはそれとして、沙智やまいとの友情が、貴重なものであることは、間違いない。
それからは他愛のない世間話が続いた。
まいも沙智も目を細めて、口に手をあてて楽しそうに笑う。話題もテレビでお気に入りの俳優のことだった。
香菜子の正面にならんで座るまいと沙智。二人を見ていて、ふっと頭をよぎった光景があった。
あのとき……大介を亡くしうちひしがれていた香菜子を、なんとか二人で元気づけようと呼び出してくれたときだ。
そしてその後、初めて竺陣芙美に会ったのだった。
そこまで考えた瞬間、香菜子は自分の目を疑った。
沙智とまいは同じように目の前に座っている。なのに、二人が急に心配そうな表情に歪んでいく。なに、これ? と瞬きすると二人の表情は和やかな元の表情に戻っていた。
いや、表情だけじゃない。
二人が着ている服もちがった。春の服だったではないか。
あのとき二人が来ていた服だ。大介が亡くなった後に二人に会ったときの。確かにそうだ。
目の錯覚を起こしたのだろうか。
たった一瞬のできごとだけれど、確かに見た、と思った。 
それから、同時に気付く。
風を感じたのだ。
ホテルのレストランは窓がない。外の風が吹きこむ場所ではないし、エアコンも風として感じられるほどではない。
頬に風を感じたが、感じたのは頬だけではない。かすかに背中にも、足元にも。そんな馬鹿な。服を着ていたのに、背中に風を感じるなんて。
「どうしたの、香菜子」
まいが、香菜子の様子に気がついたらしい。
「えっ? どうもしないわ」
「だって、びっくりしたような表情で私たちを見てたじゃない。そして、あたりを見回して。どうかしたの?」
まさか、二人の姿が、未来とだぶって見えたから、と言うわけにもいかない。
「いや、ちょっと風が」と答えた。
まいと沙智は不思議そうな様子で香菜子を見る。
「風? そっちの席にエアコンがあたるのかしら? こちらはなんともないわよ」とまいが言った。
「寒いの? 香菜子、熱があったりするんじゃない?」と沙智が案じる。
「ううん。大丈夫だよ。風は、もう感じないから」とごまかしたものの、沙智は、香菜子が風邪をひいたと完全に思い込んでしまったようだ。
それから、話もあまり盛りあがることなく解散になったのだが、香菜子は、二人に申し訳なく感じてしまった。場をしらけさせてしまった原因は、自分にある気がしてならなかった。突然変な態度をとってしまった結果でもあるのだろうから。
「じゃあ、また。沙智の結婚式は、楽しみにしてる」
香菜子はそう言って二人とは別れた。
一人になって、自分が感じた現象の理由をいろいろと考えていた。
そのことを思いついたときは、歩いていた足が思わず止まった。
自分がいた未来と現在が融合しようとしている?
そんな考えが浮かんで、わけがわからなくなった。単に未来で同じような体験をしたことで、既視感を感じたということではないのか?
風は? 背中や頬に同時に感じた風は何を意味していたのだろう。
あのとき、しっかりしなきゃ、と自身に言い聞かせていた。だから、風を感じたことよりも、平静を保つためにはどうすればいいかということを優先していた。
もしも、あの時、風に吹かれるまま、逆らわずにいたら、どうなっていたろうか。
未来と現在が融合するというのではなく、本来、自分がいた未来へ押し戻されてしまうのではないか。
風は、はじめに強く感じた。未来のまいと沙智の姿がだぶって見えたときだ。理由がわからず自分をしっかりさせようとすると、風の勢いが弱まったではないか。
未来へ押し戻される?
そんなことは、今まで考えもしなかった。このまま大介と暮らし、最後まで悔いのない形で彼を見送る。そう考えていたのではないか。歴史を変え、大介を救うということは、できないにしても。
今は、まだ大介との生活を失いたくない。
芙美は、いつ未来に戻ることになるのかということを香菜子には伝えていなかった。
しかし、さっきの風は、まさにその可能性を感じさせた。未来のあのホテルで、まいや沙智といたあの時間に飛ばされそうになったのではないか。
そう考えたときだった。
また風が吹いた。道で立ち止まった香菜子の顔に正面から。その風を受け止める。物理的な風でないことを香菜子は悟った。
その風は、香菜子を遠い場所に連れて行こうとしている。
遠い場所が、どこなのか、すぐにわかる。
その風に抗うことなくいれば、引き戻されるに違いないことも。
何の希望もない世界だ。
大介が存在しない未来。
香菜子は、真っ黒いローブを身にまとった顔の見えない人物が宙に浮かんで自分に近付いてきている気がした。それは死神の姿にも似ている。だが、死神とも異なる。本来あるべき時の流れを矛盾から守るために動き回る時の神。現実に見たわけではないが、そんな何かが自分の回りをふわふわと飛び続けているような気がしてならない。
まだ未来に飛ばされるわけにはいかない。
お願い。このままにして。
だが、さっきホテルで感じたときよりも風は強い。気をしっかり持たなくては。
香菜子は必死で意識を保った。
そして、同時に自分がデイ・トリッパーで現在に来たときのことを思い出していた。
気をしっかり持っていれば大丈夫だ。きっと未来へ引き戻されるのは、自分が意識を失っているときだ。だって、この時代に来るときは薬を飲まされて眠りこんだ時だったではないか。
意識をしっかり持っていれば大丈夫なはず。そう言い聞かせる。だが風は強い。
目の前が、一瞬だけ真っ白になった。
あっ、だめだ! 連れ去られる。
香菜子がそう思ったとき、風が急速に弱まっていく。
そのとき、やっと自分がどこにいるのかがわかった。大通りのバス停近くだった。
昼下がりのおだやかな陽差しが感じられた。もちろん、風は吹いていない。
「どうしたの? 身体、調子悪いんじゃない?」
と声をかけられた。
バスを待っていたらしい初老の婦人が心配そうに香菜子の横に立っていた。
「大丈夫です。ちょっと立ちくらみがしただけだと思いますから」
「そう? 体調が戻るまでベンチで休んだら」とバス停にあるベンチを指差す。
「ありがとうございます」
バス停にいた数人も心配そうに香菜子を見ていた。余程、体調が悪そうに見えたのだろうな、と香菜子は思う。お礼を述べて、香菜子は、その場を後にした。
体調はいつもどおりだ。風の気配はない。
もう、不吉な風に襲われることはないのだろうか?
香菜子は歩きながら、今、自分が体験したことについて考えていた。
これまで、デイ・トリッパーで過去を訪れて以来、こんな現象に見舞われたことはなかった。
何故、あんな現象が発生したのかはわからない。
しかし、まいや沙智とあのホテルで、未来のあの日と同じように会ったことが関係している気がしてならなかった。
同じ人々と同じ場所で同じような状況にいたことが引き金になったのではないか? そんな考えがよぎる。
それだけなら、錯覚で済ませられるかもしれないが、同じ感覚にまた襲われたことはどう考えたらよいのだろう。
徐々に感覚が強くなって、自分の気力だけでは抑えられなくなるときが来るのではないか?
そうなれば、未来に飛ばされる。
いやだ。大介の側から離れたくない。まだ、ここを去るわけにはいかない。
真実はどうなのか?
わからない。
今の考えも、自分の想像でしかない。
確かめたい。本当に、元の世界に引き戻されようとしている現象なのかどうかを。
そして、もしそうであれば、どうすれば留まることができるのか?
知りたい。
だが、どうすればわかるのか? 誰に尋ねればいいというのか?
大介には絶対にばれることなく。
すぐに、機敷埜老人の顔が思い浮かんだ。
デイ・トリッパーを開発した本人だから、一番くわしいはずだ。
しかし、先日、会ったとき、デイ・トリッパーは不完全な状態だったではないか。香菜子が遡時誘導剤のヒントを与えた段階でしかなかったではないか。機敷埜老人に尋ねたところで正しい解が導き出せるとは思えない。
それに芙美にも釘を刺されている。

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
『クロノス・ジョウンターの伝説』誕生から20余年。梶尾真治の描く新たなタイムトラベル・ラブストーリーがついに始動!

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