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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第5回 化け猫の事情

2018.11.30 更新

 草木も眠る丑三つ時。
 SNSで友達と恋バナに盛り上がっていたマドカの前に、真っ白な猫が現れた。
「ユキちゃん。こんな夜遅くに何しているの?」
 ユキちゃんというのはマドカのおばあちゃんの猫で、マドカが生まれる前からこの家にいる。お父さんさえもユキがいつからこの家にいるのか覚えていない。
 そんな年寄り猫のはずなのにユキは足腰が達者で、名前の通り雪みたいに真っ白な体でヒラリと塀の上に飛び乗る姿も優雅だし、真っ赤な椿の花を背景に尻尾を揺らしている様などは、あまりにも決まりすぎていて一枚の絵のように見える。そのせいか、季節になるとうちの周りでうるさく鳴く猫が後を絶たない。
 腰を痛める前のおばあちゃんは、よく「うるさいね!」と叫びながらバケツの水を撒いて、そんな猫達を追い払っていた。
 今はそんなおばあちゃんを交代でお世話している。マドカの両親と、伯母さんと従姉妹、そして月一回はマドカの仕事だ。
 別にマドカはそれに対して不満を感じてはいない。
 おばあちゃんには小さい頃から可愛がって貰ったし、むしろこうして恩返しができるのは嬉しい事だった。
 ユキに対してもそうだ。一人っ子のマドカにとって、この家の中ではユキがお姉さんだった。
「おいで、ユキちゃん」
 おばあちゃんに内緒で、マドカはユキにいつもお腹を壊さない程度のオヤツをあげていた。ユキもそれがわかっていて、おばあちゃんの姿が無い時はマドカにわざとらしいくらい媚びてくる。でもそんな所も可愛いので、マドカはますますユキを甘やかしていた。
「お夜食あるよー」
 けれど、今日に限ってユキはマドカの所に近づいて来なかった。
「どうしたの?」
 これはどこかで何か食べて来たのかなと呑気に考えて、マドカはもう一度スマホの画面を開いた。ユキちゃんと遊ぶのもいいけど、今は熱を出して休んでいる間に起きた友達の彼氏浮気事件の方が気になる。本当にレンアイというものは二、三日で急展開するので気が抜けない。
「マドカちゃん」
 だから急に名前を呼ばれても、最初はちっとも気付かなかった。
「ん?」
「ねえ、マドカちゃんてば」
「うん……って、ええ!?」
 マドカは驚いて落としてしまったスマホを慌てて両手で摑んだ。何かを握るというのは気持ちを落ち着かせるのに効果的だ。
「ユキちゃんが呼んだの?」
「そうよ」
 ユキちゃんは優雅に答えると、スッと立ち上がった。
「ユキちゃん、立てる!?」
「ええ。立てるわ」
 そう言うと、ユキはくるりと一回転した。その時、マドカは尻尾が二本あるのを見た。
「ユキちゃん、尻尾が……」
「そう。二つに分かれたの」
 ユキは二本の尻尾を流れるように動かして見せた。
「素敵でしょう?」
 マドカはごくりと唾を飲み込んだ。
 これはもしかして、ユキちゃんは化け猫というものになってしまったのではなかろうか。
 小さい頃、おばあちゃんが聞かせてくれた昔話だ。
 長生きしている猫はやがて尻尾が二股に分かれ、人語を解し、二足歩行する化け猫になるのだ。
 そして、化け猫になったあとは……
「お、おばあちゃんは……?」
 マドカは自分の声が震えているのがわかった。確か昔話では化け猫が飼い主だったお姫様を食べて、その人に化けるのだ。
「おばあちゃんは、食べてないわよ」
 二本足で歩けるようになったのが嬉しくて堪らないように、ユキはヒラリスルリと踊るように動き回りながら、さらっと答えた。
 その声は若い女の声で、マドカの声に似ていた。
 頭の中で散らかっていたユキとか化け猫とかおばあちゃんとか食べてるとか食べてないとか、そういう情報が寄り集まってようやく一つの形を作る。
「まさかユキちゃん……」
「ごめんね」
「ど、どうして?」
 マドカの体は寒くもないのにガタガタと震えだした。
 ユキは尻尾が二股に分かれ、人語を話し、二本足で歩くようになったけれど、それ以外は元のユキのままだ。猫がライオンになったわけではない。
 なのにマドカには絶対に逃げられないという確信めいたものがあった。
 もう駄目だ、食べられる。
 怖くて怖くて堪らないのに、頭のほんの僅かな部分だけは妙に冷静で、蛇に睨まれたカエルってこんな感じなんだろうなとか考えていた。
「私はユキちゃんを食べないと、ちゃんとした化け猫になれないの」
「イヤだ……ほか……他の人でもいいじゃん。死にたいとか言ってる人いっぱいいるし、食べるならそういう人にすればいいじゃん」
 自分でも酷い事を言っているとはわかっていたが、他人を差し出す以外に、この場を逃れる方法を思いつかない。マドカは必死で他を探せと言い続けた。
「そうもいかないのよ」
 ユキは立ち止まって、少し考え事をするように首をかしげて言った。
「最初に食べるのは、自分の飼い主って決まっているの」
「じゃあ、おばあちゃんを食べるの?」
「そのつもりだったんだけど、正直迷っていたの。だって、おばあちゃんは雨の中で凍えて死にかけていた私の命の恩人で、しかもこんなに長い間可愛がって世話をしてくれたんだから。とても食べるなんてできないわ。飼い主を食べるっていうのは、それまでの恩や情を捨てて真の妖怪になるための試練なんだろうけど、酷い話よね。でも、食べないままだと今度は私が虫みたいなしょうもないモノになって他の妖怪に食べられちゃう」
「だから私を食べるの?」
「うん。マドカちゃんも小さな頃から私を可愛がってくれて、もう一人の飼い主みたいなものだからアリだと思うの」
 マドカはブルブルと震えながらも、精一杯の強がりでユキを睨みつけた。さっきから友人達からの返信の催促でスマホは振動を続けている。彼女らはマドカがこんな恐ろしい目にあっているとは夢にも思わないだろう。
「おばあちゃんを食べなさいよ」
 これはマドカの噓偽りのない言葉だった。
 だっておかしいじゃない。若い私の方が食べられてしまうなんて。
「それ! おばあちゃんはマドカを食べてって言ってた!」
「え?」
 そう言ってから、ユキはとぼけるように上の方を見ながら、慌てて口を押さえた。
「いけない。これは内緒だった」
 マドカはユキの言葉が信じられなかった。
 自分もあんな事を言っておいて何だが、今までおばあちゃんはマドカにとても優しかったのだ。まさに目の中に入れても痛くないといった甘やかしようで、誰よりもマドカが一番。マドカがピンチになったら自分の命くらい簡単に差し出すだろうと思っていたし、マドカもその愛情の深さに一片の疑いも持っていなかった。だからこそ、こうして忙しい中でも泊まりで様子を見に来ているのだ。
「噓、でしょ?」
 マドカの目から涙が零れ落ちた。
 ユキに食べられる事より何より、信じていたおばあちゃんの愛情が偽りだったのだと知った事が悲しかった。いや、愛情は本物だったのかも知れない。でも歳を取った事でそれを忘れてしまったのかも知れない。どちらにしろ、おばあちゃんはもうマドカに愛情が無いのだ。それが悲しくて堪らなかった。 
 マドカはシクシクと泣き始めた。
「泣かないで」
 ユキは言った。
「私だって辛いの。でもおばあちゃんとマドカちゃんと、どっちを取るかって言われたら、おばあちゃんを取るしかないの」
 当然の言い分だ、とマドカは頭の冷静な部分で考えていた。ユキとおばあちゃんはとっても仲良しだったんだから。でも、こんなのはあんまりだよ。
「だからマドカちゃん。ごめんね」
 ユキの影がグーッと伸びた。
 マドカは覚悟を決めて、目を閉じた。
 
 ユキはきれいに骨だけになったマドカを庭の隅に埋めると、おばあちゃんの部屋に行った。
 おばあちゃんは布団の上に半身を起こしていた。
「ユキ……」
「ユキじゃないわ。今日からはマドカよ」
 ユキは全くそのままマドカの姿になっていた。
「本当に体はもう大丈夫なんだろうね?」
「うん、大丈夫」
 おばあちゃんは布団の側に座った、さっきまでユキだったマドカを抱きしめると、名前を呼びながら泣いた。
「マドカ……マドカ……よかった。お前が治らない病気で数カ月の命だと聞いた時はどうしようかと思ったよ」
「おばあちゃん、もう心配しないで」
「うん、うん。おばあちゃんはマドカが死ぬところなんて見たくないよ。順番通りマドカがおばあちゃんを見送ってくれないと。マドカ……本当によかった……」
 マドカは泣いているおばあちゃんの背中を優しく撫でた。
「大丈夫。私は元気な体になったわ」
「ふふふ。明日はお寿司でも取ろうかね」
「嬉しい! お魚、大好き」
「普段のご飯はどうすればいいかね」
「私はもうマドカそのものなの。だからご飯はマドカと同じ物。おやつもマドカの好きだったお菓子を食べるわ。クッキーとかアイスクリームとか」
 おばあちゃんはウンウンと頷いた。
「あとは……そうだ、人を食べる時は外で食べるようにするから、おばあちゃんは何もしなくていいからね」  
 え? とおばあちゃんは顔を上げた。
「どういう事だい?」
 おばあちゃんが驚いている事に、ユキだったマドカもひどく驚いた。
「食べるって、人を?」
「だって私、化け猫だよ? 人を食べないと妖力が無くなっちゃう」
「マドカが……マドカが人を……」
「だっておばあちゃん、さっきはマドカが助かるならそれでもいいって言ったじゃない。どんな事になってもいいって」
 ユキは一生懸命訴えたが、もうおばあちゃんには何も聞こえていないようだった。
「マドカ……マドカ……」
 孫の名前を繰り返すばかりだ。
「仕方がないなぁ」
 大きく目を見開いたままのおばあちゃんを布団に横たえると、ユキだったマドカは部屋を出て行った。多分これでマドカのパパとママの目論見通り、おばあちゃんは入院する事になるだろう。
 マドカの部屋に戻るとスマホを手に取った。使い方は今まで散々見てきたから知っている。開いた画面には突然会話から離脱したマドカへの文句が連なっていた。
「ごめん、おばあちゃんに見つかって怒られた」
 可愛い絵文字とスタンプ。
「よし。これでオッケー」
 ユキの中のマドカがザワザワと騒いでいる気がする。
 マドカは独り言のように、自分の中にほんの僅かに残った可哀想な少女に向かって言った。
「大丈夫。死ぬまでにマドカちゃんのしたかった事は、私が全部してあげる。そのためには食事、食事」
 次に食べる子は最初に返信してきた子にしよう、あまり瘦せてない子だといいなと思いながら、マドカは異常に長い舌で口の周りをぺろりと舐めた。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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