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カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語

鹿島茂(かしま しげる)

カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 ブック・カバー
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第7回 決闘の顛末とまたしてもの梅毒

2017.11.09 更新

 相手から挑発され、自尊心を傷つけられたときにはどのように対処したらいいのだろうか? 純粋な損得勘定からすれば、自尊心を踏みにじられたとしても、決闘など申し込まないのが正しい。たとえ決闘で相手を倒すことができたとしても、その決闘自体が違法なものとされれば、処罰は免れないからだ。しかし、挑発を受けて立つことをしなければ、自尊心の疼きが消えないばかりか、卑怯者の謗(そし)りを受けかねない。

 カサノヴァも、結局、損得勘定よりも自尊心に負けて、ブラニスキーに果たし状を送りつけ、武器について手紙でやり取りしているうちに、その日に決闘せざるをえなくなった。ブラニスキーが早朝に直接出向いてきて、決闘するのだったら今日しかない、さもなければ決闘しないと言明したからだ。

 しかし、武器の選択にかんしては紛糾した。ブラニスキーがピストルにするか剣にするかは任せると手紙に書いてあったので、カサノヴァが腕に自信のある剣を選んだところ、ブラニスキーは「あなたは立派な紳士だから、わたしがそうしていただければ嬉しいとはっきり申しあげた場合、ピストルでは決闘しないなどとはおっしゃいますまい」(以下、引用は窪田般弥訳『カサノヴァ回想録』)とピストルを武器にするよう主張。結局、カサノヴァは折れてピストルでの決闘に同意した。こうして、午後三時に、ブラニスキーがカサノヴァを迎えにきて、一緒に決闘の場所に向うことと決まったのである。

 ブラニスキーは陸軍中将と従僕二人、それに部下の将兵四人をつれてベルリン馬車でやってきた。三十分後、馬車は見事な庭園の前で止まった。従僕が庭園の石造りのテーブルに二挺のピストルを弾を込めて置くと、ブラニスキーはピストルを選ぶようカサノヴァに勧めた。事情を知らなかった中将はこの言葉に驚き、ここは封土内だから決闘できないと主張したが、ブラニスキーは取り合わず、カサノヴァがピストルを選ぶと、そのピストルは申し分のないものであることを名誉にかけて保証すると断言した。カサノヴァは「だったら、試しに頭に一発お見舞いしてやろうか」と答えた。ブラニスキーは顔面蒼白になった。そのあと、互いに素肌の胸を相手にさらすパフォーマンスが行われ、五、六歩後退した。

 「彼がわたしに向かって引金を引いたまさにその瞬間に、わたしもまた引金を引いた」

 ブラニスキーが倒れるのが見えた。カサノヴァは指に痛みを感じた左手をポケットに入れ、ブラニスキーのところに駆け寄った。取り巻きの貴族たちが剣を抜いてこちらに向かってくるのが目に入った。ブラニスキーは「この紳士に手を出すな」と制し、カサノヴァに向かってこう言った。

 「あなたはわたしを殺した。だからお逃げなさい」

 カサノヴァは剣も持たずに雪に覆われた田舎道に出た。農夫の引く馬橇がやってきたので、頼み込んでワルシャワまで運んでもらった。途中、ブラニスキーの親友であるビシンスキーが馬を疾駆させてくるのとすれ違った。気づかれたら、間違いなく殺されていたところだろう。

 ワルシャワに着くと、フランシスコ会原始会則派の僧院に逃げ込み、召使を呼びにやらせた。召使はすぐにやってきて、外科医とカンピオーニを探しに出掛けた。知らせを聞いた知人たちが続々とつめかけ、決闘の反響を伝えた。たいへんな騒ぎになっているようである。ルボミネスキー公の話では、ビシンスキーは復讐欲に駆られ、決闘の発端となったトマティスのところに駆けつけると、頭に銃弾を放ち、居合わせたモシンスキー伯爵にも剣で重傷を負わせたという。また、ブラニスキーが死んだという噂が伝わり、彼の部下たちがカサノヴァを血眼で捜しているため、ビリエンスキー大元帥麾下(きか)の竜騎兵二〇〇人が僧院を取り囲んでカサノヴァを保護しているということもわかった。

 みんなが興奮しながら話しているあいだ、カサノヴァは手の痛みに耐えていた。ブラニスキーが放った弾丸は人差指の掌部から入り、第一指骨を撃ち砕いてそこに残っていた。最初に現れた医者は荒手術で弾丸を取り出したが、痛みはひどく、四日目には傷口が黒ずみ始めたので、医師たちは脱疽の恐れがあるとして手の切断に同意するよう勧めた。しかし、カサノヴァは脱疽のことはよく知っている、本当に脱疽だとわかったら腕ごと切ってもいいが、しかし、いまは駄目だと同意を与えなかった。結局、カサノヴァの見立てが正しく、外科医たちは面目を失った。

 ブラニスキーも一命を取りとめ、国王も処罰はしない方針であることが伝えられたので、カサノヴァはブラニスキーを訪問することにした。ブラニスキーは、カサノヴァを侮辱したことを認め、償いをこうしたかたちで十分に受けていると語り、今後は仲のいい友人となろうと提案した。

 二人は決闘の経緯について評論家のように客観的に語り合った。どうやら、決闘直前にカサノヴァがブラニスキーの頭をぶち抜くぞと脅したことがブラニスキーに心理的な動揺を与え、手元を狂わせたらしい。そうでなければ、ブラニスキーの弾丸は正確にカサノヴァの心臓を打ち抜いていたはずなのである。

 「あなたの戦術はわたしのよりも巧妙でしたよ。いい勉強になりました」
 「閣下に教えていただいた英雄的行為と冷静さこそはるかに学ぶべきものでした」

 こうして当事者同士は互いに相手を認め合ったが、しかし、二人が属している陣営、すなわち、カサノヴァの国王派とブラニスキーの反国王派はそうはいかなかった。両派は決闘を機により反目を深めたからである。

 そうとは知らぬカサノヴァは健康を取り戻すと、経済視察の目的でレオポール、クリスチアンポール、プラヴィなどの地方都市を訪ね、国王に献策する試案の作成に取り掛かったが、ワルシャワに戻ってみると、自分に対する宮廷の態度が一変していることに気づいた。

 かつて、パリで国王の恋人であったジョフラン夫人がワルシャワにやってきて、国王に、カサノヴァは士官学校の富籤台帳にはいるべき巨額の金を横領したあげく、パリから逃げ出したと告げ口をしたらしい。果たせるかな、決闘の場に立ち合った陸軍中将がカサノヴァのもとに現れ、国王の名において一週間以内にワルシャワの封土から立ち退けという退去命令を通告した。翌日、モシンスキー伯爵が国王からと言って千デュカを持参し、自分からの贈り物として馬車を受け取ってほしいと申し出た。

 かくて、観念したカサノヴァはカンピオーニとともに馬車に乗って、ワルシャワをあとにし、ヴロツラフに向かった。ジョン・ローがパリのオルレアン公のもとで果たしたような経済顧問的な役割をワルシャワの宮廷で演じようと目論んだカサノヴァの夢はあえなく潰えたのである。

 カンピオーニとはヴァンデンブルクで別れたので、ヴロツラフでは元ヴェネチア商人で、プロイセン王の愛人となったことでドム大聖堂教会参事会員に出世したバスチアニ神父と親しくなった。カサノヴァはこの人物について「人間はしばしば、このような道をたどって出世するのである。《神ノ導キニ従エ》」と記している。

 《神ノ導キニ従エ》ということだったら、ヴロツラフを出発する前日、さる男爵夫人の家で、三人の娘のフランス語の家庭教師となるために面接を受けに来ていた楚々とした美人の若い娘と知り合ったのもまた「神ノ導キ」だったのだろうか?

 娘は両親を失い、兄も貧しい陸軍中尉なので、自活するために年収五十エキューで家庭教師をしているのだと問わず語りに語った。それを聞いて、カサノヴァは突然、こう言い出した。

 「もし子供の家庭教師をなさる代わりに、立派な紳士の家庭教師になりたいとおっしゃるのなら、わたしと一緒に暮らしたらいかがですか。五十エキューを差し上げましょう。年給じゃなくて月給ですよ」

 娘は最初、冗談かと思っていたようだが、カサノヴァが最初の月給の手付け金として二デュカを渡すと、承諾したのかこれを受け取った。そして、翌朝、カサノヴァの馬車が市門に差しかかったとき娘が乗り込んできた。こうして、マトンと名乗るその娘はドレスデンまで旅の道連れとなったのである。

 「わたしは、数日にしてこの娘のいっさいの美点を発見したが、十分にそれを知りつくすために、旅行中は絶対に誘惑しまいと決心した」

 ドレスデンではカサノヴァはホテルに部屋を別々に借りて宿泊することにした。ドレスデンの郊外には母親がいたので会いにいき、弟のジョヴァンニとその妻テレザ・ロランとも再会した。

 「ドレスデンに着いた最初の夜に、マトンはよく夕食を食べてくれたのでわたしを大変喜ばせた。わたしは愛情をこめてやさしく、わたしのベッドに寝にいかないかと彼女にきいた。すると、彼女も望むところだと答えてくれたので、二人は婚礼をあげることとなった。翌朝起きたときには、二人はこの世で最も睦まじい恋人同士になっていた」

 このように、ワルシャワで下降線を辿り始めたカサノヴァの運命はドレスデンで上昇に転じたかに見えたが、そうはならなかった。というのも、マトンは外見とは似ても似つかぬしたたかな女だったからだ。

 ドレスデン滞在中、さまざまな人が訪ねてきたが、カサノヴァはマトンを人前には出さないようにしていた。ところが、たまたまマトンと食卓に着こうとしていたとき、ベル・ガルド伯爵という若い将校が訪ねてきてマトンに一目惚れし、さかんに秋波を送るようになった。

 あるとき、カサノヴァはドレスデンに出てきた母親に会いにいったが、その建物からマトンに借りてやっている部屋がある建物が大通りの向こうに見えた。なんと、バルコニーにマトンが立ち、隣のバルコニーに立ったベル・ガルドと楽しげに話をしているではないか。いろいろと調べた結果、マトンに借りてやった部屋の隣室はベル・ガルドが借りているばかりか、二つの部屋は続き部屋になっていることが分かった。マトンにその気があれば行き来も容易である。嫉妬に狂ったカサノヴァはマトンに部屋変えを命じたが、マトンは動じるそぶりも見せずにこれに従った。

 翌日、頭が割れるように痛いので原因を探っているうち、梅毒に罹患していることに気づいた。

 「その徴候はじつにいまわしかった。わたしはこの病気のことは十分に心得ていたので、思い違いをすることなど絶対になかった。大変腹立たしい気持ちで、これはマトンの贈り物でしかあり得ないと確信した。翌朝、カサノヴァはマトンの寝込みを襲い、シーツをはねのけ、マトンが体の下に敷いていたタオルを引き出した。
 このタオルをひと目見ただけで、わたしは尻込みしてしまった。それからわたしは、前もって調べることを怠っていたいっさいのことを調べたが、彼女はあえて反対もしなかった。わたしは、彼女が目も当てられぬ病状であることを知った」

 マトンは六カ月前から病気に罹っていたと白状したが、洗浄していれば病気を移さずに済むと思っていたと語った。怒り狂ったカサノヴァは五十エキューを与えてマトンを宿からたたき出した。

 「彼女のほうへ背を向けたとき、わたしの同情を誘えるものと思いこんでいた彼女は、ひざまずいて身を投げ出していた。わたしはこの強制執行を、いささかの憐れみの気持に煩わされることもなく、じつに冷静にやってのけた。というのは、彼女がわたしにしたことと、まさにしようとしていた行為とは、彼女を小悪魔としか思わせなかったし、そうした小悪魔は、何らかの形でわたしの命をおびやかすものであったに違いなかったからである」

 翌々日、カサノヴァは宿を引き払って、母の住む家の二階を借りきり、治療に専念することにした。一週間後、弟のジョヴァンニがやってきて、ベル・ガルドとその他四、五人の青年たちが皆、マトンから病気を移されて医者にかかっていると伝えた。

 九月になって病も癒えたので、カサノヴァは有名なライプチヒの市に出掛けた。名物のヒバリ料理を食べて健康を回復したいと思ったからである。

 ライプチヒの同じホテルにアヴェルスペルク公妃が滞在していた。公妃が小間使を公妃に仕立て、自分は小間使に扮して市に遊びに行こうと計画していることを知ったカサノヴァはいたずら心を起こし、小間使すなわち本物の公妃に近づき、一夜を過ごしてくれたら百デュカを提供しようと言ってみた。小間使が承諾したので、カサノヴァが指定された暗い小部屋で待っていると小間使がやってきた。どうやら公妃と入れ換わったらしい。そこで、カサノヴァは茶目っ気を起こして、明かりをつけるよう主張したが、小間使は同意せず、百デュカも受け取らずに小部屋から出ていった。カサノヴァは「明らかに彼女たちは、わたしから百デュカを騙し取ろうとしたか、さもなければ、小部屋の中にわたしをひと晩じゅう閉じこめようとした」のだと記しているが、やってきたのが本物の公妃だった可能性も排除していない書き振りである。

 ライプチヒでは、市の最後の日にカステル・バジャック夫人が宿に訪ねてきた。カステル・バジャック夫人というのは、さるモンペリエの薬剤師の夫人だった美女である。詐欺師で無頼漢のカステル=バジャックに誘惑され、一緒にヨーロッパ中を遍歴するようになったが、カステル=バジャック夫人と名乗ってはいるものの正式には結婚していなかった。

 訪問の理由は、カステル=バジャックから「譲渡」されるかたちで愛人となっているシュヴリンという無頼漢が偽手形の割引の罪で投獄され、絞首刑にされるかもしれないから援助の手を差し伸べてくれというものだった。夫人は借金のかたに所持品をすべて差し押さえられ、着の身着のままの状態だったのだ。

 カステル=バジャック夫人はフランスでも最高の美女のひとりで、カサノヴァもおおいに食指をそそられたので、さっそく誘いをかけたところ、夫人は、こういう場合に報酬を要求されるのは当然だし、自分にもその用意は十分にあるのだがと断った上で、こう言ったのである。

 「あたしにとっては屈辱的で、あなたにとっては不愉快なことを、ここで正直にお知らせしておかなければなりますまい。あたしのこの肌着をご覧なさい。そして、あたしの身体がどんな状態にあるかをご判断下さい」

 この正直な告白に感動したカサノヴァはさっそく夫人の借金を返済し、所持品を取り戻してやった。彼女は何の返礼もできない自分の健康状態を嘆き悲しんだが、これについて、カサノヴァはなかなか粋な言葉を書き記している。

 「これは無理のないことだった。情けの深い女は、恩恵を与えてくれた男に対しては身も心も捧げる以上に報いる術はないと考えるものだからである。しかし、男は別のように考えるのだと思う。なぜかと言えば、男は与えるようにできており、女は受け取るようにできているからだ」

 カサノヴァは夫人をドレスデンに連れて帰り、しっかりとした治療を受けさせることにした。彼女はブラザン伯爵夫人という名前で治療に専念したおかげで、十一月には元気を取り戻し、カサノヴァへの恩義を返すことができるまでになった。

 「わたしも彼女の言葉が信じられたし、一緒に寝たいと思った。われわれの婚礼は、誰にも知られぬひそかなものだった」

 こうしてカサノヴァは久しぶりに豊かな愛情生活を味わったが、やがて別れの日がやってきた。ポルトガルに渡り、リスボンの宮廷に取りいって富籤を組織するという願望を再び実現したいと思うようになったのだ。

 決意を知ると、夫人はそれならば最後の親切として自分をモンペリエの夫のもとに送り届けてくれないかと言ったので、カサノヴァは了承し、夫人とともにドレスデンを去って、プラハ経由でウィーンに行くことにした。ウィーンからストラスブールに向かう駅馬車に乗るつもりだったのである。

 ところが、ウィーンのホテルで夫人と朝食を取っていると二人の男が入ってきて、夫人に対し二十四時間以内に退去するよう命じた。カサノヴァは夫人にフランス大使に会いにいって事情を話し、ビザの発給をしてもらうように命じた。大使はただちに便宜を図ってくれた。夫人はストラスブール行きの馬車が出るまでの四日間をカサノヴァと水入らずで過ごしてからモンペリエに向かって旅立った。

 一七六七年の元旦をウィーンで向かえたカサノヴァは健康にも恵まれ、希望に満ちていた。春になったら念願のポルトガル行きを実現したいと思っていた。友人のカンピオニがロンドンにバレエ公演に行く途中でウィーンに立ち寄ったので、一緒に食事していると、一二、三歳の可愛らしい娘が部屋に入ってきた。カサノヴァが何の用かと尋ねると、娘は猥褻なラテン語で答えた。どうやら自分が声に出している言葉の意味はわからず、親から暗誦させられたラテン語の詩句を口ずさんでいるだけのようである。

 「その詩句で彼女は、少し酸っぱい果実のほうが熟れた果実より味覚を刺激すると語った。わたしを燃え立たせるには、それ以上のことは必要でなかった。自分が邪魔なことに気づいたカンピオニは部屋を出た。わたしは彼女に、父親はいるのかと尋ねた。彼女はいると答えた。わたしはいろいろと質問しながら、同時に手でもっていたずらをしたが、彼女はおびえたりしなかった。わたしは自分ではそうしようと決意していなかったのに、ついに最後の一線に到達してしまった。彼女はにこにこしながら、生殖器と愛の営みをたたえる詩を口ずさんだ。わたしは素晴らしいと思った。ことをすませると、二デュカを与えて彼女を送り帰した」

 帰り際、少女は住所を記した紙を渡した。その紙には、ラテン語の詩句で、彼女の家ではヘベ(青春の女神)でもガニュメデス(トロイの美少年)でも好きな方を選べるだろうと書かれていたので、好奇心をかき立てられたカサノヴァは翌日の夕方、娘の残していった住所に出かけてみることにした。

 すると、現れたのはロンドンで悶着を起こした破廉恥漢のポッキーニだった。そこには彼の妻と称するカチナと囮(おとり)となった例の少女のほか、剣で武装した二人のスラヴォニア人がいた。ポッキーニは復讐のときが来たと言ってわめき騒いだが、スラヴォニア人の主人格の男(もう一人は召使)がみんなで飲もうじゃないかと言いだしたので、カサノヴァが財布を取り出すと、スラヴォニア人が取り上げ、さらにポッキーニがそれをひったくった。カサノヴァは好きにしろといって、その場を立ち去った。

 なんと、この財布が災いのもととなったのである。というのも、翌朝、警察がやってきて、禁止されている銀行賭博を行ったかどで二十四時間以内に退去せよという命令が出されたと伝えたからだ。カサノヴァが残してきた財布が証拠品となったのだという。カサノヴァは、カウニッツ公爵を介してマリア=テレジア女帝のもとに、追放解除の請願書を送ったが、無駄だった。

 こうして、カサノヴァの流浪の旅が再び始まったのである。

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著者プロフィール

鹿島茂(かしま しげる)

1949年、神奈川県生まれ。仏文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。著書に『馬車が買いたい!』(サントリー学芸賞)、『子供より古書が大事と思いたい』(講談社エッセイ賞)、『職業別パリ風俗』(読売文学賞)、『神田神保町書肆街考』、『19世紀パリ時間旅行—失われた街を求めて』など多数。

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