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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第9回 膳

2019.02.03 更新

 ひどく曖昧だ。
 気がつくと見知らぬ町を歩いていた。
 古い温泉街のような雰囲気で、木造の建物が並んでおり、祭りでもあるのかどこの家の軒先にも提灯が並んで下がり、夕日が落ちたばかりの町を照らしている。
 窓ガラスからも柔らかな橙色の明かりが漏れ、舗装されていない土の道を、人々が楽しそうに行き交っている。
 私はなぜか浴衣に半纏(はんてん)を羽織った姿で、散歩でもしているかのように、あてもなくつらつらと歩いていた。そう考えると、やはりここはどこかの温泉地なのかもしれない。
 寒さは感じない。暑くもない。心地よくも不快でもない、どことなく人の体温を感じさせる温い空気がゆるゆるとまとわりつく。
 夢を見ている時に似ていると思った。
 おかしな事ばかりなのに、どういうわけだか「ああ、こんなものなのだ」と納得して、それがずっと当たり前であったような気がしてくる。
 しばらく歩いていると、やはり提灯を下げている一軒の家から若い女が出てきた。
「あら」
 女は私を見ると、嬉しそうに微笑んだ。
 女もまたこの町と同じように古臭い格好をしている。昭和のお母さんのようなスカートに靴下、エプロンではなく前掛けをしていて、その前掛けで手を拭くと、ニコニコしながら私の腕を取った。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」
 すりガラスのはまった玄関の引き戸をガラガラと開けると、私を中へと招き入れる。
 玄関を上がり、廊下を先に進むと六畳ほどの座敷があって、そこへ通された。
 部屋は雨戸が閉まっていて、女は天井から下がった照明器具を点けた。スイッチの紐が頼りなく揺れた。
「どうぞ」
 何もない座敷に、これまた古臭い色褪せた座布団が敷いてある。そこに座るよう促された。
 私が座ると、女も向かいに座って、よういらっしゃいましたと言って頭を下げたので、私も同じように頭を下げて、お邪魔いたしますと返した。
 顔を上げて女の顔を見ると、見覚えがあるような気がした。しかし誰だか思い出せないので勘違いなのかもしれない。
 女はスッと立ち上がると、食事の用意をしてきますと言い残して部屋を出ていってしまった。
 白色蛍光灯の明かりが寒々しい空っぽの座敷に一人残され、私は急に心細いような気持ちになった。
 早く帰りたいと思ったけれど、女がどこにいるかもわからず、だからといって無断で帰るのは失礼だろうと思い悩んでいるうちに、女が膳を持って現れた。
 一汁三菜。膳の上には箸と白飯、汁、そして主菜と副菜が二品、きちんと並べられている。
「さあ、どうぞ」
 女は膳を置くと、にこやかに勧める。
 だが私は、どうしても食べる気になれなかった。
 珍しい献立ではない。だがその食べ物がなんなのかどうしても思い出す事ができず、得体が知れない。しかもすっかり冷めていて、白飯の一部は乾燥して硬くなっている。それに何か嫌なにおいがした。盛り付けだけはきちんとしているのが、よけいに薄気味悪い。
「どうされました?」
 女はもう一度勧めてきた。
「いえ。食事はしてきたものですから、お腹が空いていないのです」
 私は理由をつけて、膳を少し前へと押し出した。
「そうですか」
 シュッと畳を擦る音とともに女は立ち上がって私の前に座り、膳を持ってまた立ち上がった。その動きが目にも留まらぬ早業で、気がつけば私は女から見下ろされるかたちになっていた。ゾッとした。
「では何か、果物でもお持ちしましょう」
 逆光で女の表情はよく見えない。すぐに断ればよかったのに、私は唾を飲み込んだだけで声を出す事ができなかった。
 その間に女はスゥッと襖を開けて出ていってしまった。
 締め切られた座敷で私は待っていた。
 なぜか逃げようという考えが浮かばないまま、律儀に足も崩さず、そこに座っていた。
「お待たせいたしました」
 女は再び膳を持って現れた。
「桃などいかがでしょう」
 目の前に置かれた膳の上には、切った桃が盛られた古臭いカットガラスの器が置かれ、先が二つに分かれた鈍い銀色のフォークが添えられていた。
 桃は腐るギリギリまで置いてあったのか、キズの跡がところどころ茶色く変色し、柔らかすぎる実からはこうしている間にもジワジワと果汁が滲みだして、腐りかけの果実特有の濃くて甘い匂いを発していた。それは虫を誘い惑わす食虫植物の蜜を思わせ、私を怯ませるには十分だった。
「召し上がれ」
 女は言った。
 嫌で堪らなかったが、食事を下げたうえで改めて用意してもらったという事もあり、私は仕方なく小さなフォークを取ると、できるだけきれいな一切れを探して突き立てた。
 女は相変わらず笑顔だったが、その目は笑っておらず、私の動きをじっと見据えていた。
「さあ、どうぞ」
 フォークは何の手応えもなく熟しすぎた桃の実に沈み、そこからも汁がジワッと溢れ、半分腐れて溶けかかったような柔らかな果肉の上を伝っていった。持ち上げると崩れ落ちてしまいそうなので、私は器ごと口元へ持っていき、急いで桃の実を口に入れた。実はすぐに溶け、果汁と混じり合う。
 甘い。
 朽ちる寸前の果実特有の発酵したような強い甘味が、トロリと舌の上を流れて喉の奥へと落ちていく。
 ゴクリと嚥下する喉の動きを、他人事のように感じていた。
 胃の腑の奥から腐臭が上がってくるような気がして、私は思わず白いハンカチで口元を押さえた。
「あなたはここの食べ物を食べました」
 女は抑揚のない声でそう告げた。
「これでこの国の人になりました」
 不意に私は目の前の女が私の母であることを思い出した。
 母はまだ私が幼い頃に亡くなっていた。
 なぜ死んだ母がいるのだろう、私が食べたのはなんだったのだろう、私はどうしてここにいるのだろう。そういえば、いつか黄泉の国の神話を読み聞かせてくれたのは母だったか……。
 考えようとするそばから思考はグズグズと腐れていき、仕方がないので私は口の周りを桃の汁で汚したまま、ただニヤニヤと笑い続けていた。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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