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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

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第8回 御目玉様

2019.01.16 更新

 子供の頃、俺は相当な悪戯(いたずら)っ子だったらしい。
 本人にそんな覚えはないのだが、たまに親戚が集まると必ずと言っていい程、その話になる。
 人の家の庭にある木に登って柿やスモモを食ったなどはかわいいもので、蛙や蛇を摑んで追いかけ回して女の子を泣かせるようなことは日常茶飯事。小学校では教卓の引き出しに隠したカマキリの卵を孵化させ、新任の先生に悲鳴を上げさせたこともある。
「本当、お前はクソガキだったよなぁ、おい」
 すっかり酔っ払って真っ赤な顔をした叔父が俺の背中をバンバン叩いた。
 叔父がまだ独身だった頃、隠してあった本のグラビアページに裸で写っていた女性に、油性マジックでパンツを履かせたことがある。叔父はまだそれを根に持っているのだ。
「まあまあ、叔父さん。昔のことじゃないですか」
 そう言いながらビールをお酌すると、ふんと言いながら今度はポンポンと子供にするように背中を叩いた。
「そのクソガキが今や立派になって、生意気になったもんだ」
 それは祖父母のお陰だ。
 俺はこの叔父の姉である母を早くに亡くし、仕事のある父と離れて母方の祖父母に育てられた。
 祖父母は俺の境遇を不憫に思ってか、滅多に𠮟ることなく甘やかしていた。当時、叔父はそのことで何度も文句を言っていた程だ。その度に祖父母は、そのうち落ち着くからと取りなしてくれていた。
 そんな祖父母が一度だけ酷く怒ったことがある。
 祖父が大切にしていた盆栽を壊してしまったときだ。駄目だと言われていたのに庭でチャンバラの真似事をして、鉢の一つを叩き落としてしまった。
 それは祖父が、亡くなった盆栽仲間から譲り受けた大事な物だった。
「このバカもんが!」
 ゲンコツで殴られたあと、仏間に連れて行かれ、鬼のような形相の祖父の前に正座をさせられた。少しでも足を崩そうものなら、祖母にピシャリと膝を叩かれた。
「亡くなった人から譲られたもんが、どんなに大切かわからん子じゃなかろうに!」
 それまでの数々の悪さを含めて延々と説教されたうえ、夕飯を抜かれるという大目玉を食らった。
 その日からだ。
 俺の周りを目玉がクルクル飛び回りながら付いてくるようになった。その目玉は俺が何か悪戯をしようとすると、ジーッと睨んでくる。ただそれだけなのだが、なんとなく見られているというだけで実行する気は萎えてしまう。
 誰かを驚かせるための仕掛けをしたり、蛙や蛇を捕まえようとしたり、嫌いなおかずをこっそり残そうとしたりすると、それまで近くで回っていた目玉が、急に目の前に止まって俺を見る。
 そしてこの目玉、他の人には見えない。
 一度祖母に、取ってくれと頼んだことがあったが、怪訝な顔をされただけだった。
 それどころか、あんたがいい子になるよう見張ってくれるんならいいことだと、この目玉に「御目玉様」という名前まで付けた。
 この目玉──御目玉様はまさに俺のお目付役だった。
 俺が大きくなっても御目玉様は付いてきた。
 悪いことをしていないか、ちゃんと勉強をしているか、部活をサボらないか、いつも目を光らせている。
「放って置いてくれ!」
 座布団を投げたこともあったが、御目玉様はひらりと躱(かわ)すと、また周りをクルクルと回った。
 そんな御目玉様のお陰か、中学高校と成長するにつれて俺は随分といい子になり、人からも一目置かれる存在になっていた。
 大学受験も無事、第一志望に合格し、春からは東京で一人暮らしをすることになった。
 祖父母は喜んでくれたが、俺はすっかり老いた二人を残していくのが心配でならなかった。
 御目玉様には俺よりも祖父母を見守ってもらいたいと頼んでみたが、やはり通じなかったのか俺の方に付いてきて、相変わらずクルクルと回っている。
 引っ越しが終わって一人になると、急に寂しさが迫ってきた。
 祖父母や慣れ親しんだ友人達と離れ、誰も知る人のいない都会で独りぼっちなのだと思うと、回っているだけの御目玉様でさえ心強く思われた。
 寝坊して慌てて目を覚ましたときも、バイトに遊びに忙しく食事がいい加減になっていたときも、迂闊な恋にのぼせ上がりそうになったときも、就活で挫けたときも、御目玉様はジッと俺を見つめていた。 
 その黒目には俺が映っている。映った自分と目が合うのが嫌で堪らなかった。
「わかった! わかったよ。ちゃんとするよ!」
 そう言うと、御目玉様はまた少し離れてクルクルと回る。それがもう当たり前だった。
 そんな御目玉様でも、彼女との旅行には目を瞑(つむ)ってくれた。結局その旅行がお互いの将来についてしっかりと話し合う機会になって結婚に結びついたのだから、もしかすると御目玉様はこうなるとわかっていて見て見ぬ振りをしてくれたのかも知れない。 
 就職して結婚もした。その間に疎遠だった父が再婚して縁は切れ、高齢だった祖父母も相次いで亡くなった。
 祖母の葬式で、娘を亡くして失意のどん底にあった祖母が、俺を引き取ってからみるみる元気になっていったと叔父が話してくれた。
「お前がやんちゃだったから目を離せないって、追いかけるのが大変だって笑ってたよ。お前があんまり心配で、この年まで生きていたんだろうな」 
 そう言う叔父の目は潤んでいた。
 もう俺より小さくなってしまった叔父を見つめる俺の周りで、やっぱり御目玉様はクルクルと回っていた。
 御目玉様は就職しても付いてきていた。
 そして新人の頃から少しでもいい加減な真似をしようものなら、やっぱりジッと見つめてきた。
 おかげできっちりした仕事ぶりが上司の目に留まり、少しずつ大きな仕事を任せてもらえるようになった。
 その矢先だ。
「データを改ざんしろって言うんですか!?」
 不正を持ちかけられた俺は、つい声を荒らげた。
「そんなことしたら、うちの信用は失墜しますよ」
「まあまあ」 
 上司は猫撫で声を出した。
「別に噓をつくわけじゃない」
「噓じゃないですか」
「データの提出時点ではね。でもその後その数字をクリアすればなんの問題もない」
「でも……!」
「君は社費留学に申し込んでいたね」
 グッと言葉に詰まったのを検討可と判断したのか、上司はここぞとばかりに追い討ちをかけてきた。
「社費留学は競争率が高いから大変だねぇ。それに、せっかく留学しても知識を活かせる部署にいないことには意味がないだろうしね」
 不正に協力し、社費留学して出世するか、閑職に移動させられた挙句に自己都合退職するかの二択。
 迷った。
 今の俺には家庭ができた。それに上司の言う通り、現時点ではまだだが、もう少し時間があれば数字はクリアできるはずだ。
 気が付けばいつものように御目玉様が俺を見つめている。
 そんなに見つめなくても、俺だってそれが悪いことだなんてわかっている。でも不正を持ちかけた上司は社内でも相当な権力を持っている。関連会社に手を回して再就職の邪魔をするくらいはお手の物だ。まだ一人身ならいいが、今は……。
 だがこれをやってしまったら、俺は人として終わるんじゃないのか? それ以前にこれがバレたらどっちにしろ終わりだ。バレなければいいのか? そのために一生噓をつき続けるのか?
 御目玉様は相変わらず俺を見つめている。
 黒目に映る俺も俺を見つめている。
 正しくない道を選んで、この目を見返すことができるだろうか。
 俺は拳を握り、唇を嚙んだ。
「しません」
「え?」
「データの改ざんはしません」
「それが君の結論か。わかったよ」
「このことは上に報告します。不正はさせません」
 上司は、物語の悪者というのはこういう笑い方をするんだろうなというような、不快極まりない笑い方をした。
「わかったよ。他の人に頼むことにするよ」
 相手に分があるのはわかっていた。上に報告と言ったって、それが彼なのだ。個別相談窓口が会社の顔色を伺うだけの役立たずなのは周知の事実だ。報告は線香花火より儚く消し去られるだろう。俺の言葉なんて負け犬の遠吠えに過ぎない。ただ正しいことをしたという自己満足が残るだけだ。
 妻になんと言えばいいのだろうと考え始めた俺の周りで、御目玉様は、今はもうクルクルと回っている。 
 その御目玉様が大きくなっていることに気付いた。
 あれ? と思ったときにはソフトボールくらいの大きさになっていて、それからみるみるうちにバレーボールからバスケットボール、ストレッチボールサイズへと巨大化し、あっという間に床から天井までいっぱいになった。
 それだけではない。
 白目は真っ赤に充血し、瞳孔は開いている。
「大目玉……」
 俺は子供の頃を思いだした。
 御目玉様は正しくない者に大目玉を食らわせる。
 やめろという叫びが出る前に、大目玉の怪物は上司の口にシュウッと吸い込まれていった。
 上司には何が起こったかわからないようだった。俺にもわからない。人気(ひとけ)のないオフィスもそのままで、上司が侮蔑の言葉を吐き捨てて出ていってしまうと、後はシンと静まり返るだけだった。
 だが、それからすぐに上司と対立関係にあった者の手で不正が暴かれた。上司は今後の出世を断たれたばかりか、遥か彼方の地方営業所に飛ばされ、自主退職を迫られることになった。
 それだけではない。その上司にも御目玉様が付いた。血走った目玉が彼の周りをギュンギュン回っては、威嚇しているのを見かけるようになった。どうやら素行の悪さで文字通り目の敵(かたき)にされているようだ。
 結局上司は地方へ転勤する前に退職し、噂ではどこかの病院に入院したと聞いた。
 俺はといえば、悪い誘いをキッパリ断ったということで新しい上司に目をかけられるようになり、無事社費留学の権利も手に入れた。
 御目玉様は今でも俺の周りをクルクルと回り、悪いことをしそうになるとジッと見つめてくる。
 最近になって、なぜ俺がなんだかんだ言ってずっと御目玉様に逆らえないでいたのかわかった。
「お前は本当に母親似だ。そっくりだよ」
 御目玉様の黒目に映る俺の顔を見るたび、祖父母の言葉を思いだす。
 俺は母が亡くなった年齢になっていた。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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