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悪夢か現か幻か

堀真潮(ほりましお)

悪夢か現か幻か ブック・カバー
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第2回 SHE

2018.10.16 更新

 彼女は美しい女性でした。
 美しいにも色々あるとは思いますが、可愛らしいとか清楚とかいうよりは、いわゆるモデル系の垢抜けした華やかさで、目も口も大きめのはっきりとした顔立ちに明るい色の長い髪、そして何よりもスラリとしていながらもセクシーなプロポーション。
 大胆なパーティードレスに身を包む彼女はその存在自体が高価なジュエリーのようで、連れて歩く私も誇らしく思っていました。多分他の男達もみんなそうだったでしょう。
 細くしなやかに伸びた手足、豊かな胸に、折れんばかりに細い腰。
 男性だけではなく女性からの視線も惹きつけて離さないだけの魅力がありました。
 にもかかわらず、彼女は食事の制限を一切していませんでした。これは噓ではなく本当の事です。隠れてダイエットをしているという事は一切ありません。それだけは断言できます。
 周りの女性達も何かにつけて彼女を取り囲んでは、食べているのになぜ瘦せているのか聞いていました。その度に彼女はにっこりと笑いながら答えていました。
「多分そういう体質なのよ。ほら、大食い大会に出ている女の子達だって細いじゃない」
 確かにテレビに出ている大食い女王と言われる人達は、皆太っていないし、むしろ標準よりも瘦せているように見えます。そういう体質の人がいるというのも聞いた事があります。彼女も大食い大会に出られるくらいによく食べました。
 ラーメンやご飯は必ず大盛り。おかわり自由とか食べ放題の店では、店員が驚くほどでした。
 高級な店でもそれは変わりません。
 彼女はコースのバランスなどまるきり無視で遠慮なく食べたいだけ食べ、私はカードでそれを支払う。
「私があなた以外の人とも付き合うのはあなたのためなのよ」
 ご馳走さま、と唇をナプキンで拭いながら彼女はいつも言いました。その口調は無邪気な少女のような軽さで、まるで悪気が感じられず、他の男にも同じ事を同じ口調で言っているんだろうなというのがわかりました。
「だって私はこんなに食べるんだもの。あなた一人が負担していたらあっという間に破産しちゃうわ」
「そんな事はないと思うけど」
 自慢ではありませんが、私は起業していてそれなりの成果を上げていました。少なくとも人が羨むような美女に望む物を与えて側に置く事を許される立場ではあったのです。
 私は彼女が他の男とも付き合っているのが嫌でたまりませんでした。誰だってそうでしょう。
 しかし肝心の彼女がそれを良しとしませんでした。
 堂々と他の男の存在を晒したうえで、嫌ならいいのよと男に選択させる。酷いやり方だと思いながらも、それで彼女を拒絶できる男は稀でしょう。私もそうです。結局折れてしまう。
 それ程、彼女は魅力的でした。
「私は食欲を満たしてもらう。その代りにあなたの別の欲を満たしてあげる。それがいいの」
 そう言うと彼女は舌で少しルージュの剝がれた唇の端を舐め、いつものように食事の代価を払うのです。
 それは食事の代価にしては十分かそれ以上のものでした。
 夜の明かりの下で見る彼女は、それは美しく、大理石のように冷たく滑らかな肌は、内側からぼうっと発光しているように見えました。
 そして、彼女の体がどこか異次元に繫がっているのではないのだろうかと思うくらいに、体型に変化がなく、あれだけの食べ物がどこに消えているのか私は不思議で仕方がありませんでした。
「気になる?」
 彼女はクスクスと笑いながら、私の手をその白い腹に当てさせました。
「私の体の中には神様がいるの」
「神様?」
「そう。食いしん坊な私がたくさん食べられるように助けてくれる神様」
 手のひらに触れる白く滑らかな肌の下で、何かがズルリと動いたような気がして私は思わず手を離しました。
「嫌だ。冗談よ」
 冗談だとわかっていても、その不快な感触はなかなか消えてくれませんでした。
 実際、彼女に異変が起き始めたのは、その頃からです。
 食べる量が化け物じみてきたのです。
 元々大食いだったのは言ってきた通りですが、それがさらにすごくなったというか、誰かに力ずくで止められない限り、果てしなく食べるようになったのです。
 食べ方も今までのように食べるのを楽しむというよりも、とにかく飢えを満たすというような食べ方に変わっていきました。
 そうなるまでは笑って許してくれていた店を、幾つも出入り禁止にされました。
 食べて、食べて、食べまくる。
 それでいて彼女の美しさはやはり何一つ変わることはありませんでした。
「やっぱりおかしいよ」
 私は彼女に言いました。
「一度、病院へ行った方がいい」
 昔、ハリウッドの女優が痩せるためにわざと寄生虫を体に宿すという話を聞いた事があったので、私は彼女もそうではないかと考えたのです。
 私以外もそう考える人はいたようで、結局彼女は彼女の友人達の手によって、病院へと半ば強制的に連れて行かれました。
 しかし、どういうわけだか彼女の体内から寄生虫は出なかったのです。
 結局精神的な依存症の類だろう、それにしては症状がひどいのでしばらく入院させて様子を見ましょうという事になりました。
 聞いた話によると、入院してからというもの彼女は食べ物を欲して暴れ狂うようになり、見舞いなども断られていたようです。
 そして一か月も経たないうちに彼女は亡くなりました。
 ある日突然亡くなったという情報だけが私の元にもたらされました。私だけじゃない、他の男達にも、友人だと言っていた女達にも。
 亡くなったのは事実です。病院に問い合わせて確認した人もいます。しかしその話の出所がはっきりしないのです。
 そしてあれだけ周りの人達に愛されていた彼女なのに、家族や親族の有無を含め、素性を知る人は誰もいませんでした。
 不思議な事です。
 私ですか?
 病室に隔離された彼女を見るのは忍びなく、入院してから一度も会いに行っていません。ええ、入院前に会ったきりです。
 そうしたら病院から電話が掛かってきたんです。大事な話があるから必ず来て欲しいと。
 その日の事はよく覚えています。しかし何と言ったらいいのか、少し離れた場所に置いたカメラで録画した自分の姿を見るような形で思い出すのです。
 がらんとした小さな会議室のような部屋。これは診察室だと暴れた時に何か壊されると困るという配慮からだったのでしょう。とにかくそこで私は、白衣を着た三人の医師と向かいあって座っていました。彼らはなかなか話し始めませんでした。私は仕方なしに紙コップに入ったコーヒーを出してくれた看護師の手が震えていたのはなぜだろうなどとぼんやり考えていました。
 すっかり待ちくたびれた頃に、医師の一人が彼女の名前を出して、知っていますか? と聞いてきました。もちろん私は知っていますと答えました。
 すると彼らは不躾(ぶしつけ)にも、私と彼女の間に男女の関係があったのかどうかを聞いてきたのです。
 これにはすぐに答えませんでした。しかし思い直しました。もしかすると彼女が妊娠していたのではと思ったからです。それはとても大事な事です。
 私は彼女との関係を正直に答えました。
 医師は三人で顔を見合わせると、そうですかとだけ言って、また黙り込んでしまいました。
 その顔は文字通り苦渋に満ちていて、不安になった私は、何もかも正直に言って欲しいと強く訴えました。
 そして私は聞いたのです。
 彼女が寄生されていたわけではなく、彼女自身が人の皮だけを被った寄生虫であった事。入院によって食べられなくなった彼女はあっという間に瘦せ細り、最後は真っ黒に縮んだ芋虫のような姿になって死んだ事、その特殊な遺体は標本としてこの病院に保管され研究されているという事。彼女の正体も、なぜそんな事になったのかも、詳しい事はまだ何もわかっていない事。
 私は自分の耳を疑いました。
 馬鹿馬鹿しい、そう言い放って席を立とうとする私の肩を看護師が押さえ、再び席に座らせました。それはとても丁寧な動作でしたが、逃がさないぞと耳元で囁かれたような気がしました。
 医者はここからが本題だというように、静かに話し始めました。
 これはあなただけではなく、つまり彼女と関係があった方全員にお伺いしているのですが、最近体調の変化などはありませんか? 無い? そうですか? あなたにはこれから検査を受けていただきます。感染症の確認もあるのですが……彼女……だったモノの体を調べているうちに一つの可能性に気づいたのです。彼女が、あなたを含め関係を持った相手に卵を産み付けていたのではないかという事です。
 ああっ、逃げないでください! 心当たりがあるんでしょう、あるんですね? 大丈夫です、あなたの体については出産までこちらで完全に管理させていただきます。死んだ方がマシ? そんな事はさせませんよ。言ったでしょう、彼女についてはわからない事だらけなのです。ですから生まれたばかりのサンプルを採集できるこの幸運を、我々は逃すわけにはいかないのです。研究に協力していただけますね?
 首にチクリとした感触があったかと思うと、私は意識を失いました。
 今、私の腹ははち切れんばかりに大きく膨らみ、ウゾウゾとした胎動が激しくなってきたのを感じます。私の中にいるのは何でしょう。どうやって生まれてくるのでしょう。
 胎動の間隔が短くなっているので、その答えはもうすぐ分かるはずです。
 しかし彼らがそれをどうするのかはわかりません。
もし誰かこの音声データを受け取ったら、この事実をどうか……
〈録音は男の悲鳴と共にここで途切れている〉

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作品について

著者プロフィール

堀真潮(ほりましお)

作家。
2016年、「瓶の博物館」で第1回ショートショート大賞受賞、7,817編もの応募作の頂点に。同年12月、作品集『抱卵』で作家デビュー。

作品概要

ときに不思議で懐かしい、かと思えば恐ろしくて狂おしい──。
夢と現の境界を自由に往来する堀真潮ワールドにご案内。
夢と自覚できれば目覚めるけれど、もしどちらの世界かわからなくなってしまったら……。
さあ、どうなるかは読んでお確かめください。

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