キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語

鹿島茂(かしま しげる)

カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 ブック・カバー
バックナンバー  123456 

第6回 恐ろしいほど美しい少女ザイル

2017.10.06 更新

 ロシアの宮廷で開かれた仮装舞踏会にはエカテリーナ女王も出席していたが、この舞踏会は六十時間も続いたので、カサノヴァはいろいろな人に会った。

 その中のひとりにパリっ子のような話し方をするドミノ服の娘がいたので、マスクを取る瞬間を狙って素顔を覗き見ると、驚いたことに、パリのサン=トノレ街の角にいた靴下商人の妻バレだった。カサノヴァは七年前、エルブフ・ホテルで彼女と遊んだのである。

 「どうして彼女がペテルブルクにいるのか? わたしの昔の恋心は目ざめてきた」(以下、引用は窪田般弥訳『カサノヴァ回想録』)

 バレは、ルーアンの最高法院顧問ド・ラングラード氏とパリを飛び出したが、すぐに別れてオペラ・コミックの興業主の愛人となり、女優としてペテルブルクにやってきた。いまはその興業主とも別れて、ラングラードと名乗り、ポーランド大使ルゼヴスキー伯爵に囲われているという。カサノヴァがマスクを外すと、ラングラード(バレ)は大喜びし、七年の空白がなかったようにカサノヴァの愛人となった。しかし、ルゼヴスキー大使がワルシャワに召喚になったため、パトロンをブルッセ伯爵に代える必要が生まれたので、カサノヴァは出入りを遠慮することにした。ラングラードは六カ月後に天然痘で急死した。

 ペテルブルクでは、旅行中にもらった紹介状を使って上流階級の人々と知り合いになったが、中でもとくに親しくなったのはエカテリーナ女王の側近オルロフ兄弟の親戚であるジノヴィオフという守備隊将校だった。

 ジノヴィオフと一緒に狩りに出たときのことである。恐ろしいほどに美しい農民の少女を見つけたので耳打ちしたところ、ジノヴィオフはその娘が逃げ込んだ親の家につかつかと入っていって父親となにやらロシア語で話をしている。娘を小間使いとしてカサノヴァに渡す気はないかと父親に尋ねたのだという。しかし、父親が強欲で、娘は処女だから百ルーヴルでなければ渡せないと言うので、これは諦めたほうがいいかもしれないとカサノヴァにフランス語で伝えた。驚いたカサノヴァは百ルーヴルくらいなら喜んで出すのにと言った。以下はジノヴィオフとカサノヴァの会話である。

 「そのときは、彼女はあなたの小間使になりましょう。彼女と一緒に寝るのもあなたの自由です」
 「でも、彼女がその気にならなかったら?」
 「ああ、そんなことは絶対にありません。あなたは彼女を打ちのめすことだってできるんですからね」
 「まあ、彼女は満足すると考えて下さい。しかし、彼女と楽しみ、そしてわたしの好みに合うことがわかったら、さらに彼女を手に入れておくことができますか?」
 「あなたは彼女の主人なのだと申しあげているでしょう。ですから、彼女を手に入れるために払った百ルーヴルを[父親]が返さない限り、彼女が逃げようとしたら逮捕させることもできるんですよ」
 「彼女を囲っておくとしたら、毎日いくら与えたらいいですか?」
 「一文もいりません。飲み食いさせてやり、日曜に教会に行けるように、土曜に風呂に行かせてやればいいのです」

 翌日、商談成立で十三歳の娘はカサノヴァの「奴隷」となったが、その際、カサノヴァは処女として娘を買ったことの証明として自ら「検証」を行わなければならなくなった。娘を侮辱することになりはしないかと心配するカサノヴァに向かってジノヴィオフは娘は両親に対して事実の証明ができることがうれしいのだから早く「検証」を行えと迫った。カサノヴァは言われる通りにした。かくして、商談は成立し、カサノヴァはヴォルテールの戯曲にならってザイルと命名したこの幼い女奴隷を連れてペテルブルクに戻った。ザイルは三カ月もするとイタリア語を覚えて、召使兼愛人の役割を立派に果たすことになる。まだ十三歳の子どもだった。

 ザイルは日々美しくなっていき、ロリコン趣味が強くなっていたカサノヴァを喜ばせたが、しかし、娘は嫉妬心が強く、悩みも大きかった。

 あるときのこと。クルーヴクールという名のフランス人の青年がラ・リヴィエールという美しい娼婦と一緒にカサノヴァの家に現れ、社交界へのつてはないかと尋ねたので、カサノヴァは丁重に断ろうとした。ちょうどそこにボンバックというハンブルク出身の遊び人がやってきた。ボンバックはラ・リヴィエールを見ると、青年との関係を察し、すぐにラ・リヴィエールに言い寄り、翌日、昼食に誘うと同時に、その晩は料亭クラスニイ・カバックにみんなで出掛けないかと誘った。

 すると、ザイルがわたしも行きたいと言い出したので、カサノヴァは一緒に連れていってやることにした。ザイルはおおいに満足していた。

 しかし、翌日のボンバックの招待にはカサノヴァは一人で行くことにした。ロシア人の若い将校たちがザイルに言い寄るのではないかと心配だったからである。

 昼食会には後に将軍となるルニン兄弟が来ていた。弟のほうはたいへんな美青年でカサノヴァを誘惑し、カサノヴァが自分の美しさに平気でいられるか否かを試そうとした。

 「彼はわたしに気に入られたものと思い、二人が幸福を味わえるような姿勢をとった。もしラ・リヴィエールが、彼女の目の前であえて自分の権利を奪おうとする青年に腹を立てて彼を曲解し、その武勲をより適当なときまでいやでも延ばさざるをえないようにしなかったら、恐らくその幸運な瞬間が訪れたであろう」

 カサノヴァはこちらのほうも嫌いではなかったのである。

 ラ・リヴィエールは夜の大饗宴でボンバックやルニン兄らを相手にオージーを演じ、仲間に加わらないカサノヴァに嫌みを吐きつけたが、カサノヴァはそれを無視して夜明けの一時間前にボンバックの家を去って帰宅した。

 「家に戻るとわたしは部屋に入った。ザイルがわたしの頭を目がけて投げつけた壜をよけることができたのは、全くの偶然にすぎなかった。もしそれがこめかみに当たっていたら、わたしは殺されていたに違いない」

 ザイルはカード占いでカサノヴァがふけっていた放蕩を読み取り、一晩中、嫉妬で悶え苦しんでいたのである。カサノヴァは放蕩が行われていたのは事実だが、自分はそれには加わらなかったと誓い、そのまま眠りについた。翌朝、これほどに嫉妬深くては手を切るしかないと思い込み、その方法を思案したが、泣いて許しを乞うザイルを見ると計画を実行に移す勇気が失せてしまった。そこで、二度とカード占いをしないと誓わせ、なぜこれほどまでにザイルが自分に惚れこんだのかを冷静に分析してみた。

 「第一は、カタリネンホフにしばしば連れていって家族に会わせてやり、家族にはそのたびに一ルーヴルを与えたことである。第二は、人々を昼食に招いたときに、彼女を同席させてやったことである。そして、第三は、彼女がわたしの外出を邪魔しようとしたときに、三、四度なぐってやったことである」

 この最後の点については解説を要する。

 カサノヴァはいちおうヴェネチア生まれの文明人なので、どんな場合でも女に手を上げることはなかった。一度だけ、ロンドンでシャルピオンをなぐったことはあったが、それは例外中の例外だった。ところが、ロシアでは違った。なぐるということが「愛情表現」と見なされているらしく、カサノヴァも郷に入っては郷に従えの原理で、この「愛情表現」を採用せざるをえなかったのである。

 「ロシアには、主人は正当な理由があれば召使をなぐるという奇妙な必要事項があるのだ! というのは、言葉には何の力もなく、力は鐙革(あぶみがわ)にしか貯えられないものだからである。奴隷の魂しか持ち合わせていない召使は、なぐりつけられてから考えこみ、そしてこう言うのである。『主人はおれを首にしなかった。おれを愛していなければ、なぐったりはしないはずだ。だから、おれは一生懸命に仕えなければいけない』」

 事実、カサノヴァがそれを身をもって経験した。ペテルブルク滞在の初め、フランス語を話すコサック男を召使にしていたが、その召使はウオッカを飲んでしばしば理性を失った。カサノヴァは叱責するにとどめていたが、あるとき友人のパパネロポロからこう警告されたのである。

 「もしなぐらなかったら、必ずいつかあなたのほうがなぐられますよ」

 警告は現実となった。酔っ払った召使に対し、カサノヴァが杖を振り上げて叱責していると、召使がいきなり杖を奪おうとしたのである。カサノヴァは「もし、直ちに彼をぶち倒さなければ、わたしは彼になぐられていたに違いない」と回想している。

 ロシアのこうした粗暴さは今日でも基本的に変わっていない。暴君プーチンが民衆から愛されているのも、むべなるかな、である。

 五月の終わりころ、カサノヴァはザイルを同行して、寝台馬車でモスクワに出発した。馬車の後ろにはロシア語とドイツ語を話せる召使を一人乗せた。御者は六頭立ての馬車で六日七日でモスクワに連れていくと約束した。代金は八十ルーヴル。格安の料金だった。ペテルブルクは一晩中白夜だったが、四度半緯度の低いモスクワでは深夜にろうそくを必要とした。

 カサノヴァがモスクワに向かったのは就職活動のためである。狙っていたのは宮廷で経済・社会コンサルタントのような職につくことだが、そのためにはロシアを広く観察しておく必要があったのだ。モスクワでは、ペテルブルクでもらってきた紹介状のおかげで、上流階級の人々から歓待されたが、その招待のすべてにザイルを同行した。

 「ちいさな天使のように愛らしい彼女は、わたしが連れていく至るところで、みんなから大変可愛がられた。彼らは誰ひとりとして、彼女がわたしの娘なのか、恋人なのか、小間使なのかということを深く立ち入って聞こうとはしなかった。他の多くのことと同様に、このような点に関しては、ロシア人は全く与しやすい国民だった」

 冬の早い訪れを前に、二人は来たときと同じ方法でペテルブルクに戻った。カタリネンホフの実家に連れていってやると、ザイルはモスクワ旅行で経験したことを誇らしげに語り、父親も大喜びしていた。カサノヴァもザイルから愛されて幸せだったが、ただ、ヴェネチアのプロン牢獄に投獄されて以来、宿痾(しゅくあ)となっていたイボ痔には苦しめられた。毎日、耐え難い苦痛を味わっていたのである。痔疾はロシア滞在中には治癒しなかった。

 その頃、ヴォルテールがエカテリーナ女帝に献じた本が話題を呼んでいたので、カサノヴァはこれを機に女帝のコンサルタントになれないかと画策した。知り合いのバニン伯爵から、女帝は早朝に「夏の庭園」を散策するので、偶然に出会ったふうを装って会話を交わせばいいと忠告してくれた。

 果たせるかな、「夏の庭園」の散歩道で彫像に見とれているふりをしていると、バニン氏を伴った女帝が声をかけてきた。カサノヴァはベルリンでプロイセン国王フリードリッヒ二世に会見したことを話した。バニン氏から女帝が自分に興味を示したと聞かされて勇気を得たカサノヴァは毎朝、「夏の庭園」に出掛け、二度目の会話に成功した。カサノヴァがロシアがグレゴリオ暦を採用していないことを批判すると、次の会見までに、女帝は完璧な反論を用意してきた。そして、カサノヴァが富籤の許可を得ようと近づいてきたことを察知したかのように、こうクギを刺したのである。

 「あたしの国にも、富籤の許可を得ようとあたしを説得したがっている人たちがいます。あたしはきっと賛成するでしょう。ただ条件として、賭金は絶対に一ルーヴル以下にしてはならないことにします。貧乏人には賭けさせないようにするためです。数の勘定もできない彼らは、三つ組の当たり籖が容易だと思いますからね」

 カサノヴァはなにもかもお見通しの女帝の慧眼に敬意を表して、引き下がることにした。女帝との会見はこれが最後だった。

 こうなっては、ロシアを去ってワルシャワに向かうほかない。しかし、そうなると、ザイルと別れることを考えなければならない。というのも、ロシアの農奴はすべて女帝の所有ということになっているので、ロシアから連れ出すには、保証人を立てて、ザイルの旅券(これが奴隷の所有証明となる)を発行している女帝の許可を得なければならないからである。カサノヴァにはそこまでしてザイルを手元に置いておく気力がなかった。

 そこで、四十年前からロシアで暮らしているリナルディという建築家がザイルに恋しているのに目をつけ、ザイルの旅券(奴隷所有証明書)を父親に無償で返してやり、譲渡金額については父親と交渉するようリナルディに告げた。こうすれば、父親はザイルを二度売ってお金を儲けることができるからだ。ザイルもこの措置に感謝した。

 帰途の道連れとしたのは、パリ出身の女優ヴァルヴィルだった。ヴァルヴィルは一年契約でペテルブルクにやってきたが、舞台にほとんど立てないことに不満を感じ、契約満了の前に帰国できないかと思っていた。カサノヴァは女帝に宛てた請願書を書けば帰国の許可が出るとサジェスチョンしてから、寝台馬車のベッドを提供できるので、一緒にロシアを発たないかと誘った。ヴァルヴィルもカサノヴァのことを憎からず感じていたので、二つ返事で応じ、直ちに恋人となったのである。

 「わたしはこの女優に、あらゆるフランス娘たちに見出されるのと同じ性格ならびに長所を発見した。数々の魅力と或る種の教育とを身につけたフランス娘たちは、自分たちはあまりに沢山の価値を持っているのだから、当然たったひとりの男のものとなるわけにはいかないと主張するのである。彼女たちは囲われたがる。そして、恋人という名称は、妻という名称よりもはるかに彼女たちを満足させるのだ」

 こうしてヴァルヴィルという良き旅の伴侶を得たカサノヴァは楽しく旅を続けることができたが、雨で道路が泥濘(ぬかる)んでいたのでケーニヒスベルクに到着するのに予想以上の日数を要した。ベルリンに向かうヴァルヴィルとはケーニヒスベルクで別れたが、その際、ヴァルヴィルはカサノヴァの懐が寂しいことを知ると、所有していたダイヤモンドと有り金すべてを提供してくれた。

 カサノヴァはケーニヒスベルクで寝台馬車を売り払い、乗合馬車でワルシャワに向かった。ワルシャワ到着は一七六五年一〇月一〇日。足の便の悪さを考えて月極めの貸し馬車を借りた。

 ポーランドでは、大公妃だったころのエカテリーナ女帝の恋人だったスタニスワフ・ポニアトフスキーが連盟国会で国王に選ばれ、スタニスワフ・アウグストとして即位してから二年がたっていた。スタニスワフ・アウグストはすぐれた知性の持ち主で、風采もよく、雄弁で政治手腕も柔軟で、人々の意見をよく聞く名君だったが、家柄がよくないため名門貴族たちが対抗勢力を形成し、国内は二つに大きく割れていた。

 カサノヴァは到着後まもなく将軍のツァルトリスキー公から国王に紹介された。その後、親しく国王とつきあうようになり、ある晩、ホラチウスの引用をちりばめた会話でエスプリを示したところ、国王はいたく感じ入り、思いもかけぬかたちでカサノヴァに援助の手を差しのべてくれた。カサノヴァはポーランド到着以来、節約につとめたにもかかわらず手元不如意となり、借金をつくっていたのである。

 「翌日ミサを終えて外に出てくると、寛大で、あまりに不幸すぎるスタニスワフ・アウグストがわたしに手を差し出して接吻を受け、無造作に包んだ封筒をわたしに渡した。そしてホラチウスに感謝すると言いながら、このことは誰にも言わないようにと念を押した。封筒には二〇〇デュカ入っていたのである。わたしはこのお金で借金を払った」

 このように、カサノヴァは国王に気に入られていたので、うまく立ち回れば、国王の経済顧問の職にありつけたかもしれない。

 ところが、思いがけない事件から政治的対立に巻き込まれ、国王の寵愛を失ってしまうのである。

 遠因となったのは、ワルシャワの劇場で人気を二分していたアンナ・ビネッチとテレザ・カタイという二人のバレリーナの対立だった。カサノヴァはかつてどちらのバレリーナとも愛人関係にあったが、二人の反目が政治的対立とパラレルになっていたので、いずれにも肩入れしないように腐心していた。

 「わたしがビネッチに受けた恩義は非常に深く、また大変に古いものだった。しかし、カタイに対するわたしの義務は、それ以上に強いものがあった」

 ビネッチにはポニアトフスキー公や侍従のブラニスキーなどの反国王派がつき、いっぽう、カタイはツァルトリスキーや侍従長のルポミルスキーなどの国王派が支援していたが、カサノヴァは国王の寵愛を受けていたので、どちらかといえばカタイの側に立っていた。

 事件は、カタイの恋人である劇場経営者のトマティスがビネッチの舞台を妨害しようとしたことから起こった。怒ったビネッチは支援者である侍従のブラニスキーに苦情を訴え、復讐を依頼した。ブラニスキーは二つ返事で引き受け、行動を開始した。カタイの楽屋に出掛けて、トマティスのいる前でカタイを口説き、終演後、カタイと一緒に馬車に乗り込んで、出発するよう御者に命じたのである。驚いたトマティスが出発するなと命じたので御者は命令に従い、ブラニスキーを馬車から力づくで引きずりだした。これに激怒したブラニスキーは部下の軽騎兵に命じてトマティスにさんざん暴行を加えたのである。

 翌日、事件はスキャンダルとなって宮廷に波及した。国王はどちらの言い分が正しいか判断に苦しみ、手をこまねいたままだった。

 一人事件を楽しんでいたのがビネッチだった。カサノヴァが会いにいくと、ビネッチはあからさまにトマティスをあざ笑った。しかし、カサノヴァとしては、どちらかに肩入れするつもりはなかった。国王の秘書になりたいと願っていたので、軽率な行動は謹もうと誓っていたからである。

 そんなとき、三月四日の聖カジミール祭の前夜祭として大午餐会が宮廷で開かれた。カサノヴァも出席し、国王に指名されて劇場に同行し、同じ桟敷でバレエを観ていた。舞台ではピエモンテ出身の新顔のカザッチ嬢が見事なバレエを披露し、国王から拍手喝采を受けた。カサノヴァは気をきかせて、カザッチ嬢に国王の祝福を伝えてやることにした。楽屋に向かう途中、ビネッチの楽屋のドアが開いていたので立ち止まったが、ブラニスキーが入ってきたので、すぐに立ち去ってカザッチの楽屋に入った。カザッチはカサノヴァを歓迎し、抱擁したが、そのときブラニスキーが楽屋に入ってきた。カサノヴァのあとをつけてきたのである。ブラニスキーはカザッチを愛しているのは自分だと言い張り、カサノヴァがそれなら喜んで譲るというと、「譲歩をするというのは尻尾を巻いて逃げることですよ」と挑発した。これにはカサノヴァも受けて立つほかなかった。楽屋を出たところで「ヴェネチアの腰抜けだって劇場の外に出れば、勇敢なポーランド人を殺せるんだぞ」と怒鳴り、通りに面した大階段でブラニスキーが出てくるのを待ったが、凍えそうになったので、召使を呼んで馬車を出させ、ロシアの選帝侯であるツァルトリスキー公の邸宅に向かった。

 ツァルトリスキー公は、ブラニスキーとの一件で助言を戴きたいというカサノヴァに対し、「全面的に骨折るか、何もしないかのいずれかを選ばねばなりませんからね」と言い、事件に関与することを暗に否定した。

 その晩、自宅に戻ったカサノヴァはまんじりともせず、取るべき道を考えた。

 「全面的に骨折るか、何もしないかが問題だった。わたしは、すぐに何もしないほうは放棄した。したがって、全面的に骨折ることを選ばねばならない。それには唯ひとつのことしかなかった。すなわち、ブラニスキーが決闘を受けてくれるというのなら、彼を殺すか、それとも彼に殺されるかということだった」

 この瞬間にカサノヴァの運命は決まったと言っていい。

 決闘はワルシャワから一五キロ以内では禁じられていたから、決闘を選ぶとなったら、国王の秘書となるという選択肢は消え、あとは国外追放となるしかなかったが、それでも、侮辱された自負心が激しく疼き、カサノヴァを悪しき選択へと導いたのである。

バックナンバー  123456 

著者プロフィール

鹿島茂(かしま しげる)

1949年、神奈川県生まれ。仏文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。著書に『馬車が買いたい!』(サントリー学芸賞)、『子供より古書が大事と思いたい』(講談社エッセイ賞)、『職業別パリ風俗』(読売文学賞)、『神田神保町書肆街考』、『19世紀パリ時間旅行—失われた街を求めて』など多数。

ページトップへ