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カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語

鹿島茂(かしま しげる)

カサノヴァ 人類史上最高にモテた男の物語 ブック・カバー
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第5回 運命に翻弄されるカサノヴァ

2017.09.07 更新

 ハノーヴァの娘たちが出発して以来、カサノヴァは借金の返済など、残務整理に忙しく、禁欲を強いられていたが、一七六四年二月の終わり頃、「わが邪悪な守護神に導かれて」(以下、引用は窪田般弥訳『カサノヴァ回想録』)、料亭カノンに昼食をとりに出掛けた。すると、エノー男爵が現れて情婦と別室にいるから、そこに食事を運ばせて一緒に食べないかと言った。カサノヴァは誘いに乗った。これが運の尽きだったのである。

 エノー男爵の情婦というのは以前サルトリ夫人の家で会ったことのある美しいイギリス人娼婦だった。イタリア語を巧みに話したので、カサノヴァはすっかりリラックスし、娘からサイコロで食事代を賭けないかと誘われても警戒心を働かせなかった。しかし、後から考えると、すべてが見事に仕組まれた罠だったのである。

 まず、賭けでエノー男爵は連続的に負けた。結局、借金は一〇〇ギニーに上ったため、男爵は現金を工面する必要があると言い、娘を残して出ていった。

 二人きりになると、カサノヴァは男爵が戻ってきたら五〇ギニーを渡すからと言って娘を誘った。

 「わたしはこの幸運の曙光にすっかり嬉しい気持になってしまった。われわれの情事は手っとり早く片づけられた。というのは、ドアが開けっ放しだったからである」

 男爵が戻ってきた。リスボンの名家から振り出された手形を割り引いてもらうために奔走したがダメだったというので、カサノヴァは自分が署名すれば割り引いてもらえるかもしれないと言い、手形を預かった。

 翌日、銀行家のリー氏のところに行くと、すぐに割り引いてくれた。五二〇ギニーをエノー男爵に届け、貸した一〇〇ギニーを受け取ると、カサノヴァはその足でイギリス娘のところに出掛けた。

 「彼女はすぐに豪華な夕食を注文し、彼女の両腕のなかでじつに楽しい一夜を過ごさせてくれたので、わたしのいっさいの悲しみは吹き飛んでしまった」

 家に戻ると、地方郵便局から発せられた「あなたの名付け子ダトゥリ」と署名してある下手なイタリア語の手紙が届いていた。借金のために投獄されているので身元引き受け人になってほしいという内容である。まったく記憶にない名前だったが、「名付け子」という言葉に興味をそそられたので、牢獄まで接見に出掛けた。話しているうちに、喜劇役者ダトゥリの息子だということがわかった。

 「かつてわたしがその代父となったこの青年は、恐らくわたしの息子であったろう」

 このように、四〇歳が近くなったカサノヴァはヨーロッパのいたるところで自分の息子や娘たちと出会うことになる。とくに感激もなかったようだが、多少とも責任を感じたようで、身元引き受け人となったばかりか、生活費として二シリング渡すから毎朝受け取りに来るように命じた。

 それから一週間後、カサノヴァは梅毒に罹っていることに気づいて愕然とした。エノー男爵の情婦から移されたことは明らかだった。以前にも三回感染したことがあるが、いずれも水銀薬と食餌療法で治癒している。しかし、このときばかりはポルトガルへの長旅を控えていたのでおおいに困惑した。ロンドンの腕のいい外科医の家に入院し、治療に専念するほかないと心を決め、アパルトマンを引き払うためにマーシア夫人宅に戻ると、銀行家のリー氏からの飛脚郵便が届いていた。エノー男爵の為替手形が偽物だと判明したので、五二〇ギニーを即座に返金するか、さもなければ手形の振出人を逮捕させるほかない、それが不可能ならカサノヴァを逮捕させることになると伝えてきたのである。

 怒り心頭に発したカサノヴァはピストルに実弾を込めてエノー男爵の家に出掛けたが、家の貸主から男爵は四日前にリスボンに出発したと告げられた。絶対絶命のピンチである。一カ月の余裕があればヴェネチアから金を取り寄せることもできるが、猶予はわずか二十四時間しかない。劇症の梅毒で体も思うにまかせない。

 一計を案じたカサノヴァは、ヴェネチア生まれのユダヤ人のところに行き、パトロンのダンドロ氏を引き受け人にしてヴェネチアの銀行家アルガロッティ氏に宛てた手形を作成してもらうことにした。これで一〇〇ゼッキーニという金を得たが、五二〇ギニーには足りない。そこで、ジャーブという忠実な黒人の召使に後の整理を託して、ダトゥリをつれてドーヴァーから海峡を渡ることにした。リー氏には莫大な損害を与えることになるが、イギリスにいる限り絞首刑にされる恐れがあったのでこうせざるをえなかったのである。カレーのホテルに投宿したカサノヴァは医者の診察を乞うた。

 「わたしの体内をあばれまわる性病の病毒と併発した火のように燃える高熱のため、わたしは医者からも絶望視される有様だった」

 昏睡状態は二十四時間続いて発作が起こったが、その後、奇跡的に回復した。さらに辛抱強い食餌療法の効果もあって、カレー到着後二週間にしてようやく体力を回復することができた。リスボン行きは断念し、とりあえずはブリュッセルに向かうことにした。パトロンのブラガディーノ氏に手形をロンドンではなくブリュッセルに回してほしいと頼み、ダトゥリをつれてダンケルクに向かった。

 ダンケルクで駅馬車を降りて最初に出会ったのは、かつて結婚しようと思ったこともあるテレザの夫であるSという商人だった。Sはカサノヴァとの再会を喜び、自宅に夕食を取りにきてくれと懇請した。カサノヴァは変わり果てた自分の姿を昔の恋人に見せたくなかったので固辞したが、結局、断りきれずにテレザと会うことになった。

 テレザは六歳を頭とする三人の息子と一緒に食堂に入ってきたが、上の息子だけを残して下の二人は部屋から出した。長男がカサノヴァの息子であることを示すためである。

 「わたしはヨーロッパじゅうで自分の息子に会うので内心おかしくなった」

 こうしてテレザと久闊を叙してから、カサノヴァはダトゥリとともにイープルを通ってトゥルに出た。そこで馬を散歩させている二人の馬丁に会ったので、馬の持ち主はだれかと尋ねると、サンジェルマン伯爵の持ち馬だという返事である。カサノヴァはサンジェルマン伯爵に会いたくなり、手紙を書いた。すると、折り返し、ぜひ会いたいという返事が届いた。カサノヴァは同じようなアヴァンチュリエの仲間の中で、唯一サンジェルマン伯爵だけは尊敬していたのである。

 サンジェルマン伯爵はカサノヴァの病気を知ると、十五個の丸薬をくれ、一回一錠ずつ二週間服用すれば完治すると確約し、アトエーテルと呼ぶ白い液体を見せ、カサノヴァの持っている十二スーの銀貨を金貨に変えてみせた。

 「この有名な学者詐欺師に会ったのはこれが最後だった。彼は、六、七年前にスクレスヴィックで死んだ。十二スー銀貨は正真正銘の金貨だった。わたしはそれを二カ月後に、大いに好奇心を寄せたカイト元帥に与えた」

 ブリュッセルではブラガディーノ氏に回送を頼んだ手形を受け取ったが、ダトゥリから両親がブランシュヴァイクにいるので、そこに行って療養に専念してはどうかと勧められた。カサノヴァは厚意に甘えることにし、ブリュッセルを発ってブランシュヴァイクに向かった。

 ヴェゼルに着くと、部隊とともに駐屯していた旧知のイギリス人のベックウィズ将軍が訪ねてきた。カサノヴァから病状を聞くと、将軍は腕のいいライデン学派のペイペルス博士という医者を知っているから、ヴェゼルに留まって治療に専念したらいいと主張した。カサノヴァは《運命ガ導クママニ》という格言に従うことにした。

 治療は絶対安静と厳密な食餌療法を必要としたので、死ぬほど退屈したが、それでも博士の処方通りに身を処したおかげで、一カ月後には健康を取り戻し、ブランシュヴァイクに向けて出発できるまでになった。幸いなことに、出発の前日、デュ・リュマン夫人からアムステルダムの銀行払いで六〇〇フロリンの為替手形が届けられた。

 旅立ちの前日、ベックウィズ将軍から手紙が届き、いまイタリア人の知り合いが家にいるので夕食をともにしないかと誘ってきた。

 将軍の家にいたイタリア人というのは、パルマの歌姫レデゴンダとその母親だった。

 「母親のほうはわたしのことをすぐに思い出せなかったが、娘はとっさにわたしの名を呼び、随分おやせになりましたねと言った。わたしは彼女に、前よりもきれいになったと答えてやった。実際そのとおりだったからである」

 カサノヴァが夜明けにブランシュヴァイクに出発する予定であると告げると、レデゴンダは自分も次席歌手としてブランシュヴァイク公爵に仕える予定になっているので同行したいと言った。将軍がそれを聞き、カサノヴァは自分と交換した二人乗りの馬車を持っているから、一緒に乗って行けばいいと勧めた。かくて、二人は狭い馬車でブランシュヴァイクまで同行することとなる。御者が猛烈なスピードで走らせたため、母親たちの馬車よりもはるかに早く宿駅に着いてしまったので、カサノヴァは食事をしてから休息を取ろうとレデゴンダに提案した。

 「わたしがやさしくミンデンに行って寝ようと言うと、彼女もそう決意しなければならなかった。このとき、彼女はにっこりと微笑した。というのも、何を覚悟しなければならないかということを十分に承知していたからである。われわれはミンデンで夕食をし、同じベッドで五時間を過ごした」

 翌朝、レデゴンダの母親が駅馬車で到着し、カサノヴァがレデゴンダと寝間着姿でいる現場を押さえたが、レデゴンダは巧みに言い訳して母親の怒りを鎮めた。

 ブランシュヴァイクの宮廷では、プロイセン皇太子フリードリヒ=ヴィルヘルムが未来の花嫁である公女エリザベート=クリスティーネに会いにやってきたため壮麗な祝宴が張られていた。カサノヴァはこのプロイセン皇太子とはロンドンで知り合っていた仲なので、祝宴や閲兵式にも招かれ、旧交を温めることができた。皇太子は、カサノヴァがデュ・リュマン夫人から送ってもらった為替手形の件でユダヤ人の割り引き人と悶着を起こしていると知ると、その金額をユダヤ人に払って解決してくれたが、カサノヴァにはなぜ皇太子がこんな好意を示したか、真意がいま一つ摑めなかった。しかし、レデゴンダに朝食に招かれ庭を散歩しているとき、皇太子がやってきたので、すべての疑問は氷解した。

 「このとき、わたしはいっさいのことを理解した。なぜこの美女が、時間に遅れないように頼んできたかを知った。レデゴンダは十日か十二日のあいだに、この魅力的な皇太子を征服してしまったのである」

 カサノヴァは翌朝ブランシュヴァイクを出発し、マグデブルクとポツダムを経由してベルリンに到着した。ベルリンではヴィル・ド・パリという宿に投宿し、賄い形式の食事の席でトライデン男爵という老紳士と知り合い、ベルリン滞在の二カ月の間、しばしば行動をともにした。

 カサノヴァがベルリンまでやってきた理由は、パリで成功した富籤をベルリンでも試みることだったので、なんとかプロシャ国王フリードリヒ二世に接触を図りたいと思っていたが、一足先にカサノヴァの目論見を実現していた人物がいた。パリで富籤システムをつくったときに相棒となったカルザビジの弟がプロシャ王に取り入り、二年前から富籤を売り出しておおいに儲けていたのである。

 しかし、カサノヴァがベルリンに到着したその日、プロシャ国王は破算を恐れ、以後はカルザビジの責任において富籤の運営を行うよう命じた。このニュースが発表されれば、胴元に金がないことは明らかだから、だれも富籤を買わなくなる。そうなれば富籤の破滅は目に見えている。カルザビジは再会したカサノヴァに対し、国王を翻意させることができたら、礼金として一万エキューを出そうと提案した。

 これに対して、カサノヴァは一度恐怖心を抱いた胴元を翻意させることは不可能であると説き、それよりも新しい合理的な株式システムで胴元の希望者を募ったほうが得策だと説明した。それから間もなく、プロシャ国王が胴元となった最後の富籤が行われ、大当たりが出てしまった。プロシャ王からはすぐに損失が届けられたが、これにより国王が胴元に復帰する可能性は消え、カルザビジの目論見も夢物語と終わるかと思われた。同時に富籤で再起を図ろうとするカサノヴァの目論見もあえなく潰えたように思えた。

 しかし、カサノヴァとしては、ベルリンまでせっかくやってきたからには、何かしらの利権にありつかなければならない。そこで、スコットランドのジャコバイトで、ベルリンに滞在している旧知のカイト元帥にフリードリヒ大王への紹介を頼むことにした。大王をよく知る元帥は、むしろ直接手紙を書いたほうがいいと勧めた。事実、カサノヴァが出した手紙に大王は直ちに返事をよこし、四時にサン・スーシ宮殿で待っていると伝えてきた。このときの会見の描写は、フリードリヒ大王の実際的な人となりをよく示している。

 「わたしが国王なる人と話したのはこれが最初だった。彼の風格、どなりちらすような話し方、話題の急激な飛躍に注意しているうちに、わたしは、役者がちょっとでもとちったりすれば平土間から口笛でやじられる、あのイタリア喜劇の即興劇にかりだされているような気がした。そこでわたしは、財政家の尊大なふうを装い、しかめ面をしながら、税制理論のお話をしてかまいませんかと、この誇らかな王に答えた」

 カサノヴァはフリードリヒ大王に向かって、税制には破壊的な国王の税、必要な軍事上の税、素晴らしい民衆の税の三種類があると説き、話題を富籤の方にもっていこうと努めた。すると国王はすぐにそれを察し、自分は富籤には消極的であると伝えたが、しかし、この会見の後、カルザビジは、希望する人物の責任において富籤を行わせる権利を国王から、十万エキューの収益を得ることができたのだから、カサノヴァの介入は効果があったことになる。成功報酬をカルザビジから得たか否かについてはカサノヴァは書いていないが、おそらく得たのだろう。

 ただ、当てにしていたほどの利権にはありつけなかったことは確かである。というのも、カサノヴァはベルリンの滞在を早めに切り上げてロシアに向かうことにしたからである。

 ベルリンでのエピソードとしてもう一つ挙げておくべきは、二十六年ぶりで再会した有名な踊り子ドニ令嬢(別名ドニ夫人)とのラブ・アフェアーだろう。

 まだ十二歳で修道僧見習いの僧服を着ていた頃、カサノヴァは保護者であるゴッチ博士に連れられて芝居を見にいき、八歳の娘が優雅にメヌエットを踊る姿に一目惚れしてしまった。僧服のまま楽屋に押しかけ、女商人から一ゼッキーニで指輪を買い娘にプレゼントしたため、後で博士から大目玉を食らった。

 カサノヴァがドニ嬢を訪問し、こうした思い出を語ったところ、ドニ嬢はちゃんと覚えていて、二人は感動に浸ったが、気まずい事態も生じた。ドニ嬢は公称二十六歳だったので、数字が合わなくなってしまったのである。

 しかし、結局、カサノヴァはドニ嬢の心を捉えることに成功したようである。

 「二人の親密さは、夕食後に彼女が痙攣を起こしたときから始まった。彼女を襲ったこの痙攣はひと晩つづいた。わたしはその枕元で一夜を過ごした。そして翌日、わたしは二十六年の変わらぬ心にふさわしい正当な報いを受けた。二人の恋愛関係は、わたしのベルリン出発までつづいた」

 カサノヴァがロシアに行く気になったのは、フリードリヒ大王から与えられたポメラニア貴族の子弟の家庭教師という仕事が意にそまなかったこともあるが、もう一つは、ドニ嬢の仲間のジョゼフ・ダ・ゴッチという同郷の音楽家からエカテリーナ女王への紹介状をもらったことが大きかった。エカテリーナ女王の宮廷はクー・デターからまだ日が浅かったので、カサノヴァは富籤開設のチャンスもあるのではないかと踏んだのである。

 ホテルで仲良くなったトライデン男爵も、ロシア宮廷で重きをなす姉のクルランド公爵夫人とミタウの大宰相カイザーリンク宛ての紹介状を書いてくれた。

 こうして、カサノヴァは大いなる希望に胸を膨らませてロシアに旅立つことになったのだが、その直前にある偶然から召使を雇いいれた。

 滞在していたホテルにランベールと名乗るロレーヌ出身の青年が現れ、女主人からすげなく宿泊を断られているのを見たカサノヴァはその青年の鞄に入っているのが数学の本であるのに興味をそそられた。青年はさる工兵隊の宿舎で青年貴族を殺してしまったため、鞄一つで逃げ出してきたと語ったが、工兵隊に問い合わせたところ、すべてがウソだと判明した。しかし、カサノヴァはむしろこうしたウソをおもしろがって青年を召使に雇うことに決めたのである。

 ベルリンからサンクト・ペテルブルクまで、ブラガディーノ氏から送られた十分な手持ちの金があったのでランベールを召使に仕立て、四人乗り六頭立ての馬車で旅立った。

 途中のミタウでは、トライデン男爵からの紹介状を持っていたことが幸いして、大宰相のカイザーリンクから歓待された。ミタウ大公の前で経済改革について一席ぶったところ、おおいに感心され、国内を視察して報告書を纏めてくれないかと頼まれた。二週間後、国内の鉱山を視察して改良すべき点を調査し、ランベールに仕上げさせた設計図をもって報告に行くと、大公は非常に感謝して、四百アラベスターという大金を与えてくれた。

 次の経由地は、ペテルブルク、モスクワに続くロシア第三の都市だったリガ(現在はラトヴィアの首都)である。リガではミタウ大公の息子であるシャルル・ド・ビルヘン公が大歓迎してくれた。また舞踏家で、賭博師で女好きのカンピオーニとも親しく付き合った。カンピオーニはリガで舞踏学校を開いて成功していたが、賭博癖のためいつも借金を抱えていた。もう一人、リガで知り合ったのはナポリ生まれの大賭博師ダラゴンことドラゴン公爵である。ドラゴン公爵はいかさまトランプの名手であると同時にフェンシングの達人でもあり、剣自慢のホルスタイン大公と戦って大公を打ち負かしたことから銀行賭博(ファロ)の胴元をつとめる許可を得たという伝説の持ち主だった。ヨーロッパの宮廷にはこうした怪しげなアヴァンチュリエがたくさんいたのである。もちろん、カサノヴァもそうしたアヴァンチュリエの一人だった。

 ペテルブルクではミリオナイアというホテルに宿をとった。その夜、宿の主人から誰でも参加できる仮装舞踏会が開かれると聞いたので、さっそく参加してみることにした。

 しばらくすると、一人の仮面の男が「ほら女帝陛下だ」とつぶやく声を耳にした。百人以上の仮面をつけた人たちが、エカテリーナ女帝が通るたびに同じことを言ったが、みんな女帝であると気づかぬふりをしていた。しかし、本当に気づかない人もいて女帝とぶつかったりしていた。

 「わたしは、そうされるたびに彼女は誰にも気づかれていないと確信して喜んでいるに違いないと想像した。彼女はしばしば、ロシア語で話をしている人たちの横に腰をおろした。恐らく彼らは彼女のことを話していたことだろう。彼女は数々の不愉快に身をさらしもしただろうが、また真実を耳にできるという珍しい喜びも味わっていたに違いない。そのような真実は、仮面をとってご機嫌伺いに来る連中の口からは、絶対に聞こうと思っても聞けないことなのだ」

 こうしてペテルブルクにおける滞在が始まったが、カサノヴァのロシア滞在記には他の滞在記にはない極めて興味深い事実がいろいろと記されている。

 次回は、現在のロシアのメンタリティとも通じる、粗暴きわまりない慣習のいくつかを紹介しながら、ロシアという国の本質について考えてみることにしたい。

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著者プロフィール

鹿島茂(かしま しげる)

1949年、神奈川県生まれ。仏文学者。明治大学教授。専門は19世紀フランス文学。膨大な古書コレクションを有し、東京都港区に書斎スタジオ「NOEMA images STUDIO」を開設。著書に『馬車が買いたい!』(サントリー学芸賞)、『子供より古書が大事と思いたい』(講談社エッセイ賞)、『職業別パリ風俗』(読売文学賞)、『神田神保町書肆街考』、『19世紀パリ時間旅行—失われた街を求めて』など多数。

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