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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第15回 交差点

2019.05.16 更新

 その日はひどく暑い日だった。
 私はすっかり肉付きのよくなった首に溜まる汗を拭きながら、道案内をしてくれる男の後ろを歩いていた。
 真夏の午後の熱気の中、歩いている人はいない。家々は窓を閉め切って冷房を効かせているのか、物音も聞こえない。わんわんと蟬の鳴き声が響く中、前を歩く男と私だけがアスファルトから立ち昇る熱気に炙られている。

「すみません。西町三丁目はどっちですかね」
 バブルの頃に一斉に売り出された住宅地は高齢化が進み、まだ体が動くうちに便利な所に転居したいという住人も多い。不動産会社に勤める私は、そういう顧客に呼ばれて査定に向かう途中だったのだが、情けないことに道に迷ってしまった。なぜかスマホも調子が悪くて繫がらない。
 困っていたところで彼に会った。
 彼は今時にしては珍しく、わかる場所まで案内しましょうと言ってくれた。
「昔、僕もこの辺りで迷ったことがありましてね」
 道路できっちりと分けられた区画に、ほとんど同じデザインの家。確かに自分がどこをどう歩いているのかわからなくなるような街だ。
「その時、女子高生に道案内をしてもらったんですよ」
「ほう。女子高生」
 男が話したそうにしていたので、私は乗った。営業マンの癖みたいなものだ。
「美人でしたか?」
「そうですね」
 私は目的地までの間の慰みにと、彼の話を聞くことにした。

 あの日も今日と同じくらい暑い日で、これが終わったら、キンキンに冷やしたビールを思う存分飲んでやると思いながら、僕は熱気で揺れる景色を見ながら歩いていた。
 山を切り崩して建てた、似た造りの戸建てが並ぶ新興住宅地。坂道が多く、この暑さのせいか通る人が誰もいない。
 諦めて帰ろうかと思った矢先にようやく一人の少女を見つけた。
 そう、あなたと出会ったあの交差点。まさにあの場所で僕と彼女は出会った。
「あの、すみません」
 声をかけると、少女はビクッと体を強張らせてこちらを見た。
 儚げな雰囲気の綺麗な少女だったが、その顔には強い警戒心が浮かんでいる。
 無理もない。最近は変な人も多いし、しかも彼女が着ているセーラーカラーのワンピースにリボンを結んだ制服は、人気ランキングトップの有名なお嬢様女子校のものだ。色白でほっそりした華奢な体つきから見て運動部ではなさそうだ。長めのスカートと、きっちり結われた三つ編みが、育ちの良さを物語っている。
 そんなお嬢様が知らない男にいきなり声をかけられて怯えるのもわかるが、こちらとしても逃げられるわけにはいかないのだ。
 とにかく警戒心を解こうと、僕は精一杯爽やかで人当たりの良さそうな笑顔を作った。
「すみません。三丁目に行きたいんですけど、迷ってしまって」
「三丁目……」
 迷子と知ったからなのか、少し彼女の緊張が緩む。
「何町の三丁目ですか?」
「え? えーっと西町の三丁目です」
「だとしたら運動公園の向こうです」
「運動公園?」
「あっちの、あのちょっとフェンスが見えている場所です」
 確かに彼女が指差す方向、大きな木の濃い緑の向こうに灰色のフェンスがちょっとだけ見えた。
「あそこはどうやって行ったらいいのかな? ここを真っ直ぐ?」
 僕は手をかざしてその方向を見た。
「よかったらご案内しましょうか?」
 困っている人には親切にしましょうと躾けられているのだろう。有難いことに、少女のほうから案内を申し出てくれた。僕は礼を言って、少女のあとから歩いた。
 それにしても暑い。
 拭いても拭いても汗がダラダラと流れてくる。
 にも拘わらず、前を歩く少女の足取りは軽快で、三つ編みの間から見えるうなじにも汗が浮かんでいない。艶かしさよりも先に清涼感を感じるほどに透き通っている。
「大丈夫ですか?」
 振り返った顔も汗をかくどころか、頰も青みを帯びた白さのままで、制服に結ばれた水色のリボンがひらひらしているのを見ながら、舞飛ぶアオスジアゲハの幻かと柄にもないことを考えた。
 実際彼女は、暑いねという私の言葉に、そうですかと淡々と答えた。
 そうこうしているうちにフェンスの所まで来た。道路を渡れば運動公園だ。
「フェンス沿いにまっすぐ行けば、その先が西町三丁目です」
「そうか。もうすぐだね」
 信号は赤だ。通る車もないが俺達は立ち止まった。
 すると間が持たないのが気になったのか、それまで口数の少なかった少女が口を開いた。
「どうやってここに来たんですか?」
「どうやってって、車でだよ」
 俺は答えた。実は車ならこの運動公園を抜けた、人気のない場所に止めてある。ここまできたら目と鼻の先だ。
「そうじゃなくて、なんでここに来たかです」
「なんで? ああ、セールスの仕事でね」
「そうじゃなくて……」
 少女はどう説明していいかわからないといった感じの苛立ちを見せた。欲しい答えを得るためのうまい質問が思いつかないのだろう。だが僕にとって、そんなことはどうでもよかった。
 もうすぐだ、と僕はウズウズしていた。もうすぐで車を止めてある所に着く。
 こんなに獲物がいないのは想定外だったが、狙った通り暑い夏の午後なら人通りも少ない。目撃されることなく彼女を車で連れ去ることができる。
 やがて信号が青になったが、少女は動かない。
「ど、どうしたんだい? ほら行こうよ」
 焦りで少し声が上ずった。
「信号が変わってしまうよ」
 もう少しだからとかなんとか必死に食い下がったが、少女はそれをさらっと無視した。
「多分、いいえ、きっとそう……」
 少女は一人でブツブツ言いだした。
 意味がわからなかった。ただ背中がザワザワとして、暑さのためとは違う汗が背中を伝った。
「私の時もそうだった。だからきっと大丈夫」
 言うことが支離滅裂だ。ちょっとおかしい子だとは思ったが、これは関わっちゃいけない相手だ。食えば腹を壊すやつだ。なんとか理由をつけて逃げようと考えた。
 青信号は点滅し、赤に変わろうとしていた。
「えーと、あの、僕はここから先は一人でいいから……」
 そう言って先に渡ろうとした僕を追い越して、少女が道路へと飛び出した。
「さようなら」
 信号が赤へと変わる直前、横断歩道の真ん中で、少女はその姿を消した。
 それからというもの、僕はさっきの交差点からこの信号の所までの間に閉じ込められている。
 
 どうです、この話? と男が聞いてきた。
「え、はは、面白いですねぇ。もしかして作家さんか何かですか?」
「いいえ。全部本当のことです」
 私は心臓がドキドキしていた。
 男が話してくれた西町三丁目に向かう途中にある運動公園のフェンスはもう目の前だった。
 もともと私は信心深いほうでも怖がりなほうでもない。しかし仕事柄、説明のつかない不思議な出来事に遭遇したことが幾度かあり、世の中にそういう得体の知れないものが存在しないとは言い切れなくなっていた。
 神隠しではないが、住人の失踪が続く物件というのも知っている。
 ここが、やって来た誰かを閉じ込めてしまうような場所でないとは断言できない。
 それより何よりこの男だ。
「そんな怯えた顔をしなくてもいいじゃないですか」
 男は言った。取り繕おうにも顔がこわばって動かない。
「あなたを身代わりにするつもりはないんで」
「噓だ」
 私達は横断歩道の前に出た。信号は赤だ。ごくりと喉が鳴る。
「噓じゃない。僕はここから出る気はない」
「まさか……」
 当たりだと言いたげに男はニヤリと笑って、近くの電柱に巻きついていたヒルガオの花を一つ千切ると、ぐちゃぐちゃに握り潰した。
 多分、ここは普段人一人が閉じ込められていて、代わりの誰かがやって来たタイミングにだけ、その人を身代わりに自分が外に出ることができる閉じられた空間だ。
 やって来るのは私のようなおじさんの時もあれば、少女の時もあるだろう。
 男はそれを待っているのだ。
 彼をここに連れてきた少女を連れ去ろうと目論んでいた時と同じように。他に誰もいないこの場所は空間に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなものだ。
「冗談だろ」
「ほら。青だ」
 男が私を思い切り横断歩道へと突き飛ばした。不恰好によろけた私は、そのまま横断歩道の真ん中くらいまで来てしまった。
 なんとかしなければ、と思いながら私はどこか深い所へ落ちていくように意識を失っていった。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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