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デイ・トリッパー

梶尾真治(かじお・しんじ)

デイ・トリッパー ブック・カバー
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第10回

2015.10.15 更新

何から話し始めたらいいものか。
しかし、迷うのと同時に、これまでのことが奔流のように心の中で渦巻くのを感じていた。迷っているのに言葉だけが溢れ出る。
香菜子は、大介に起こった不幸のことから、話し始めた。大介との出会いから結婚、幸福だった生活のこと。そして、大介が突然の病魔に侵されたときのこと。なす術もなく大介を失ったことまで。
そこで、香菜子は一旦言葉を切った。あまりに老人が何の反応も返してこないので、このまま話し続けていいものか、不安になったのだ。ひょっとして、自分の話に興味がないのではないか、と。尋ねたのは、機敷埜老人のほうからなのに。
すると、やっと機敷埜老人が反応を見せた。数回、驚いたように目を瞬かせた。
「どうしました」
「いえ、このまま、お話ししていいんでしょうか?」
そう伝えると機敷埜老人は香菜子の不安げな様子に気がついたようだ。
「あっ。気にせんで話を続けてください。これは、私が人の話を真剣に聞いているときのクセなんですよ。頷くのも相槌を打つのも忘れて、話に耳を傾けているので、まるで私が目を開いたまま眠っているのではないかと思われるようだ。
でも、そう見えても香菜子さんの言うことは、耳に入ってますから。どうぞ。あ、そうか、ときどき頷けば香菜子さんも話しやすくなるでしょうか。では、そう心がけましょう」
香菜子が返事をするのも待たず、機敷埜老人は香菜子に「さあ、どうぞ」と話を続けさせる。香菜子は話のタイミングを奪われたような気になったが、芙美との出会い、そして芙美がどのように香菜子を誘ったかを話した。香菜子は機敷埜老人の表情が初めて変化したことに気がついた。どのようなタイミングで芙美に声をかけられたのか。自分はどのような気持ちでいたのか。芙美にデイ・トリッパーの話を聞かされたときに、どれほど驚いたか。
機敷埜老人は、何度か頷いていた。そして、そのとき初めて香菜子の話に口を挟んだのだ。
「香菜子さん。ちょっと聞いてよろしいだろうか?」
もちろん、香菜子にはそれを拒む理由はなかった。
「なんでしょうか?」
機敷埜老人は少し口ごもった後、思いきって尋ねた。
「芙美が、その……デイ・トリッパーの説明をするとき、私のことを話題にしたろうか?」
「ええ。デイ・トリッパーは伯父の機敷埜博士が発明したのだと言っておられました。伯父さまのことを大変、尊敬していらっしゃいましたよ」
機敷埜老人は、そこで大きく頷き話を続けた。
「そうでしたか。他に芙美は私のことを何か話しておりませんでしたかな?」
直接的に尋ねているわけではない。だが、香菜子には、わかる。機敷埜老人は、自分の運命が気になっているのだ。
とはいえ、機敷埜老人が亡くなったことは聞いているが、それ以上のことは断片的にしか覚えていない。香菜子もいくらなんでも本人にそのことは言えない。
「芙美さんは、あまり、くわしくは話されませんでした。ときどき断片的に博士の話題に触れたくらいで」
「どんな話題でしたか?」
「ビートルズがお好きだったので、遡時誘導機をデイ・トリッパーと名付けられたって言っておられましたけど」
それは、機敷埜老人が期待していた答えではなかったのかもしれない。機敷埜老人は不満そうに眉をひそめてみせた。
「その程度の話題ですかな。私が存命中に芙美に具体的に何を語ったとかは聞いていないのですか?」
機敷埜老人は単刀直入に尋ねてきた。こんなときに香菜子はうまく動揺を隠せたためしがない。
「え? よくわかりません。芙美さんとお会いしたとき、たまたま機敷埜博士は旅行に出かけておられたということではないのですか?」
そう答えながら、香菜子は自分の声が上ずってしまっているのがわかった。機敷埜老人のように人生の経験を積んだものから見れば、香菜子の態度一つで、それが噓か本当かはわかるのだと思う。
しかし、それ以上、機敷埜老人はその件について香菜子を追及しようとはしなかった。代わりにこう言った。
「そろそろ、デイ・トリッパーの実験を本格的に始めようと思っているのですよ。ということは、芙美に、これから実験を手伝わせたほうがいいということなのかのう」とだけひとりごちて頭をひねった。
それから「実は」と、香菜子に顔を近付けた。「遡時誘導機は完成している。そして、その装置で理論上は作動するはずなのだがなあ、さっき申しあげた通り、壁に突きあたっておるのです。何度試みても跳べない。だが、香菜子さんにお会いして、デイ・トリッパーは完全に実用化していることがわかりました。
何故、私には行けないのだろうな?」
「いえ、機敷埜博士は、何度もデイ・トリッパーを使った。芙美さんは、そう言っていましたよ。芙美さんは、その過去旅行を何度も手伝ったと」
機敷埜老人は虚しそうに首を大きく横に振った。そこで香菜子は気がついた。
機敷埜老人は自分の未来の状態を知りたかったのではない。完成したのに作動しない、デイ・トリッパー。その理由を知りたかったのではないのか? 
だから、ヒントを香菜子の口から聞きたかったのではないだろうか。
「これ以上、過去へのジャンプに理論的なものを付け加えることはないと私は確信している。しかし、現実には香菜子さんは時を跳び、私はできない。何が異なるというのだ」
「でも、芙美さんは言ってましたよ。機敷埜博士は、何度も過去へ跳んだって。ですから、これから何か、新しいことに気付かれるのではありませんか?」
「では芙美は、遡時誘導機のことと私について何も他に語らなかったのか。デイ・トリッパーに乗せて過去へあなたを跳ばしただけだというのか」
そう言われても香菜子には返事のしようがなかった。
「そうか。デイ・トリッパーは、まだまだ完成しないわけか」
「でも、いつかは完成したのではありませんか? 機敷埜博士がデイ・トリッパーの操作法を芙美さんに伝えるわけですから」
「しかし、今のままでは何度やっても同じこと。何がちがうのだ」
「ひょっとして、機敷埜博士はお薬が効かない体質なのではありませんか?」
香菜子がそう言ったとき、機敷埜老人は、目を大きく開いた。
「あなた……今、何と言った」
「お薬が効かない体質ですか……と」機敷埜老人に指を差されて、香菜子はあわててどぎまぎしてしまう。何か変なことを言ってしまったのだろうか? 
「香菜子さんは、遡時誘導機に乗るときに、薬剤を使ったというのかね」
「ええ。甘酸っぱい香りのお薬を飲まされました。芙美さんは遡時誘導剤と呼んでいましたけれど。たしか、過去に跳ぶ旅行者の精神状態が関係するから、と飲まされたんです」
「それか……!!」と驚いたように自分の髪の毛を搔きむしる。「私は、デイ・トリッパーを完成させたときに、理論上はこれ以上のものはできないという自負があった。ところが、現実には心を過去へ跳ばすことはできなかった。さまざまな可能性を検討したのだよ。過去へ跳ぶときの精神状態も関係するのではないかと思い、自分の精神を統一する方法も試してみた。だが、うまくいかなかった。自分の心の在りかたに何か欠陥があるのかも、と悩んだが、まさか薬剤を使用するとは。まさに盲点だった。そんな簡単なことが思いつけなかったとは。よし、大いなるヒントを頂いた。感謝するよ」
まったく予想外の展開に、香菜子は驚く他はなかった。ということは、このできごとは芙美が恐れていたタイム・パラドックスではないのか?
機敷埜博士の発明品である遡時誘導機、すなわちデイ・トリッパーは、真の完成は未来からやってきた香菜子のアドバイスがあって初めて実現することになるのだから。つまり、香菜子が機敷埜博士と出会わなかったら、いつまでもデイ・トリッパーは完成しなかったということになる。バタフライ・エフェクトを起こすのではないかと心配した機敷埜博士と香菜子の対話が、逆に正しい歴史に戻っている。ということは、脅えすぎなくても運命はあるべき方向に流れているのではないか、と香菜子は思ってしまう。そして、そう考えると、ずいぶんと気分が楽になっていることに気がついていた。
「お役に立ちましたか?」と言った自分の表情がほぐれていくのを香菜子は自分でも感じていた。
「もちろんですよ。今度は、私の話も聞いてもらえますかな」
安らぎを得た表情の機敷埜老人は、どうしても話さずにはいられないようだった。香菜子は、自分と機敷埜老人の間に絆のようなものが生まれたとさえ思い始めていた。
「ええ。どうぞ」
「ありがとう。実は、先日、私の身体がたちの悪い病に侵されていることが、わかったのですよ。余命宣告まで受けるとは呆れたものです。私に残された時間は長くて半年と言われた。自覚症状が出始めてからも、研究にかまけて、自分の身体のことは二の次に考えていた。だから、天罰といえば天罰なのですがね。
医者が言っていました。何故、もっと早く見せなかったのか、とね。初期段階であれば容易に治療できたということですよ。完璧にね」
「じゃあ、デイ・トリッパーを使って、過去の自分に戻って治療を受けようと思っているのですか?」
すると機敷埜老人は、大きく頷いた。それでは、大介を救おうとする自分と変わらないではないか。
「いったい、どんな薬剤を併用していたのだろうなあ」
機敷埜老人のひとり言に、香菜子は現実に引き戻された。
「甘酢っぱい匂いの薬を飲んだと言っておったな」
「ええ、その通りです。部屋中が、薬の匂いでいっぱいでしたから。おわかりですか?」
「まあ、いろいろ試してみるとします。薬学には縁がないほうではありませんから」
さりげなく言い放ったが、機敷埜老人の言葉は自信に溢れているように見えた。フリーエネルギーからタイムトラベルに至るまで、さまざまな分野で無差別に研究を続けている彼のことだから、どんな研究の壁も越えてしまえるにちがいないと、香菜子には思えた。
そのとき、ふと、香菜子は機敷埜老人に尋ねてみた。何でも尋ねてくれと機敷埜老人は言ったではないか。そして、結果的にはまだ作動していないデイ・トリッパーを使うにはどうすればいいというヒントを香菜子が機敷埜老人に与えることができたから、気分的に緊張が解けてきていた。
「あの。質問していいですか?」
「おお。なんでもお尋ねくだされ。香菜子さんからは、思いがけない情報を与えてもらった。何も遠慮することはありませんぞ」
「たとえば……たとえばの話ですが。今、私は願いがかなって大介が元気だった頃に帰ってきているのですが、そのことには感謝して幸福な日々を過ごしています。そして一日一日を大事に過ごしているつもりですが、いずれ、また大介が病魔に侵されて突然倒れてしまう日が来るのだと思うと、胸が張り裂けてしまいそうになるのです。かといって、芙美さんから過去へ跳ぶときに言いつけられたことを守って、タイム・パラドックスが起こらない生活を続けています。私はこのまま大介を見殺しにするしか道はないのでしょうか? なにか、方法はないかと、いつも考えているのですが。また同じ絶望の時間を迎えるのだと思うと、目の前が真っ暗になってしまうのです。機敷埜博士の考えを聞かせていただけないでしょうか」
機敷埜老人は目を閉じて腕を組んで黙していた。頷くこともなく、何の反応も返してくれない。本当は、こう尋ねたかったのだ。
私と大介には子どもがいませんでした。今、もしも私と大介の間に子どもを授かったとしたら、未来は変わりますよね。大介が病に倒れるという未来も変わるのではありませんか? と。
さすがに、そこまであからさまに歴史を改変する話にまではできなかった。
だが、今の問いで大介を救う道について、機敷埜老人が語ってくれることを願っていた。
機敷埜老人は目を開き、背筋を伸ばすと大きく咳ばらいをした。それから言った。
「わかりませんな。がっかりさせるかもしれないが、今の私は理論だけでしか考えられない。現実に時を跳んだ人物は香菜子さんだけしか見ていないのですから。だから、どんなことも起こりえるだろうし、どんなに人の手をつくしても宿命は変わらないのかもしれない。自分が過去に跳び、帰ってきたら、もっと適切なアドバイスができるかもしれませんが。申し訳ない」
香菜子は、少し落胆した。もっと気の利いた回答があるかと思っていたのに。天才科学者といっても、この程度のレベルなのだろうか? しかし、タイム・パラドックスを起こしかねないことを尋ねるなんて、本来であれば叱責されても仕方がないのだ、とも思う。
「いえ。真剣に考えていただいてありがとうございます」と頭を下げた。
「じゃあ、約束しましょう」と機敷埜博士は言った。
「えっ。何を」
「もしも、これから、私が遡時誘導機、デイ・トリッパーを使って過去へ行けるようになったとする。そうすれば、いくつかの真理を私は摑むことができるはずだ。その中で、今の香菜子さんの疑問に対してお役に立てる情報を得たときは、すぐにお知らせしようと思います。
それでよろしいか?」
見かけに反して、機敷埜老人は誠実な人柄なのだと香菜子は思う。
「ええ、それでかまいません。でも、何故、機敷埜博士は時を跳ぶ発明をしようと思ったのですか?」
それは、香菜子の口を突いて出た素直な疑問だった。自分は、大介に会いたいという願いからだった。大介に会うためには過去へ行くしかない。だが、機敷埜老人にはそこまでして過去に執着する理由が見当たらない。どうして、そんな人がデイ・トリッパーを?
「そうですね。必要は発明の母といいますが、単純なことですよ。電車に乗ろうとして、ぼんやり駅に歩いていて、駅に着いた途端に電車が目の前で発車してしまったことがありましてな。そのとき思いついたのですよ。もしも自分の心を十分前の自分に送り込めたら、急ぎ足で行くことで電車に乗り遅れるのも防げたはずだとね。そんな装置ができないものかとね。それが最初の思いつき。それで、それを実現させるために、いろんなアイデアを書き溜めた。その後に他の発明でしばらく、遡時誘導機のことを忘れていたのだが、ふと思い立って組み立ててみた。ところが、うまく機能してくれない。その原因がわからないでいた。というわけで、最近、デイ・トリッパーを完全に機能させることに没頭していたというわけですよ」
それで質問の答えになったようには香菜子には思えない。
「私がタチの悪い病に罹っていることがわかり、治療の道はないと医者に言われたときに、どうすればよかったのかを医師に尋ねたのですよ。すると、こう答えが返ってきた。初期だったら、完全に治すことができたのに、とね。
そう言われたら、思いつくのは遡時誘導機ですよ。どれだけ、動かない装置を試し続けたことか」
なるほどと思えた。デイ・トリッパーを思いついた段階から、今に至って急に必要性が増したということなのか。
「自分が病に侵されていると知って、逃れる方法は、この遡時誘導機しかないとわかったのですよ。だが、装置はうまく機能しない」
やはり、機敷埜老人は自分が助かる道を模索していたのだ。しかし、芙美は言っていた。伯父は何度も過去へ跳んでいた、と。それでも、あのとき機敷埜博士はすでにこの世の人ではなかった。ということは、どのような手をつくしても運命は変えられないということなのだろうか?
そして、そのことは機敷埜博士に教えておくべきではないのか。
「まだ、私はやるべきことが沢山ある。完成させていない研究も。それを完成させないことは、私だけの悔いではないよ。人類全体の損失だと思いませんか」
話の規模が大きくなってきた、と香菜子は思う。そうなると、言いかけたことも言えなくなってしまいそうだ。
そのとき、目の前に湯呑みが置かれた。
置いたのは女店主だった。
「人類を救ってくれるのなら、サービスをよくしとかなくっちゃね。お茶でも飲んで頭冷やして、ゆるゆるやったらいいよ」と。
香菜子は、ほっとして大きく息を漏らした。この女店主は、なかなかのキャラかもしれない、と思う。二人の話を聞いていたのかどうか、よくわからないが。
「いや、お気遣い、いたみ入ります」と機敷埜博士は茶をすすった。
「そういうわけで、無事に過去に行き、よき方法やらを考えたら、必ず香菜子さんに教えに行きますよ。
そこで、ご主人の病のことだが、もう少し詳しく教えてもらえないか?」
意外なことを尋ねられたと、香菜子は思う。
「いや、とにかく、私は何にでも興味を持つので失礼であればお許しください」
香菜子は、自分が思い出せるかぎり、大介の病のことを語り始めていた。

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著者プロフィール

梶尾真治(かじお・しんじ)

作家。熊本県生まれ。1971年「美亜へ贈る真珠」でデビュー。代表作は『地球はプレイン・ヨーグルト』(星雲賞受賞)、『サラマンダー殲滅』(日本SF大賞受賞)、『黄泉がえり』、『クロノス・ジョウンターの伝説』、『おもいでエマノン』をはじめとするエマノン・シリーズなど。
『クロノス・ジョウンターの伝説』誕生から20余年。梶尾真治の描く新たなタイムトラベル・ラブストーリーがついに始動!

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