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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第3回 遭難

2018.11.01 更新

 祖父は読書が趣味の人で、祖母が亡くなってからというもの、日がな一日庭に面した座敷でのんびり本を読んで過ごしていた。
 亡くなったのも読書の最中。定期的にやって来るヘルパーさんに発見された時は本を手にして文机(ふづくえ)に突っ伏していたという。こういう時でもなければ会わぬような遠い親戚などは、本人にとっては良い最期だったのじゃないかと言っていた。
 その祖父が、同じ本好きである孫の僕に残してくれたのが、大量の蔵書だった。
 生前から死んだら蔵書は全部お前に譲ると言っていた、その約束を守ってくれたわけだ。
 さすがに一人暮らしのアパートに全部持ってくるわけにはいかないので、とりあえず小さめのダンボール二つ分だけを持って来た。
 小さいとはいえ本がぎゅうぎゅうに詰まっている箱はかなり重い。宅配業者のお兄さんにも申し訳なかったが、玄関に置かれた箱を自分で部屋の中に入れるのも一苦労だった。
 待ちきれない気持ちで箱を開け、一番上にあった本を取り出す。
 これは祖父が亡くなった時に手にしていたという本だ。僕にとっては形見のようなものだった。
 残りはそのままにして机の前に座り、デスクライトを点けると、早速本を開く。
 聞いた事はない作者だが、どうやら大正から昭和の初めにかけて活動していた作家らしい。一冊の中に短い話がいくつも入っている。
 こういう本は、少しずつ気軽に読めるので、今日みたいに疲れている日には丁度良い。
 内容はエッセイなのか短編なのか、日常の出来事として起こったであろう事を記した話と、明らかに架空のものとわかる話が、分別されぬまま入り混じって並んでいる。
 中には、最初は現実の話のような体裁ながら途中で怪しくなっていき、最後は夢の話だったというものもある。
 物静かな文体につられて読み進めているうちに、足元が柔らかく脆く危うい感じになり、本の外と内の境が曖昧になる。
 何時間読んだだろうか。不意に鳴った外のクラクションの音にハッと顔をあげると、辺りはすっかり暗くなっている。急に空腹を感じて僕は腰を上げた。作るのが面倒なのでコンビニへ行き、適当に買った弁当を搔き込むと、再びページを開く。
 とにかく早く続きが読みたかった。
「あれ?」
 さっきまで読んでいた場所がわからない。栞を挟んでおけば良かったと思ったが後の祭りだ。
 こんな事は初めてだった。
 同じような話が並んでいるせいかもしれないと、だいたいこの辺りまで読んだだろうという箇所を開いて、そこから遡って行った。
 ここはまだ読んでいない。
 ここもまだ、のような気がする。
 ああ、この話は読んだ。
 僕ははっきりとわかる箇所から改めて読み進めて行った。
 やがて夜も更けたので、今度はちゃんと栞を挟んで、僕は本を閉じた。
 ところが翌日、さあ読もうとした時だ。
 栞はきちんと挟まれていた。そのページの数字に間違いはない。しかしその物語に見覚えがないのだ。
 読み終えたはずの、その一つ前の物語も、本当に読み終えたものなのか、それともまだ読んでいない似通った話なのか、今ひとつはっきりしない。
 仕方がないので、もう一度わかる所まで戻って読み始めた。
 ところが半分くらいまで来た時だろうか。
「あれ?」
 読み始めた物語が、昨夜読みかけていたものと同じだった。
 先のページに書かれた展開もオチも知っていた。
 僕はそのページに栞を挟むと、最初の話からざっと見直して行った。
 読んだ、読んだ、読んだ……
 前から順番に読んでいるのだから、それで当たり前なのだ。
 だがいくつ目かの話で僕はページをめくる手を止めた。
「読んでいない?」
 タイトルには見覚えがあったが、しかし内容が違うような気がした。いや、読んだことがあるような気もするが、オチには覚えがない。
 もしかしたら昨夜コンビニに行く前後で読み飛ばしてしまったのかも知れないと思った。
 僕は次の話を開いた。しかし、それも読んだ覚えがない。その次の話もそうだ。
 栞のページはまだ先だから、本当なら読んでいなければならない箇所だ。いや、しかしまるきり知らない感じもしない。似たような別の夢の話だっただろうか。
 栞のページを開く。やはり読んだことのある話だ。
 僕は混乱した。
 読めば読むほど自分がどこまで読んだのかわからなくなる。
 行きつ戻りつしながら、僕は自分が読んでいた箇所を探し続けた。
 どれを読み、どれを読んでいないのか、探せば探すほど、ますますわからなくなる。
 そもそも読んだと思っていても、それは本当にその話で、似た別の話ではないのか?
 あったと思っている話は、探すのに必死になるあまり夢に見て読んだ幻ではないのか?
 栞を挟んでいても、開くたびに内容が変わっている。変わっているような気がする。
「どこだ、どこだ、どこだ……」
 僕はどこまで読んで、どこから読んでいないのか?
 どれを読んで、どれを読んでいないんだ?
 本の著者に現実に起こった話と彼が書いた架空の物語、僕に起こっている事と僕の見る幻のすべての境界は、緩く溶け渦を巻いて混じり合う。
 僕は必死でページをめくった。
 何もかも忘れて、ただページをめくり続けた。
 どこだ、どこだ、どこだ………

 私がその本を受け取ったのは、弟が亡くなって数日後の事だった。
 私の弟は三十にもならないのに、突然死んでしまった。
 それも普通ではない死に方だった。
 一人暮らしの部屋で、本の上に突っ伏して死んでいた。それが、何日も山中をさまよったかのように食事も水分も取っていない状態で衰弱死していたのだ。
 いろいろ調べられたが、結局病死という扱いになった。
 私は、弟が死に際に読んでいたであろうこの本を開こうとして止めた。
 祖父の葬式に続いて起きた弟の死から、母はまだ立ち直っていなかった。この本を見たらまた寝込んでしまうだろう。
 母の目に触れる前に、私はこの本を焼いてしまおうと思った。
 何故だか早く焼いてしまわなければと思った。

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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