キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

カラヴァル

ステファニー・ガーバー(著)

カラヴァル ブック・カバー
バックナンバー  12 

続編『カラヴァル2』冒頭のみ先行公開!

2018.04.11 更新

プロローグ

七年前

 ベッドの下におばけが隠れている部屋が屋敷の中にいくつかある。母の部屋には魔法がかかっている。幼いテラはそう信じていた。母が部屋から出ていくたびに、妖精たちが遊びにきたみたいに空中で無数の小さなエメラルド色の光が踊る。秘密の花園からつんできた花の香りがただよい、大きなベッドの天蓋からたれさがる透明のカーテンは風もないのに波打っている。天井の黄水晶(シトリン)のシャンデリアから、ガラスのキスみたいな美しい音で話しかけられて、テラはこの部屋は別世界へ続く魔法の入口だと思った。
 テラは小さな足でふかふかしたアイボリー色のカーペットをそっと踏みながら、母のドレッサーに近づいていった。肩ごしにすばやく後ろを見てから、ジュエリーボックスをつかむ。なめらかで、両手にずっしりと重い。真珠貝でできた箱で、繊細な金細工におおわれている。汚れた手でさわっても跡がつかないのは、この箱にも魔法がかかっているから。そんな空想をしてみた。
 母のドレスや靴で遊んでも怒られないのに、このジュエリーボックスにだけはさわってはいけないと言われている。それがますますテラの好奇心をかきたてた。
 姉のスカーレットのほうは何時間でもカラヴァルの旅公演を思いえがいて過ごせるようなおとなしい子だけれど、テラは本物の冒険をしたくてうずうずしていた。
 妖精(エルフ)の王子が悪い女王にとらえられていて、助けだすためには母のオパールの指輪を盗まなくちゃならない――この日はそんな設定の冒険を始めた。オパールの指輪は、母のジュエリーの中でテラのいちばんお気に入り。ざらざらしたミルク色の石で、星みたいにでこぼこしていて、とがったところが指を引っかく。でも日に当てるときらめきだして、魔法の呪文や妖精の粉を思わせる桜色、金色、ラベンダー色のひんやりした光が部屋じゅうに広がる。   
 真鍮のリングはテラの指にはまだ大きすぎたけれど、ジュエリーボックスをあけるたびに、もう指が太くなったか指輪をはめてみるのがお決まりだった。
 ところが、この日、指輪をはめたとき、テラの目はほかのものに引きつけられた。天井のシャンデリアまで、ハッと息をのむように静まった。
 テラは母のジュエリーボックスの中身はすべて覚えていた。ていねいにたたまれた、ふちに金糸のついたベルベットのリボン。深紅(スカーレット)色のピアス。天使の涙が入っているという、くすんだ銀色の小瓶。どうやってもあかない象牙のロケットペンダント。母の優雅な手首には似合わない、魔女みたいな黒玉のブレスレット。
 ひとつだけ、テラが一度も手をのばしていないのが、うす汚い灰色の小袋だった。カビの生えた葉っぱみたいな、甘ったるい死のにおいがする。母が冗談めかして「意地悪な妖精(ゴブリン)だって、これには近づかないのよ」と言ったことがあって、それを聞いてテラも近づけなくなった。
 ところが今日は、その汚らしい小袋がゆらゆらと動いている。まばたきして目をひらくと、くさりかけたぼろ布のかたまりが、細いサテンのリボンで束ねられたきれいなカードの束に変わっていた。そして、すぐにまたもとの汚い袋にもどり、そのあともう一度カードになった。
 テラはオパールの指輪を盗む作戦を中断して、サテンのリボンをつかんでカードをとりだした。カードはもう姿を変えなかった。
 とても美しいカードだった。闇夜のような濃紺の地に、光を受けてきらめく金の粒子がちらされ、赤紫色の曲線のもようが浮き出し加工で描かれている。それを見てテラは濡れた花や魔女の血や魔法を思いうかべた。
 父の兵士たちからトランプを教わったことがあるけれど、そのときの粗末なモノクロのカードとはぜんぜんちがう。テラはカーペットにすわりこんだ。急いでリボンをほどいて、いちばん上のカードをめくると、指先にしびれが走った。
 カードの絵は、とらわれの身のお姫さまを思わせる若い娘だった。きれいな白いドレスは切りさかれ、涙の形の目はシーガラスのように美しく輝いているけれど、あまりに悲しげだ。真珠をちりばめた丸い小さな檻が頭にかぶせられているからか。
 絵の下には「死の乙女」と書かれていた。
 テラは身ぶるいした。その名前も、頭にかぶされた真珠の檻も、ぞっとする。ふと、これを見たら母に叱られると思ったけれど、もうカードをめくる手はとめられなかった。
 つぎのカードには、「ハートの王子」と書かれていた。
 描かれているのは若い男の絵で、顔の彫りが深く、唇は二本のナイフの刃のようにするどい。片手に短剣をもって、自分のあごに向けている。目から赤い涙が流れだし、細い口の端には赤い血がにじんでいる。
 その絵がふわりとゆれて、消えた。ちょうど、さっき小袋がカードに変わったときのように。
 テラはぎょっとした。もうやめたほうがいい。このカードはおもちゃじゃない。それでも、見とどけたがっている自分がいた。このカードには、空想の中の悪い女王やエルフの王子とはちがう、リアルさがある。きっとあたしを本物の冒険に導いてくれる!
 つぎのカードをめくるとき、指でふれると、なぜかほかのカードより温かかった。
 アラクル――。
 不思議な響き。意味はわからない。ほかのカードとちがって、これには残酷な絵は描かれていなかった。金色の曲線のもようにふちどられた中は、鏡のような銀色で――いや、鏡そのものだ。ぴかぴかの鏡面に、テラのハチミツ色の巻き毛とヘーゼル色の丸い目が映っていた。けれど、よく見ると実物とは少しちがった。テラのピンク色の唇はふるえ、頰には大粒の涙が流れおちている。
 テラは決して泣かない子だった。父にきつい言葉を投げつけられても、フェリペが姉とばかり遊んでこっちを向いてくれなくても。
 そのとき、やさしいソプラノの声が響きわたり、母が入ってきた。
「あら、そこにいるのはテラかしら? 今日はどんな冒険をしているの?」
 母がテラの前にしゃがみこみ、知的な顔に髪がやわらかな流れを描いてたれさがった。母の髪はスカーレットと同じ濃い茶色。肌はテラと同じ薄い小麦色。星たちのキスのように輝く美しい肌だ。けれど、テラの前にならぶ「死の乙女」と「ハートの王子」の絵を見たとたん、母の顔がムーンストーンのように青白くなった。
「どこでみつけたの?」さっきと同じやさしい声だったけれど、母の手は引ったくるようにカードをつかんだ。テラは自分がとても悪いことをしてしまった気がした。テラはしょっちゅういたずらをするけれど、母はたいてい許してくれる。そっとたしなめたり、ときにはどうすれば怒られないか教えてくれたりもする。かっとなるのはいつも父のほう。母は、父の怒りの炎が燃えあがる前に、やさしい息でそっと吹きけしてくれる。けれど今の母は、火をおこしてカードを燃やしてしまいそうな勢いだった。
「おかあさまのジュエリーボックスの中。ごめんなさい。いけないって知らなかったの」
「大丈夫よ」母はテラの髪をやさしくなでた。「びっくりさせてしまったわね。このカードは、わたしでもさわらないようにしているのよ」
「じゃあ、どうしてこれをもってるの?」
 母はカードをドレスのポケットに隠し、ジュエリーボックスをテラの手の届かないベッドわきの高い棚にしまった。
 これが父だったら、ここで会話は打ち切られるだろう。けれど母は娘の問いかけを無視する人ではなかった。ジュエリーボックスをしまうと、テラの横にすわって、ささやいた。
「こんなカード、みつけなければよかった。テラ、あなたが二度とこのカードにさわらない、似たものをみつけても手を出さないって誓うなら、教えてあげるわ」
「でも、誓いを立てるのはいけないことなんでしょ? おかあさま、いつもスカーとわたしに言うじゃない」
「今だけはべつ」母の口元にかすかな笑みがもどってきて、テラは特別な秘密をうちあけられたような気持ちになった。いつもそう。母が自分だけに美しい笑顔を向けてくれるとき、自分が星になって、世界が自分を中心にまわっているような気がする。「未来について、いつもわたしが話していること、覚えている?」
「だれでも自分の未来をえがいていく力をもってるって」
「そのとおり。あなたは望むとおりの道を歩めばいい。
人はだれでも自分の運命を選ぶ力があるの。でもね、このカードを使うと、描いてある絵に進む道を変えられしまうのよ。運命のカードといってね、未来を占うカードなの。占いで未来が示されると、未来が息をしはじめて、そのとおりになろうとして暴れだす。
だから、もうぜったいにさわっちゃだめよ。いい?」
 テラはうなずいたものの、よくわからなかった。未来なんてはるか遠くで、現実だとは思えない幼い子どもだったから。それに、母がカードを手に入れた経緯を答えなかったのが気になっていた。それで、隠しもっていた一枚のカードをつまむ指先に少し力をこめた。
 母は急いでカードをかき集めて片づけたので、テラがめくった三枚めのカードに気づかなかった。アラクル。テラはすわった足の下にそっとカードを隠して、母に答えた。
「はい、おかあさま。どこかでああいうカードをみつけても、もうぜったいさわりません」

ロス・スエニョス島

1章

 もうふわふわ飛んでなんかいない。
 テラは湿った土の上で、昨夜のきらきらしたまぶしい時間を思い起こした。はるか遠くのできごとのように思える。レジェンドの島が琥珀色の光を放ち、奇跡と魔法と噓のかけらをふりまいていた。テラはあの幸せな世界をたっぷり楽しんだ。カラヴァルの幕切れを祝うパーティで、靴に草のしみがつくまで踊り、体がふわふわ飛びはじめるほどシャンパンを飲んだ。
 けれど今は冷たい森の中、硬い土の上にうつぶせに倒れている。
 目をあける気力が起きない。うめき声をもらしながら髪についた落ち葉や土をはらった。この不快感も簡単に払いのけられたらいいのに。気のぬけた酒と松葉と過ちのにおいがぷんぷんしている。体じゅうがむずがゆく、頭の中でなにかがぐるぐるまわっている。さらに厄介なのは、背中と首のみょうな痛み。どうして外で眠ったら素敵だなんて思ったんだろう?
「ううっ」だれかの声がした。さわやかな目覚めとはほど遠い声だ。
 テラは目をあけて、横を見て、またすぐ目を閉じた。
 噓でしょ? 横にだれかいる。
 その一瞬に目に飛びこんできたのは、木々にかこまれた草の上に横たわる黒髪の男だった。ブロンズ色の肌、傷のある手首、黒バラのタトゥーにおおわれた手――ダンテ。
 ぼやけた記憶が一気によみがえってきた。ダンテの巧みな両手に腰を包まれた感触。彼のキスが首筋に、あごに、そして口にふれ、唇と唇がぴったり合わさったこと。
 あたしったら、なにを考えていたんだろう?
 昨夜、カラヴァルのキャストたちの打ち上げパーティで自分がなにを考えていたか、もちろんそれはわかっている。願いが叶って夢が現実になり、あたりは魔法と星影の甘い味でいっぱいだったのに、テラの舌にはどうしても消せない死の味がまとわりついていた。いくらシャンパンを飲んでも、熱くなるまで踊っても、冷たい死の感覚がよみがえってきて、ふるえがとまらなかった。
 レジェンドのバルコニーから飛びおりたのは、絶望したからではない。信じて 飛びこんだ。でも、せめてひと晩だけ、あのときのことは思いださずに過ごしたかった。成功を祝い、すべてを忘れたかった。そのお相手として、ハンサムで魅力的なダンテはぴったりだった。それに、だれかとキスをするのは久しぶりだったし、ダンテはキスが上手だった。
 かすかな声をもらして、ダンテが体を動かした。大きな手のひらがテラの腰にふれた。温かくて、力強くて、なぜか心地よく感じてしまう。
 ダンテが起きる前に離れなくちゃ。でも、ダンテは眠っているというのに手の動きが巧みだった。力の抜けた指がゆっくりテラの背骨をなで、首まであがってきて、髪にもぐりこむ。テラはかすかにのけぞった。
 指先がとまった。
 寝息が急に静まった。今にも目を覚ましそうだ。
 テラはいらだちをこらえて急いで立ちあがり、ダンテの巧みな指から離れた。逃げだすところを見られてもかまわない。気まずい言葉を交わしながら、この場を逃げる口実をどちらかが思いつくのを待つのよりは、ずっとまし。キスなんて何人もの男としたことがあるし、キスの前後の相手の言葉を信じちゃいけないことくらい、よくわかっている。それに、こんなところでぐずぐずしていられない理由があった。
 きのうの記憶はぼやけているのに、ダンテとの楽しい時間の前に見知らぬ男から受けとった手紙のことは、なぜかはっきりと頭に残っていた。闇にまぎれて顔は見えなかったけれど、男はテラのポケットに手紙を入れて、あっという間に立ち去った。テラは今すぐ手紙を読みかえしたかったけれど、差出人である友の要求を思いだすと、ここで広げるわけにはいかない。部屋にもどらなくては。
 そっと歩きだすと、湿った土と松葉が爪先に入りこんできた。どこかで靴をなくしたらしいけれど、さがしている暇なんてない。森にははちみつ色のけだるい光が満ちていて、いびきやうめき声があちこちから聞こえる。星空の下で寝たのはテラとダンテだけではないようだ。この人たちにならダンテのもとからこそこそ逃げだすところを見られてもかまわない。でも、姉に話が伝わるのはいやだった。
 ダンテはカラヴァルのあいだ、スカーレットをだまして傷つけた。レジェンドの指示で演技をしていただけだし、カラヴァルはもう終わったけれど、偽りの世界での体験はそう簡単に打ち消せるものではない。スカーレットは、妹が自分をたぶらかした男と遊んでいたことを知ったら、さらに傷つくだろう。
 うまいことにテラはだれも起こさずに森を抜けて、とんがり屋根の塔のあるレジェンドの屋敷についた。
 もうカラヴァルは終わって、屋敷の中のキャンドルやランタンは消えたけれど、おき火のようなあやしげな光がちらちらと外にもれていて、テラにまだゲームは終わりではないことを思いださせた。
 きのうまで、この屋敷の中にはカラヴァルの世界がまるごと入っていた。大きな木の扉をくぐった者は、豪華な赤いカーテンのかかった美しいバルコニー席に出る。眼下に広がるのは運河と道。不思議な品々がならぶ謎めいた店。けれど、カラヴァルが終わったとたん、とんがり屋根の塔をもつ屋敷はちぢんで、中にあった束の間のワンダーランドは消えてしまった。残されたのは、ごくふつうの屋敷の部屋だけだ。
 テラは近くの階段をかけあがった。テラの部屋は二階で、ティファニーブルーのアーチ形のドアが目印だ。(続く)

2018年6月発売予定!
予約ページはこちらから

バックナンバー  12 

著者プロフィール

ステファニー・ガーバー(著)

北カリフォルニア育ち。私立大学で創作講座の講師をしながら本書『Caraval』を執筆し、デビュー。現在、シリーズ2作目を執筆中。

西本かおる(訳)
文芸翻訳家。東京外国語大学フランス語学科卒。主な訳書は、ダレン・シャン『やせっぽちの死刑執行人』(小学館)、サラ・ザール『ルーシー変奏曲』(小学館)、アン・M・マーティン『レイン 雨を抱きしめて』(小峰書店)、アレックス・シアラー『ガラスの封筒と海と』(共訳、求龍堂)。

ページトップへ