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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第13回 フミドリ

2019.04.01 更新

 これは僕が老いた元灯台守から聞いた話だ。

 まだ有人灯台が残っている時代の事で、彼は妻と生まれたばかりの娘と共に瀬戸内海に浮かぶある島の灯台へとやってきた。
 灯台守というのは文字通り灯台の管理を仕事とする人のことで、公務員である。
 官舎は漁港のある町の一角にあり、彼はそこから熊笹の茂る山道を三十分程登った所にある灯台へと通っていた。
 とはいえ灯台の照明は既に自動化されていたので、午前中に機械を点検して調整し、レンズを磨くと、午後は報告書を書いたり気象の本を読んだりして過ごす。
 そんなおっとりとした島の暮らしに慣れてきた頃だ。
 彼は一人の少女と出会った。
 歳の頃なら十二から十四といったところで、ほっそりとした手足に長い黒髪。すっかり黄ばんでしまったらしい白いワンピースを着て、ボロボロの運動靴を履いていた。
「それに触っちゃだめ」
 凛とした声に振り向くと、後ろに少女が立っていた。
 彼は何か珍しいものでもないかと山へ入ろうとしていて、体を支えようと一本の木を摑むところだった。
「それは漆の仲間だから、素手で触ったりしたらかぶれて大変な事になるわよ」
「え?」
 彼は慌てて木から手を遠ざけた。
「ありがとう。君は山に詳しいんだね」
「当たり前よ」
 少女は得意げに言った。
「この島は私の島なんだから」
 彼はお礼に小さな橙色の飴玉を少女に与えた。
 それが気に入ったのか、少女はしょっ中灯台を訪れるようになった。
「君は学校へは行かないの?」
 いつも昼間にやってくるので、聞いたことがあった。
「行かないわ」
 少女は崖っぷちに付けられた柵の上を平均台のように歩きながら答えた。黒い髪が風になびいては少女の顔に纏わりつくので、彼はハラハラしながらそれを見守る。
「学校は嫌い」
 そう言うと少女は柵からひらりと飛び降りた。
 少女の両親はどこからか島に流れて来た人で、父親は海で亡くなり、母親はまだ幼い少女を置いて消えてしまった。それ以後は一人で暮らしているが、町は居心地が悪いらしい。
 確かに、こんな閉鎖的な小さい島で、複雑な生い立ちの子供がどのような扱いを受けるかは容易に想像ができる。
 しかも少女は、その不幸な境遇に卑屈になってしまうには、あまり強く美しく、自由奔放だった。
 狭い教室を飛び出して島全体を自分の学校にしてしまったのだ。
 実際、少女はこの島の自然を熟知していた。
 彼を山に連れていっては色々なことを教えた。
 この島の地形や島特有の天気や潮の変化。
 危険な生物、例えば毒蛇なんかが潜む場所と、もし見つけた場合の対処法。
 珍しい昆虫や植物の利用法や、危険な植物を見分ける方法。
 少女は教師、彼は生徒で、島はその全てが二人の教室だった。
 彼は少女と過ごす時間に夢中になり、やがて妻子よりも少女といることを優先させる程になった。 
 疚しい気持ちはなかったのですか? という僕の問いに、彼は「ない」と答えた。
 恋ではなかった。少女の美しさや無防備さ、女に移ろう前の儚い危うさに、ただひたすら憧れ焦がれていただけなのだと。

 ある日、彼は珍しい鳥を見つけた。
 見た目は文鳥だが、捕まえてみると模様が文字になっている。
「これは文鳥じゃなくてフミドリ。この島にだけいる特別な鳥なの」
 少女が両手でそっと鳥を包み込むと、その体はパラリと崩れて、一枚の紙になった。そこには誰に宛てたかわからない手紙がしたためられている。
 少女が手紙をもう一度鳥の形に折り上げると、いつの間にか折り紙の鳥は本物の鳥になって、そのまま飛んでいった。
「昔々、この島に若い漁師の夫婦がいました。漁師は一度海に出ると、何日も戻って来られません。その間、妻は夫の無事を祈って毎日海神様を祀った神社にお参りしていましたが、ある時戻ってきた漁船の人から、夫の乗った船が事故で沈んだと聞き、妻は絶望して崖から飛び降りて死んでしまいます。でも実は夫は死んでいませんでした。運よく仲間と共に小さな島に流れ着き、生きていたのです。妻に再び会うことだけを楽しみに故郷へと戻ってきた夫に伝えらえたのは、悲しい報せでした。夫もまた嘆き悲しみ、妻と同じ崖から身を投げました。海神様は二人を憐れみ、海の上でも通じ合えるようフミドリを作ったのです、っていうのが島の言い伝え。手紙を折って両手に包んで、海神様にどうか手紙を届けてくださいってお祈りしながらそっと放すと相手の所へ飛んでいくの。でも、もし、その受け取り手がこの世にいないと、フミドリはどこにもたどり着くことなく飛び続ける。さっきのフミドリもきっとそう」
「残酷だね」
「そうかしら」
 見上げた空に、もうフミドリの姿はない。
「君はフミドリの手紙を書いたことがあるの?」
 彼は少女に聞いた。
「ないわ」
 少女はもうフミドリのことなんて忘れて、遠くに見える客船に気を取られている。
 不意に彼は、少女に手紙を書いてみたいと思った。少女と鳥に姿を変えた手紙をやり取りできるなんて、夢のような話だ。それに、手紙があれば自分がこの島を去った後でも忘れないでいてくれるのではないだろうか。
 そうだ。手紙を書くための便箋と鉛筆を少女に贈ろう。確か可愛らしい花模様の便箋があったはずだ。
「ねえ、明日もここに来るかい?」
「多分」
「君に贈りたいものがあるんだ」
「本当? 何?」
 不思議そうに首を傾げる少女に彼の胸は高鳴った。
「それは明日のお楽しみ。だから、明日必ずここにおいで。必ずだよ」
 彼は少女の肩に手を掛けて念を押した。
「絶対。絶対に来るんだよ」
 彼は少女の手を取ると指切りをした。
「約束だよ」
「……わかった。約束ね」
 彼は家に帰ると、妻をせっついて押入れの中から使っていない便箋や紙箱に入ったままの新しい鉛筆を出させた。
 少女は、これを見たらどんな顔をするだろうか。
 フミドリのやり取りはきっと楽しいに違いない。フミドリを受け取って喜ぶ少女の顔が見えるようだ。そうだ、二人で一緒に手紙を書いて、同時に飛ばしてもいい。
 その夜、彼は気持ちが高ぶって眠れなかった。
 翌日も、少女が来るまでの時間が待ち遠しくて、彼は何回も灯台の事務室を出たり入ったりしていた。そしてその倍くらいの回数で時計も見た。なかなか進まない時間がもどかしくて仕方がなかったが、それでも時は正しく進むので、あともう少しで少女がやってくるという時間になった。
 だが、急に天気が崩れた。
 にわかに風が強くなったかと思うと、あっという間に暗雲が空を覆い尽くし、雷鳴と共に激しい雨が地面を叩きだした。
 彼は少女の安全が心配になった。少女は必ず約束を守ろうとするだろう。この天気の中、ここまで歩いてくるのは危ないんじゃないかと思っているさなかに電話が鳴った。町長からで、山に崩れそうな場所があり、早く避難しないと戻れなくなるという避難勧告だった。
 彼は迷った。時間的に少女はもうこちらへと向かっているはずだ。
 そうだ、と彼は帳面の一枚を破ると、少女に今日はもう来なくていいという内容の手紙を書いた。そして鳥の形に折ると、両手でそっと包み、吹き荒れる嵐の中へとそっと差し出した。
 最初ただの折り紙の鳥だったが、やがてもぞもぞと動きだすと、数回羽を動かしてから、激しい雨などものともせずに飛び立った。
「お願いだ! あの子にここに来ないように伝えてくれ!」
 それから彼はすぐに灯台を出て、漁港のある町まで下りた。
 灯台へ向かう道が土砂で塞がれてしまったのは、それからすぐの事だ。大きな山崩れで、復旧には時間がかかった。
 数日後にようやく道の封鎖が解かれると、彼は一目散に灯台へと向かった。
 フミドリは戻っていなかった。
 だが少女も二度と灯台に現れることはなかった。町の人に聞いても行方はわからなかった。 
 彼は続けた。
「私は大事なことを忘れていました。フミドリはおそらく少女の元へと届いたのでしょう。しかしもしかしたら手紙が読めなかったのではないでしょうか。少女は全く学校へ行っていないと言っていました。彼女の知識の全てが自身の経験と人から教わった話だけで構成されていたことを考えると、その可能性は十分にありました。嵐の中飛んできたフミドリを見て、少女は私が灯台で待っていると勘違いし、道を急いだのではないでしょうか。そして……」
 僕は慟哭する彼の背をそっと撫でた。
 
 この話には後日談がある。
 実は、本島で幸せに暮らすかつての少女に話を聞くことができた。
 あの時。しつこく灯台へ来るように言う彼の尋常ならざる様子に怯えた彼女は、嵐を理由に行くのをやめようと思っていた。そこへ追い討ちをかけるようにフミドリがやってきた。恐れおののいた彼女は、フミドリを読まずに破り捨て、嵐が止むと同時に本島の施設に逃げた。事情を知った町の人も彼女の行方を彼に知られないように協力してくれたらしい。
「それから二度と灯台へは行っていません」
 今だに見るのも嫌なのだそうだ。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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