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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第17回 客間の壺

2019.06.16 更新

 私は客間が嫌いだ。
 というより、客間の床の間にある壺が嫌いだ。
 壺、と私は言っているが、茶道具の水指のような形の黒釉(こくゆう)の入れ物で、同じように黒く塗られた木の蓋がされている。
 ただそれだけのものなのに、子供の頃から私はこの壺が恐ろしかった。
 掛物は季節によって替えるのに、なぜかこの壺だけはそのままだった。そして、この家の者は、ツボには決して手を触れぬようきつく言い付けられていた。それが家の「きまり」になっていた。
 母は「由緒のある、とても値段など付けられぬ名品であるから」と言ったが、私にはとてもそうは見えなかったし、それだけの名品なら箱に入れて蔵にしまっておけばよいものを、客間に出したままなのも解せず、気味が悪かった。
 やがて父が亡くなって、一人息子である私が家を継いだのだが、壺をしまうのは母の反対にあって叶わなかった。やってくる客の相手をするために、客間に入らなければならないと思うと気が重い。仕方がないので、来客の際には別の座敷を使いたいと母に申し出たが、それもあっさりと却下された。
 私が当主になったとはいえ、家の実権を握っているのは大奥様である母だ。ましてや、いい年をした大人が壺が怖いなどという理由を言えるはずもなく、私は黙って引き下がるしかなかった。
 
 その日、やってきたのは、遠い親戚を名乗る男だった。
 五十がらみの脂ぎった小太りな男で、肉付きのよい手首に巻かれた腕時計が、やたらギラギラしていた。
 彼は、勝手に押しかけてきた挙句、今日は忙しいからと断っても、少しだけだからとしつこく言い張り、こちらが根負けするのを待って客間に上がり込んできた。
 それがいけなかった。
 彼はまずネチネチとうちの家を褒めた。さすが本家だとか、家が大きいとか、土地とか資産とか、金がらみのことばかりだ。
「で、ご用件は何です?」
 案の定、彼は共同事業の話を持ち掛けてきた。土地と資産を遊ばせているのはもったいない、必ず儲けさせるから自分の事業に出資しろというということだ。どこからどう見ても胡散臭い話だった。男は、延々とその話を続けた。
「ですから、決して損になることはありません」
「その話はわかりました。けれど、新たな投資をするつもりはありませんし、だいたいうちにそんな資産はありません」
「ご冗談を。いや、これは本当に儲かりますから」
 さっきから同じ会話を何度繰り返しただろう。時計を見るとすでに数時間が経っている。いったい、いつになったら帰ってくれるのだろう。私は疲れていた。それでなくても私はこの客間が苦手なのだ。あの真っ黒な壺がじっとこちらの様子を窺っているようで、ただでさえ消耗するのに……。
「失礼いたします」
 母が、何度目かのお茶の入れ替えにやってきた。
「いやあ、すみませんねえ。長居しちゃって」
 そう言いながら、男は少しも悪びれる様子がない。
 時間が経って、さらに脂ぎった肌をてらてらさせながら、茶を飲んでいる。
 その隙に、母は私を廊下に連れ出した。
「何をやっているのです」
 母は小声で私を𠮟責した。
「さっさと追い返してしまいなさいな」
「それが、いくら断っても諦めてくれなくて……」
 私は元来気が弱い方だ。相手の要求を拒否し続けるだけで精一杯の状態だった。
 そんな私に母はぴしゃりと言った。
「何を情けない。今は、あなたがこの家の主なんですよ。あんな輩一人、追い返せずにどうするっていうんです」
 だったら母が出てくれればいいじゃないかと言い返したかったが、当然私にそんなことができるはずもなく、渋々客間に戻った。
「どうなさいましたか?」
 男はけろりとして、もう何度目かわからない説明を、再び始めた。
「あの、申し訳ありませんが」
 意を決して、私は男の話を遮った。
「次の約束もあるので、お引き取り願えないでしょうか」
 私は男が怒りだすのではないかと思った。怒鳴られたらどうしようと心臓がどきどきして、膝の上で握った手の平がじっとりと汗ばむ。
 だが、男が怒ることはなかった。そして帰ることもなかった。
「じゃあ、あと少しだけ」
「いえ、もう困ります」
「ちょっとだけ! 本当にちょっとだけで済みますから!」
 そこからまた「あと、ちょっと」を繰り返しながら、男は延々と居座った。
 私は自分の甘さを思い知らされた。
 もう、外はすっかり暗くなっていた。部屋の中も暗くなっているというのに、男はまだ喋っていた。
「あの、もう本当に。時間も遅いですし」
「ああ、暗いと書類が見えませんね」
 男は立ち上がると、人の家の客間だというのに、勝手に明かりを点け、どっこいしょと言ってまた座布団に座った。
「それで、ですね」
 また同じ話を始める。
「あの……」
「ああ。次のご予定の方ですか?」
 男はにっこりと笑った。そんな予定なんてないことは知っている、お前のついた噓などバレているのだ、と男の笑顔は言っていた。
 私は途方に暮れた。この男は人じゃないのではなかろうか、と私は思った。蛭(ひる)が血を吸うために張り付くように、金を吸い取るまで離れない生き物。
 私は時計を見た。もう夕食の時間だ。時間に遅れると、母の機嫌が悪くなる。
「失礼いたします」
 母の声に、つい私はビクッと体を震わせた。
 シュッと襖を開けて母が入ってきた。
「そろそろ夕食の時間なのですが」
「それはお気遣いありがとうございます」
 ちゃっかり夕食まで食べていこうとする男の図々しさに、私は怒りを通り越して呆気に取られた。本当にこいつは、私に「うん」と言わせるまで、帰る気がないのだ。
 母は、座卓に置かれた男の名刺を見た。
「これは、あなた様のお名刺ですか?」
「ええ」
「聞いたことのない苗字ですが、うちの親戚とか?」
「親戚といっても遠縁なので、ご存知ないかもしれませんねぇ」
 母の追及を、男はのらりくらりと躱す。
 そうですか、と言いながら母は名刺の名前を読んだ。
「お間違いないですか?」
「ええ。間違いなく私の名前です」
「そうですか……」
 疑われているというのに男は動じない。母の苛立ちが空気を震わせて伝わってくるようだった。
 母は、すっかり空になった茶碗を一度下げるため、座卓に寄った。
「失礼いたします」
 男の近くに行き、茶碗を盆にのせ、その盆を持って次は私の所へ来る。だが、母はその途中、床の間の近くで動きを止めた。
 男は気がついていないようだったが、私は見た。
 母は例の黒い壺の上に屈み込むようにして、そっと蓋をずらした。そして、男の名を呼んだ。
 はっきりした声だった。
「はい?」
 食事の好みでも聞かれると思ったのだろうか、男は間抜けた返事をした。
 そして、その返事を残して姿を消した。
「い、今のは?」
 母はシッと私に口をきかないように指示すると、玄関に置かれた男の靴を持ってきて、それを壺の中に押し込んだ。
 不思議なことに、壺より大きいはずの男の靴が、簡単に壺の中に飲み込まれていった。
 母は静かに壺の蓋を閉めた。
「これでよし」
「いったい何が起こったのですか?」
 情けないことに、私の体はブルブルと震えていた。
「ちょうどよい機会なので話しておきましょう。この壺の蓋を開けて人の名前を呼ぶと、その人を中に入れることができます。そしてその場にいた者以外の間では、その人は最初からいなかったことになるのです」
「それが、彼の家族でもですか?」
「そうです。残された家族は、彼の持ち物を見て、なぜこんなものが家にあるのか困惑することでしょう。でも、それは私達には関わりのないことです」
「で、でも……」
「そもそも、あなたがもっとしっかりしていれば、これを使わずに済んだのですよ」
 母の言葉に、私は顔を上げることができなかった。
「父も使ったことがあるのですか?」
「いいえ。あの人は婿養子でしたから、壺の秘密は何一つ知りません。知っているのは本家の血筋の者だけです。さ、夕飯にしましょう。早く手を洗っていらっしゃい」
 では、あなたは今までにも使ったことがあるのですか? という言葉を、私は飲み込んだ。
 
 それ以来、私は、あの壺を恐ろしいとは思わなくなった。
 代わりに、母を恐ろしいと思うようになった。恐ろしくて堪らなくなった。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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